第9話 この世界は?

 差し出されたティーカップには透明感のある緑の液体。甘くて柔らかい香りに緊張が解れていく。この世界で初めての飲み物、感慨深い。


「ありがとう」

「部屋で作ってるローズティーですわ。お口に合うと良いのですが」


 こうして誰かとお茶を飲むのも久しい……いや、社会のつまはじきにされてからは無かったか。自分のことだけで精一杯、こうしらお茶を飲むことすら煩わしいと思えるほど余裕が無かった。金か心か……どっちもだったか。

 そんな陰鬱な気持ちも一緒に口に流し込むと、一瞬で消えてしまう。驚くほど味わい深くて広がるすっきりとした甘さ。靄がかかった頭の中が晴れていく爽やかさにカラカラに乾いた体に染み渡る。安堵の溜息が思わず漏れてしまう。

 ローズティーに縁も無い人生だったけど、暗い気持ちが尻尾を撒いて逃げる程の実にいい味なのは舌から理解した。前の世界でも同じ名の物は味わえるだろうけど、世界を越えてから味わうなんて考えさせられるな……。俺にとってのローズティーの味はこれになるわけだ。


「じゃあ、早速だけどあなたのこれからについてと、聞きたいことも色々あるだろうから答えてあげる」

「なら早速一つ聞きたいことがある」


 この時を待っていた。何も無い訳が無い。「質問はありませんか?」という問いに対して「特に無いです」と大量に言い続けていた俺でも「ある」と言わざるを得ない。これまでは興味が無いし背景も薄そうなどうでもいい相手だからスルーしたが。今は違う。

 内心浮足立つ。乾きも収まり口の動きも軽快になってくる。

 色々と聞きたいことはあるがまずは一番知っておきたいことは。


「……ここはどこなんだ?」

「ライトニア王国の……ってそういうことだけじゃないよね?」


 肯定として頷く。何せスタートがどこかもわからない地下。気絶して移動した先も地下競売場。マッピングできてない場所をワープ感覚で移動したおかげで不安しか湧いてこない。外に出たら感じたことのない空気に綺麗な星空。ギャップが酷過ぎて風邪をひきかねない。ゲームですらもっと丁寧に場所移動をさせてくれるぞ。


「でしたら、まずは地理としてのイメージは持っていた方がよろしいでしょう。アンナさん、紙とペンを貸してくださいな」

「その辺りにある紙束の裏を使っていいよ、ペンもそこにあるのを使っていいから」


 分かってはいたけど注意深く見ると思った以上に散乱しているな……本も床に積み重なってたり紙の束があちこちに散らばってるし。よくわからない石も転がってるし。踏み所を間違えたら怪我しそうだ。大学の研究室よりも汚いんじゃないか? 

 そして、ナーシャが持ってきたのはどう見ても万年筆なペンと整えられた形の洋紙。俺が疑問や茶々を入れる必要が無いぐらいに認知のズレが少ない。読み書きが当たり前、教育文化がしっかりと根付いているということか?


「それでは、まずこの世界は四つの大陸に分かれています。私達がいるのは『ライアス大陸』。春夏秋冬と季節があるのが特徴ですね。他の三大陸は今はいいでしょう」

「ライアス大陸か……やっぱり聞いたことの無い場所だな」


 洋紙に大きく簡易的な長方形型の線が描かれる。南アメリカ大陸かアフリカ大陸に近しいのかもしれないが、世界が変われば大陸の形も変わってくるということか……。中々のロマンだな。


「その中央よりの場所にある『ライトニア王国』ここが今わたくし達がいる国ですわね。錬金術によって大きく発展したと歴史に記されていますわ」


 中央の少し西側に〇を描く。中々面白そうな位置にいる訳だ。どこにでも行けるしどこにも行けないような行先が多すぎるオープンワールドのスタート感を思い出させる。


「そのさらに中央にある巨大な城壁に囲まれた『王都クラウディア』。大事な施設や王城がありますわ」


 〇の中に小さい〇を描く。外に出た時に気付けたけどここは城郭都市。あの大きな壁は何のために造られたのか気になるところ。戦争とかが無ければいいんだが。それは望み過ぎなのかもしれない。


「そして、中心地にある『マテリア寮』が今私達がいる場所であり、あなたが過ごす場所になりますわ」

「なるほどな……」


 ペンが突き立てられ、俺達の場所が示される。ここがスタート地点ということ。俺が最初にいた場所がどこだったのかは後々判明できそうだから今は焦って追及する必要は無いな。

 しかし、四つの大陸か……ワクワクしてくるし調べてみたくもある。

 けれど、どこに何があるのかご丁寧に観光名所はどこなのか外観の写真が大量にある。なんて丸裸にされて判明されていたら行く気は失せる。

 こういうのは未知だからこそ価値がある。未踏だからこそ夢がある。


「そういえば『カミノテツオ』さんというお名前ですが、折角なのでそちらの世界の文字で名前を書いていただけませんか?」

「あっ、確かにこっちでも似たような文字があるかもしれないし。逆に俺の名前の書き方もお願いするよ」

「そっちの世界の文字ね。確かに気になるわ」


 異世界人は過去に現れている。あの会場でそんな話は聞こえていた。俺だけでないにするなら文字を残した人もいる可能性がある。

 そんな気持ちを胸に書こうとすれば、手にしている万年筆のなんと見事な物か。触っているだけで優れた品だとわかる。手触りや輝き、安物では到底出せない意匠。筆を進ませれば滑らからに描かれ、綺麗な線を写し。いくらでも文字を掛けそうな感情と共に自分の名前を『神野鉄雄』を一言一句丁寧に描いた。

 アンナは俺の書く文字の手順を習字の先生かと思うぐらいにじっくりと見ていた。


「改めて『神野鉄雄かみのてつお』だ。よろしく頼む」


 名前を書いた紙を胸の前に出して改めて自己紹介。

 細いペンで大きめに書いたから不格好だけど、まあ仕方ない。


「ええ~と……書いた順番からして、左からカ、ミ、ノ、テ、ツ、オ? 文字の方が多いのね」


 どういう見方をしたら……部首一つが一文字と認識しているのか? でもそれじゃあ多いな。


「これは……『漢字』ですわね。『フォレストリア』でも使われている共通言語とは違う国字。のはずですわ。……文字数と言葉の響きからして、この二文字で『カミノ』、こちらの二文字で『テツオ』でいいんじゃないでしょうか?」

「あ、ああ……その通りだ。この二つで『カミノ』家名だな。でこっちで『テツオ』名前だ。少しは予想していたとはいえ、本当に文字が通じるとは思わなかったな……」


 正直欠片も理解されるとは思っても無かった、なのにこの世界にも漢字はあるという事実に驚きを隠せない。それに『フォレストリア』は別の国の名前か? 漢字がある国ってことは中国か日本の異世界人が過去に訪れていたってことなのか?

 実に興味深い……一度は行ってみる必要がありそうだ。


「へぇ~、じゃあテツって呼んで正解だったんだ。わたし達みたいに家名が後ろじゃないのね。それにしてもナーシャが『カンジ』? なんて文字を知ってるなんてすごいわね」

「え、ええ。こちらに来る前は色々な土地を巡っていましたので知る機会がありましたわ」 


 それに共通言語か。俺がこの世界に来る前に神様に授けられた恩寵というのはそれをこうして聞き取り、発声できるものだったわけか。

 しかし、俺が名前を書こうとした瞬間も共通言語で「カミノテツオ」は思い浮かばなかった。会話だけに適応されるというのが証明されてしまった訳だ。

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