第2話 影と光と
「なんだ、あんたか」
それだけ言うと、ユーリは再び、起き上がりかけた身体を、草むらに横たえてしまった。
一方のセリカは内心で、なんだ、じゃないわよ、と思いながらも、
「ねえ、ユーリ君。なぜ、授業を受けないの? 教授、カンカンだったわよ」
セリカがここに“派遣”されたのは、イゴル教授の言いつけである。級長であることもあり、こういう役目は、必然的に彼女に回ってきてしまうのだ。
(正直、なんで私が、って思っちゃうところもあるわよね……)
そんな彼女の内心のぼやきを知ってか知らずか。
不思議な髪色をした少年は、しれっとした顔で答えを返した。
「まあ……
「えっ……」
驚いたのはセリカだ。
ああ見えても、イゴル教授は電理魔術のちょっとした権威だ。
その彼の授業に対して「つまらない」などという物言いは、ずいぶん
「私たちの本分は、学ぶことじゃない? そりゃあ、ちょっと小うるさいところもあるかもだけれど、イゴル教授は熱意ある先生だと思うわよ?」
「……確かに熱意は認めるけどな。
ユーリは静かに目を閉じる。
「狭い教室で、そんなチマチマしたことやってるよりか、この丘から、世界を眺め渡してるほうがずっといい。どうせ、あんたもあの教授サマに言われたからここに来たんだろ?
ついでにいつものおカタい
ユーリはそう言うと、
(あれ……? なんだろ)
それを見たセリカは、はっとしたような表情を浮かべた。
(私、この目を……知ってるような気がする)
「はは、やっぱり
一瞬考えこんだ彼女をからかうかのような口調。ユーリのそんな態度が少し気に
「そんなんじゃないわ。でも……」
そんな彼女を見て、ユーリはなおも面白そうに。
「じゃあ、ちょっとぐらいゆっくりしてけって。まさに特等席だぜ、春のこの丘は」
ぬけぬけと言いつつ、ユーリは手元の
その静かで余裕に満ちた態度、悠々とした様子は、この広大な春の丘の景色に、すっかり溶けこんでいる……。そんな風に、セリカには見えた。
「……」
同時にセリカはどこか、新鮮な気持ちを味わっていた。
彼女は小さい頃から、どこか羽目を外すのが苦手だった。優等生というと聞こえはいいが、実のところ、そんな堅苦しい自分というものに、むしろコンプレックスさえ感じている。
かつて、たまにわざと級友たちとはしゃいでみることもあったが、だいたい浮いてしまうのがオチだった、という苦い過去もあるくらいだ。
そんなセリカからすると、目の前の少年は、どうにも
ただ、ずいぶんと変り者ではあるが、悪人というわけではないようだった。
セリカはなおも少し迷っていたが……やがておずおずと、スカートをたくし直しつつ、ユーリの
(ここからの眺め、ねえ……)
半信半疑ながら、風になびく髪にそっと手を添えつつ、セリカは改めてユーリと並んで、丘から見える景色を見渡した。
眼下に広がる、雄大な皇都の春。絶景に思わず、はっと息を呑んだ。
例年より早めに、年が改まってからすぐ始まった今年の新学期。この学園に入ってから、とかく慌ただしかった日々の中で、すっかり忘れていた美。
自然と人工都市の調和の極限が、そこにあった。街のあちこちに設けられた緑地が生む、生命力を感じさせる
バランスを崩さぬよう、わざと古風に合わせた赤や青い屋根の街並み、石造りのアーチや
圧倒された。
それからセリカは、誰にともなく一人呟く。
「……綺麗ね。すごく」
思わずそう言ってしまってから、隣の少年のしたり顔を見て、慌てて付け加える。
「ま、確かに思ったよりは……ね?」
「だろ? 大丈夫だ、俺もそこまでガキじゃねって。いくらつまんなくても……授業には、そのうち戻るさ。そうしなきゃ、級長様っつーか、“姫様”の体面にかかわるしな?」
セリカは思わず、その整った顔に、苦笑を浮かべた。
“姫様”……自分が影で、そう言われているのは薄々知っている。だが、面と向かって言われると、やはり複雑な気分ではある。
「それ、やめてくれないかな? 姫っていっても、ラベルナは地王海の小さな公国だし……私は継承順位もずっと下の、第七公女だもん」
