5-10 帰ってきた猫と見つけたお家
事件から四日後、久遠は縁側にてヨルと猫じゃらしで遊んでいた。
守いわく、ヨルはずいぶんご立腹だったらしい。道永の家に迎え入れられてからというものチヤホヤとアイドルよろしく可愛がられていたというのに突然の放置。夜になっても誰も帰ってこず、その後もバタバタと主たるヨルをほっぽりだして動き回る家来たち。しかも帰ってきた久遠は寝込んで全然遊んでくれない。
というわけでヨルはすっかり不貞腐れて、三日目にしてやっと布団から出てきた久遠に対して不満をぶつけた。野良猫だったときですら見たことのない威嚇を食らった久遠はショックを受け、それからはヨルの機嫌を取るべくオヤツに遊びにと構い倒している。
おかげでヨルの機嫌はだいぶ上向いた。
道永と要は事件の後始末やら調査で忙しく外出中。守は動けない久遠を心配して学校を休み、現在は要に変わって家事を行っている。
久遠としては心苦しい。五家の人間は家業の関係で学校にも融通がきくと聞いたが、久遠の看病だけで四日も休みとなると心配になってくる。久遠の様子を見つつ、真面目に自習をしている姿を見るに成績は問題ないだろうが、学校に友達はいないのだろうか。
目を丸くするヨルを見守りつつそんなことを考えていた久遠は特大ブーメランだと気づいて考えることを止めた。
現実逃避にヨルが後ろ足で立ち上がり、猫じゃらしにじゃれる姿を眺める。ヨルを見ていると日常に戻ってきたのだなという実感がわく。あの悪夢みたいな初陣を切り抜けられたのだと。
といっても問題はまだ残っている。久遠よりも透子の方が重症で、現在は入院中。誠がつきっきりで面倒見ているというが、その誠だって無傷とは言えない。
今は五家で協力して巡回していると道永に聞いた。
死者はいなかったものの怪我人が多く出たため、他の家も今まで通りに巡回が行えないこと。慶鷲のようにケガレを増殖させている輩がいないか確認するために、家を超えて夜鳴市全土をくまなく調査することが目的らしい。
おかげで猫狩がいなくともなんとかなっている。しかし、その状況は長く続かない。道永はまだ前線に出れる状態じゃない。透子は療養中で復帰の目処はたっていない。久遠は一人で巡回を行えるような力がない。
それでも透子のようにやる他ないのだろう。道永が目を失っても、透子がケガレに取り憑かれるほど追い詰められても、それでも護ろうとした土地を簡単に他家に渡したくはない。猫ノ目に帰ってきたばかりの久遠ですら、そんな気持ちになってしまっている。
といっても現実問題、久遠にできることはないに等しい。久遠が頑張るといったところで透子のようにできるとは思えないし、透子よりも早く限界が来るのは分かり切っている。
「どうしたらいいのかな」
悩みながら猫じゃらしを動かしていると、集中していないことに気付いたヨルが不満の声をあげた。私に構え! という全身全霊のアピールに久遠はまたもや逃げそうになる。今は問題を保留にしてもいいのではないかと。
そのとき、ピンポーンという来客を告げるチャイムが鳴った。家事を行っていた守が玄関に向かう足音が聞こえる。
聞いたことのない音にヨルが警戒した様子を見せ、久遠も首をかしげた。この家でチャイムがなったのは初めてだ。
「久遠様! お客様です!」
守がそう言いながら廊下の角から現れる。守の後ろに足音が続く。音からして四人。
「俺にですか?」
道永さんにではなく? とでかかったところで、守の背後から人が現れた。猫ノ目にいるには場違いな金髪の少年が二人。生悟と鷹文。その後ろにはそれぞれの守人も控えていた。
「久遠、調子はどうだ?」
「元気ですけど、何で生悟さんが?」
片手をあげ、薙刀で切られたとは思えない溌剌さで笑う生悟に戸惑いつつ久遠は返事をした。
生悟だけなら「ノリで来た」と言われても納得するが、鷹文が隣にいるのが分からない。笑顔の生悟に比べて鷹文の方は機嫌が良いとは言えない様子だし、久遠とは鳥喰で一度あったきり接点もない。あの場にはいたが、眼の前のことに必死で鷹文が何をしていたかも覚えていない。
久遠が戸惑っていると、突然生悟が廊下に正座し、額が床にくっつくほど頭を下げた。無言で鷹文と後ろに控える守人たちが続く。
久遠の隣まで移動していた守もこれには驚いて、乱入者に不満そうな顔をしていたヨルは逃げ出した。その姿に久遠は薄情者! と内心叫ぶ。久遠だって逃げ出したい。いきなりの訪問も理由がわからないのに、突然の土下座だ。先程まで笑っていたのが嘘みたいに生悟は真顔。もはや怖い。
「えっと、これはどういう」
「この度は、鳥喰の不始末により多大なご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ありません」
生悟が声を張る。頭を下げているとは思えないほど響く、迫力ある声に「ひぃ」という情けない声が漏れた。思わず隣に立っていた守の手を掴んだが、守も唖然と土下座集団を見つめている。
「今回の事件は私どもの管理体制が甘かった故に起こった事件です。信頼という綺麗事で現実を見誤り、透子様と久遠様を危険にさらしてしまいました。猫ノ目に与えました多大な損害は鳥喰が責任を持って埋め合わせしたく存じます」
「いやいや、ちょっとまって! 怖い! 真剣な生悟さん、すごい怖い! 丁寧な話し方怖い!!」
あまりにも怖すぎて久遠は守の後ろに隠れた。事件を通して少しは強くなれたと思ったが、怖いものは怖い。
「……俺だって、やるときは真面目にやるんですけど」
