不思議な猫がいるのだから





「……魔女?」


 魔女、とは。

 訝しげに問い返してから、思い浮かんだのは、物語に出てくる存在だ。


『お前、魔女とか絶対知らねえよな。薄々分かってた』

「いや、聞いたことはあるよ。怪しい力を使う人達だって」


 物語に出てくる存在でありながら、現実にもそう呼ばれる人々がいる。病気などを、薬ではなく根拠のないまじないを使うとホラを吹く者たちだ。

 ただ、物語では現実ではあり得ないような力を使う存在で、悪い力を使う者が魔女と決まっている。

 セラが聞いたことがあるとした方は、空想の存在と当てはめてか、現実にそう呼ばれる者たちのことだった。

 猫は『怪しいって……』と、ため息をついた。


『ここら辺じゃこんなもんなのか。……じゃあ、魔法使い──リンドワールの大魔法使いは?』

「それって、リンドワール王国の王宮仕えのまじない師の一種の人でしょ?」

『はーっ! 呪い師ときたか! そりゃあれだろ? 怪しい真似事するだけの何も起こせないインチキ野郎共だろ?』


 今度は、なぜか盛大に笑い始めた。

 セラはそこまで言っていないのに、これ以上ないくらいひどい言い方をして、猫はけらけら笑い続ける。

 若干呆けて見守っていると、猫は笑いすぎて呼吸が苦しくなったのか、咳き込み始めた。猫って咳するんだ。


「……水飲む?」


 水差しからコップに水を注ぎ、差し出してみると、猫は器用にコップを持って水を飲んだ。

 コップ、持てるんだ。

 中々何とも言い難い光景だ。

 水を飲んで一心地ついた猫は、再度笑い始めることなく、コップをセラに返し、話の続きを続ける。


『お前が言ってる呪い師っていうのは、魔女やら魔法使いの紛い物だ。「本物」は、そんな眉唾連中じゃない』

「……じゃあ、どういう連中なの」

『魔法使いも魔女も、まあ、何だ、特別な力を持った奴らだ。「魔法」っていう、不可思議な現象を起こす力を奮える。そうだなぁ……想像しやすいところで言えば、一瞬で木を生やしたり、手を触れずに物を浮かせたり、ここからずーっと遠くの場所のことを見られたり、力量によっては思い通りに雨を降らせたりできるな』

「何その便利な力」


 全然怪しくないし、羨ましいじゃないか。

 まるで──物語の中の『その存在』そのもの。


「そんなこと、」

『あり得ない? だが、お前はその「あり得ない事象」を体験済みのはずだ』


 セラは、眉を寄せた。示されるところが、思い付かなかったのだ。

 猫が、笑う。


『この状況だ。心当たりがないなんて言わせねぇ』


 あっ、と声をあげそうになった。

 そうだ。セラは、一つ、あり得ないことを経験している。

 死んだはずが、戻ってきた。

 自分だけでなく、兄弟子たちも生きており、全てが起こる前に戻ってきていたようだつた。


『リンドワールの大魔法使い。そう呼ばれる、強い力を持った魔法使いが、魔法で時を巻き戻した』

「そんなことが出来るの?」


 魔法使いというものは、そんなことをほいほい出来てしまうというのか。驚愕だ。


『普通の野郎はできねえよ。あいつだから出来た。そのあいつさえ、デカすぎる代償を払わざるを得なかった』

「代償って?」

『あいつは大きいとは思わなかったようだが、確かに大きな代償だ。──まあ、リンドワールはな、魔法使いたちがいるからこそこんな小っさな国と違って、巨大になってきたんだ』


 リンドワールという国が大国なのは、知っている。何しろ、大陸で最も大きいとされるのだ。名前なら、誰だって知っているはずだ。

 しかし、その裏に隠された存在の真実は知らなかった。いや、隠されていたわけではなく、この国からは遠く、離れている国だ。交流もない。単に正確に伝わっていなかった。


『で、魔法使いと魔女の違いってものがある。魔女は人を害する魔法が大の得意で、魔女なんて呼ばれている奴らは人里から隠れざるを得ない奴らだ』


 魔法使い、魔女。

 物語に出てくる魔法使いは、いい魔法使いもいれば悪い魔法使いが出てくるときもある。だが、魔女はなぜかいつも悪いものとして出てくる。

 それは、遠くから伝わった本当の情報が、物語の題材にでもなったのだろうか。


『あんまり期待しねえけど、魔女狩りは知ってるか?』

「聞いたことはあるけど、それは、ただの異端者狩りの総称……」


 でも、この流れでは、この辺りで呪い師が魔女と呼ばれていたように、それとは別に源となったものがありそうだ。

 案の定、ギルは『違うな』とまたため息をついた。


『はー、ま、仕方ねえことかね。魔法使いなんて、まともなのは昔と比べると少ねえし、魔女も表舞台からは消えてた存在だし。魔法使いもいない土地、それもこんな辺鄙へんぴなところじゃこんなもんか』

「辺鄙って言うな」


 さっきから小さいとか──小さいは事実だろうけど失礼な。


「それで、魔女狩りは、そっちの常識ではどういうものなの」

『その名の通り。魔女を狩る──っていうと物騒か。単に取り締まっているだけだ。人間に危害を加える奴がいるからな。奴らは、基本的に魔女以外を嫌っている。魔女以外のものを愛さず、憎んでいる』

「……どうして」

『さあ? 大昔、最初の魔女が悪いことをして追い払われたからか、それとも魔女の血族に根っから悪い性根ってのがあって生まれてくるのか。魔女は他の人間から嫌われるからだ。異端だと思われずにはいられない』


