前夜に落ち着く方法
部屋の前まできて、ノックする手を寸前で止めた。
ドアの隙間から微かに灯りが洩れているということは、エリオスはまだ起きている。
けれど、彼が何かしているのなら、邪魔をすることになるのではないか。
「あ」
ドアが開いた。
セラがノックさえしていなかったのでは、もちろんセラが開いたのではない。
「どうしたんだい、セラ」
部屋の主であるエリオスがドアを内側から開き、自然とセラに問いかけた。
「気がついてたの?」
「何となく。誰かがいるな、って。後は誰かと言えばと考えるとセラかな」
これだからエリオスには敵わない。
エリオスは入るといい、とセラを部屋の中に招き入れた。
「眠れない?」
用件を尋ねるのではなく、彼はそう問うた。
セラは、ドアを閉めたエリオスを振り返り、少しの沈黙のあと、顎を引いた。
「そうだな、明日だから無理もない」
理由を正確に理解した様子で、エリオスが近づいてくる。
そして、椅子を引き自身が腰を下ろしてから、セラを引き寄せた。
「!」
セラが倒れそうにも腰を落とした先は、エリオスの上で、膝の上に座ることになり、そうさせたエリオスを見上げると、
「私が落ち着くから、しばらくこうしていたいな」
彼は微笑み、セラを抱き締めた。
その腕に包まれ、エリオスをすぐ近くに感じて、セラは落ち着いていく心地を覚えた。
渦巻く不安が緩やかに宥められていくような感覚。
抱き締められるだけでこれだけ落ち着けることが、いっそ不思議だった。
エリオスが落ち着くからと言ったけれど、セラのことを察してセラのためにしてくれたのは明白だ。
やっぱり敵わないなぁ、と思う。
同時に、同じく戻ってきた彼とのこの落ち着きようの差にも改めて同様のことを思う。
「ねえ、エリオス」
静かな空気のみがあり、抱き締められる中、セラは静かに声を出した。「うん?」と応じる声が、近くから。
抱擁で触れているため、直接響いてきたようでもあった。
「エリオスは、戻ってきて夢だとは思えなかったって言ってたけど、混乱とかしなかったの?」
一度、聞いておきたかったことだった。
セラは体を預けている状態で、エリオスを見た。
エリオスもセラを見た。彼は少し考えて、言う。
「混乱はしたけれど、その後の安心の方が大きかった」
「安心?」
「うん。まだ、全部無事だったから」
急転直下で全てが悪い方向へ向かう前の、平和な光景があるときに戻ってきた。
エリオスは少しだけ体を離して、セラの顔をよく見るようにした。
「セラが笑っていたから」
指の背が、セラの頬に触れた。
輪郭を確かめるように、けれど、触れるか触れないかくらいの加減で辿ってゆく。
「まだ、セラを一人にしてしまう前だと思ったから」
「……エリオス」
エリオスの橙の瞳は、愛しげにセラを映す。
「大丈夫だ、セラ。明日、何もかもを防げる。そうすればもうあんなことは起こらない」
大丈夫、と微笑む彼は、セラの頬を撫でた。
セラの中にある不安を見透かし、それに対して大丈夫だと。
「エリオス、今日一緒に寝ちゃ駄目……?」
セラは小さく尋ねた。
今はエリオスがいるから、不安が消えたような感覚がするけれど、暗くなる部屋で一人で寝られる自信がなかった。
子どものようなことを言っているとは自分でも分かっていたけど、今日だけ、駄目だろうか。
いつになく控えめに言ったセラの言葉に、エリオスは目を見開いた。
その反応がどうなのかと、セラが見つめ、様子を窺っていると、エリオスは苦笑気味に微笑む。
「うーん、兄弟子としては、セラが安心するならすぐに頷いてあげたいんだが」
だが、と言われて、駄目かと悟る。
子どもではないのだ。
そうだよね、とセラは軽く笑って、言ってみただけだと言おうとした。
その前に、指に指が絡みついた。その感覚に気を取られている間に、腰を引き寄せられて前に倒れ込んだ。
行き先は当然エリオスの元で、胸元に飛び込んでしまう。
「エリオス……?」
一体、いきなり何をするのだと戸惑いの声をあげた直後、
「その歳で一緒に、となると」
耳元、とても近くで声が聞こえて反射的に体がピクリと反応した。
腰を引き寄せた手が背を滑り、上に。セラの頭に触れ、今度は頭を寄せるようにした。
「男としては少しくらい警戒してほしいところだよ、セラ」
ぞくりとする声音だった。
耳に、熱が触れ、鼓動が跳ね上がった。
「そういうことも、教えるべきだったかな」
何かは分からないが、掠れた声音と、耳に触れる熱、髪を
どうしていいか分からず、堪らず、ぎゅっと、エリオスの服を握った。
「冗談だ」
ふっと、それまでの空気が霧散したようだった。
触れるほど近くにあった気配が僅かに離れた。
セラがようやく顔を上げられると、エリオスがいつもの微笑みを浮かべていた。
「一緒に寝よう」
「……いいの?」
さっき、ちょっと駄目な流れではなかっただろうか。
「いいよ。ただ、セラ。他の男にそんなこと言っては駄目だからな。ただじゃ済まない」
「た、ただじゃ?」
殴られるの?
そう聞き返したくなるくらいの、真剣な様子だった。
「他の人には言えないから、大丈夫」
こんな子どもみたいな頼み事。
よく分からないが、そう答えると、エリオスは微かに声をあげて笑った。
「じゃあ、早いところ寝ようか」
「? うん」
笑われたところがよく分からないまま、膝から下ろされた。
見上げたエリオスは、微笑んだ。柔らかく、優しく。そして、セラの頭を撫でた。
「大丈夫」
と。
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