第7章 夜霧のしのび逢い

第31話 魔術局からの手紙

 飛龍隊に陸軍省を通して魔術局から協力を求める手紙が届いたのは、年末の支度の忙しくなる頃であった。


「警察とも協力して人探しの任務だ」


 ブレスト司令がそう述べると、隊員は一様に微妙な表情を浮かべた。


「司令、警察は我々を辻馬車か何かと勘違いしているのではないですか?」


 平日は郵便飛行、日曜や祝日はパレード、たまにそれ以外の任務があればパレードと変わらない要人の護衛飛行である。警察が飛龍隊をこき使うのにギョームは辟易していた。


「今度ばかりは飛龍でないと手に負えない。というのも、探す相手は空を飛ぶからだ」


「すると、人間ではない相手を捜索するのですね」


 ベップが一転目を輝かせる。


「諸君は吸血鬼の話を知っているか?」


「あの若い女の人の血を吸うってお化けですか?」


 テオドラが極めて素朴な見解を述べた。だが、隊員の認識は似たり寄ったりである。


「吸血鬼は魔術局もまだ実態を掴めずにいるが、その魔術局の説明によると吸血鬼は概ね一定の地域で人を襲い、数年ほどで消息を絶つ傾向があるそうだ」


 十字派の長年の迫害によって大きく数を減らし、あるいは辺境に隠れ住んだこの種の種族に対して帝国は保護政策を取り、人間とほぼ同等の権利を認める方針を取っている。


 しかし、龍人のようにそれを素直に受け入れる種族ばかりではなく、帝国の保護を拒む種族も少なくない。


 隠れているのか、あるいは絶滅したのか、それとも実在しないのか、未だ実態を掴めない種族も無数にある。吸血鬼もそうであった。


「すると、吸血鬼が現れたんですね」


 ジャンヌは緊張の隠せない表情である。恥ずかしくて口には出せないが、ジャンヌは吸血鬼に狙われる方だと自覚していた。


「その通り。この数年南部の農村で被害が出ている」


 ロッテ先生が魔術局から届いた地図をテーブルに広げる。帝都の南から100キロほどの一帯に日付と印が書かれている。


「赤い印が女性、黒い印が男性、年齢はまちまち。空を飛ぶというのは過去の例からも確からしいが、吸血鬼の年齢や性別は不明だ。最新の被害は先月発生している」


「これは面白い。警察には申し訳ないですが、学術的にも大変に興味深く…」


「だが、吸血鬼ってのは貴族で、領民を襲うんじゃないのか?」


 ギョームが絵物語に描かれるような吸血鬼像に基づいて言う。人間の未知の種族への認識は概ねこんなものだ。


「大尉、それは所詮俗説です。貴族は親戚同士でその上噂好き。そうだとすれば隠し通せません」


「すると、その種の醜聞は貴族の間ではすぐ広まるわけだな」


「ええ。酷いものです」


 ジャンヌは貴族の人に言えないようなゴシップを沢山知っているようだった。


「でも、こんな広い所をどうやって探すんです?」


 モーリスは地図の印の書かれた範囲を指で測りながら言った。被害は主に街道沿いだが、半径30キロにも及んでいる。


「この一帯は人口はそう多くない。人の往来があるのはこの街道沿いの町だけだ」


 ブレスト司令は印の中心にある小さな町を指さした。


「我々は演習と称してこの村の教会に宿泊し、訓練飛行をする。目下警察が人の出入りを監視し、魔術局が国勢調査と称して住民を戸別訪問して探している最中だ」


「我々は何を?」


 ギョームは思いがけない危険を孕んだ任務に目を血走らせながら言った。


「吸血鬼が飛んで逃げた時に追跡する役目だ」


「吸血鬼というのは危険な魔術を使うと聞いています。抵抗した場合は射殺しても?」


「吸血鬼に効くという銀の弾丸が魔術局から支給されるが、あくまで最後の手段だ。吸血鬼もまた帝国臣民である事を忘れないように」


 不穏な空気を事前に察知してロッテ先生はテオドラを一足早く室外へ避難させている。ともかく、正午には直接飛んで村へ向かう事になった。


「本当にこんなの効くんですかね?」


 モーリスは吸血鬼に効くと称して支給された各種の道具を詰め所のテーブルに並べた。ニンニクの入った袋、聖水の小瓶、十字架で一揃いである。


