第28話 閑話:パンダ好きな女神様



 その女神は、真実を司る裁きの女神だった。

 その名を〝パン・ダルシア〟と云い、地球とは異なる世界を管理し司る神の一柱として、広く信仰を集めていた。


 そんな女神はこの日、己の世界で芽吹いた災いの種――魔神の落とし子である〝魔王〟の覚醒を察知し、異世界から勇者を招くべく地球を観察していた。


 そして――――



「なんて……なんて素敵なお方なの……!!」



 パン・ダルシアを一目で惹き付けたその者は、大勢の人間に囲まれ、愛されていた。


 人々に笑顔と癒しを与え、そして何よりも力強く誇り高く生きていた。

 まさに英雄となるに……〝勇者〟となるに相応しい人格と素養を備えている、理想的な存在であった。



「早速魔王討伐を依頼しなくては……!」



 地球の歴史や文化を本を読むが如く閲覧し、令和初期の日本の動物園で運命的な出逢いを得て。


 女神パン・ダルシアはその存在以外の時を停め、未来の勇者の前へと降り立ったのである。



「白黒の毛皮の素敵なお方……。私の言葉が解りますか?」


「パンダぁ? ってうおッ!? 嫁が!? 愛する娘が完全に停まっちまってるじゃねーか!? お前の仕業か!?」


「良かった、ちゃんと言語翻訳の権能は機能していますね。その通りです。ゆえあって、貴方と私以外の時を停めさせていただきました」


「パンダかとんでもねーことをサラッと……。まあいい。見たとこタダモンじゃあなさそうだが、このエリートジャイアントパンダの俺に、一体何の用だ?」



 動物園の一角の柵の中。

 ジャイアントパンダの家族が展示されているそのブースに降臨したパン・ダルシアは、そのに対してうやうやしく一礼を披露する。



「私は真実の女神、パン・ダルシアといいます。貴方に、私の管理する世界を救っていただきたいのです」


「ほう……? 世界を救えたあ、パンダか穏やかじゃねぇな……」


「事情は只今から貴方の脳に直接投写致します。どうか驚かないで下さいね?」


「ぬ、ぬおおおおおおっ!?」



 父親パンダの脳内に、一大スペクタクルもかくやといった壮大な歴史が、パン・ダルシアの管理する異世界の神代かみよの頃からの情報が、映像として投影される。


 神々と邪な魔神との闘争。それによって得られた平和な時代。地上への干渉を控えるようになった女神達に、魔神の残滓とも言うべき魔を統べる者――魔王の姿。


 確定していないいくつもの未来の中で、そのいずれにも現れ、非道の限りを尽くし世を混沌へと誘う魔王のその姿に、まるで実際に体験したかのように、その父親パンダは身を震わせる。

 特に泣き叫ぶ幼い娘の姿が映された時などは、その憤りは女神ですら戦慄せんりつを覚える程であった。



「……なるほど、事情は分かった。つまり俺が直接アンタの世界に出向いて、この魔王ってクズ野郎をコテンパンダにしてやりゃあ良いんだな?」


「その通りです、素敵なお方。私も出来る限りの転移特典……祝福ギフトを授けますので、どうかお願いします」


「それパンダが……一回嫁と娘と話がしてぇ。俺としちゃあ二つ返事で飛び出してぇところだが、生憎と俺には愛する家族が居るモンでな。二匹の時間停止を解いちゃくんねぇか?」


「もちろんです。私はここでお待ちしてますので、存分に語らって下さい」



 陶磁器のように白い非現実めいた頬を喜色に染め、女神パン・ダルシアは指を一振りする。すると時の流れが停められていた父親パンダの家族――母親パンダと娘パンダの時が動き出し、変わらずに停止している周囲の様子を驚きと共に見回している。


 そんな母娘おやこパンダ達にノソリと近付き、父親パンダは優しく語り掛ける。



「驚かせちまってすまねぇ。どうやら女神の依頼で、パパはちょっくら出掛けて違う世界を救ってやらねぇといけなくなったみたいだ」


「……アナタの突拍子も無いところは、やっぱり出逢った頃から変わってないわねぇ。もう今更だけど。……本当に大丈夫なの?」


「パパおでかけ〜? あたちもいく〜っ♪」



 ちなみに当然だが、彼らはパンダの言語で会話をしている。女神であるパン・ダルシアの権能によって、自動で翻訳されているだけである。



「くっ、娘よ……! パパだって離れたくない……! 出来ることなら一緒に連れてってやりてぇんだが……!!」


「そうねぇ。あたし達みたいに一生〝カゴの中のパンダ〟ってのも、この子には可哀想だわ。ねぇ、女神さん……で良いのかしら?」



 愛らしく駄々をこねる娘パンダの様子に、ここに来て初めて動揺を見せる父親パンダ。

 そんな父娘おやこを苦笑しながら眺めた母親パンダは、家族会議の発端となった女神へと声を掛ける。



「はい。パン・ダルシアといいます、奥様。旦那様には無理を言って申し訳ありません」


「あたしは良いのよ。パパの性格は誰よりも分かってるからね。彼が一度決めたら神様にだって止められないもの。それよりも、娘のことなんだけど」


「ええ、私の神力でお連れすることは可能ですよ。ただ、旦那様には〝聖獣〟という形で転移して頂くつもりですが、同じ存在を一度に召喚すると、私の世界のバランスが崩れてしまいますので…………〝霊獣〟という存在として転移するのは如何ですか?」


