気がつくことが遅かったからこそ





 セラは、一度瞬いた。涙の大きな一粒が頬を転がり落ちる。


「愛している」


 彼は、もう一度その言葉を口にした。

 頬にある手が動き、肌の上を滑り、髪に指を通し、撫でる。

 しかし、その動きにはろくに気が回らなかった。

 エリオスが深く、セラを見つめていたからだ。橙の色彩に囚われてしまったかのようになった。


「一人の女性として、セラを愛しているよ」


 髪の感触でも確かめるように、一房青い髪を指で掬ったエリオスは、愛しそうに髪にキスをした。


 そのときになって、セラの心臓が強く跳ねた。今まで動いていなかったようにさえ感じるほど、強く、大きく。


「……エリオス……」


 たどたどしく呼ぶことしかできなかったが、その瞬間、エリオスは柔らかく目を細めた。


「本当は戻ってきたと分かってからは単に、もっと大事にしようとだけ思っていたんだ」


 エリオスは微かに苦笑した。


「セラから、そんな言葉が聞けるとは思っていなかったから……我慢出来そうにないな」


 あのね、セラ、とエリオスは、セラに語りかける。


「私は、セラに泣いて欲しくなかった。一人にしたくなかった」


 今度こそ、少しだけ泣きそうに見えた。セラを映す目が揺らいだ。


「私が最も失いたくなかったのは、セラだった。もちろん陛下は絶対に失ってはならない方だが、意味が別だよ。──セラを愛しているから」


 そう言いながら表情を隠してしまうように、エリオスは涙を流し続けるセラを引き寄せた。

 表情は隠れたけれど、声には隠しようもない感情が表れていた。むしろ表情が見えないからこそ、声に表れるものはよく分かった。


「死ぬときに気がつくなんて、馬鹿だったなぁ。本当に、馬鹿だったよ……」


 彼の声は、震えていた。


 抱き締める力は痛いほど強くて、今までされてきた抱き締められ方のどれとも違った。

 息が苦しくて、でも、離してほしいなんて思わなかった。離さないでほしかった。

 セラは、動くことを忘れていた手を持ち上げ、エリオスを抱き締め返した。

 以前からのようにではなく、もう、失ってしまわないようにという想いを込めて。


 同じこと、同じ想いを抱いてくれているとは思わなかった。嬉しくて、胸が苦しくて仕方がなかった。

 今まで味わったことのない歓喜であり、この上なく得難いと感じるものだった。


 かつて想いを自覚したとき、エリオスの命は手をすり抜けていった。伝える以前の問題で、想いが通じる日なんて永遠に来ないはずだった。


「私はもう二度とあんな世界にはしたくない。セラを一人にしてしまうあの状況が防げるのなら──私は、どんなことをしてでも防ごうと思っているんだ」


 今度は決して一人にはしないという言葉が、直接セラに響いた。



 叶うはずのなかった想い、かつてはなかった時間、距離。セラは、その大切を感じながらエリオスに包まれていた。






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