第11話 大尉の娘

「撃ち方、初め!」


 ギョームの掛け声を合図に飛龍隊の裏庭に銃声が響いた。3日目を迎え、騎乗訓練と並行して軍事教練が始まったのだ。


 飛龍乗り達は帝国が全軍に行き渡らせようと狙っているボルトアクション式の新型ライフルと、新大陸から輸入した回転式拳銃を支給された。これに銃剣とサーベルで飛龍乗りの基本武装は一揃いである。


 皇帝の肝煎りで装備は最高の物をあてがわれる飛龍隊だが、反面予算は逼迫しており、教官はわざわざこんな辺鄙な場所まで来てくれない。


 従って、軍事教練ではギョームが教官代わりである。というよりも、この役割を期待してギョームは選ばれたのだ。


 拳銃を手にした飛龍乗り達は10メートル先の標的目掛けて1秒に1発のペースで射撃を繰り返す。


 弾倉の6発を撃ち終えると弾倉から空薬莢を出し、再装填してまた射撃に入る。この繰り返しで30発を撃つのに3分足らずである。


「エスクレド、お前は上手いな」


 双眼鏡で標的への着弾を確認しながらギョームは短評を述べる。モーリスの弾は残らず50センチの円形標的の中に着弾し、半分は25センチの半径に収まっていた。


「捕鯨で慣れてますから」


 モーリスは職業柄視力が良く、鯨に銛を撃ち込む捕鯨銃を扱うため射撃は海軍時代から得意であった。


「だが遅い。戦場では同時に早さが必要だ。よく練習しておくように」


 かく言うギョームは全ての弾を25センチに収めていた。この銃は初めて持ったはずだが、撃つのも装填も飛び抜けて早い。飛龍乗り達はこういう時、ギョームを皇帝が自慢に思う理由を思い知らされた。


「クルチウス、お前はライフルは下手だが、拳銃はそうでもないな」


「近眼は現代の医学ではまだ治療が不可能ですので、こればかりは」


 モーリスと反対にベップは視力が悪く、標的が遠くなるほど成績が悪くなる傾向があった。


「お前に極力遠距離射撃はさせないように計らう。代わりに早さと、近距離は外さないように腕を磨け」


 ギョームは飛行隊長になって部下の数は減ったが、気苦労は近衛騎兵連隊に居た頃のそれの数倍である。未知なる飛龍に乗っての任務は何もかもが手探りだ。


「問題はシャルパンティエだ。お前はライフルは悪くないのに拳銃は酷い」


 最後のジャンヌは苦虫をかみ潰したような表情で標的を睨みつけていた。弾の実に半分が標的を外していた。


「士官学校では拳銃は少し教えるだけらしいが、原因はそうじゃあるまい」


 ギョームはジャンヌの銃を取ると、弾を装填してジャンヌに差し出した。


「お前が左利きなのは聞いている。左手で撃て」


「しかし、規則によると…」


「いいか?士官学校でどう教えるのか知らんが、戦場でそういう愚にもつかん規則に固執する奴は長生きせん」


 ギョームは語気を荒げた。ジャンヌは渋々左手に拳銃を持つと、今までと逆の構えで的に銃弾を浴びせた。


「そら見ろ。拳銃は今後左手で撃て。何か言う奴が居たら俺の名前を出せ」


 左手に銃を持ち替えたジャンヌの弾は別人が撃ったようによく当たった。


「恐らく、飛龍隊は敵地深くでの奇襲任務に投入されるだろう。そうなればライフルよりも取り回しの良い拳銃が主たる武器になる。お前達はそれを忘れるな」


 そうギョームが統括して射撃訓練は締めくくられた。


「小ギョーム、軍事教練について君はどう思う?」


 訓練が終わって昼食後の昼休み、司令室でギョームとチェスを指しながらブレスト司令は訪ねた。


「この際率直に申し上げます。飛龍に乗るという難行の片手間でやっても限界があります」


「やはりそうか」


 午前中は軍事教練、午後は騎乗訓練というのが当面のスケジュールであった。だが、射撃の他にも銃剣術に格闘術、各種の座学も控えている。


 ひとまず来月のパレードでしくじらなければ良いとしても、飛龍隊を実戦に供するとなるとその前途は多難であった。


「偵察くらいならともかく、現段階で奇襲任務など請負えば犬死にです。飛龍に然るべき強兵を同乗させて、戦闘はそちらに任せるべきです」


 戦闘とは即ち殺し合いであり、訓練ではどうしようもない経験が求められる。それを身をもって知っているギョームとしては、戦場を知らない部下と貴重な飛龍を乏しい訓練で戦闘に送り出す事態は避けたかった。