「この子がパパと離れることが無いなら、それで良いわ。この子には色んな世界を見てもらいたいもの」



 優しく、慈母の微笑みを浮かべて。父親パンダにじゃれつく娘パンダを見詰めて、パン・ダルシアに答える母親パンダ。



「旦那様は雄々しく素敵なお方ですが、奥様もとても素敵ですね。感謝の念に絶えません」


「よしてよ。アナタもホントに大変そうね。パパがそっちの世界に行ったら、もっと大変になるわよ?」


「ご安心下さい奥様。同行者として、人間族からも一人転移させますから。円滑な冒険活動のためには、やはり人間の手もあった方が良いでしょうし」


「それもなんと言うか……その人間には同情するわね。パパの無茶に振り回されなければいいけど……」



 父親パンダとつがいとなった若かりし頃を思い出したのか、遠い目をする母親パンダ。

 そんなことは露知らず父親パンダは、じゃれつく娘パンダを背中に乗せてあやしていた。しかし話が決着したと見て取ったのか、娘を乗せたままで会話に参加してくる。



「どうやら話は着いたみてぇだな。それで? 人間の同行者って聞こえたが、本当に大丈夫なのか? 過酷な旅路になるんだろ?」


「貴方と娘様、それから同行者となる人間には、私から祝福ギフト……スキルと呼ばれる能力を与えることが出来ます。それらを活用すれば、どんな困難も乗り越えられる――――」


「そうじゃねぇ」



 不敵にも女神の言葉を遮る父親パンダ。その目は時間の停められた動物園の観客達をぐるりと眺め回し、特に親子連れの観客へは、優しい視線が向けられる。



「俺はワガママを聞いてもらったから娘と一緒だが……人間にも家族は居るだろう? それを無理矢理に引き離すのは、子供を持つ親としても納得し辛れぇモンがある」


「ご安心下さい。目的を果たして頂いた暁には、記憶はそのままに今この時、この瞬間へとお戻しします。地球の未来はここで分岐してしまいますが、この世界の神々にもそれは了解して頂き、処理の手筈も整っております」



 微笑みと共に父親パンダの懸念を払拭するパン・ダルシア。その言葉を受け、父親パンダは胸を撫で下ろした。

 彼が〝家族〟というものをどれだけ大切に思っているか。それが感じられるようなその仕草に、女神パン・ダルシアは益々期待と希望を募らせる。



「それじゃあ相性もあるし、娘に同行者を選んでもらうか。あ、飼育員のおばちゃんはダメだぞ? ママのお世話はちゃんとしてもらいたいからな」


「えらぶのぉ〜? だれでもいいのー?」


「ああ。お前がこの人となら仲良くできそうってヤツを選ぶんだ。パパは文句は言わねぇ」


「じゃあね〜…………あのおねぇちゃん!」



 娘パンダは周囲の観客を見回して、パンダの展示ブースの柵の向こうで、優しい表情のまま時の停まっている一人の少女を指し示す。

 それはつなやかな黒髪を長く伸ばし、Tシャツにデニムジャケットを羽織って活動的な格好をしている美少女だった。



「彼女の名は……東条とうじょう瑠夏るかですね。それでは彼女を〝聖女〟とし、向こうの世界での橋渡し役兼パートナーとして同行させましょう。それでは転移メンバーも決まったことですし、貴方達にお渡しする祝福ギフトについて――――」



 本人の全く与り知らないところで。というか動物園の柵の中で。一つの世界を救うための壮大な旅路のメンバーが、こうして決定したのだ。



「――――はい、それではこのスキル構成で祝福ギフトをお渡ししますね。これから時を元に戻しますので、彼女……東条瑠夏さんに一緒に近付いて下さい。御三方が近付いたら、私の権能で転移を開始します」


「ああ。瑠夏って嬢ちゃんには申し訳ねぇが、必ず俺が守り抜いてやるから安心してくれ。娘が一緒なら何も怖いモンはねぇ!」


「わーいおでかけ〜っ♪ パパとおでかけ〜♡♡」


「パパ、しっかりね。この子にも存分に冒険させてあげてね」



 ひと時の別れを惜しむパンダの家族を、潤んだ瞳で見詰める女神パン・ダルシア。

 真実を司るこの女神の瞳には、この先の一体どんな未来が浮かんでいるのか。



「それでは、未来の勇者様。貴方に真実の祝福があらん事を……」



 そして時は再び動き出し、パンダの父娘おやこが東条瑠夏と呼ばれた女子高生に近付いたその瞬間――――


 辺りはまばゆい光に包まれ、一人と二頭の存在は、地球から遥か遠い異世界へと、転移していったのだった。





 そうして冒険の幕が上がり――――



「ぱんだぁああああああああああっっ!!」


「いやぁあああああああああああッッ!!??」



 地球とは違う深い深い森の中で、父親パンダと美少女の叫び声が、木霊したのであった。




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