4-7 楔姫と狐守の巫女

 言葉の意味が理解できず、久遠は生悟を凝視した。生悟が言った言葉を頭の中で繰り返し、そんなはずはないと乾いた笑みを浮かべる。


「えっと、すみません。聞き間違いですか? ご遺体って聞こえたんですが……」

「聞き間違いじゃない。御神体は楔姫様のご遺体だ」


 聞き間違いだという希望を断ち切るように生悟は一言、一言ハッキリ告げた。拒否したくとも言葉が久遠の頭に滑り込んでくる。理解が追いつくにつれて悪寒が這い上がってきた。


「五家は遺体を祀ってるんですか!? 正気ですか!?」

「……まあ、そういう反応になるよなあ……」


 生悟は困った顔で頭をかいた。その異常性を生悟も自覚しているらしい。守も、いつも涼やかな顔をした朝陽も居心地が悪そうに床を見つめていた。


「楔姫の伝説は聞いてるよな?」

「……霊獣の主で鬼を封じるために命を捧げた人ですよね」


 久遠の言葉に生悟は頷いた。


「楔姫が亡き後、霊獣たちは楔姫の意志を継ぐべく、それぞれ契約者を見つけた。彼らが霊獣と共に夜鳴市に集まった日、契約者たちは同じ夢をみたという」

「夢?」

「自分の遺体をバラバラにして胴体は地中に、それ以外は契約者が一つずつ守るようにと頼む楔姫様の夢だ」


 嘘だという言葉が喉からでかかったが、生悟の真剣な顔を見て飲みこんだ。こんな悪趣味な冗談を生悟がいうはずがない。だからこれは五家に伝わる真実に違いなく、それが分かるからこそ足が震える。


「な、なんでそんなことを……」

「鬼を封じるためには自分の命だけじゃ足りないと気づいたそうだ。自分の魂と肉体。両方を使わなければいずれ封印が解ける。だから楔姫様は自分の亡骸すら利用した。正直、そこまでできる神経が分からないけどな」


 生悟の言葉は不敬とも言える言葉だが朝陽も守も咎めはしなかった。久遠にはそんな度胸はない。しかし、この楔姫の行動がなければ夜鳴市は未だ祟り場だった。祟り場は対処しなければどんどん大きくなっていくという。楔姫が文字通り身を切ったからこそ、現代の平和があるのだ。

 

 だからこそ五家の人間は楔姫を崇める。鬼を封じ込めた功績。そして自分にはできないことをやってのけた未知なる存在への畏敬の念。世界のために命を投げ捨てたという事実もあって楔姫の存在は神格化された。それにより御神体を集めると願いが叶うという信憑性のない噂まで生まれてしまったのだろう。


「ってことは、御神体を集めるってダメなことなんじゃ?」


 楔姫の目的は鬼を封印すること。そのために体をバラバラにしたのだから分けることに意味があったと考えられる。

 久遠のつぶやきに生悟は頷いた。


「その通り。御神体はそれぞれの家にあることで封印の役目を果たす」


 そういいながら生悟はポケットからスマートフォンを取り出した。なにか操作してから久遠の隣に並び画面を見せてくれる。

 表示されているのは地図だった。


「夜鳴市の地図だ。ここが狐守の本邸で……」

 そういいながら生悟はそれぞれの家に印を付けていく。全ての家に印が付いたところで久遠は声をあげた。


五芒星ごぼうせいですか?」

「正解。久遠、かしこいなー」


 生悟がわしわしと頭を撫でるが久遠は地図から目を離せなかった。五つの家は等間隔で並んでおり、線で結ぶと星の形になる。意図して建てなければこうはならない。

 衛星写真などない。ドローンだって存在しない。そんな時代の人間が鬼を封じるためだけに地道な力で作り上げたのがこの街であり、封印だ。


「ここが夜鳴神社。楔姫様が御わすところ。でもって胴体が埋まってる場所だ」

「首は狐守、右腕を犬追、左腕を蛇縫、右足を鳥喰、左足を猫ノ目が祀っています」


 想像して胃液が込み上げてきたがなんとか飲みこみ、地図を拡大する。五芒星の中央には、たしかに夜鳴神社が存在した。


「噂によれば、夜鳴神社に五体の御神体を持ってくれば楔姫様が復活し、願いを叶えてくれるらしい」


 改めて悪趣味な噂だと思う。楔姫が体を分けなければいけなかった理由を五家の人間は知っている。それにも関わらず御神体を動かそうとしてしまうのは、楔姫が復活しさえすればなんとかなると考えているからだろうか。

