鈴音の青春

内海悠希

鈴音の青春

 鈴音は頭を抱えていた。別に頭が痛いわけではないのだが、頭を抱えずにはいられない。鈴音の目の前にあるのは、茶色の机に置かれた数枚のプリントと、四角い枠のある真っ白なプリント。そして、鈴音が頭を抱える原因となったのも、このプリントたちだ。もうここまで話せば分かってくれるだろう。今鈴音がやっていること。

……そう、テストである。

言い訳ではないが、ここで一つ。鈴音は、決してテスト勉強を怠ったわけではない、ということだけ伝えておこう。いや、むしろいつもよりもたくさん勉強はした……はずなのだが、テストは全く解けていない。なぜ解けないのかは、鈴音自身にだってよく分かっていた。それは、鈴音がテスト開始の合図でテスト用紙をめくってすぐに気が付いた。テスト開始から約8秒後。鈴音が回答用紙に天村鈴音と書いた後だ。テスト勉強をしていた所と範囲が違う、と思った。そんな訳ない、と一応全問見てみたが、どの問題も、鈴音が勉強していた範囲とは違う。たまに少し掠っている問題もあるが、問題の主軸となっている部分はやはり範囲から外れている。鈴音は、問題文を読むごとに焦りが増していき、ついに全問終わった頃にはこの寒い冬の季節には合わない、汗をかくまでに至っていた。


「嘘だ……」


つい心の声を小声で漏らしてしまう。今までそんな事はなかったはずだ。そうはいっても油断はいけないから、と何度も確認したつもりだった。鈴音の単なる見間違いか、あるいはそのプリントそのものが違ったか。……おそらく後者だろう。鈴音と、違う学校に通っている双子の姉の琴音は、一つの部屋を共有しているから、きっと鈴音がプリントを乱雑に置いた時に混ざってしまったのだろう。琴音と鈴音の学校のテスト範囲を示したプリントは、結構似ているし。しかしそれならば、今頃琴音も……。いやでも、案外琴音はそれでも解けているかもしれない。琴音は、授業は殆どバレないように寝ている鈴音とは違って、しっかりと授業を聞くタイプなのだから。しまった。こうなることがわかっていれば、鈴音だって頑張って授業を聞いてたのに……。鈴音は学年でも割と成績優秀な方で、学校もそれに合わせて選んでいるから、絶対に良い成績を取らなければならない。それに、今回のテストは学年末テストで、落としてはいけないテスト。どうしてこんな大事なテストでこんな初歩的なミスを……。


「……はぁぁ……」


鈴音は、脱力して机の上に突っ伏す。それと同時に、何故か緊張から解放されたような感じがする。これから、どうしようか。琴音のプリントを見て全ての教科を勉強したのだから、きっと他の教科もこんな感じに違いない。いっそもう、悪あがきはしないで全部白紙で出そうか。いや、流石にそれは怒られるかな……。鈴音の頭に、様々な思考が浮かんでは消えて行く。クラスで出席番号が1番である鈴音は今教室の隅っこの席に座っていて、少し肌寒いぐらいの気温で頭はどんどん回転するから、その思考はどんどん変な方向に進んでいく。そしてもちろん、こんなところにも辿り着く。絶対にあり得ないことだけれど、もし……もし、今鈴音がいるこの世界の鈴音は偽物で、本物の鈴音は他の世界にいるとしたら……。そうしたら、このテストでしくじっても大丈夫なのに。ただの願望に過ぎない……が、意外とあり得るのかもしれない。もしそうなら、世界はあのファンタジー小説の世界で、鈴音自身も剣を使えて……。


「ネア!! そっちは頼む!!」


様々な物がぶつかる音が響く中、ジオは魔物と応戦しながら必死にネアに叫んでいる。


「もちろん! こっちは任せて! それよりも、ジオは自分の心配しなよ。多分、ここら一帯には魔物がうじゃうじゃいる!」


「ありがとう! だな。もう俺らきっと囲まれてる。どうする? スズネ」


ジオが、スズネの方を向かないまま話しかけてくる。先程から戦っているおかげで少し敵の数は減った気もするが、おそらく奥にもまだ控えているのだろう。正直言って、この数を相手するのは流石のスズネたちにも辛い。しかし、これでこのダンジョンから退くのはせっかくここまで進んできた意味がない。せっかくここまで来たのだから、ダンジョンはクリアしたい。……撤退は、選べない。


「いや、まだどこかに突破口はあるはず。私が道を開く。ジオたちは周りの敵を倒していって!」


「了解!」


スズネがそう言って魔物を次々に倒していくと、突然地面から地響きが聞こえてきた。それに伴って、魔物の動きも止まる。その瞬間、魔物たちが、眩い光を放って消えて行った。



 体のビクッという動きで起きると、鈴音は、自分が夢を見ていたことに気が付いた。こんな変な夢を見たのは、きっと変なことを考えていたからだろう。そしてもちろん、その夢の中で起こったことも、実際には起こっていないのだろう。まぁ、当たり前なのだが。それでも、いやでも、やっぱり勇者たちよりも強い伝説の大魔法師、という設定でもいいかもな……、と鈴音は呑気に考える。鈴音は、学校では猫をかぶっているものの、これでも一介のゲーマーである。だから、こういう設定を決めるのは、鈴音の中でも特に得意中の得意だ。テストの問題はこんなに解けないのに、こういう妄想をするときだけは次々とアイデアが湧いてくる。次は、どういう設定にしよう。そう思った時だった。……チャイムが鳴ったのだ。もちろんそれは、一限目が終わる時のチャイムだから、鈴音の一限目のテストが終わるチャイムでもある。その音とほぼ同時に、先生の「はい、テスト終了!みんな速やかにペンを置くように。一番後ろの席の人は、前に回答用紙を集めてきて」という声が、鈴音の耳に入ってきた。


「あ……。終わった……」


解けないからと全然違うことを考えていたのは鈴音だが、問題を一問も問題を解かないつもりではなかった。これじゃ、どれだけ怒られるか……。鈴音は、想像をするだけで身をすくめたくなってきた。きっと、父はとても怒るだろう。そしておそらく、鈴音の父のことだから、これから受験が終わるぐらいまでは、放課後は家から出られなくなるだろう。そしたらもちろん、友達なんかと遊ぶこともできなくなる。そこまで考えたところで、鈴音の席の列の一番後ろの人が、鈴音のプリントを集めに来た。


「……あぁ。さよなら、私の青春……」


鈴音がぼそりとつぶやいた声は、誰にも聞こえていなかった。

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鈴音の青春 内海悠希 @utsumi7110

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