第33話 吸血鬼は舞い降りた

 朝食が終わり次第、モーリスは雨衣とゴーグルを身に着けて伝令に飛び立った。だが、テオドラの態度はあくまで冷ややかである。


 その視線に耐えてモーリスが飛び立つと、雨はそれ程でもないが霧で視界がすこぶる悪く、100メートルも上がれば地上が見えない。そして酷く寒い。


 こうなると方位磁石とモーリスの勘が頼りである。これが罰でないとしても、やはり適任者は方向感覚に優れるモーリスだろう。


 木や丘にぶつからないようにある程度の高度を保って飛行し、数度の針路修正の末に2時間と少しで飛龍隊に到着した。雨と霧は帝都の方まで続いているらしかった。


 手紙はロッテ先生宛てである。地上班員に聞くと司令室に居るというので届けに行くと、彼女は司令室の机で何やら書き物をしていた。


「先生、エスクレドです。司令に言付かって手紙を届けに来ました」


 モーリスが声をかけるまでロッテ先生は気付かずにいた。そして、気付くなり書き物を慌てふためいて隠した。どうやら私的な文書らしい。


「少尉はん。司令はんからは何も聞いてまへんよ?」


「すぐ開封して読めって言ってましたよ」


 事前連絡はなかったらしい。どうやら本部は本部で羽を伸ばしているらしい事が分かって、モーリスは少し救われた気分だった。


 ロッテ先生が手紙の封を切ると、至急電報を打つようにというメッセージと文面を書き込んだ用紙が入っている。


「電報なら直接あっちで打てばいいのに」


 モーリスにはブレスト司令の真意を測りかねた。あの町にも電報局はあるのだ。


「こら町で打ったら具合の悪い電報と違いますやろか?田舎の事ですよって、電報局の人が漏らしたら困りますやろ」


 用紙に目を通したロッテ先生はどこか楽しそうな表情を浮かべ、書いていた文書を携えて電報局へ向かうべく部屋を出た。


 一方、教会ではモーリス抜きで飛龍隊とファイヨルが会議を開いていた。


「近隣の警察にも応援を頼んで150人の警官隊が組織出来ました。日中の調査で住人に吸血鬼が居ないのを確認し、今夜12時には彷徨う人のキャンプを一斉に襲います」


 ブレスト司令の交渉もむなしく、ファイヨルは当初のプランを曲げないつもりらしい。


「というわけで、飛龍隊は当初の予定通り上空で見張っていただきたい」


「この天気で飛ぶのは危険です。エスクレド少尉を試しに本部まで飛ばせましたが、まだ帰ってこないところを見るとお役に立ちますかどうか」


 ブレスト司令はパイプの煙を地図の上に吐き出した。


「だからこそ飛龍が必要なのです。聞けば飛龍は炎を吐くとか?炎を吐きながら飛んでくれれば助かります」


「轡の強度の問題があるので、それははっきりと不可能です」


「とにかく、上空に居てもらわねば困ります」


「それも天気次第で確約はできませんな」


 どうやらブレスト司令は霧をいいことに不協力を決め込むつもりらしかった。飛ばずに居れば飛龍隊の名誉は守られるが、問題は彷徨う人だ。


「司令。警察は吸血鬼探しを口実にして、彷徨う人に難癖をつけて追い出す気では?」


 ファイヨルが帰った後、ブレスト司令にギョームは見解を述べた。彷徨う人も叩けば埃が出るのは確かである。


「そうだろう。飛龍隊はそんな汚い仕事には加担しない」


「けど、聖人のお祭りを襲うなんて」


 今夜は彷徨う人の守護聖人の記念日で、町に出ている彷徨う人も戻って来て皆で祝うのだという。信心深いテオドラにしてみれば、そんな祭りを襲うなど許せない事だ。


「司令、この際彷徨う人に密告しては?」


「それは駄目だ。吸血鬼の探索に協力するという命令に背くことになる」


「シャルパンティエ。こんな田舎町でそんな事をすればすぐにばれる。俺達は目立ち過ぎる」


 ギョームの言う通り、住人が少なく通行人の多いこの町は秘密を守るにはあまりに不利である。

 

