アサヒ、トイレを我慢する

 三食全てを食堂に依存していたわたしの死活問題に関わる大事件が起きてしまいました。




 調理を担当するおば様達が食中毒の集団感染でダウンしてしまい、施設の消毒と感染の拡大を防ぐためという理由で食堂が閉鎖されてしまったのです。






 学園の外にも食事を摂ることのできるお店は多くあるのですが、食中毒の感染経路が外部からの食料だということで、同じルートから仕入れている場所が一斉に営業を中止してしまいました。食べれる場所が減った事で営業中のお店にお客が集中したので、どこも長蛇の列。一度並んではみたのですが、材料切れで出せる料理が無いと解散させられてしまいましたので、営業しているお店に入るのは諦めています。








 学園では食事への心配がありません。


 不規則な生活を送る魔法使いのニーズに応えるために食堂が二十四時間営業をしていますので、献立こそ選べませんが必要な量をいつでも食べる事ができます。


 服も制服一着あればどこに行っても恥ずかしくありませんので、衣食住が満足な状態で教育を受ける事ができる、ズボラな人間にとっては素晴らしい環境なのです。






 自慢ではありませんが、料理というものをしたことがありません。


 できるかできないかで答えるのなら多分できます。手順通りやればいいだけならわたしでもできます。ただその必要がなかっただけ。自分で挑戦して不味いものを我慢して食べるよりも、安定しておいしいものを安価で供されたほうがコストパフォーマンスも良いんです。




 魔法で好きなものを作ればいい。そう思った時もありました。


 色々豪華なものを出してみたんですが、どれも味がしないんです。先生に相談したところ、どんな味がするのかを知らないからではないかと仮定を立ててくれたので、最近はいろんなものに挑戦している所です。












 以前倒れて以降、先生の体調が良くない日が不定期にあり、そんな日はわたしが先生の代わりに授業時間を仕切るようになっていました。




 今日はその日です。マッシュが女の子の日みたいだなと呟いて、それを聞いて顔を真っ赤にしたナミさんに頬を叩かれていました。ナミさんが怒るとか色々と謎はあるんですが、先生は紛れもなく男性です。部屋に奥様の下着が片付けられず残ってたりしますが、ちゃんと男性です。




 わたし達にできるのは早いおば様達の回復と食堂の再開を祈る事だけ……なのですが、今この教室では原因探しの議論が繰り広げられていました。


 常日頃から衛生管理には気を使っていらっしゃることから、外部からの食品が汚染されていた事に着目しています。余計な事をして一番迷惑がかかるのは先生ですし、その先生は今もぐったりしてるので程々にして欲しいんですが、学級委員長のささやかな願いは叶いそうにありません。




「と、思うんだけど! アサヒさんはどうかしら?」




 議論には混ざらず先生のお傍に控えていたので、急に話を振られてもすぐに返答は返せません。




「僕たちでどこで混入したのか調べられないかなって話。」




 返答に詰まるよりも早く、答える為の助け船を出してくれました。ありがとうクロード君。わたしが話を聞いてなかった事を指摘される前に助言ができる君は凄いよ。






 考えてみましたが、正直、わたし達のような一般の生徒、それも一年生ではそんなのは無理。




 もし調べるのであれば、有事の際には理事長と直接行動することが許される程の、それこそ先生のように特別な権限が必要です。学園都市の最大の命綱である食料は警備もそれ相応のはずで、わたし達のような入学数か月のヒヨッコが迂闊に手出しできる領域じゃありません。


 それともうひとつ、人間がやる事なので穴は確かにあるかもしれませんが、落ち度があった所に犯人がいると決めるのは早計です。実行犯に糸を引く黒幕が居て、混乱に乗じて何かを企んでいるのかもしれません。




「おばちゃんがうっかりしてたわけじゃない……?」




 おば様が生肉を扱った箸を使いまわしたのが直接の発生原因だったとしても、そんな些細なミスをすることになる原因がどこかにあります。夜眠れなかったり、先生みたいにオーバーワークになっていたり。誰かがそうなるように手を回していたらどうでしょう。




「そこまで考えてなかった……さすがアサヒ!」




 昨日まで読んでいた推理小説がそういう面倒な深読みをさせてきたのです。探偵役が看破して次の被害者を出さぬように立ち回るところまでが犯人の筋書き通りで、助ける事が出来ず目の前で次の犠牲が出てしまうという酷い展開でした。作者には人の心が無いんでしょうか。