「1個分隊で十分です。近衛歩兵連隊あたりから分遣してもらえませんか?」


「私もそれは考えているが、実績が無いことにはな…」


 議員達は飛龍隊が半ば皇帝の道楽であることを見抜いており、飛龍隊の創設にあたっては庶民院で議員が掴み合いの喧嘩を起こす程の紛糾を見ていた。


 そもそも、近衛親衛隊というのも伝統に従ってそう名乗っていても直接の指揮権は陸軍にあり、皇帝の一存で動かせるわけではない。もうそんな時代ではないのだ。


 それを証拠に、飛龍隊には何もない。本来なら将校には従卒が付くのだが、その従卒を用意する予算さえないのだ。


 ブレスト司令だけは食事の時に手空きの地上班員が給仕に付き、彼らの夫人が交代で身の回りの世話をするが、五体満足の飛龍乗り達は自分の事は全て自分でやる。


 その食事とて将校と下士官兵では別の物を食べるはずなのに、飛龍隊では地上班の家族からブレスト司令まで、全員分をひとまとめにモランとその助手である数人のゴブリンが供給している。ゴブリン達は用事のない時には地下のワイン蔵に隠れていて、飛龍隊とは滅多に顔を合わせない。


 この待遇を脱するには飛龍隊の実績が必要だが、果たして実績を作ることができるのか、またその時がいつ来るのかはブレスト司令にも分からない。


「とにかく、訓練に最善は尽くしますが、無茶な任務は困ります」


「まあ、軍も陛下も当面は飛龍隊を最前線に送る気はないだろうし、そんな戦争もあるまい。それより、君の妻子が今日来るな」


 辛気臭い話をしながら敗戦濃厚な盤上を睨んでいたギョームの顔がにわかに明るくなった。


 ギョームの妻のソフィアと娘のミシェルは、引っ越し支度で飛龍隊への到着が遅れていた。今日の訓練が終わる頃合いに家財道具を馬車に積んでやって来る予定になっている。


「ミシェルは12歳になったはずだが、去年会った時より随分大きくなったろう?」


「あれも女だてらにパスカルです。お転婆で参っております」


「なあに、軍人の妻はそのくらいでなきゃ務まらんよ」


 平静を装っているが、ギョームは妻子がようやくやって来る事が嬉しくて仕方がない。この為にギョームの官舎だけ他の3人のそれよりいくらか広く作られていた。


 午後の騎乗訓練になってもギョームは心ここにあらずの状態であった。龍に火を吹かせる重要な訓練だというのに、手綱捌きはいつものキレがない。


 だが、飛龍はそれを知ってか知らずか飛龍乗り達の命令に従って素直に火を吹く。遠巻きに眺める農民達も恐れおののく大変な迫力である。


 重飛龍は5メートル先まで届くような火を息の続く限り吹き続けることができる。一方、軽飛龍のそれは一瞬であり、届く距離も2メートルが精々である。目くらましか、出会い頭の敵に不意打ちを見舞う程度の代物と見るべきであろう。