 人に馴染めねえんだよ、という言葉に、セラの脳裏に一人の女の姿が浮かんだ。


『お前がどうにかしようとしているあの女は、正真正銘、魔女だ』


 ──アルヴィアーナ

 どこから来たのか分からず、得たいの知れない、セラが最初からどこか受け付けなかった存在。

 彼女が人と関わらない……関われないのは、身分の不透明さとアレンとの関係によるものだと思っていたが……。

 もしも、そんなことが関係なくて、彼女の『何か』が根本的に馴染めないのだとすれば。


「魔女……」


 そんな存在だと、言うのか。

 彼女が『魔法』という力を使う存在と言うなら、一気に、セラは途方もない敵を相手にしている気分になる。


「その、魔女がどうして、そんな存在を見たことも正しく聞いたこともない土地にいるの」

『俺が知ってるのは、魔女共が何かを企んでいるってことだけだ』

「何か?」

『例えば、リンドワールは一度女王を失った。過程は色々あるが、ここにいるのとは別の魔女に国が軽く滅ぼされかけた。それにより大魔法使いが時を戻した。──今まで聞かなくても支障がなかったから聞かなかったけどよ、セラ、お前はどうして戻ってこれたと思う。お前は、何をやり直したかった?』


 わたしは。

 セラは、会議中に戻ってきてから、一度も忘れたことのない出来事を頭の中で繰り返し思い出す。


「アレンが、死んだ」


 それが始まりだった。

 そして、アルヴィアーナが消えた。


「突然の侵攻に遭って、戦になって、エリオスが死んで、」


 次々と、周りが死んで。


「陛下が死んで。戦に負けて、わたしも死んだ。わたしは、守らなければならないものは全部守れなかった。全部失った」

『お前──』


 ギルは、驚いたように目を見開いた。


『……思った以上のこと、されてるな』


 そりゃあ戻ってくる資格を得るわけだ、と猫は呟いた。

 その傍らで、セラは考えていた。


「その魔女が、どうして他国に手を貸してこの国を滅ぼすの」

『まずこの国に絞ってるわけじゃないらしいってことを言っておく。人間の国なら、どこだっていいんだ。じゃあどうして滅ぼすかって言うと、人間が嫌いだからじゃねえか? としか言いようがないな。だが、手を貸すって根本的なところもちょっと違う。魔女が人間に「手を貸してやる」なんてまずねえからな。普通は。言ったろ。あいつらは普通の人に受け付けられねえし、受け付けねえんだ』

「でも、アルヴィアーナは王の隣にいた」

『王の? そりゃあ、たぶん何らかの魔法で王を操ってたか、魅了でもして意のままに動かしてたんだろ。魔女が本当に人間の下につく形に落ち着くことはまずない』


 では、密偵をしているわけではない?

 そこで、魅了、という言葉にはっとする。


「──じゃあ、アレンがアルヴィアーナを婚約者にしてるのは」

『婚約者?』

「アルヴィアーナは、わたしの兄弟子の婚約者なの。アルヴィアーナが、人を受け付けないし受け付けられない魔女なら、アレンも魔法で『魅了』されてるってこと?」


 周りが敬遠しているのに、アルヴィアーナを保護しているアレンは、同じく魔法にかけられているのではないのか。

 しかし、猫は微妙な顔をする。


『……ねぇな』

「どうして。ギルがさっき」

『言ったな。確かに』


 基本的に魔女以外を嫌い、魔女以外のものを愛さず、憎む魔女。他の人間から嫌われるからだ。異端だと思われずにはいられない、と。


『でも、魔法が使われてる気配がねえんだから、魔法は使われてねえよ。でなけりゃ、お前だって他の周りの人間だって、魔女のことを何とも思わない。気にしない。場合によっては、狭い範囲なら魔法を使い続けることで一時的に友好的に出来るからな。でも、使われてないんだ』

「──そんなこと」

『魔女が何を考えているかなんて分からねえよ。……いや、まあ、俺は今問題抱えてるから、気がついてねえだけかもしれねえけど』

「結局どっちなの」

『分からねえって。万が一お前の兄弟子が魔法無しで魔女に惚れてるとして、魔女の方が何を考えてるかって考えると、それを利用してるか遊んでるんじゃねえか?』


 ──遊んでいる

 それは、かつてを踏まえて過っていたことだ。

 今魔法の可能性を聞くまで、セラはアレンがアルヴィアーナのことを愛しているのだと思っていた。そして、ギルが魔法での可能性を曖昧ではありながら否定した今、その可能性はあり続ける。

 アルヴィアーナは、そのアレンを殺し、セラの前で笑った。

 全部自分の仕業だ、と。

 彼女は、明らかにアレンの想いをのだ。


『でなけりゃ、とっくに魔法をばらまいて人間を殺して、国を滅ぼし始めてるはずだ』


 魔女が、そんな風に、こちらの想像が追い付かないような力を持っていると言うのなら。

 セラの中で、感情が氾濫する。なぜ、わざわざ──と。


「どうして、わざわざ今アレンの側にいて、それからアレンを殺して、他国をこの国に侵攻させる必要があるの」


 セラは答えを求めたくて、ギルを見た。

 猫は首を振った。


『言ったろ。魔女が何を考えているのかは俺にも分からねえよ』


 答えは得られなかった。

 当然だ。さっきも同じような内容をやり取りした。全ては魔女当人だけが知る。


 明確に分かったことと言えば、アルヴィアーナが『魔女』という、敵としてどう相手にすればいいのか分からないということだった。


『何であれ、変わらないことがあるだろ』

「……なに」

『お前が何をされたかだ。そして、このままいけば間違いなく同じことが起こる』


 そこだけは変わらない。

 敵と見据える相手がとんでもないと分かっても、先に待ち受けるものは変わらない限り、セラは魔女に怖じ気付くわけにはいかないのだ。







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