1-7 憂う鳥と眠る鬼

 透子が立ち去った方角を鳥喰生悟はじっと見つめていた。すでに透子の後ろ姿は見えない。それでも生悟は透子が消えた方角から目を離すことができなかった。

 その表情は苦い。いつも浮かべている笑みが消え失せ、眉間にはかすかにシワが寄っている。


「金目が引きこもってるって話、知ってたか?」

「知りません。他の家に知られないようにしていたんでしょうね。ただでさえ猫ノ目の地位は落ちていますし」


 生悟の言葉に朝陽が答えた。生悟からみても納得のいく答えだった。


 ここ百年余り、金目が生まれていない猫ノ目は五家での居場所を失いつつある。今までなんとか維持できていたのは黄色の狩人たちの努力あってのことだ。

 しかし、その黄色ですら近年では生まれない。


 鳥喰は現役の狩人は十人。まだ狩人になっていない次世代は五人いる。それに対して猫ノ目は現役が二人。帰ってきた金目を含めて三人。次世代は未だ生まれていない。


「なんでこんなに猫は生まれにくいんだ……?」

「それがわかったらすぐに猫ノ目に教えてあげますよ」


 生悟のつぶやきに朝陽がため息混じりに答えた。生悟と同じくこの状況に焦りを覚えているのがわかる。


 他人事で見ていられる状況ではない。五家は夜鳴市を五つの区域に分けて管理している。猫ノ目が機能しなくなった場合、猫ノ目が担当していた区域を隣接している鳥喰と蛇縫が管理することになるだろうが、そうなると五家のパワーバランスが崩れる。狐守は様子見するかもしれないが犬追は黙っていないだろう。


「この機に本格的に猫ノ目を手中に収めようとしているバカもいるみたいですし、透子がピリピリするのも仕方ないでしょうね」

「ほんっと誰が言い出したんだろうな。御神体を五つ集めたら願いが叶うなんてバカな話」


 五家はそれぞれ御神体を祀っている。それは象徴であり夜鳴市の守りである。


 夜鳴市はもともと負の感情が集まりやすい土地だ。それによりケガレが発生しやすく毎夜欠かさず見回りをしないとすぐに増殖し、くっつき、手がつけられなくなる。

 五家が存在しなかった時代、夜鳴市は祟り場であった。近づくだけで体調不良を起こす呪われた地として恐れられ、近隣の住人は誰も近づかなかったという。


 それでも事件は絶えなかった。

 祟り場であることを知らずに通りかかった旅人が取り憑かれる。あるいは強すぎる呪詛に引きずり込まれてしまう。そうした事件があとを絶たず、夜鳴市に入った人間は例外なくケガレに取り憑かれ錯乱し、次の獲物を探して外に出て残忍な事件を起こす。それによってさらに恐怖と怒りが増幅しケガレが生まれ、祟り場が広がる。その繰り返し。

 ついには鬼と呼ばれるケガレの王が誕生し、人々は恐怖に震えて過ごしたという。


 そんな状況を変えたのが霊獣を従えた一人の娘。のちに楔姫と呼ばれる彼女に付き従ったのは鳥、犬、猫、蛇、狐。五匹の霊獣を手足のように使役した楔姫はケガレを次々と浄化し、ついには己の命をかけて鬼を夜鳴市の地中に封印した。


 楔姫を失った霊獣たちは死をいたみ、主が命をかけて守った土地を守るため、鬼を再び復活させないためそれぞれ相性の良い人間を見つけ土地を守ってくれるように懇願した。五人の人間はそれを受け入れ獣と契約を結び、彼らの子孫に獣の血を引く子供が生まれるようになった。


 それが表向きにはされていない夜鳴市の歴史である。各家が守る御神体は鬼を封印する結界の役目を果たすもので、それ以上でも以下でもない。


 というのに、いつしか御神体を五つ集めれば願いが叶う。そんな根拠のない噂話が事実のように語り継がれるようになった。


「冷静に考えたらありえないってわかるだろ。どこの漫画の話だよ」

「我々の存在も一般人からしたらだいぶ漫画じみてますけど」

「にしたって、願いが何でも叶うはない。ちっちゃい子供ならともかくいい年こいたおっさん共が信じてんのが意味わからん」


 生悟はそういうと大きくため息をついて肩を落とした。朝陽も同意するように眉を寄せる。


「御神体として祀られているものを神聖視しすぎているのか、噂の真偽はどうでもよく、ただ権力がほしいだけなのか……どちらにせよ迷惑な話ですね」

「ほんとな。変なプレッシャーかけられてる猫には心底同情する」


 五家の目的はケガレの浄化。放って置くとすぐに祟り場へと変貌してしまう夜鳴市を守ることである。その目的を忘れ、くだらない権力争いを行う人間たちには心底幻滅しているが、なによりもそれに巻き込まれる猫ノ目が生悟は可哀想でならなかった。


