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私は受付に導かれるままにエレベーターに乗った。


真紅の絨毯はエレベーターの中も、そして降りた後も変わることなく敷き詰められ、時間を吸収して色を深く育てていた。


御伽噺の中に突然放り込まれたように私の心は揺れまどい、足だけはなぜか冷静に動いた。


 なぜ、経費の出る出張でさえ、簡単なビジネスホテルで過ごす私が、違和感しかないこの旅館を予約したのかわからなかった。


少なくとも私が覚えているのは、休暇を言い渡されて帰宅後、風呂に入ることすら忘れて、この旅館を予約したことだけだった。


頭はキーボードを操作し、パソコンの画面が移り変わっていく映像だけを記憶していて、無音映画のように動機や感情は一切分からなかった。


一番大事だったはずのその事は私にとって一番触れてはいけない場所なのかもしれない。私はそう納得することにした。


 部屋に入り、キャリーバッグをベッドの隣に置き、ソファの上にリュックサックを置いた。


何はともあれまずは汗を流さなくてはいけない。そう思い、シャワーを浴びるために風呂に向かった。


しかし、私は部屋に設置された露天風呂に浸かっていた。


掛け流しの檜木風呂が目に入り、あまりにも魅力的すぎたのだ。シャワーでいつもすませてしまう私には少し熱く、長く浸かっていることは難しかったが、どうしてだかすぐには上がりたくなかった。


空を見上げると、太陽が湯気の靄の奥で動じることなく照り続けている。初めて見る景色は私が今生きているという実感を取り戻させてくれた。


昼夜があるのかさえわからなかった病院での毎日は、もう遠く昔の思い出話のように私の記憶深くに沈んでいった。

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