電脳世界《ムコウガワ》の歌姫

千園参

#1 Old talent

 音楽は自由。

 何にも縛られない感性。

 海のように広大で先のない未完成の表現技法。

 永遠に覚めない夢。

 人を幸せにする魔法。

 昔、それはいつの昔だったか、大昔だったかもしれないし、案外最近のことだったかもしれない。

 そんな昔、誰かが言ったんだ。



 《囚われている心は、囚われた音を出す》



 僕の名前は……。

 いや、名乗るほどの名前ですらないのかもしれない。

 スマートフォンのアラーム音『悲愴』で目を覚ます。

 どこにでもある普通の一軒家。少し違うところがあるとすれば、1階にグランドピアノがあるということぐらいだろうか。

 自室のある2階から降りると、リビングにはジューという、油で何かを焼いているようなそんな音が聴こえる。香ばしい音が聴こえる。

 僕はこの音が好きだ。日常感に溢れたこの音が何よりも好きだ。

「あら、起きてたの? おはよう。せっかく優しく起こしてあげようと思ったのに、残念。」

「おはよう、それが嫌だから、自分で起きてるんだよ」

 この人は僕の血縁関係にある人ではない。

 わかりやすく言えば、赤の他人である。

 では、それでは、この人は誰なのか。一体全体何体なのか。

 この叔母さんの名前は千導明日奈せんどうあすな。35歳で職業は音楽教師。母さんの古い友人らしいのだが、僕はこの人と母さんの関係性をよく知らない。

 どうして僕がこの人と一つ屋根の下で暮らしているのかというと、父さんは僕たちを置いてある日突然姿を消した。今もどこにいるのかわからない。

 そして母さんは父さんが失踪してから苦労がより一層増え、僕が小学生の低学年、まだ色々とあやふやだった頃に、病でこの世を去ってしまった。


 父は失踪し、母は病気で他界したことで僕は身寄りを失った。父方の両親とは父の失踪を機に、繋がりが途絶え、母方の両親はここからは新幹線と電車で3時間以上離れた場所の田舎に住んでいる。

 普通ならばそこに預けられるのだろうが、何故か僕はこの人の元に預けられることになった。

 そして今に至る。

「朝御飯できたよ」

「うん」

 テーブルには目玉焼き、こんがりと焼かれたベーコン、サラダ、豆腐、納豆が並べられていた。

「「いただきます」」



「最近どう?」

 叔母さんが僕に尋ねる。

「どうもしないよ」

「どうもしないの?」

「うん、どうもしない」

「そっかー、好きな子とかもいないの?」

 叔母さんは尚も食らいついてくる。

「いないっての」

「残念、、でもないか?」

「?」

「ううん、こっちの話」

「変なの」

 朝食を終え、終えた後は、支度を済ませ、学校に向かう。

「鍵持った?」

「うん、大丈夫」

「私、今日も遅くなると思うから、大人しくしててね」

「子供じゃあるまいし、大丈夫だよ」

 こうして家を出た。




 学校では誰とも話すことなんてなく、ただ、ただただ授業を受けて、終えて、帰るだけ。それだけ。これだけ。あれだけ。どれだけ。

 学校を終えた帰り道、僕はとあるお店に寄り道をすることにした。足を運ぶことにした。

 そのお店は楽器からCDなどなど、音楽全般の商品が販売されている。

 僕がたまたま手にある商品を持ったところ、渋い顔でいて、渋さの中に格好良さと若々しさを併せ持った、中年の店長に声かけられた。

「おっ。お兄ちゃん、ボーカロイドに興味があるのかい?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「でも、今待ってるの、ボーカロイドじゃない?」

「たまたまだよ」

 そう言って僕はボーカロイドソフトを棚に戻そうとしたその手を、店長は握って止めた。

「まぁ待てよ」

「何?」

 店長はボーカロイドソフトのパッケージに目を落とすと、次のように続けた。

「お前さんがそれを手にしたのは、偶然か、将又、必然か。それは俺にはわからねぇ。けどな、音楽ってのはそんな《然(ぜん)》を引き寄せる力があるんだ。そいつはお前さんにくれてやるよ」

「はあ? こんな高いソフト買うお金なんてないぞ」

「くれてやるって言ってんだ、金は取らねぇよ」

「なんでだよ?」

「うーん、なんつーか、俺にもよくわからん! ただ、なんか、こう、感じるんだ。お前からは特別な何かを。感じさせてくれるんだ。どうだ? やってみないか?」

 店長は詰まる言葉を必死に紡いだ。

「……わかった。やるかはわからないけど、貰えるものは貰っておくよ」

「おう、そしていつか俺に見せてくれ、お前の音楽を」

 そしてまるで子供のように目を輝かせた。



「そうだ、紹介が遅れたな。俺はこの店の店長をやってる西音寺さいおんじってんだ。お前の名前は?」

「僕は桜庭世海さくらばせかい

「そうか、いい名前だな。また来いよ」

「考えとく」

 こうして、そうして、ああして、どうして、お店を出た僕は帰宅するなり、デスクトップ型パーソナルコンピュータを起動した。

 縮めてパソコンが起動するまでの間、貰ったソフトのパッケージを眺めていた。

「人工知能搭載のボーカロイド、ルルシア。あなただけの音楽の特徴を学び、理解し、その手助けをしてくれる。思う存分あなたの音楽を楽しみましょう。これがあればあなたも一流音楽家……。本当かよ」

 ディスクをパソコンに入れると、ソフトのダウンロードが始まった。

「音楽なんて二度とやらないと思ってたのに……」

 僕のそんな思いとは裏腹にパーセンテージは進んでいく。

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