迷ったなら最悪の事態と比べよ





 そういえば、アルヴィアーナの正体が分かっていて彼女にどうやって対抗しようとしていたのか、とエリオスが言った。


「ギルが、魔法を使って手を貸してくれるって」

「ギルが。……あの猫がただの猫ではないなんて、それだけは何だか信じ難いな」


 なぜだろう、とエリオスは首を捻っていた。

 たぶん外見が完全に猫で、今まで猫として接してきたからではないだろうか。


「それはそうと、だ。……セラ、アルヴィアーナのことは私に任せてくれないか。セラは──」

「嫌だ」


 反射的にセラは首を真横に振っていた。

 何を言い出すのか。


「エリオスだけに任せない」

「どうして」


 エリオスはゆっくりと首を傾げた。


「どうしてって……エリオスに任せて、わたしがそれを待っていたら、──エリオスに全部の責任を負わせるみたいで、嫌だ」


 それは嫌だ。

 返答を受けたエリオスは少し黙る。


「セラが今日あの場にいたのは、アルヴィアーナを先にどうにかしようとしたからだろう?」

「うん」

「でも、出来なかったんだな」

「……うん」

「それは、どうしてだ?」


 セラは言葉に詰まった。

 分からなかったわけでも、今指摘されて自覚されたわけでもない。あの場で当に自覚して理由も分かっていたことだ。


「アレンはアルヴィアーナのことを知らないから、アレンに申し訳ないと思っているか。もしくは、アレンに知られたときが来たと考えると、反応が怖いか」


 セラが、自分の中にある答えを口に出したのではなかった。

 言ったのはエリオスだ。

 正確な指摘だった。心を突かれた気がして瞠目した。

 言い当ててみせたエリオスは緩く微笑む。


「セラは、アレンと喧嘩はするけどアレンのことが好きだもんな」


 セラはぎゅっとズボンを握った。

 固く引き結んだ唇を開く。


「アレンは、わたしがアルヴィアーナが好きじゃないって知ってるし、この前突っかかったこともある。……疑われてもおかしくない」

「正直、真っ先にセラを疑うようなら、私がアレンを許さないかな」


 それが事実であれ、何であれ。


「セラは、そう思ってしまうだろう。私は、そんな思いを抱え続けて欲しくない。だから、私に任せないか」

「でも、エリオスだって」

「私は、大丈夫だ。疑われないようにしたなら、私は不安は抱かない。最も見るべきは、その先に得られるものだから」


 そう言ったエリオスは、セラの頭を撫でる。


「セラがいて、この国があんなことにならず、アレンも生きているこのままの世界が守れたら私は満足だ」


 セラを瞳に映すエリオスに揺らぎはない。

 だから任せてごらんと言う彼は、このまま頷きたくなるような雰囲気を醸し出していた。


 いつもだ。

 昔、セラが課題が分からなさすぎて途方に暮れていたとき、察したエリオスがじゃあ今回だけ私が教えてあげようと、助け船を出してくれたことがある。

 師匠には内緒で、いけないことだとは分かりつつ、セラは頷いた。

 アレンとひどく喧嘩をして、セラに非があったのに意地を張っていたときだって、エリオスに謝ることを促されると頷いてしまう。


 だから、今も頷いてしまいそうになった。

 エリオスの言うとおりにすれば、大丈夫なような気がするから。


 けれどセラはぎりぎりで踏み留まった。これは良くない。間違っている。


「それでも、やっぱり、わたしも最後までやる」


 セラがやらなくても、エリオスがやってくれる状況になった。

 エリオスにすべてを任せれば、セラは今回手を汚さずに済む。アレンの婚約者を害するという事実は、セラには降りかからない。

 でも、エリオスに全部背負わせたら、セラは後悔する。エリオスへの罪悪感が芽生えるだろう。


 アルヴィアーナを手にかけて、アレンに知られどんな反応をされるかの恐れを抱くか。エリオスに任せてしまい、エリオスへの罪悪感を抱くか。

 どちらの方が良いのか、もしくは軽いのか。考えたって分からない。そもそも軽いのか重いのかで考えるのではなく──どちらが嫌だと思うかと考えると、エリオスに全部任せるのは嫌だ。


