【短編】黄泉戸喫を食べないのは君への贖罪

お茶の間ぽんこ

黄泉戸喫を食べないのは君への贖罪

肌寒い夕暮れの頃、僕は彼女にいつもの餌付けをしていた。

「まーくん、この鯛焼き美味しいよ!」

僕の彼女、米田美保(よねだみほ)は鯛焼きの餡を口にこびりつかせながら夢中で頬張る。

付き合い始めてから二人で帰るたびに美保に何か奢ってあげている気がする。

「いっぱい食べるのは結構だけど、僕のお財布事情も考えてよね…」

「違うの!まーくんがいつも私を甘やかすからつい甘えたくなっちゃうんだよ!だからまーくんに非があるんだよ!」

鯛焼きを食べ終えた美保は、口についた餡をポケットティッシュで拭きながらそう答える。

美保とは、同じ吹奏楽部で知り合った。新入部員として迎え入れた美保は僕と同じトランペットのパートになり、1学年年上の先輩だった僕は美保を指導していく中で気づけば付き合うことになっていた。

美保は、僕が餌付けする前から食べることが大好きな子らしく、他の女子と比べるとややふくよかな体型であったが、彼女の甘え上手な一面が世話好きな僕の心を掴んでいた。

僕は肩をすくめると、美保は僕の目の前に立ち、上目遣いで僕を見てくる。

「そうだ、まーくん。私、今週末の土曜日に行きたいところがあるんだ」

おねだりをする子供のように、目を輝かせながら、そう訴えかけてくる。

「また美味しいパフェでも食べに行きたいの?相変わらず食いしん坊だなぁ」

「違うの!…いやそれもあるんだけど。ほら、最近この区内にショッピングパークが出来たじゃん?そこに大きな観覧車があるんだって!」

「あぁ、そんなの出来てたな。僕もまだ一度も行ったことないから気になっていたんだ。行ってみようか」

美保が提案してきたショッピングパークとは先月オープンしたばかりで、都内に住んでいる僕たちからするとそこまで珍しくはなかったが、やはり新しくできたという点には魅かれてしまう。ミーハーの性といったところか。

「やった!じゃあ決まりね!あと…ちょっと調べたんだけど、パーク内にスイーツ食べ放題のカフェもあるから…」

「そこにも行きたいってわけね。いいよ、どうせそんなとこだと思ってたから」

わざとため息をついて呆れた様子を見せると、美保は頬を膨らませ、持っていた鞄を振り回してぶつけてきた。

「もー!私をからかってばかりで!つまんない!」

「いたっ!わかったわかった、僕もスイーツいっぱい食べたいって!」

そう他愛のない応酬を繰り広げながら、二人はこの茶番を楽しんでいた。




僕が目覚めると、何も林立していない霧のかかった虚空の平地に寝転がっていた。

正確には、僕以外にもう一人、美保が横たわっていた。

「ここは…」

不安か好奇心か、表現しがたい感情のまま、美保を起こして状況を把握しようとした。

「まーくん、ここはどこ…?」

「僕も分からない。理性的に考えると夢の中だと思うけど」

「じゃあここにいるまーくんは、私が創り出した夢のまーくんってこと?」

「理屈としては、僕からすると美保も僕の幻想ってことになるな」

美保は明らかに困惑していた。もちろん僕も理解できない状況に混乱していたが、夢の中の彼女に悟られないように平然を装うことにした。

しかし、夢だとしても、これが夢だと認識することができるものなのだろうか。

明晰夢という話を聞いたことがあるが、これはその類なのか。

「まーくん…。私、こわい…」

美保は僕に身を預けてきたので、安心させようと優しく頭を撫でてあげた。

僕たちはあてもなくこの不気味な世界を闊歩した。

散策している間も、美保は僕の腕をつかんで体を震わせていた。そんな彼女の恐怖心を余計に煽らないためにも、僕は何か心当たりがあるかのように振舞っていた。本当は僕も不安で仕方ないのだが。

