第8話 広々とした芝生の景色の中で

 グライドの心配は無用のものだった。

 なぜならアイリスは、お代わりのクレープを平然としながら食べているのだ。どうやら見かけによらず大食漢らしい。食べる様子は少しも衰える事なく、見ている方がお腹いっぱいになりそうだった。

「今回の件を、アイリスはお父様に報告していません」

 だから護衛の役は、グライドとフウカだけになるらしい。

 実際に襲われ身の危険があったにしては、事態をあまりにも楽観しているとしか言い様がない。事の重大さを理解していないのではないか。そんな思いさえしてくる。

「お父様に報告すれば、事態は解決するでしょうが、確実に大きな騒ぎになるのです」

「確かに公爵が動けば話が大きくなるか」

 グライドは腕組みしながら頷いた。

 娘が襲われたとなれば、父親としての心情に加え貴族の体面としても、余程の事がない限りトリトニア公は相手と徹底的に戦うことだろう。

「オブロン家と全面対決となれば、それは大きな騒ぎであろう」

「うーん? でも、私は公爵様には伝えておくべきだって思うわ。だって、アイリスのお父さんなのよね。自分のお父さんに隠し事するのは良くないのよ」

 フウカは両足を投げだし上体を反らし、白い喉を日射しに晒し、逆さに見上げてくる。

「やれやれ。フウカも十二歳なら、そろそそろ親に隠し事ぐらいせねばいかんな」

「そんなの当たり前なのよ。子供じゃないから、もう隠し事だってあるのよ」

「なんだと!? その隠し事とはなんだ」

「隠し事だから教えてあげない」

 平然と言ったフウカに、グライドは唸って悶えている。そんな親子の様子を、アイリスは興味深げに不思議そうに、そして新鮮そう見ていた。

 ややあって、グライドは様々なものを呑み込んで気を取り直した。

「あー、まあいい。いや、良くはないのだが……とにかく話をもちかけたのは、確かにオブロン家のレンダー。それは間違いない。しかし、その証拠がないのだよ」

「どうして、お父さんが見たじゃないの」

「何の後ろ盾もなく、しかも元は異国の人間。そんな者の言葉を信じるほど、公爵も甘くはなかろう。世の中とは、そういうもんだ。はっはっは、信用がないって辛いな」


 この広場は内緒の話がしやすい。

 周りは開けて視界が通り、誰かが近づけばすぐに分かる。そして小川の流れは水音を絶えず響かせ他の音を消し、よほど大きな声を出さない限りは、聞かれる心配はなかった。

 広々とした芝生の景色の中で、何組もが歓談しているが声の欠片も聞こえない。

 案外とそちらも人には聞かれたくない話をしているのかもしれない。なにせグライドたちとて、傍目には呑気にクレープを食べているようにしか見えないのだから。

 グライドはアイリスに視線を向けた。

「他から怨みを受けてる覚えは?」

「アイリスには、ありません。ですが、怨みとは知らずに受けるものなのです」

「貴族はどこの国も大変だな」

「そうなのです」

 口元に手をやって笑みをみせるアイリスは、完全に良家の子女だ。残りのクレープを軽々と平らげてしまわなければ完璧だったに違いない。

 グライドは腕を組んで悩んだ。

 護衛として雇われたのはいいが、正規雇用ではなく、あくまでも臨時だった。貰った報酬の額で、ずるずると長期に渡って束縛されるわけにはいかない。

「ひとまず相手の情報を集めるしかないか。さて、どうするか……」

「はいはーい。それなら、私に良い考えがあるのよ」

 フウカは得意そうに笑うが、口の片端だけをあげるので、まるで悪巧みでもしているような顔になる。しかし、幼いフウカのする事なので、悪戯を企んでいるようにしか見えなかった。

「こないだの相手に、マギのジョブ持ちで、ゼルマンって呼ばれてた人がいたでしょ。そこから辿ってしまえばいいの。あんな事をする人でマギとなれば、そんなの直ぐに分かるのよ。どうかしら、簡単に探して貰えそうでしょ」

