第2話 影と光と

「なんだ、あんたか」


 それだけ言うと、ユーリは再び、起き上がりかけた身体を、草むらに横たえてしまった。


 一方のセリカは内心で、なんだ、じゃないわよ、と思いながらも、せき払いを一つ。


「ねえ、ユーリ君。なぜ、授業を受けないの? 教授、カンカンだったわよ」


 セリカがここに“派遣”されたのは、イゴル教授の言いつけである。級長であることもあり、こういう役目は、必然的に彼女に回ってきてしまうのだ。


 月例試験げつれいしけんでも常に成績優秀かつ生真面目なところがあるセリカは、何かと級友たちに頼られることも多い。そして、頼まれると嫌と言えない性格なのが、この少女だ。


(正直、なんで私が、って思っちゃうところもあるわよね……)


 そんな彼女の内心のぼやきを知ってか知らずか。

 不思議な髪色をした少年は、しれっとした顔で答えを返した。


「まあ……一言ひとことでいや、つまらんから、かね。ここから、春の緑とパラディーノの街を眺め渡しているほうがよっぽどいい」


「えっ……」


 驚いたのはセリカだ。

 ああ見えても、イゴル教授は電理魔術のちょっとした権威だ。


 その彼の授業に対して「つまらない」などという物言いは、ずいぶん不遜ふそんではないか。セリカは少し眉をひそめながらも、


「私たちの本分は、学ぶことじゃない? そりゃあ、ちょっと小うるさいところもあるかもだけれど、イゴル教授は熱意ある先生だと思うわよ?」


「……確かに熱意は認めるけどな。所詮しょせんは指揮棒みたいな教鞭きょうべん振って、大人しい羊の群れをご指導してるってだけだ」


 ユーリは静かに目を閉じる。


「狭い教室で、そんなチマチマしたことやってるよりか、この丘から、世界を眺め渡してるほうがずっといい。どうせ、あんたもあの教授サマに言われたからここに来たんだろ? 


 ついでにいつものおカタい級長面きゅうちょうづらを忘れて、ぼうっとしてくのも悪くねえだろ。けっこう気持ちいいぞ……ここに寝ころんで、春の風に吹かれてるのは」


 ユーリはそう言うと、悪戯いたずらっぽく笑いかける。どんな感情をたたえているのか読ませない、深い色をした瞳。蒼黒そうこくの髪の中にある、彼の一筋の銀髪が静かに揺れた。


(あれ……? なんだろ)


 それを見たセリカは、はっとしたような表情を浮かべた。


(私、この目を……知ってるような気がする)


「はは、やっぱり羽目ハメを外すのは苦手か? 級長さんは?」


 一瞬考えこんだ彼女をからかうかのような口調。ユーリのそんな態度が少し気にさわり、セリカは形のよい眉をしかめた。


「そんなんじゃないわ。でも……」


 そんな彼女を見て、ユーリはなおも面白そうに。


「じゃあ、ちょっとぐらいゆっくりしてけって。まさに特等席だぜ、春のこの丘は」


 ぬけぬけと言いつつ、ユーリは手元の笛鳴草ふえなきぐさの茎と葉を折り取り、そっと口にくわえた。


 その静かで余裕に満ちた態度、悠々とした様子は、この広大な春の丘の景色に、すっかり溶けこんでいる……。そんな風に、セリカには見えた。


「……」


 同時にセリカはどこか、新鮮な気持ちを味わっていた。

 彼女は小さい頃から、どこか羽目を外すのが苦手だった。優等生というと聞こえはいいが、実のところ、そんな堅苦しい自分というものに、むしろコンプレックスさえ感じている。


 かつて、たまにわざと級友たちとはしゃいでみることもあったが、だいたい浮いてしまうのがオチだった、という苦い過去もあるくらいだ。

 

 そんなセリカからすると、目の前の少年は、どうにもつかみどころがない印象だった。故郷のラベルナではもちろん、この皇都でも、彼女が初めて会うタイプの人間。


 ただ、ずいぶんと変り者ではあるが、悪人というわけではないようだった。

 セリカはなおも少し迷っていたが……やがておずおずと、スカートをたくし直しつつ、ユーリのかたわらに腰を下ろす。


(ここからの眺め、ねえ……)


 半信半疑ながら、風になびく髪にそっと手を添えつつ、セリカは改めてユーリと並んで、丘から見える景色を見渡した。


 眼下に広がる、雄大な皇都の春。絶景に思わず、はっと息を呑んだ。

 例年より早めに、年が改まってからすぐ始まった今年の新学期。この学園に入ってから、とかく慌ただしかった日々の中で、すっかり忘れていた美。


 自然と人工都市の調和の極限が、そこにあった。街のあちこちに設けられた緑地が生む、生命力を感じさせるグリーン


 バランスを崩さぬよう、わざと古風に合わせた赤や青い屋根の街並み、石造りのアーチや尖塔せんとうが、そこに実に自然に馴染む。


 圧倒された。見惚みほれた。

 それからセリカは、誰にともなく一人呟く。


「……綺麗ね。すごく」


 思わずそう言ってしまってから、隣の少年のしたり顔を見て、慌てて付け加える。


「ま、確かに思ったよりは……ね?」


「だろ? 大丈夫だ、俺もそこまでガキじゃねって。いくらつまんなくても……授業には、そのうち戻るさ。そうしなきゃ、級長様っつーか、“姫様”の体面にかかわるしな?」


 セリカは思わず、その整った顔に、苦笑を浮かべた。

 “姫様”……自分が影で、そう言われているのは薄々知っている。だが、面と向かって言われると、やはり複雑な気分ではある。


「それ、やめてくれないかな? 姫っていっても、ラベルナは地王海の小さな公国だし……私は継承順位もずっと下の、第七公女だもん」


「へえ、ラベルナ……蒼い海に緑に覆われた島々、森や海底には古代遺跡が散らばる、風光明媚ふうこうめいび群島公国ぐんとうこうこく……だっけ。なかなか、いいとこじゃねえか」


 ユーリはどこか、遠くを眺めるような目つきをしながら言った。

 セリカはそんな彼の眼差まなざしには気づかず。


「……そうかな? まあ、観光客には受けがいいみたいだけど、皇都ここに比べれば変化がない田舎じゃない?