 いずれも吸血鬼が嫌うと広く知られる品物ではあるが、だとしても未知の種族への防御策としてはあまりに素朴に思われた。


「結局のところ、この種の伝承は正統十字派の作り上げた虚像です。第一、新十字派の私がこれらで吸血鬼を退けられるかというと科学的にも宗教学的にも大いに疑問が…」


「戦場に神は居ない!最後は己の力だけが頼みだ」


 ギョームは銀の弾が装填された拳銃を手にやる気満々である。吸血鬼狩りはギョームにとってそのくらいエキサイティングな任務に思われた。


「そもそも、吸血鬼が実在するなら人間との混血が進んでいるはず。だとすれば弾が銀でも鉛でも同じなのでは?」


「女伯、そこなのです。魔術局は未確認の種族を調査する時はこうやってあらゆる伝承を頼りに非科学的な対策を講じるのです。確かに魔術はまだ科学では解明できないものではありますが、今までの事例を鑑みてもこの種の対策はどうしようもなく非効率的であり…」


 準備が進む後ろで、複雑な表情でその光景を眺めているのがテオドラである。


「フークさん。あなたはこの任務に乗り気ではないようですね」


 聖水を用意したコクトー神父がそんなテオドラの心中をおもんばかって言う。


「おじいちゃんが話してくれた、山の下の人が初めて来た時の話を思い出します」


「龍人が初めて魔術局と接触した時の事ですね」


「軍隊が村を囲んで押し寄せて来たって」


「まだ野蛮な時代でしたからね」


 龍人はもとより現地の人間と共存していたので帝国臣民になる事を素直に受け入れたが、それでも龍人と帝国との馴れ初めは友好的な物ではなかった。龍人は帝国臣民となってもその記憶を語り継いでいた。


 テオドラの不安をよそに飛龍隊は彼女とブレスト司令も乗せて飛び立ち、夕方前には目的地に到着した。


 この辺りは牛の産地であり、飛龍隊が拠点と定める街道沿いの町の他には牧場や農地ばかりでこれと言った建物はない。


 その町とて丘の上にある教会を中心に1000人を超えない人口があるだけで、飛龍隊の本部とさほど変わらない田舎である。


「飛龍隊の皆様、よくぞ来て下さいました」


 先に到着していた魔術局捜査部長のベルナール・ファイヨルが飛龍隊を出迎えた。表向きはファイヨルは演習を視察に来たという事になっていて、その真の目的はまだ町長と警察署長しか知らない。


「ここでは話ができません。どうぞこちらへ」


 ファイヨルはそう言って飛龍隊を礼拝堂に案内した。ここにはまさか吸血鬼は近寄れないだろうという計算である。


「実は、近在の住人の調査は大半が終了しております」


 ファイヨルは出された紅茶を飲みながら、飛龍隊に送られてきたのと同じ地図に赤いチョークで円を描いた。


「それは手早いですな」


「この円の範囲で教会の洗礼台帳に登録されている人口は2000人程です。あとは台帳に記載されない多少の新十字派と星派、そして旅行者だけで調査完了します」


「やはり、教会に来ない人間が吸血鬼とファイヨル部長は見ておるわけですな」


 ブレスト司令は詳しい被害の報告書に目を通しながら見解を述べた。吸血鬼が正統十字派の言う通り神を恐れる怪物だとすれば、その説は筋が通る。


「明日の日中にはその調査も終わりますが、実は別に目星をつけています」


「というと?」


「洗礼台帳どころか、帝国としても実態の掴めない人間がここに居るのです」


 ファイヨルは町から少し離れた、町と森を挟んだ小川沿いの地点にチョークで丸印を乱暴に描き込んだ。


「飛ぶ途中で見えました。彷徨う人ですな」


「そう。我々はあの薄汚い連中に吸血鬼が混じっていると見ています」


 彷徨う人とは出自のよく分からない放浪する民族で、帝国のみならず世界のあちこちを移動しながら暮らしている。


 数年前からこの地点にキャンプを張って暮らしているという一団は、毎年北西部産の馬を仕入れて来て馬市で売り、当地の仔牛を買い付けて何処かへ売りに行く事で主に生計を立てているという。


 彷徨う人はそうして国境を無視して思うままに移動して暮らしている為、どこの国家にも属さない。それ故に何処の国でも気味悪がられ、特に官憲は潜在的犯罪者とみなして敵視している。