「ここが夢の中なんだったら、私が想像したことも具現化されるってことだよね…?」

彼女は少しでも気を紛らしたいらしく、そんな思い付きを発した。

僕はそれに便乗して冗談を言って場を濁してやろうと思った。

「そうだね。この場合、あまり怖いこととか考えない方が良いね。校長先生なんか思い浮かべたときには、1時間も校訓について語られてしまうよ」

「なにそれー、もっと怖いものの例えとしてふさわしいものがあるでしょ!」

ふざけた言動に対し、美保も少し緊張が解れたようで思わず笑みを浮かべる。

「はは、間違いないね。まぁ怖いものを想像しても仕方がないから楽しいことを考えよう。美保は今何したい?」

「んー、最近部活動ばっかりだったから、まーくんと遊べたら何でもいい!カラオケに行ってー、カフェに行ってー、その後ショッピングとかに行くのもいいなー」

つらつらとやりたいことを語る美保を見て、安心する。

その後も他愛のない話を続け、僕たちは歩き続けていると、少し遠くにポツンと立った見覚えのある建物が目に入った。

更に近づいてみると、どうやらそれは、先ほど美保が言っていたカラオケ店であったことが確認できた。

「見て!ビッグ〇コーだよ!やっぱりここは夢の中だったんだ!」

美保が興奮した様子で僕に訴えかけてくる。先ほどの恐怖はどこにいったのか。

僕は美保に引っ張られる形でカラオケ店の中に入った。

しかし、これは僕の夢であるはずなのに、夢の住人である美保が思い浮かべたものが具現化するということがあるのか。まるで、僕の夢と美保の夢が共有されているかのようだ。大方、夢の中の美保が発言したことを、僕が思い浮かべることによって、カラオケ店が出現したということであろう。

店の受付は、無人で呼びかけてみても誰もいない様子だったので、夢の世界だと割り切って僕たちはこの世界を楽しむことにした。適当なルームに入り、僕たちはカラオケを楽しむ。

僕が歌っていると、どこから注文したのだろうか、美保は食事を楽しんでいた。

「美保、それどこから持ってきたんだ?」

「まーくん!ここは夢の中だから、思ったものは全部出てくるんだよ!だから私が食べたいパフェが出てきたんだー」

彼女はそれをスプーンですくって食べ続ける。

「んーー美味しい!」

「お前ってやつは、夢の中でもその…食い意地ってやつが凄いな」

「夢の中だからこそいっぱい食べても太らないんだよ!今のうちにいっぱい食べなきゃ!」

僕は呆れながらも、この夢の世界が非常に興味深く感じられたので、試しにフライドポテトを思い浮かべて出現させることにした。しかし、僕が念じても何も出現しなかった。

「あれ、僕が念じても何も出てこないな」

「ってことは私の夢ってことなんだね!まーくんにもパフェを分けてあげる!」

「いや、それは美保が全部食べな」

僕はそれを見ても食欲がそそらなかったので、遠慮することにした。

美保の言う通り、彼女が思い浮かべたものが全部出現するこの世界は、彼女の夢の世界なのかもしれない。僕は他人の夢に介入できているこの貴重な体験に心が躍っていた。

僕たちは美保の夢を楽しみ尽くした。



目を覚ますと、いつもの見慣れた自室のベッドの上だった。

今日も美保からの誘惑を振り切って目覚めることができた。

そばに置いてある携帯を手に取り、LI〇Eを目にする。

メッセージ欄には3年前にやり取りが止まった美保とのトークがピン止めされている。

そして僕は、日課である夢日記に今日の夢の内容を書き連ね、彼女との思い出を読み返した。

美保は、僕とショッピングパークへ行く約束をした翌日に、父親からの苛烈な暴力が原因でベランダから飛び降りて意識不明の重体になった。そして二度と目を覚ますこともなく、今も病院の一室で深い眠りについている。

あの日、彼女から何度も電話がかかってきたのだが、僕は彼女の激しい被害妄想を聞かされるのではないかと呆れて無視を決め込んでいた。

それ以来、僕が眠りにつくと、夢の中で彼女と出会うことができる。

果たして、僕の罪悪感が生み出した幻想なのか、彼女の夢なのか。

そんなことは僕にとってはどうでもいい。空虚な日々を生きていくことこそが彼女への贖罪になるのだから。

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