寂しいので幽霊を捕獲してみた

@aikawa_kennosuke

寂しいので幽霊を捕獲してみた

彼女は俺をじっと見つめている。


何を言うでもなく、無表情に、ただ見つめている。




暗がりにボウっと浮き上がったその半透明な姿は、今にも消え失せてしまいそうだ。




彼女が入れられている巨大なガラスの箱に近づくと、彼女は俺を見上げた。




生きている人間とは明らかに違う、それでいて同じようにも感じる彼女の微細な意識は、たしかに俺を捉えていた。








※※※※※※※※※※






俺は幼少の頃から幽霊が見えた。




部屋の隅にうずくまった老人。


ビルの隙間に佇んだ女。


公園を駆けている子ども。


夜道を歩く男。


駅のホームで消えていく学生。




挙げればキリがない。






幼い頃は怖かった。


彼らの恨めしそうな顔を見ると、自分にも危害が及ぶような気がして、できるだけ遠ざかるようにして歩いた。




両親には霊感がなかったため、子どもが気を引くために言っている戯言だと思われていたと思う。




家族以外でも、自分に共感してくれるような人が周りにいなかった。


だから、彼らを見ても無視するようになり、次第に気にならなくなっていった。






大学を卒業して社会人になるまで、彼らに対する無関心は続いた。




しかし、実際に働き始めて、学生時代の友人とも疎遠になり、1人仕事に追われる日々を過ごしていた時のことだった。


会社からの帰路、自宅アパートの階段の前に立っている女の姿が目に止まった。




女は死んでいた。その薄い儚そうな姿から、この世の者ではないと分かった。




私は気づくとその女に話しかけていた。


内容はよく覚えていない。


名前は?


どうしてここにいるの?