 いずれにしても、飛龍は馬と同様に金属の轡を噛まされており、轡の強度の問題があるので迂闊に火を吹かせる事は出来ない。空中で轡が壊れでもしたら大変な事になる。


「博士、良い発明か何かありませんか?」


 モーリスはベップの意見を求める。ベップはこの為に選ばれたのだ。


「まず確実なのは轡の材質を変える事ですな。ミスリル製にするか、あるいは魔術で強化するか、いずれにしても費用面で大きな問題が…」


「今からそんな贅沢をしていたら、俺達は帝都を歩くと刺されるぞ。フーク、山ではどうしてた?」


 ギョームは馬で同行してきたテオドラに意見を求める。


「どうするって、薪や煙草に火をつけるのに吹いて貰う程度ですし…」


「例えばだ、敵の上空を低空で飛んで上から火を浴びせる。そういう使い方をしたい」


「やだ、怖い!」


 テオドラは思わず顔をそむけた。テオドラにしてみれば、それが仕事だとしても飛龍を人殺しに使う事は考えたくないのだ。


「大尉、そういう細かい話よりも、まずは飛べるようになってパレードを無事終えるのが先決では?」


 ジャンヌが見かねて口を挟んだ。ひとまず炎の具体的な活用法については先送りとなった。


「おやっさんは様子がおかしい」


 訓練終りに装具を片付けながらモーリスはジャンヌに耳打ちした。粗暴に見えてあらゆる配慮に行き届いているはずのギョームにしては、今日のテオドラへの態度は問題があった。


「1個連隊も避けて通る大尉も人の子だ。自分の妻子の事で頭が一杯らしい」


 テオドラへの酷な仕打ちを目の当たりにしたジャンヌは少し不機嫌であった。


「まったく、男は無神経な生き物だ。エスクレド、君はあんな風になるなよ」


 これにはモーリスの方が唖然としてしまった。モーリスよりジャンヌの方が1歳年下である。


「おい、大変だ!」


 その時、厩舎の方で地上班の誰かが叫んだ。何事かと2人が走って行くと、厩舎にアメジストの姿がない。いつもは厩舎の中に大人しく収まって洗ってもらうのを待っているはずなのだ。


 装具を脱がされたアメジストは吹き通しの厩舎を出て、遠巻きにする地上班の面々を引き連れて裏庭をゆっくりと歩いていた。その背中にはどうやって乗ったのか、少女が跨って満面の笑みを浮かべていた。


「ミシェル、よさんか!」


 ギョームが慌てふためいてアメジストに駆け寄り、愛娘ミシェルを無理矢理アメジストから引き剥がすようにして抱き下ろした。


「お前が兵隊ならこの場で銃殺だぞ!」


 ギョームはおろおろしながら駆けつけたソフィアを振り払い、恐ろしい剣幕でミシェルに詰め寄る。


「それより、どうやって乗ったんだ?」


 アメジストのパートナーであるジャンヌがミシェルに訊ねた。鞍が乗っていれば鐙を足掛かりに乗る事が出来るだろうが、今のアメジストは裸だ。


「その柵に上って飛び乗ったの」


 ミシェルは厩舎の半開きになった柵を指さした。現場に居合わせた地上班員によると、止める間もない早業であったという。


「お父さんが羨ましいな。飛龍に乗るって気分良いんだもん」


「言っておくが、あの娘は私のだ」


 ジャンヌはギョームを牽制しながらミシェルを諭した。


「いいか?飛龍は帝国が大変なお金を出している財産だ。だから勝手に乗っちゃ駄目だ」


「はい、お姉様」


 ミシェルはやけに堂に入った敬礼をして、呆気にとられるジャンヌをその場に残してブレスト司令に駆け寄った。


「ブレストおじ様。お久しぶりです」


「やあ、ミシェル。大きくなったな」


 ブレスト司令は器用に片腕だけでミシェルを抱き上げると、ギョームに彼女を引き渡した。


「小ギョーム、これは君の不行き届きだが、今回は特に不問に処す。ミシェルは明後日の朝、レポート用紙1枚分の反省文を私に提出するように」


 ギョームはミシェルに手をあげかねない勢いであったが、ブレスト司令の素早い裁定によってこの場は収まった。


「小ギョーム、聞きしに勝るお転婆ぶりだな」


 官舎に横付けされた荷馬車からトランクを取ってソフィアと官舎に入ったミシェルを見送りながら、ブレスト司令は咥えたパイプから煙を吹いた。


「まったく、寿命が縮まりました」


「だが、君の娘だけあって騎乗姿は見事だったぞ」


 もう一人?の当事者であるアメジストは人間の大騒ぎなど知らないと言わんばかりの態度で悠然と厩舎に戻り、寝藁の上に身を横たえた。

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