第5話
恵美は首元につけていたネックレスを片手で器用に取り外し、まさやに見えるように手のひらに乗せた。ペンダントトップにはSの字を形どったアクセサリーがぶら下がっている。
「ネックレスですね。彼氏ですか?」
「残念。父からよ」
「お父さん?」
「そ。毎年もらってるの」
Sのイニシャルネックレス、今年のプレゼントも郵送で届いた。直接手渡してくれればもっと嬉しいのに、いつもクリスマス前日にひっそりと届けられる。
物心着いた頃からそうだった。
恵美の父親は仕事で世界を飛び回っており、なかなか一緒に過ごすことができない。その埋め合わせにと、クリスマスには忘れずにプレゼントを送ってくれた。
そのことについてはとても感謝しているが、ひとつだけ不満があった。その不満と言うのが、贈り物に恵美の希望が全く反映されていないことだった。
例えば幼稚園の頃は当時人気だったアニメのフィギュアが欲しかった。けれど届いたのはビーズで作った手作りネックレス。
小学校時代は人気漫画やゲームソフト、子供用メイクボックスなどが欲しかった。けれど届くのは図鑑や子供向けの伝記小説、英語の学習本や歴史漫画など絶妙に的はずれなものばかり。
プレゼントが届くたびに喜んでは落胆する、その繰り返しだった。けれど毎年届くプレゼントを通して、父親が恵美のことを大切に思っていると再認識できるようで幸せな気持ちになった。
せめてメッセージカードでも入れておいてくれればもっと安心するのだが、これ以上要求するのは贅沢というものだろう。
「でも、なんでS?
まさやが不思議そうに首を傾げる。
「苗字よ」
「苗字? ああ、
「私は自分の名前が嫌いなの」
吐き捨てるような恵美の口調に、まさやは一瞬息を呑む。
恵美の表情にありありとした嫌悪感が表れていたため、これ以上深入りすべきではないと判断し、場の雰囲気を和ませようと別の話題に切り替える。
「そういえば、
「え? ええ」
「お金持ちなのに、わざわざそんなことしなくたって。何か欲しかったんですか?」
「別にそういう訳じゃないわ。お金持ちっていっても、
どこか冷めたような恵美の口調に気付いていないのか、まさやはしきりに感心する。
「偉いなぁ。僕なら思いっきり脛を齧っちゃうけどなぁ。やっぱ育ちが違うのかなぁ。考え方が大人っていうか。でも
「まさか。私にそんな資格ないわ」
呆れたように否定する恵美に向って、まさやは不思議そうに首を傾げる。
「資格がない? そんなことないです。親なら自分の子に会社を継がせたいと思うものです。
悪気があるわけではないけれど、まさやの何気ない言葉が恵美の心をえぐっていく。
「父親の仕事に興味なんてないわ」
「どうしてです。楽しいと思いますよ、会社経営なんて」
「そういう意味じゃなくって、私はつい最近まで父の仕事は貿易関係だと思ってたくらいなんだから、そんなことも知らなかった人間に父親の事業が継げるわけないじゃない」
「貿易関係? なんでまた」
「母がそう言ったから」
「はぁ」
どう解釈したらいいのか分からなかったようで、まさやは曖昧に言葉を返しただけだった。恵美もこの先どうやって話を広げていけばいいのか分からなくなり、無言で窓の方へ目を向けた。
この時になってようやく窓付近の絨毯に薄汚い土汚れが付着していることに気がついた。この清潔な部屋にあってはならない
まさやが土足で部屋に上がり込んだ時に付いたものだろう。
部屋に入った後、脱いだ靴をダッフルコートに包んでいたが、それでは遅かったのだ。ここに入って来た時点で外からの雑菌を持ち込んでしまっていたのだから。
あの絨毯も綺麗にしなければならない、恵美は小さく舌打ちをした。
あの汚れは恵美の心と同じ。観葉植物から零れ落ちた単純な汚れとは違い、絨毯の奥深くまで入り込み、繊維まで
あの穢れを元のように綺麗な状態に戻すことはできないだろう。
そう考えると恵美の気持ちはどんより沈んでいった。
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