 まあ、家や地元のことについては、お姉様たちが優秀ですからね……だから、第七公女の私はせめて、征魔師団せいましだんに入って、皇国の未来を救う手助けができれば、と思ってこの道を選んだの」


「ふぅん、なるほど。なかなかご立派なこころざしだな」


 ユーリは微かに、笑ったようだった。セリカはそれがどこかかんに障り、少し眉をひそめて。


「あら、ユーリ君、あなたは違うの?」


「俺か? まあ、確かに……いずれ魔領域に挑む、それ自体が目的ではあるかな」


 ユーリは意味深に笑い。


「けど、それまではせいぜい満喫まんきつしたいもんだぜ、このつかの間の楽園ってやつを」


「束の間の……楽園?」


「ああ。くだらない授業は正直どうでもいいが、毎日、好きなだけ趣味の本を読みあさって街をぶらついて、こんな丘で昼寝だってできんだろ。まさに天国じゃねーか」


 ユーリの言葉は冗談めかしているが、それだけというわけでもない、不思議な響きをたたえている。妙に感慨かんがい深げというのだろうか。


 ユーリのそういった態度がどこから来るものなのか、セリカがさすがに測りかねて小首を傾げた。


 そんなセリカの目の前で、ユーリは先程折り取った笛鳴草ふえなきぐさを細工し、草笛を作り上げていく。


 それから春の丘の上一帯に流れ出す、フルートの音色に似た、静かな哀愁あいしゅうを帯びたメロディ――


(この曲……どこかで……?)


 セリカがふと、遠い昔の記憶を思い起こすような表情を見せ、眼を閉じたその時。


 同時に彼女の耳は笛鳴草ふえなきぐさの音とは別の、かすかな異音を聞き取った。


 出どころは……目の前に寝ころんでいる少年の身体。ポケットの中か衣服の下から、だろうか?

 草笛を吹くのをやめたユーリの目が、一瞬鋭くなる。


 だが次の瞬間、ふと、丘の上に一陣の風が吹き渡った。春一番とでも言うべきその勢いは、激しく荒々しい。

 驚きに小さく声を上げ、思わず髪を押えたセリカだったが。


「はは、まさに楽園……幸運の風がちょっと吹きゃ、ばっちり目の保養ほようの機会だってあるわけで」


「……っ⁉︎」


 意味深に笑ったユーリの視線の先。それを悟るや、風が勢いよく吹き上げたスカートの端を、セリカはさっと押えた。その顔が、みるみる紅潮していく。

 頬を真っ赤にして眉根を寄せたセリカに、ユーリはなおも、ニヘラッと笑って。


「ま、悪く思わんでくれや? 俺は寝ころんでただけで、不可抗力ってやつだ」


「~~~っ!!」


 セリカの顔は、いまやれたリンゴのように紅に染まっている。

 動揺のあまり、すぐには言葉が出てこないようだった。


「ま~でも、“それ”についちゃ、結構可愛いっていうか、予想外というか、なかなかいいセンスして……」


 全部を言い終えないうちに、ユーリの頬が盛大に鳴った。


「な、なにそれ! あなた、さ、最低ね……!」


 ユーリをまっすぐににらみつけ、少し大股に、歩き去っていくセリカ。

 ユーリは、張られた頬を撫で、唇にかすかな苦笑を貼り付けたまま、そっとその背中を見送る。やがて、その姿が校舎のほうに向かって、見えなくなったところで。


「あ~あ、嫌われちまったか。あんな美人さん一人追い払うのに、なんで旧世紀の絶滅セクハラ親父じみた真似をしなきゃいけねーんだか」


 ユーリは小さく頭を振ると、やれやれ、という風にポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。


「ちっ、まったく仕方ねえな……こっちはこっちで、面倒そーだけど」


 肩をすくめると、ユーリはぼそっと呟いた。

 これからする“会話”は、誰にも聞かれずに行う必要があった。彼からすると面倒なだけなのだが、これもこの学園にいるための条件……約束は約束だ。

 ユーリはパチリと音をさせて、片手でポケットから取り出した物品の、

丸い蓋を開ける。

 そして、黄金色に輝き始めた、その懐中時計かいちゅうどけいめいた魔術装置を口元に持っていき。


「俺です……」


 そっと、その内部に向けて何事かをささやいた。誰かと通信をしているのか、そのまま、一言、二言と呟くような小声を交わす。

 最後に、分かりました、とだけぽつりと口にすると、黄金の光が消えたその装置を再びポケットにしまい。


「あ~あ、また、かよ。ま、この“万能軍章ばんのうぐんしょう”とお気楽生活の代償としちゃ、安いもんだが」


 それからユーリは片手で頭を掻くと、空をあおぎ見た。

 そこには未だ、あの夢尾鷹ゆめおだかがただ一羽、翼に風をはらみ、天空の高みをのんびり周回するように舞っている。


 ユーリは小さく溜め息をついてから視線を落とすと、再び学園へ――ただし、セリカが去っていった校舎側とは別の方向――と、足を向けた。


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明日は、鶏肉の味噌鍋を食べる予定です!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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