 セラがはっきり言うと、エリオスは「……アレンと過ごすことが、辛くなるかもしれないよ」と確認するように言った。

 だが、セラはもう今度は揺らがなかった。


「エリオスに全部任せたら、エリオスと過ごすのもきっと、辛くなる」


 エリオスは、僅かに目を見張った。数秒のことで、目元を和らげた彼は「そうか」と呟いた。


「分かった」


 観念したように、頷いた。

 そして、エリオスは少しだけ間を開けて、「問題は実行日なんだが」と思案しながら続ける。


「アレンが殺された日──アルヴィアーナがアレンを殺したはずの日に賭けてみよう」


 提案に、セラは慌てる。

 理由は一つ。


「もっと先に対処しておかないと、当日にもしも失敗したら……」

「いつであれ、失敗すれば結果は同じだよ、セラ」


 アルヴィアーナを取り逃がす可能性。

 それがいつの時点であっても、失敗して勘付かれればアルヴィアーナを排除する機会を失うことに変わりはない。


「この日を選んだのは、アレンに自分が殺されかけたことを自覚させて無理矢理にでも理解を得られる可能性があると思うからだ」

「それは──危険すぎない?」


 エリオスは首肯した。

 セラはその計画が示す危険に気がついたのだ。エリオスは、殺されかけたことを自覚させる、と言った。つまり、セラたちは殺される直前にアルヴィアーナを阻まなければならない。


「少しでも遅れたら、アレンが殺されちゃう」

「その辺りに、ギルの手を貸してもらおう」


 ただの人間であるセラが魔女に対抗できるよう、手を貸してくれると言った猫。

 ギルの手を借りれば、遅れて、アレンが殺されてしまうことは防げるかもしれない。

 けれど、とセラは言ってしまいそうになる。


 一度目、アレンは死ぬ間際にアルヴィアーナの正体を知ったのだろうか。

 知っていても、知らなくても、死んだことは一緒。

 では、アルヴィアーナの正体を知り、その事実を飲み込まなければならなくなったとき、アレンはどう思うのだろう。

 アルヴィアーナを殺すことに微塵も反対はない。そうするべきだ。

 だが、アレンに関するあらゆることが頭に浮かぶ。セラは、あれほどアレンはアルヴィアーナと離れて欲しかったのに。


「ずっと恐れるより、いっそ事実を見せてしまった方がいい」


 セラの葛藤を予想していたような言葉だった。

 ──予想、していたのだろう。だからこその提案で、今の言葉なのだとセラは感じた。


「アレンには少し残酷かもしれないが、事実だ。アルヴィアーナは、アレンを殺そうとする。アレンがそれをどう感じるのかは分からない。けれどアレンは強いよ」


 アルヴィアーナはアレンを殺そうとする。実際殺された先があった。

 アレンに突きつけるにしては、衝撃的なことかもしれないが、事実だ。それをアレンなら乗り越えられると言う。


「……うん」


 セラは頷いて、計画への賛成をようやく示した。

 どうか、これが最善策であれ。一番、何もかもが、最終的には丸く収まる答えであればいい。


「分かった。ごめん、エリオス」


 考えた末の案を出してくれたのに。

 謝ると、エリオスは首を振った。


「細かな日程としては、『以前』のとき、前日にはアレンが生きていたことから日は間違いない」


 アレンが死んだ日は忘れようがない。日付も覚えている。

 前日、いつものように顔を合わせたはずだ。細かな記憶がないくらい、自然に、いつも通り。

 そして翌日、彼は忘れることの出来ない姿となった。


「どんなことになろうと、アレンが死ぬより、いいことだ。──少しだけ、頑張ろうか」


 セラの頬を包み込み、エリオスは優しく微笑みかけた。

 彼は、こちらのことばかり気にかける。セラは、不甲斐ない気持ちになりながらも、覚悟を込めて頷いた。


「もしもアレンと仲違いしても」

「……うん」

「セラが気にならないくらい、私が愛するから大丈夫」

「──そういう、問題じゃないから」


 アレンと仲違いしたらと、それは別々のものになるはずだ。だから気を逸らせるための冗談だろうけれど、セラは顔を真っ赤にさせずにはいられなかった。









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