「狩人は本来敬われるものです。道具のように酷使されるべきものではありません」


 透子が消えた方角を見つめて朝陽が呟いた。その声にはたしかな嫌悪が見える。狩人である生悟が同意するのは傲慢ともいえるが、五家の使命を考えればそうあるべきだと思う。敬意が薄れ、ただの道具として酷使されている猫狩を見ていると余計に。


「これもそれも、猫が生まれにくいのが問題なんだよ。猫がもっと生まれてれば敬意だって回復するだろうに」


 猫ノ目で狩人の権威が落ちている原因は役目を満足に果たせていないことにある。人は見返りを求めるものだ。ケガレを浄化し土地と家を守ってくれる。だから狩人は大切にされてきた。

 いまの猫狩はそれができない。透子も道永も生悟からみて十分に努力し役目を果たしている。それでも二人だけでは限界がある。


「猫狩様の素質を持つ子は幼いうちにケガレに襲われのも問題です。他の家にもあることですが、猫は多すぎます」

「ケガレも無抵抗に祓われるようなアホじゃない。自分たちの弱点を見るものだってわかるんだろ」


 五家の狩人はそれぞれ異能を発現させるが、猫ノ目のものは戦闘向きとはいえない。鳥喰は空を飛ぶ翼と獲物を捉える鉤爪を得る。猫ノ目の場合は弱点を見る力を得る。

 強いケガレと対峙したときに有用な力ではあるが、見るという点に特化した結果、肝心の攻撃手段が衰えてしまった。そこを猫ノ目は追人と守人の協力で補っている。逆に言えば、猫狩一人だと力負けする。


 ケガレは成長すれば知能を得る。霊力を感知し、自分を脅かすものから逃げ、時には知略を巡らせ反撃する。他のケガレと連携してみせることもある。

 ケガレから見て自分たちの弱点を見つけてくるが、攻撃力が低い猫ノ目は格好の餌だ。生まれたばかりの狩人の素養を持つ子を狙うケガレは多いが、一番被害にあうのはいつの時代も猫ノ目だった。


 生まれにくい。生まれてもケガレに狙われて幼くして死んでしまう。そうして猫ノ目は緩やかに確実に弱体化し、いまの状況まで追い詰められた。


「猫ノ目もなんの対策もしていないわけではないというのに……」

「ここまでくると偶然というより必然めいたものを感じるよな」


 生悟の言葉に朝陽が眉を寄せた。生悟は朝陽と目を合わせてから下を指差す。


「鬼の呪い」

「……それ笑えませんよ」

「だなあ……」


 夜鳴市は封じ込められた鬼の上に存在する。伝承でしか伝えられていない鬼がどんなものかはわからない。それでも時折思い出してはゾッとする。

 我々は化け物の上で生活しているのだ。


「仮に、本当に呪いだとして、どうにかする術はあるんでしょうか」


 朝陽の顔に影が落ちる。黒い瞳はビルの屋上から地面、その更に下、見えない地中を覗き込んでいる。いくら目をこらそうとも、鬼の様子を確認する術などない。眠りについているのか、未だ封印した相手を恨んでいるのか。それすらもわからない。

 見えないことは、わからないことは恐ろしいことだ。鬼のことを考えるたびに生悟は思う。


「本当に鬼の呪いだとしたら、俺たちにできることなんてなにもないだろうな」


 五匹の霊獣を従えるなんて人間離れした技を用いた楔姫。彼女がどうやってそんな力を手に入れたのかは誰も知らない。そんな偉大な存在すら完全に殺すことができず封印を選んだ鬼。それが地中から己を封印し続けるものを呪い続けているとして、それを払う術があるとは思えない。

 生悟には呪いが見えない。知覚できないものを払うことなどできない。


「戻ってきた金目が透子のいうように引きこもりのどうしようもない奴なら……」


 生悟はそこで区切って夜空を見上げた。朝陽の不安が伝わってくる。それでも生悟はその言葉を口にした。


「猫ノ目は終わりだろうな」


 事実から目をそらすことは恐ろしいことだと生悟は知っていた。

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