第12話 空飛ぶ近衛親衛隊

 飛龍隊の朝は早い。朝の5時には起床ラッパが鳴って全員が起床し、飛龍隊の一日が始まる。


 地上班が厩舎を掃除し、食事が用意され、身支度を整えた飛龍乗り達が官舎を出て掃除や支度を手伝い、飛龍に食事を与える。この時点で既に初雪亭ではモランが人間の食事を用意し始めている。


 そうしていると7時になり、教会で礼拝が行われる。これに参加するのは正統十字派だけで、他の宗派の者はそれぞれ固まって独自に祈りをささげるが、信仰心はまちまちなので参加しない者もある。


 礼拝の後で朝食となる。アハメド医師と少尉待遇のテオドラを加えて僅か7人の将校団は司令部の食堂で、地上班の面々や隊員の家族は初雪亭で食事を取る。


 本来帝国軍では将校、下士官、兵隊でそれぞれ食事は別なのだが、飛龍隊は人数も予算も少ない為、将校団が銀食器を使う他はブレスト司令からミシェルまで全員同じ献立である。


 その後地上班は飛龍の世話に戻り、朝食終わりを見計らって陸軍省が差し向けた朝夕2便の馬車が帝都から補給物資や手紙を積んでやって来る。非番や所用で帝都に行く者はこれに便乗する。


 今のところ帝都と飛龍隊の連絡はこの馬車と、緊急手段である馬に依存していた。将来的には電信線が引かれる予定だが、それはいつになるのか分からない。


 荷馬車が到着し、各種の書類を受け取った将校団は会議を行う。今日は来月の半ばに行われるレオ一世の誕生日を祝うパレードの段取りと、そのための訓練内容が議題である。今日ついに飛龍乗り達は空を飛ぶのだ


「知っての通り、パレードは帝都の中心の凱旋門から出発し、宮殿前の広場まで大通りを行進する」


 壁に張り出した帝都の地図を指揮棒で指さしながらブレスト司令がパレードの順路を説明する。


「だが、問題はその凱旋門に至る経路だ。これについて陛下から要望を受けている」


 ブレスト司令は指揮棒で帝都の北の外れの飛龍隊のあるはずの地点を指した。地図上ではそこは単なる農地である。


「当日、飛龍は本部から横一列で飛び立ち、西に回って帝都の端から宮殿の裏手の大聖堂脇まで一直線に飛行して散開する。高度は大聖堂より十分高くという事なので、およそ100メートル」


 ブレスト司令は指揮棒を大聖堂脇の散開地点まで持って行くと次は赤いチョークに持ち替え、大聖堂脇から帝都の端まで旋回して凱旋門に至る円弧を4本描いた。


「散開後はこのように帝都の全域から飛龍が見えるように飛んで凱旋門上空で合流して凱旋門広場の指定地点に着陸し、パレードに加わる」


 皇帝はこのようにして帝都全域に飛龍が飛ぶ姿を披露したがっているというのがブレスト司令の説明であった。


「フーク、大体70キロ程度の行程だが、このコースは可能か?」


「はい、そのくらいなら問題なく飛べます」


 テオドラは飛龍の能力を知り尽くしているので、この言葉はまず信用してよいはずだ。まさか皇帝に無理だとも言いにくいので、ブレスト司令は内心胸をなでおろした。 


「飛行は一応大丈夫として、問題は着陸だ。軍楽隊が『飛龍隊行進曲』という軍歌を作曲してくれたが、この6分程の曲の演奏されている間に、各国の大使や来賓の観ている前で10秒おきに着陸する。先頭に旗手のシャルパンティエ、続いて隊長の小ギョーム、クルチウス、エスクレドの順だ」


 飛龍乗り達は顔を見合わせた。全員内心ではたかがパレードと思っていたが、今日これから始めて飛ぶ彼らにも、皇帝の注文がかなりの難題なのは読み取れた。


「さしあたって、訓練の為に近隣の農家と測量部隊の協力を得て、厩舎の裏庭を凱旋門広場に見立て、帝都で目標になる建物のあるはずの地点に荷馬車が置いてある。この際このコース通りとは言わない。3週間後のパレードまでに少なくとも、凱旋門広場に飛んで行けるようにしてもらいたい」


「司令、我々は必ずやり遂げます」


 ギョームがテーブルを叩いて言い切った。


「皇帝陛下は飛龍隊の価値を天下に示そうとしているのでしょう?ならば妥協はあり得ません」


「よく言ったパスカル。期待しているぞ」


 ブレスト司令のお褒めの言葉で会議はお開きとなった。


「大尉、何故あんな大見得を切ったのです?」


 厩舎へ向かう道すがら、ジャンヌはギョーム相手に声を荒げた。


「安易な妥協は負け戦のもとだぞ。訓練次第で出来る」


 ギョームの皇帝への忠誠心は皇帝と個人的な親友であるブレスト司令のそれさえ上回っている。ギョームにしてみれば皇帝が決めた事に逆らうなど考えられないのだ。


「敵を過小評価するのがどれ程危険か大尉が知らないとは思えませんが?」


「この任務に失敗しても命を取られる事はない。戦場に比べればこの程度が何だ。シャルパンティエ、貴族の癖に貴様は陛下直々のお頼みを跳ね付けるのか?」


「まあまあ、まずは飛んでみてから決めればいい事です。理論上は可能なのですから、あとは実践と試行錯誤と時間との兼ね合いで…」


 仲裁に入ったベップの言う事はもっともだが、言い争いになった2人はもはや止まらない。


「あの大聖堂より高く飛ぶのか。最高の気分だろうな…」


 ある意味では、モーリスが一番これから飛ぶという現実に向き合っていた。ついに空を飛ぶ。それはモーリスにとっては未知なる世界への大冒険であり、任務の成否を度外視した喜びであった。