 そこまで思考して、道永が言っていた話を思い出す。狐守の巫女は楔姫の魂を体に下ろしていると言っていた。


「……楔姫様は今も神社にいらっしゃるんですよね?」

「久遠はまだ会ったことなかったか」

 

 久遠の半信半疑の問いかけに生悟は平然と答えた。いることが当たり前だと思っている反応に面食らう。ずっと昔に死に、体もバラバラにされた人間が存在している。それを自然だと思っている姿に久遠は寒気を覚えた。

 気味が悪いなんて言ってはいけないのだとは分かっている。それでも違和感を拭いきれない。


 気をそらそうと生悟から目を離せば、朝陽の姿が目に入った。朝陽は久遠をじっと見つめると困った顔をして頷いた。久遠の気持ちを察したような反応にそういえば朝陽は五家の人間ではなかったと思い出す。

 久遠が感じた違和感を朝陽もまた感じている。それに気づいて久遠はほっとした。


「巫女に魂を下ろしているって、用事があるとき呼び出してる感じなんですか?」


 死者の魂を体に下ろす存在として久遠が知っているのはイタコだ。こっくりさんなんかも幽霊と会話を試みるものだが、どちらも話がしたいときに呼び出し、用事が終わったら帰ってもらう。生悟たちの反応を見るに、楔姫は呼び出す頻度が高そうだがそうした行事があるのだろうと久遠は思っていた。

 しかし、久遠の問いに対して三人は気まずそうに黙り込んだ。守は目を伏せ、生悟と朝陽は目を見合わせる。三人ともどう説明しようか悩んでいる様子を見て、久遠が考えているような軽いものではないのだと察せられた。


「……楔姫様の魂は鬼を封印するために鬼に近いところにいらっしゃる」


 生悟が固い口調で話し始まる。今まで以上に重苦しい声に久遠の体も自然とこわばる。続く言葉がまるで予想できず、久遠はゴクリとツバを飲み込んだ。


「ケガレにずっと触れていると精神に異常をきたす。ケガレの王たる鬼はさらにそうだ。ずっと鬼の封印に接触し続けていると、さすがの楔姫様も汚染される。だから巫女の体を借りて避難しているんだ」

「つまり……?」

「行ったり来たり、気軽に出来るものじゃない。巫女は完全に楔姫様に体を受け渡す。一度受け渡したら巫女の魂は眠りにつき、意識が表に出てくることはない」


 久遠は言葉を失った。生悟は遠回しな言い方をしたが、それは……。

「体を乗っ取られるってことですよね?」


 久遠の言葉に生悟は応えずに目をそらす。朝陽も守も床を見下ろし、久遠とは目を合わせなかった。それが答えだ。


「巫女は代替わりするって聞きました。役目を果たしたら……」

「他人の魂を体に入れるのは負担がかかるらしい。長くて五十年。その頃には巫女の体に限界が来ている」


 つまり巫女とは人柱のようなものだ。楔姫に体を捧げ、消耗品のように扱われて死んでいく。いくら楔姫が偉い存在だとして、そんな理不尽が許されていいのか。


「楔姫様がいなくなったら鬼の封印は解ける。この街を、いや国を守るためには必要な犠牲なんだよ。……といっても、お前は納得いかなさそうだな」


 弱々しい生悟の声に手を握りしめ、下を向いていた久遠は顔を上げた。陽気な生悟らしからぬ困ったような笑み。諦めと悲しみ、無力さが入り交じったような表情を見て、生悟が巫女を捧げることに肯定的ではないのだと悟った。

 そうするほかに道がない。それをしなければもっと多くの犠牲が出る。だから五家の人間は人知れず身を捧げてきたのだろう。巫女に選ばれなくとも、ケガレと戦い命を失った者たちはたくさんいたはずだ。


 逃げてもいいよと道永は言ったが、こんな話を聞いて逃げられるはずもない。自分が立っているこの場所が、当たり前だと思っていた平和が多くの犠牲の上で成り立っていると気づいてしまった。もう背を向けて逃げるなんて出来るはずがない。その犠牲の中に、久遠が知っている誰かが今後含まれるかもしれないのだ。


「次の巫女って、もう決まってるんですか」


 久遠は自分の足をにらみつけながら聞いた。生悟の顔を見ながら聞く度胸はなかった。それでも知っておかなければいけない気がした。

 生悟は久遠の問いに間を置いてから、無理矢理感情を押し殺したような平坦な声で答えた。


「桜子だ」

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