「大陸の彷徨う人は基本的には正統十字派だと聞いておりますが、そうだとすれば吸血鬼が十字架を恐れるという説と矛盾するのでは?」


 ベップがファイヨルを試すような質問した。ベップは魔術局の迷信深さをよく思っておらず、一方で彷徨う人に質問したい事が山程あった。


「連中は生まれついての詐欺師だ。人に取り入る為には月派にも星派にもなる」


 飛龍隊の面々がこの露骨な返答に嫌な顔をしたのも厭わず、ファイヨルはひたすらまくしたてる。


「明後日の夜に連中の祭りがあるので、そこを警官隊で囲んで一斉に調べます。そこで飛龍隊の皆様に上から見張っておいて頂きたい。飛んで逃げられると我々の手に余ります」


「しかし、ファイヨル部長。彷徨う人に吸血鬼が混じっているという確たる根拠はあるのかね?」


「無論です。この30年に帝国全土で十数件の吸血鬼の出没が確認されていますが、場所はバラバラです。2回同じ地域に現れた例が数件ありますが、いずれも長い空白期間があります。彷徨う人に吸血鬼が紛れ込んでいて、獲物を物色しては何処かへ消えているとすれば筋が通ります」


 ファイヨルの言う事は確かに筋が通っていた。彷徨う人に犯罪者が紛れ込むと捕まえるのは非常に困難である。まして人の持たない力を持つ吸血鬼なら尚の事だろう。


「手荒な真似をしなくても、彷徨う人も適当な名目で正面切って調べればそれで十分では?」


 ジャンヌが口を挟んだ。彷徨う人は当地に商売をしに来ているのであって、町との関係を悪くしてまで協力を拒む事はないだろうというのがジャンヌの考えである。


「これは町長と警察署長の意向です。なあに、銀の弾丸を出し惜しみする必要はありません。今回生け捕りに失敗しても、他の彷徨う人を捕まえて探せばそのうち見つかるでしょうから」


 ギョームの目が血走っているのをファイヨルは目ざとく見つけ、勇猛なるパスカルの喜びそうな事を言った。だが、テオドラが自分を汚い物を見る目で睨みつけているのにはファイヨルは気付かなかった。


「気に入らねえや」


 教会のある丘の麓の空き地に作られた急ごしらえの厩舎でスパルタカスに餌をやりながら、モーリスの口からつい本音が漏れた。


 船乗りは実力本位であり、彷徨う人も少なくない。それだけにモーリスにはファイヨルのあからさまな差別意識には賛同できなかった。


「エスクレド、俺も同感だ。あのファイヨルという男は、どうも手段と目的を履き違えるタイプの指揮官らしいぞ」


「どういう意味です?」


「捕物それ自体を楽しんでいる。あの手の男が戦場では敵にも味方にも驚異になり、よく弾が当たる」


 ギョームの言う事は怪談じみていたが、モーリスにもその真意は読み取れた。ギョームとて彷徨う人は決して好きではないが、皇族でも奴隷でも弾は平等に当たるという現実をギョームは血で知っている。


「そもそも、倫理的観点から言うと彷徨う人を最初から犯罪者と決め付けるのは問題があります。第一、魔術局の捜査がいかにあてにならないかは過去の事例から明白で…」


 科学者にしてリアリストのベップとしては、魔術局のやり方と彷徨う人への差別的な姿勢が単純に気に入らない。何より、魔術局のやり方が種族の再発見に効果的でない事を知っていた。概ねどの種族も魔術局の予想を超えた形で再発見されている。


「博士、私にはどうも吸血鬼が物語のような怪物とは思えない。調査書を読んだが、血を吸われて死んだという例は数例しかない。それも、全員持病があったという話だ」


 ジャンヌはアメジストに支給されたばかりの大きな十字架の付いた首輪を着けてやりながら、厩舎の軒先にぶら下がったニンニクの袋を仰ぎ見た。


「よほど大量の血液を失わない限り、それで生物が死に至ることはありません。女伯の言う通り、吸血鬼は血を奪っても死なない相手を選んでいるように思えます。被害者の性別は問いませんが、見たところ子供や老人は被害に遭っていません」


「彷徨う人達は大丈夫なんでしょうか?」


 テオドラは気が気ではない。魔術局の横暴は龍人にとって今なお生々しく恐ろしい記憶だというのに、もう一度目の前でそれが行われようとしている。テオドラにはあまりに辛い任務であった。


「軍人は嫌な任務でも逆らうわけにはいかない。そういう物だ」


 ファイヨルと打ち合わせを終えたブレスト司令が丘から降りてきて、軍人の因果を改めて隊員に語る。


「命令書には魔術局の吸血鬼の探索に協力せよと書かれている。だが、彷徨う人の弾圧に協力せよとは書かれていない」


「司令さん。どうするんです?」


「フーク、私はこれでも稲妻ブレストと言えば名の知れた男だ。警察署長にも掛け合う。帝国の名誉の為にも、汚名と遺恨の残るような真似はさせない」


 テオドラは初めてブレストを頼もしいと思った。日は傾き、吸血鬼の時間が近づこうとしていた。

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