 とにかく、今日は午前のうちから飛行訓練である。銀嶺山脈風の騎乗服に身を包んだテオドラがモーリスの後ろに乗り、命綱の説明をする。


「鞍に縄が付いていますが、これを腰に結んで、鐙と足を革紐で縛ります。これで無茶をしなければ落ちません」


「これは改良の余地がありますな。これで空を飛ぶのは安全の観点からは明らかに不十分であり、また力学的にも問題が…」


「いいからやってください!」


 甚だ頼りない命綱に不安を抱くベップをテオドラは一喝した。空を飛ぶというのはとにかく危険であり、頼りない命綱であってもこれに頼るよりないのだ。


 全員が命綱を付けたのを確認して、テオドラは例にもよってモーリスと2人で手綱を取り、スパルタカスを飛び上がらせた。脚の力でスパルタカスは1メートルほども飛び跳ねると同時に翼をはばたかせ、その場に巨体をとどめて見せた。


 飛龍乗り達も、遠巻きに見ていた地上班員や農民達も、これには一様に感嘆した。紛れもなく歴史的瞬間である。


 ギョームとグラディウスがこれに続く。そして、重飛龍は地上でまず翼をはばたかせ、それから飛び上がって4頭全てが地面から離れた。


「とにかく、司令部の屋根の高さまで上がってあそこに見える風車まで飛んでください!細かい事は後です!」


 テオドラは声を張り上げると、手綱を引っ張ってスパルタカスを上昇させた。3頭はこれに続き、おっかなびっくり進み始めた。


 飛龍は利口なので滅多な事では墜落しないというのがテオドラの弁だが、初めて飛んだ飛龍乗り達はまず飛ぶことそれ自体に慣れなければいけなかった。


「凄えや。最高!」


 モーリスだけが恐れ知らずの元気で飛行を楽しんでいる。モーリスは高い所を怖いと思った事が一度もなかった。


「じゃあ、早く私抜きで飛べるようになってください」


 テオドラが釘をさす。調子に乗るのは恐れるより危険だと知っているのだ。


「なんだ、急に口やかましくなったな」


「落ちて死んだ人は一杯いるんですよ!」


「このくらいの高さなら落ちても死なない。大丈夫、大丈夫」


 モーリスは司令部を指差し、一気に高度を上げると先陣を切って風車小屋に向かって突き進んだ。


 4頭の飛龍は風を切り、芝が、畑の麦が、恐れおののくようにしてざわめく。1キロ程先の風車まではあっという間であったが、飛龍乗り達には長くも短くも感じられる、感動の初飛行である。


 軽飛龍は着陸地点の上空で仰け反るようにして急ブレーキをかけたと思うと、ほぼ垂直に下降して地面に降り立った。


 軽飛龍より速度に劣る重飛龍は着陸地点の少し前から徐々に速度を下げ、いくらか滑空して4本の足で地面を掴むようにして着陸した。


「これは、何と言いますか、えらく揺れますな」


 殿で着陸したベップは顔を歪めた。飛龍で飛ぶのは三半規管に酷く負担をかける行為であった。


「そのうち慣れます」


 テオドラの答えは身も蓋もないが、この問題の解決策はそれしかない。


「100メートルとなると相当な高さだが、飛龍は大丈夫なのか?」


 軽飛龍は重飛龍より更に揺れるが、流石にギョームには何事もない。


「この子達は子供ですけど、それでも雲の上まで行けますよ」


「そんなに?」


 ジャンヌはアメジストの首を撫でながら驚きを隠せない。このところ熱気球が冒険家の間で流行っているが、それでも雲より高く飛んだという例はジャンヌも寡聞にして聞いたことがなかった。


「けど、本当にこんなので高さが測れるんですか?」


 モーリスは胸ポケットから今日支給された装置を取り出してぼやいた。


 それは一見変わり種の懐中時計のように見えた。楕円形で文字盤が2面あり、厚みも普通の懐中時計の倍はある。


 左側の盤が時計で、右側の盤が10メートル針と100メートル針から成る高度計になっている。だが、モーリスにはこんな物で自分の居る場所の高さが分るというのがどうにも信じられなかった。


「なんという事を言うのです!この気圧高度計と懐中時計を組み合わせたこの時計は、携帯性と精度と強度の兼ね合いを完璧なバランスで実現させた私の過去の発明の中でも最も実用的かつ画期的な逸品であって…」