「しかし、このまま見てみぬふりをするのはそれこそ近衛親衛隊の汚名になります」


「一応私も手は打った。後は運を天に任すしかない」


 天が味方したのか霧は時間と共に一層濃くなり、午後になってモーリスは霧の中を戻って来た。


「エスクレド、御苦労。ところで、他の隊員もこの霧の中で飛べるかね?」


 ブレスト司令はモーリスを労いながら曰くありげに訊ねた。


「そうですね。飛べない事は無いと思います」


「では夜間なら?」


「夜だと迷うかもしれません」


「それでいい。今夜飛龍隊は霧で飛べない事になっている。ファイヨル部長にもその旨説明しろ。いいな?」


 不可解な命令だがモーリスは逆らえない。そんな間にも警察は彷徨う人の村の襲撃の準備を整えつつあった。


 夜になると雨足は弱まったが、霧は深まって月さえ見ない視界不良に陥った。雨傘亭から食事が届けられ、飛龍隊は厩舎で待機となった。


「ブレスト司令。何とか頼みますよ」


「この霧では飛行不可能です」


「しかし、朝の伝令には成功したのでしょう?」


「日中ならともかく、夜間に低空で飛行するのは危険すぎます。木にぶつかりでもしたらそれこそ取り返しがつきません」


 ファイヨルは執拗に出撃を迫るが、ブレスト司令は譲らない。


「エスクレド少尉。君はかの白梟のハインリヒの列車へ夜闇に乗じて飛び乗ったというじゃないか。可能だろう?」


「あの時は星を頼りに飛べましたが、この霧では…」


 モーリスも言い含められているので合わせるしかない。だが、内心ではキャンプまで飛んで行けない事はないと自信を持っている。


「あなた方は帝国軍人でしょう?そんな事で敵と戦えるのですか!」


 ファイヨルはついに怒りだした。だが、ブレスト司令は最初から飛ばないと決めているのだ。


「1頭が1個旅団に匹敵する予算のかかっている飛龍です。みだりに危険に晒す事はできません」


「まったく、あなた方をあてにした私が馬鹿でしたよ。我々が連中を調べている間、酒でも飲んでいてください」


 恨み言を残してファイヨルは村の襲撃の陣頭指揮を執る為に馬で消えていった。


「危険な指揮官ですな」


 ランプで煙草に火をつけながら、ギョームはファイヨルの背中に軽蔑の視線を送った。


「同感だ」


 ブレスト司令はギョームの煙草からパイプの火を貰いながら空を仰ぎ見た。たかだか15メートルの丘にある教会さえ見えない。


「彷徨う人達は大丈夫でしょうか?」


 テオドラはいよいよ彷徨う人が心配でならない。テオドラの祖母の従弟は、かつて魔術局の差し向けた軍隊に襲われて大けがを負っていた。


「彷徨う人は逞しい。無闇な抵抗はすまい」


「しかし、警察は日頃彷徨う人を敵視しています。また、世論も彷徨う人に対して悪感情があるのは否めず、警官隊が何をするかというと考えたくありませんが…」


「博士!」


 ジャンヌがベップを一喝した。何もできない状況に一番いら立っているのは彼女であった。


「飛龍隊の皆さん!」


 その時、天から何者かの声が聞こえた。飛龍隊が何も見えない空を見上げると、レインコートを着込んだディアナと彼女に手を引かれたラウラが霧の中から現れて厩舎の前に着地した。