顔を上げた生悟が不貞腐れた顔で唇を尖らせる。その反応は久遠の見慣れた生悟であり、久遠は心底ホッとした。
「今回の件は生悟さん個人というよりも、鳥喰家としての謝罪ですので、生悟さんらしくなくても多目にみてください。面子というものがあるんです」
同じく顔をあげた朝陽がフォローしてくれる。それならそうと最初に言ってくれればこれほど驚かなかったのに。生悟のことだからイタズラ心もあったのだろう。予想外にビビられて不貞腐れたところも含めて、実戦以外ではいまいち信用しきれない先輩だが、生悟のふざけた態度を見ていると日常に戻ってきたという実感が強くなる。なんだか嫌な実感の仕方だなと思ったので、すぐさま久遠は思考を振り払った。
「それをいうためにわざわざ猫ノ目まで?」
「それだけの失態ということです。猫ノ目の後は他の家も回る予定です。犬追辺りには嫌味言われるでしょうね」
仏頂面で告げる鷹文を見て、それで機嫌が悪かったのかと納得した。鷹文からすればとばっちりである。やらかしたのは先輩だ。それでも同じ家であり、筆頭補佐という立場故に謝罪はしなければいけない。損な役回りだなと久遠は思った。
「透子の様子も見たかったし、久遠とも話したかったっていうのが大きいけど」
「透子さんと会って来たんですか?」
「久遠はお見舞いいってないの?」
「満足に動けるようになったの昨日の夕方くらいからで……」
いかに自分の鍛え方が足りないか突きつけられたようで久遠は目をそらす。ルリが操る影犬に捕まっていただけだというのにこの体たらく。眼の前にいる人たちの方が久遠よりもずっと動き回って大変だったというのに、久遠が気絶し、療養している間も奔走していたのだ。それを思うと心苦しくなってくる。
「初陣であれだけ動ければ十分。体力なんて後からいくらでもつけられるんだから、実戦で冷静に立ち回れた自分を褒めろ。体は仕上がってるのに実戦じゃビビって役にたたない奴なんていっぱいいるし」
笑顔で辛辣なことをいう。隣に座っている鷹文が引いた顔をしていた。
「透子が久遠に直接お礼を言いたいってさ。元気になったらお見舞いいってあげてくれ」
「いや、俺の力っていうよりは皆さんが俺を助けてくれたからで……」
「謙遜もしすぎると嫌味だぞ。現状、ケガレの弱点がハッキリ見えるのはお前だけ。お前がいなかったら透子は救えなかった」
生悟はそこで言葉を区切ると久遠と目を合わせた。獣の血を色濃く継いだ赤色がまっすぐに久遠の金眼を覗き込む。
「お前が透子を、猫ノ目を、この街を救ったんだ。俺はお前が帰って来てくれたことに、お前を産んで育ててくれた両親に深く感謝する」
生悟は再び深々と頭を下げる。朝陽も生悟と同じく頭を下げていた。驚いた顔をしていた鷹文と隼も生悟たちに続くように頭を下げる。
先程と同じ動作なのに全く意味合いが違って見えた。戸惑いや恐怖よりも喜びが湧き上がる。胸に手をあてて、首からさげたおもちゃのナイフを握りしめた。
両親を褒められたからなのか、自分が褒められたからなのか分からない。ただとにかく嬉しくて、気恥ずかしくて、久遠は守の背後に隠れたまま下を向く。
「で、でも、今回の件は片付きましたけど、猫狩がいない問題は解決してないですし、俺じゃ透子さんや道永さんのようには……」
気恥ずかしさからでた言葉だったが、だんだん不安が大きくなった。猫狩がいない状況は変わらない。
「久遠、さっき言っただろ。猫ノ目が被った損害は鳥喰が埋め合わせするって」
「具体的に言いますと、猫狩不足を補うために鳥狩を派遣したします。猫ノ目から預かっていた領土もお返し致します」
「といっても、慶鷲さんがやらかしたばっかりだし鳥喰だけに任せるのは怖いから他の家も協力するって。詳しいローテーションとか各家の割合とかはこれから協議するけど」
「えっ」
思わず守と声が重なった。立ちっぱなしの守と守の足にへばりついたままの久遠の視線が交錯する。お互いの頭にはてなマークが見えた。
「もっと分かりやすくいうなら、猫狩不足解消です」
朝陽の柔らかな声に久遠はやっと言葉の意味が飲み込めた。生悟と朝陽は優しい顔で久遠を見つめているし、鷹文は肩をすくめ、隼は笑みを浮かべている。
「金眼の猫の有用性は今回の件で証明された。猫の血筋は猫ノ目だけじゃなく、五家が総力を上げて護るべきものだと各家当主が判断した。久遠が状況をひっくり返したんだ」
そこまでいって生悟は背筋を伸ばした。
「もう一度いう。久遠、猫ノ目に帰ってきてくれてありがとう」
生悟の言葉に黙っていた守が感極まった様子で振り返り、久遠に抱きついた。「ご帰還、心よりお待ちしておりました!」と涙声で叫ぶ守に久遠は満ち足りたような、くすぐったいような気持ちになる。
初めて猫ノ目に連れてこられたときは、とんでもないところに来てしまったと思った。怪しい信仰をしている変な家にしか思えなかった。
けれど今は帰ってきてよかったと思う。両親に護られて来た弱い久遠でも、この家では誰かを護ることができると分かったから。
「未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします」
久遠の言葉を聞いて、目を見て、喜んでくれる人がここにはいる。両親が死んでなくなったと思っていた久遠の帰る家は、ここにある。
嫌いだった金色の目を久遠はやっと好きになることが出来た。
「最終話 迷子の猫は家を見つける」終
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