 飛龍酔い寸前の有様でもベップの話の長さは変わらない。


「とにかく、この高度計が指し示す100メートルの高さに飛んでみようじゃないか」


 ギョームの発案で、本番と同様の高度100メートルを目指して飛龍達は再び飛び上がった。


 飛龍は目標の高さへめがけて地面に対し45度の角度で上昇していく。飛龍にしてみれば無理をしない程度の速度だが、高度計の盤上では10メートル針がたちまちのうちに一回転し、30秒程で100メートルへの到達を告げた。


「凄いぞ!大聖堂が見える!」


 モーリスは思わず帝都の方を指差して叫んだ。帝都で一番高い大聖堂の尖塔の他、いくつかの地上からでは見えなかった帝都の建物が100メートルの高さからは見えた。


 モーリスの声が聞こえたのか聞こえないのか、とにかく飛龍乗り達は全員申し合わせたわけでもないのに帝都を仰ぎ見て、次に地上で見守る豆粒のように小さくなった人々を見下ろし、自分達が飛龍乗りとなった実感を噛み締め、思い思いに感動した。


「100メートルってどんなに高いのかって思いましたけど、大した高さじゃないですね」


 テオドラだけは慣れたもので、100メートルが意外に低いのにやや冷めた態度を取りながら、一人反対側を向いて目を凝らした。その先には龍人が長年見ることのなかった海があるが、残念ながらこの高さでは見えないようだった。


「とにかく、打ち合わせ通り一度本番のコースを飛んでみましょう」


 テオドラに促され、モーリスは腰に下げたマップケースから司令部を中心とした訓練用の地図を取り出した。


 司令部を凱旋門に見立てて北側、大聖堂があるはずの地点に幌を黄色く染めた荷馬車が目印として置いてあり、その他帝都で目印になるような建物のある場所にそれぞれ違う色の馬車が草原や麦畑の中に点々と置かれている。


 とにかく、左からベップ、ギョーム、モーリス、ジャンヌの順に翼のぶつからない十分な距離を取って横一列に並び、テオドラの合図で飛龍は馬車めがけてぐんぐんスピードを上げながら飛行した。


 全力で飛ぶ飛龍は明らかに馬より高速である。飛龍達はテオドラの指揮に従って隊列を崩さず見事に飛んでみせた。


 だが、荷馬車を目印に散開してからが不味かった。大回りに飛ぶので墜落することはないにせよ、所詮初めて飛んだ飛龍乗り達のやる事である。


 各所の荷馬車を目印に飛行コースは守れたが。速度の調整は飛龍乗り達の体感に頼るしかない。


 10秒おきに着地しろという勅命と裏腹に、最初に合流地点に到着したギョームから、最後におっかなびっくり辿り着いたベップまで、到着時間に実に5分の差がついた。


「こりゃあ、前途多難だな」


 飛龍は実に利口で合流してからの着陸はそれほど問題にならなかったが、ギョームは空を飛んだ喜びと大見得を切った後悔のない混ぜで複雑な表情である。


「大尉、今更出来ないとは言わないでしょうね?」


 意外にも冷静なジャンヌが皮肉を言った。自信が揺らいでいるギョームとは逆に、ジャンヌはこの飛行は不可能ではないと思うに至っていた。


「この飛行の成否はともかく、戦闘任務にはこの命綱は危険すぎます。地上班の方達ともよく相談して装具を改良して安全対策をしませんと…」


 墜落への恐怖と揺れで顔面蒼白のベップには。パレードより荒縄と革紐だけで飛龍にしがみついて戦う危険が気にかかる。既に頭の中には新しい装具のアイデアがわくように浮かんでいた。


「宙返りってできる?」


「人を乗せてやったって話は聞きませんけど、一応できますよ」


 モーリス一人が元気で脳天気である。テオドラに関係のない質問をして呆れられる有様であった。


 とにかく、今後の訓練についての話し合いもあるので、今日の飛行訓練はこれで終わった。


 初飛行を記念して初雪亭で祝酒と称する酒盛りが行われた。もっとも、それは大酒飲みの揃った飛龍隊においては適当な口実に過ぎないが。


「おや?あの一番金持ってそうな将校さんだけいないじゃありませんか」


 モランは例にもよって泥酔しながらカウンターで次々と酒を隊員に供し、ベップが居ないのを目ざとく見抜いた。


「あいつはここに来るまでもなく酔ってるんでな」


 テーブルに陣取った将校団の中から、ギョームが彼女の疑問に答えた。


「いみじくも帝国が巨費を投じた飛龍に乗ろうという将校さんが乗り物酔い!それなら尚の事この店に来て飲まねばいけません。乗り物酔い、二日酔い、とにかく酔いの最大の良薬は酒でしょう。ねえ、先生」


「医学的な根拠はないが、それは正しい!」


 ビールジョッキを手にアハメド医師が医者にあるまじき無責任な見解を述べる。


 その頃、ベップは吐き気と格闘しながら官舎で机にかじりついていた。落ちないような装具を。ベップはその意志の力を頼りにひたすら図面にペンを走らせるのであった。

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