「女将!あんたが吸血鬼だったのか」


 いち早く事態を飲み込んだギョームが拳銃に手をかけながら一歩前に出た。


「勘弁して下さいな。刃向かう気はありません」


 ラウラを背後に隠しながらディアナはこれを制した。


「お察しの通り、私も、この娘も、私の母も吸血鬼です。あなた達が何をしようとしているのかそちらの少尉さんから何もかも聞きました」


「エスクレド、貴様作戦を漏らしたのか!?」


 ギョームはことによるとエスクレドを撃つ勢いでモーリスに詰め寄る。


「そんな、覚えがないですよ!」


「…私が血を貰うついでに聞きました」


「血を?それも覚えがない」


「それが吸血鬼の術なの」


 そう言ってラウラは左肩に手を当てた。モーリスも自分の左肩に首から手を入れると、そこには確かに噛まれたらしき傷跡があった。


「細かい話はいいが、エスクレドは大丈夫なのかね?」


 テオドラとジャンヌは呆れ顔だが、ブレスト司令は特に怒った様子もない。


「病気がある人から貰ったり貰い過ぎると危ないですが、私とこの娘は殺した事はありません」


「モーリスさんは頑丈そうだったから。血を貰うついでに術で話を聞いて記憶に細工したの」


 モーリスは愕然とした。あの夜の出来事は全部まやかしだったのだ。


「血を吸った人間を操ったり廃人にできるというのは本当ですか?」


 ベップは魔術局を出し抜いて吸血鬼に遭遇したので興奮している。


「出来なくはないですけどね。無闇にそんな事をして目立つようでは私達は隠れて生きていけませんよ」


「けど、毎週教会に来るんでしょ?」


 テオドラは信心深いだけに魔術局の言う吸血鬼像を信じている。正統十字派だという雨傘亭の母娘が吸血鬼というのはどうにも信じがたい話であった。


「十字架を怖がってたのは私のお祖母さんまで。私達は世間の人が言う吸血鬼らしいところはありません」


「じゃあ、何故魔術局に名乗り出ないのです?」


 黙っていたジャンヌが最大の疑問をぶつけた。隠れず名乗り出ていればこんな事にはなっていないのだ。


「それが何になるんです?そんな事をしたら気味悪がって私達を誰も相手にしてくれませんよ」


 ディアナは思わず語気を強めた。それは道理であり、隠れ住む種族の偽らざる本音であり、現実だろう。龍人は恵まれた種族なのだ。


「吸血鬼がどうしても血が欲しくなるのは子供から大人になる時期だけ。その後は吸血鬼と承知で一緒に居てくれる伴侶を見つけて、その人からたまに血を貰えば十分。私達は日陰者でいいんですよ」


「ということは、アルノー伍長は女将に血を?」


「ええ。私はあの人を助けて、あの人は私を助けてくれる。それもこれもお上に引っ掻き回されたら台無しですよ」


 ギョームはあれだけ戦闘に飢えていたというのに、もはや戦意を喪失していた。この家族を引き裂く事など出来ようはずがない。


「一応お尋ねしますが、お嬢さんが御父上から血を貰う事は出来ないのですか?」


「それは駄目です。肉親から血を貰うと吸血鬼は死にます」


 ギョームの頭の中では既に論文が書き上げられようとしていた。しかし、発表する事が叶わないと気付いて執筆は中断となった。


「だが、何故我々に正体を明かしたのかね?」


 ブレスト司令はそれが分からなかった。このまま放っておいても秘密は守れるのに、母娘は危険を承知でここまで飛んできたのだ。


「この娘を彷徨う人の所へ連れて行って下さい。警察はあの人達に何をするか分かりません。この娘から彷徨う人に事情を話して警察を止めます」


「あなた方は飛べるでしょう?」


「私達はもう血が薄くてとてもあそこまで飛んで行けません。どうかお願いします。私の父も彷徨う人なんです。彷徨う人の血を引く者として、仲間を売るような事は出来ないんです」


 ディアナは目に涙を浮かべてブレスト司令にすがりついた。彷徨う人は概ね浅黒い肌をしていて、不健康なまでに色の白いディアナの半分が彷徨う人だとはとても思えない。しかし、嘘とは思えなかった。


「エスクレド、今から飛べるか?」


「飛べます」


「よし、警官隊に気付かれないようにお嬢さんをキャンプまで送れ。その前に口裏を合わせるぞ」 


 ブレスト司令の指示で全員が円陣を組んだ。時間はもう10時を過ぎようとしていた。警官隊がキャンプの周囲に集結し始める頃合いである。

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