「積み込みまではシロだと思う。」


「学園都市に入る途中ならどうだ。列車って結構止まるよな!」


「来るときに何回も止めたのはあたし達よ? 各駅停車は時間がかかりすぎるから、止まらないように乗り込み魔法があるの。」


「アサヒが言ってたみたいに、別の目的のためにおばちゃんを動けなくしたか、食堂を立ち入り禁止に?」




 わたしを置き去りにして、四人の議論が再開するのを見届けます。




 繰り返すようですが、この議論はただの時間潰し。わたし達ではこの騒動に際し、自力で食事を調達して食堂の再開まで凌ぐ以外は何もすることができません。これは皆もわかってる。はず。




 生徒が学園の深い部分に関与するのを嫌っているらしく、何か変な勘繰りを入れればすぐに校則にぶつかります。違反者であってもかわいい生徒であり、守るために一番動くのは先生です。その先生は、自警団が解散したので負担こそ減りましたが元からきつい風当たりが収まってもいないので、まだまだ本調子ではありません。


 先生にはわたし達の入学当時のような穏やかな顔で居て欲しいんです。




 全盛期の先生は凄かったと、理事長からも伺っています。魔王とも言える体格と魔力と権力を持つ理事長相手に真っ向から噛み付いて、校則破りを繰り返し、誰よりも早く問題解決に奔走した。それが学園史上最優秀の卒業生であり、今の先生。




 そんな武勇伝を持つ先生にいいとこ見せようと思う気持ちはわかります。ですが先生は学園都市の管理者としては末端。四天王なら一番最初にやられる立ち位置です。風前の灯に対して火力を上げようとして空気を送り込んでも、ガスが無い炎は消えるだけ。必要なのは生徒が規則を無視して頑張ったという名誉ではなく、安息なんです。








「アサヒ、さっきからダメだダメだってずっと言ってるけど、何かいい案あるのか?」




 変な行動を起こさぬように、さりげなく何もしない方向に誘導していたんですが気付かれてしまいました。


 再び返答に詰まります。ずばり、そんなもの無いです。




 何で食中毒が起きたのか。どこからそれが持ち込まれたのか。自然発生の可能性は。徹底的に消毒するなら搬入経路から駅舎まで全て消毒する必要があるのになぜ食堂だけが閉鎖されたのか。自警団と今回の騒ぎで誰が得をするのか。考えれば考えるだけ、分からない事しかありません。


 何か予測をすることはできますが、行動を起こしてもそれは他の人達にとっては特別学級の暴走にしか見えない。暴走したら全ての責任は先生が被る事になる。


 今も二日酔いのような状態で眠ってしまっている先生にこれ以上迷惑は、かけられ……?






 そうだ。先生だ。




 大切な人を失ったばかりなのに激務の教職に就く事になり、一番面倒な学級を担当することになり、関わるはずの無かった自警団にも対処して、そして今回の騒動でも受け持っている特別学級が厄介な動きをしそうになっているこの状況。




 確定ではない。なぜならわたしはこの教室からしか物事を見れていない。だから全てを把握していない。


 でもおかしい。学園都市は生徒を持たない教職も大勢いる。なのに事態の対処に奔走するのはいつも先生だ。理事長が引っ張り回しているようにも見えるけど、それは授業中に用務員が飛び込んできて、事情を聞いた先生が理事長へ知らせるために跳ぶ。要はメッセンジャー。先生が来たから理事長は頼りにしている。因果関係は逆だ。




 この状況、理事長は筋肉だから理解してないか、全てわかっていて成り行きに任せているんだろう。わたしを理解してくれた数少ない大人だ。あの人は信じたい。


 先生を追い出したい勢力は教室から見るだけでも十分すぎるほど多い。理事長だけは味方でも、彼以外は全員敵だと言ってもいいくらい。




 どこの誰だ、誰が先生を……?






「だ、大丈夫? すごい怖い顔になってるけど。」




 黙ってしまったわたしの目の前に、不安そうな顔のナミさんが居ました。普段ならこの後ポール辺りがトイレなら早く行ってこいと茶化し、女の子に対してデリカシーが無いと怒ったナミさんが追いかけ回す事で教室内の鬼ごっこが始まる展開なのですが、空気を読んだのか冗談は飛んできません。




「すみません、トイレ我慢してたので。答えるまで動いちゃダメですよね、漏らしていいですか。」




 いつもの楽しい特別学級を取り戻すために、重い空気を打ち砕けるのならばこれくらいの嘘をついても許されるはずです。


 人前で漏らす性癖はありませんので、教室でのおもらしは他の方に譲ります。先生以外に見られるのは勘弁してくださいませ。




「ついでですし、大か小かで賭けましょうか?」


「賭けない! はやく行ってこい!」




 少しでも和んでくれれば幸いです。眠っている先生以外は笑ってくれましたので、この場はヨシとしましょう。

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