みたいなことを訊いたんだと思う。




けど反応は無かった。




もしかすると憑かれるかな、とも思っていたけど女は結局に俺についてくることもなかった。




その代わり、俺の中でこれまでになかったような関心が芽生えていた。






今までどうして思い至らなかったのだろうか。


彼らとどうにかしてコミュニケーションがとれないものか。


彼らだって、何かしらの目的や意志があるのだろう。




敵意のないことを示した上で、こちらの意思を伝えれば、俺に対して何かリアクションをしてくれるのではないか。


そう思った。






翌日の仕事帰り、俺は早速彼女に話しかけてみた。


俺にはあなたが見えている。しかし、こちらから危害を加えるつもりはない。


俺は最近孤独で、精神的に参ってきている。


もしよければ、話し相手になってくれないか。


そんなことを身振り手振りで話した。


もちろん、通行人がいないタイミングで。




少し粘ってみたが、反応はゼロだ。


俺は、その日は仕方なく引き下がった。






その翌日諦めきれなかった俺は、彼女に塩をまいてみた。


よくある清めの方法だが、それでも彼女は無反応だ。




そして俺はこの時点から、考えつく限りの有効と思われる手段全てを試していく覚悟を決めた。






まずは近くのいくつかのお寺に行き、霊対策や清めになるものを買っていった。




そして、階段の女の周りに、寺で買ったお札やお香などを置いて反応を見ていった。






だが、なんの反応もなかった。


結局、偉そうに厳かにしている住職のほとんどはまがい物で、寺という神聖な空間を使って人を騙しているろくでもない人間だと言うことだけ分かった。






もう諦めよう、そう思いかけた矢先、女の反応が見られた。




その日使ったのは、古びた縄だった。




その縄は、蓮の茎で編まれているという、見るからに弱々しいものだった。


寂れた小さい寺でもらったものでもあったので、正直あまり期待はしていなかった。




しかし、女の足元に縄を置いた瞬間、女が少しだけ移動したのだ。


まるで縄から後ずさるように。


表情は相変わらず無だったが、その反応を見るに、縄を避けているように見えた。




さらに縄を近づけてみると、女はその場から消えてしまった。






しまった、女に動揺を与えてしまった。


という思いもあったが、逆に、反応を得られたことへの歓喜の思いも湧き上がっていた。






その翌日、俺は勝負に出た。




女は毎晩21時頃に現れる。


その日も女が現れた瞬間に俺は近づいた。




だが、女との間隔を5メートルほど空けていた。




そして、その間隔を保ちながら、女の周りに例の縄を置いていった。


女の周りを縄で円状に囲うと、縄のさきとさきを結んだ。




その円状の縄を少し移動させてみた。


すると、中にいる女も少しだけ移動する。


また縄を動かす。


女も移動する。


それを何回か繰り返してみた。




女は消えなかった。






俺は、いける!と思った。




どうやら、この縄は女が避けたいものらしい。


で、昨日はその縄から逃れるためにきえてしまったが、今日は縄が結界のように機能しており、女も逃げることができないのだろう。




俺は少しずつ縄を動かしていった。


自分の部屋の方に。




円を保ちながら階段をうまく上がって、廊下を進んで、部屋のドアに手をかける。




部屋の中に入っても、女は消えなかった。




ソファやテレビのある居間の方まで縄を持ってくると、縄の大きさを直径1メートルほどに絞って、済の方へ置いた。




女は部屋の隅に立っていた。いつものように無表情に、こちらを見つめていた。




だが、いつ消えてしまうか分からない。






女の方へ気を向けながら夕食を食べた。


消える気配はない。




風呂へ入った。


女はまだいる。




一晩明けた。


女はまだいる。




仕事から帰ってきた。


女はまだ部屋にいる。






俺は思った。




女はこの縄の結界から出ることができないのだ!


消えることもできないのだ!


俺はついに幽霊を捕獲した!






俺の部屋の隅には、幽霊がいる。




白いワンピースを着た、髪の長い女の幽霊は、ただボウっと浮かんでいるだけだ。




そのうち、俺は彼女を入れるためのガラスの箱を特注した。




ガラスの中で浮かんでいる彼女は、神秘的にさえ見えた。


恐怖はもう無かった。


彼女には生きている人間にはない、儚げな美しさがあった。




俺がガラスの箱に寄ると、背の低い彼女は俺を見上げる格好になる。


彼女はたしかに俺を見ていた。


話しかけても反応は無いが、孤独感は和らいでいた。






ただ最近、部屋の中に蟻が湧くようになった。


なぜかは分からない。


気がつくと床に蟻が這っている。


鼻をかもうとした時も、つまんだティッシュに蟻がいて、あの独特の甘い臭いがした。




だが、正直気にならなかった。


俺は一人じゃなかったから。


彼女さえいれば、精神的に安定して、生活にもハリが出る。






ある日の夜、俺は部屋の明かりを消して、彼女に近づいた。


暗がりに浮かびあがった彼女は美しかった。


思わずガラスに手を触れた。




すると、なんと彼女もガラスに手を伸ばした。




ガラスを隔てて、二人の手が重なる。




心臓が高鳴った。




彼女がついに反応してくれた。


身振り手振りで必死に話しかけても無反応だった彼女が、俺に手を伸ばしてくれている。




いつも無表情の彼女が、こころなしか微笑んでいるように見えた。






その時、足の甲に痒みを感じたため、俺はふと足元を見た。




蟻が這っているのだろう。


俺はもう片方の足裏で、蟻を潰した。




窓から差し込む街灯の明かりが、彼女の足元も照らしている。




彼女の周りにも蟻が這い回っているのが見える。




彼女を囲んでいる縄にも、大量の蟻が集っているのが分かった。






だが、その時気づいてしまった。




縄の一部が、蟻に食い破られている。


大量の黒い粒が、そのちぎれ目でもぞもぞと動いている。




俺は思わず彼女を見た。




彼女と目が合った。


やはり笑っているように見えた。






彼女はすうっと俺に近づいてきて、彼女の手と俺の手が重なった。




彼女はまるで溶けるように、俺の目の前から姿を消した。


そして彼女が、手から俺の体の中に入ってきたのが分かった。




耳のすぐ側、いや、耳の中から、人の吐息が聞こえた。


ゼーゼー、という苦しんでいるような吐息だ。




そして、言いようのない孤独感と寂寥感が胸を満たした。


憎悪や苦しみや悲しみ、そんな負の感情が駆け抜けていった。






その時、俺は初めて分かった。




ああ、孤独に苦しんでいたのは俺だけではない。


彼女もまた、苦しんでいたのだ。




他者とのコミュニケーションに飢え、満たされたいと強く思っている。




彼女は、俺以上の孤独を抱えているのだ。




いくら俺が近づこうとしても、すでに死んでいる彼女の孤独は満たせない。




彼女をどうにかして、満たしてあげたい。










俺は気がつくと、窓を開けて、窓枠に足をかけていた。




彼女の吐息が脳に響いている。


苦しそうで、切なそうな彼女の吐息は、俺の胸を締め付けた。






簡単な話だったのだ。




彼女は死に、俺は生きている。


決して交わることはなく、互いの孤独を癒やすことはできない。




それなら、彼女と同じ世界に行けばいい。




たったそれだけで、彼女に会えるのだ。


彼女を満たしてあげられるのだ。






俺は自分の体が宙に浮くのを感じた。


重力が、固い地面へと体を強く引き付けるのとは裏腹に、空を飛べそうな充実感を覚えていた。




やっと彼女に会えると思うと、言い知れぬ幸福感が胸を満たした。




地面が目の前まで迫ってくると、彼女の苦しそうだった吐息が、安らいでいるのを感じた。

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