「へえ、ラベルナ……蒼い海に緑に覆われた島々、森や海底には古代遺跡が散らばる、
ユーリはどこか、遠くを眺めるような目つきをしながら言った。
セリカはそんな彼の
「……そうかな? まあ、観光客には受けがいいみたいだけど、
まあ、家や地元のことについては、お姉様たちが優秀ですからね……だから、第七公女の私はせめて、
「ふぅん、なるほど。なかなかご立派な
ユーリは微かに、笑ったようだった。セリカはそれがどこか
「あら、ユーリ君、あなたは違うの?」
「俺か? まあ、確かに……いずれ魔領域に挑む、それ自体が目的ではあるかな」
ユーリは意味深に笑い。
「けど、それまではせいぜい
「束の間の……楽園?」
「ああ。くだらない授業は正直どうでもいいが、毎日、好きなだけ趣味の本を読み
ユーリの言葉は冗談めかしているが、それだけというわけでもない、不思議な響きをたたえている。妙に
ユーリのそういった態度がどこから来るものなのか、セリカがさすがに測りかねて小首を傾げた。
そんなセリカの目の前で、ユーリは先程折り取った
それから春の丘の上一帯に流れ出す、フルートの音色に似た、静かな
(この曲……どこかで……?)
セリカがふと、遠い昔の記憶を思い起こすような表情を見せ、眼を閉じたその時。
同時に彼女の耳は
出どころは……目の前に寝ころんでいる少年の身体。ポケットの中か衣服の下から、だろうか?
草笛を吹くのをやめたユーリの目が、一瞬鋭くなる。
だが次の瞬間、ふと、丘の上に一陣の風が吹き渡った。春一番とでも言うべきその勢いは、激しく荒々しい。
驚きに小さく声を上げ、思わず髪を押えたセリカだったが。
「はは、まさに楽園……幸運の風がちょっと吹きゃ、ばっちり目の
「……っ⁉︎」
意味深に笑ったユーリの視線の先。それを悟るや、風が勢いよく吹き上げたスカートの端を、セリカはさっと押えた。その顔が、みるみる紅潮していく。
頬を真っ赤にして眉根を寄せたセリカに、ユーリはなおも、ニヘラッと笑って。
「ま、悪く思わんでくれや? 俺は寝ころんでただけで、不可抗力ってやつだ」
「~~~っ!!」
セリカの顔は、いまや
動揺のあまり、すぐには言葉が出てこないようだった。
「ま~でも、“それ”についちゃ、結構可愛いっていうか、予想外というか、なかなかいいセンスして……」
全部を言い終えないうちに、ユーリの頬が盛大に鳴った。
「な、なにそれ! あなた、さ、最低ね……!」
ユーリをまっすぐに
ユーリは、張られた頬を撫で、唇に
「あ~あ、嫌われちまったか。あんな美人さん一人追い払うのに、なんで旧世紀の絶滅セクハラ親父じみた真似をしなきゃいけねーんだか」
ユーリは小さく頭を振ると、やれやれ、という風にポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
「ちっ、まったく仕方ねえな……こっちはこっちで、面倒そーだけど」
肩を
これからする“会話”は、誰にも聞かれずに行う必要があった。彼からすると面倒なだけなのだが、これもこの学園にいるための条件……約束は約束だ。
ユーリはパチリと音をさせて、片手でポケットから取り出した物品の、
丸い蓋を開ける。
そして、黄金色に輝き始めた、その
「俺です……」
そっと、その内部に向けて何事かを
最後に、分かりました、とだけぽつりと口にすると、黄金の光が消えたその装置を再びポケットにしまい。
「あ~あ、また、かよ。ま、この“
それからユーリは片手で頭を掻くと、空を
そこには未だ、あの
ユーリは小さく溜め息をついてから視線を落とすと、再び学園へ――ただし、セリカが去っていった校舎側とは別の方向――と、足を向けた。
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明日は、鶏肉の味噌鍋を食べる予定です!
当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!
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