「あいつらに頼むのか……」

「お金もあるのよ、これは必要経費と思うの」

「関わりたくないだけなのだがな。しかし、仕方があるまい」

 フウカの楽しげな声に、グライドは小さく何度か頷いた。

 大人しく座っているアイリスは、話を聞いているのか聞いていないのか分からない様子で、クレープを食べ終えると軽く跳ねるようにしてベンチから立った。

「誰に頼むのか。アイリスには分かりませんが、頼むのであれば頼んでしまうのです」


◆◆◆


 カキリ通りからトノサバ通りへ。

 日射しが天頂を通り過ぎた頃合いにハチス通りに入れば、初めての者は辺りの賑やかさに驚く。宿の呼び込み声や食事処の美味そうなにおい。ぶつかりそうな程の人の数に、そこを走り抜ける子供の姿。

 そんなハチス通りから路地に入ると喧噪が少し遠のいた。路地から裏の通りに入れば、まるで別の場所のように静かだった。左右に薄汚れた建物が並ぶだけの道は、薄汚れてゴミや汚物が少し散乱し、路上に座り込んだままの者もいる。

 この辺りは治安が宜しくない。

 空からの日射しがあるにも関わらず、どこか陰気で暗かった。うっかりと迷い込んだ者が、不安を感じ回れ右して、慌てて逃げ戻るような雰囲気だ。間違っても貴族を、それも令嬢を、連れて訪れるような場所ではない。

 グライドは足を止めて傍らを見やった。自分の娘はさておき、問題はお上品な格好をしたアイリスだ。ここでは、とにかく目立つ。闇夜の月、新雪の血痕といった具合に、誰もがその存在に目を止めてしまうだろう。

「面倒が起きそうな予感がしてきたよ」

「アイリスは問題ないのです」

「こっちにはあるのだが。やっぱり引き返したらどうだ。きっと、その方が良い。そんな上等な服に装備で歩かれては、あちこちから注目の的だからな」

「なるほど。だから先程から、失礼な視線を感じるのですね」

「単に失礼ってだけの視線ではないのだがな」

 知らぬ者が見れば、ここに足を踏み入れたアイリスは格好の獲物だろう。世間知らずにも迷い込んできた貴族のお嬢様としか見えず、その美貌も長い髪も長大なハルバードも幼さも、全部が全部目立って仕方がない。


 途中の繁華街ですら周囲から浮いていたが、ここでは闇夜の松明より目を引いている。

「まだ戻れると思うのだが……」

「お父さん、それ無理だって思うよ。だってアイリスってば、顔に似合わず頑固だから」

「まあ、そうであろうな」

 グライドが困った息を吐こうと、アイリスは素知らぬ顔だ。

 立ち止まったのがいけなかったのだろう。横合いの建物の扉が開き、こんな時間から酒を飲んでいた男が足取りも覚束なく現れた。そしてアイリスに目を止めるなり、にやけた顔になって、ふらふらと近寄って手を伸ばした。

 アイリスは表情を変えず、不思議そうに見ているだけだ。

 一切の躊躇いなく、グライドは剣を抜いた。一歩踏み込んで男の首筋に突きつける。酔っているせいか、男はそのまま真っ直ぐに進もうとして、自分の喉に触れた金属の存在にようやく気付いた。

 途端に血の気が引き酔いも醒めたようで、飛び退くように離れようとして足をもつれさせ、尻餅をついたところから這って逃げていった。

 グライドは軽く舌打ちをして、剣を鞘に戻した。

「フウカ。雇い主を見張っておいてくれるか」

「はーい。それじゃあ手を繋ごうよ。うん、なんだかお姉さんが出来た気分かも」

 再び歩きだせば、後ろをフウカとアイリスがついてくる。

 しかも、お姉さんと呼ぶ声に返事をしているではないか。最近の貴族の娘はこんなものなのか、それともアイリスが特別なのか。訝しがるグライドであったが、他を知らないだけに分からなかった。

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