やれることは決まっていた





 アルヴィアーナが魔女。そんな事実が分かってからも、時は刻々と過ぎていく。

 見張りは止めさせた。密偵としての他国との繋がりが見られない。これ以上はやるだけ無駄かもしれなかった。


 汗が、額から伝う。頬を流れ、顎にまで至る。

 セラは、一心不乱に剣を振るう。相手はいない。ただ一人で素振りをしていた。

 何も前進していないのは変わらないが、何も出来ていない焦りが、体を動かしていると和らぐ気がした。

 ごちゃごちゃとした考えも、リセットできる気がした。


 そして、皮肉にも、時を戻ってきてから日々の鍛練の大切さを前より感じていた。強ければ強いほど、一つでも多くのものを守れる可能性が高くなる。

 一つでも──手が、汗で柄から滑った。

 あっ、と思い、掴もうとした手は刃に触れた。

 指に痛みが走る。

 ガシャン、と、掴めなかった剣が地面に落ちた。


 乱れた息をしながら手を見下ろすと、切れた肌から血が出ていた。

 こんな初歩的な怪我をするなんて。しかも利き手だ。


「……最悪……」


 呟き、セラは剣を拾い上げた。

 汗がぽたりと落ちる。

 こうして毎日を過ごしている間にも、日は過ぎていく。それなのに、何をしているのか。

 アルヴィアーナをどうにかする方法。……どうにかとは、何だ。どうにかとは。そんなこと、本当は分かっているはずだった。


 手を握り絞めると、血が押し出されて、指の間に滲む。


「セラ、ここにいたのか」


 他に誰もいない小さな訓練所に、聞きなれた声がした。

 声の通り、エリオスの姿があって、彼は中に入ってくる。


「血? ──怪我をしたのか?」


 地面に落ちた血を見て、エリオスは血相を変えた。


「ちょっと切っただけ」


 怪我なんて今さら珍しいものでもない。面食らいながらも、手は見せずにいたのだが、すぐに見抜かれて手を取られてしまう。

 痛ましげに目を細められ、広げられたばかりの手のひらを握りたくなった。


「エリオスは、何かわたしに用?」

「うん? ……うん、単にセラの姿を見たくなっただけかな」


 エリオスは、にこりと微笑みをセラに向けた。

 いつの間にか、手のひらにはハンカチが巻かれていて、「手当てに行こうか」と促された。


 その姿を見上げて、セラは決心した。



 *





「アルヴィアーナ──魔女を暗殺する」


 仕事の合間の時間に、ギルに会うなりセラは断言した。


「今日やる」

『……本気か?』

「冗談で言うと思うの?」

『いや。……ただ、難しいぞ』


 正体が正体だから。


「それでもやるしかない」


 やるしかないのだ。


「刺し違えても、殺す。それしか方法は、ない」


 手段を選んでいる暇がないとか、そんなのではなく、セラが取ることが出来る手段など最初から一つしかなかったのだ。魔女であれ、ただの人間であれ。

 自然な流れで追い出すことは、かなり難しい。

 それならば、いっそ存在そのものを消してしまうべきだ。この先、彼女はセラの周りのものを奪ってしまう。その可能性をゼロにするべきだ。


 繰り返された内容に、猫はしばらくじっとセラを見てふっと息をついた。


『そういう奴は嫌いじゃない。聖人ぶってる奴よりよっぽど好きだぜ。そういう人間らしいとこ』


 猫は笑った。


『リンドワールのゴタゴタがいつ終わるか分からねえ。俺は手を貸してやるつもりはなかったが、少しは手を貸してやってもいい』

「……アルヴィアーナに飛びかかって気でも逸らしてくれるの?」

『……おいおい、寒気が止まらねえぜ。何てこと言ってくれるんだ』

「いや、だって」


 手を貸すと言われても、確か、ほぼ単なる可愛いだけの猫に何が出来るのか。セラは戸惑う。


『言っておくが、俺は完全に魔法が使えねえわけじゃねえからな』

「え? でも」

『あー、お前誤解してるな。いつ俺が全然魔法が使えない、完全なる猫だって言ったよ。ほぼって言っただろ』

「……つまり?」

『そんな目すんなよ。嘘はついてなかった。魔女に有効なくらいの魔法をギリギリ使えるくらいの力しか残ってねえんだ。一回……か?くらい。無駄に使うわけにはいかないだろ。つまり、ほぼ単なる愛らしい猫』


 単なる愛らしい猫。


「その力を、使ってくれるの?」

『他に使い道もねえからな。お前が死ぬ気で魔女を殺す気だって言うなら、使ってやる』


 不敵な声音に、セラは猫を見つめた。


「ギル……」

『ん? 何だ、感謝と感激で泣きそうか。はは、感謝ならたっぷりしてくれ』

「ギルに会えて良かったって、初めて心の底から思った」

『──初めてって何だよ!』


 猫は毛を逆立てて、あっという間にご立腹の様子になった。


 初めてというのは、誤りだっただろう。

 自分だけしか記憶のない世界で、この猫が話し相手になってくれて良かったときなんて、いくらでもあったはずなのだ。





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