第7話 異界の凡人と半鬼の錬金術士

 終わった。終わってくれた。

 俺の存在と価値を冷徹に値踏みして千切っては捨てるような地獄が。

 途中からの記憶がはっきりしていない、牢屋とは違う簡素な部屋までどうやって来たのかさえ覚えていない。


「…………」


 あまりの情けなさで死にたくなってきた。

 世界を越えれば何かが変わるかもしれないと思った、人は環境で変われる。理想とする世界なら夢を胸に抱いて歩けると思った。けど、大きく挫かれた。無能な俺は世界を越えたって役立たずで無能であることは変わらない現実。

 あそこまではっきりと数字で能力と価値を示された。

 プライドなんて立派な物は持っていない。いや、持つに値しないほど誇れるものが無い。

 自分でも分かっているつもりだった。でも、多くの人間に不要だとはっきり突き付けられたのは想定以上に心に響いた、まだ体を殴られた方が楽だった。

 競売が進む度に頭痛がするほど思考が停止して真っ白に染まって、心臓がバカみたいに鳴り響く。こんな無様な思いを二度と味わいたく無くて逃げ出したのに最悪の形で再び味わうことになるなんて。


「101キラ……」


 それが命拾いした俺の価値。競売で出されたどんな物より誰よりも安い価値。

 生物の抜け落ちた物以下、老廃物以下の存在。

 あんこうの逆で捨てるところしかないんじゃないか俺は?

 それなのに、あの女の子は何で俺を買った? 同情? おもちゃ感覚? 聖人か偽善者のどっちかか? 何の役に立たない俺を救いたかったのか?

 明るい想像ができない。扉の先から聞こえる靴音が嫌に耳に響く。誰のなんて聞き分けられなくても俺を買った女の子が来たのが直観的にわかってしまう。

 恐怖、諦め、あの日家から放り出された時よりも心の鼓動がバカみたいになっている。違う、このままバカになって死んだ方がましだ。


「こちらになります」


 僅かに響く金属の擦れる甲高い音。どんな音も声も俺に嫌悪感を与えてくる。

 変えようのない運命、線路が途切れたトロッコに乗ってしまっていた。時間が経てば嫌でもやってくる希望が見えない多くの最悪の形。

 憎たらしい競売人の顔も見れない、手錠が外され腕が軽くなったはずなのに、全身が知らない何かで押さえつけられている。自由になれても立ち上がれない。逃げる気も湧かない。


「まずははじめまして。わたしはアンナ・クリスティナ。あなたは?」


 聴き慣れない横文字ネームの丁寧な自己紹介。凛々しさの感じる声に自然と顔が上がってしまう。俺の心はまだ何かの希望にすがっている。

 改めて俺を買った少女を見ると目を奪われた。


「……神野、鉄雄」


 これまで生きてきた中で出会った人物図鑑にまったく被る要素の無い少女と出会った。

 アンナと言った目の前の少女は輝く銀色の髪が右のサイドテールできらめき。初めて見る銀色が混じった瞳。健康的な褐色肌。

 そして何より化粧の欠片も無いのに愛らしく凛とした顔。中学生ぐらいの年代だろうけど、ここまで可愛い子は見たこと無かった。


「カミノテツオ? 聞かない響きの名前。カミ……いや、とりあえずテツって呼ぶね」


 それだけじゃない。競売場でも見えた彼女を最初に目にすればそれが目印になるほど立派な個性が主張している、人間とは絶対に違う部分が左側頭部からいた。

 そう、立派な角。Uの字を縦半分に分割した形の角。先細っているが先端は丸みを帯びて突き刺すことはできなさそうだ。


「それではこちら契約書となりますので、サインをお願いします」

「はいはい……っと」


 書類に書き込み終わると、あの競売人は安堵の表情を浮かべそそくさ部屋を後にする。

 これで正式に俺は彼女のアンナのになったということ。俺の未来は彼女に委ねられたということ。

 これが最後の好奇心になるかもしれない。だから純粋に聞きたかった、


「……君はただの人間じゃないのか?」


 できるだけ言葉を選んだ。

 知りたかった。それが何なのか。何の角なのか、俺を買った理由に繋がっているんじゃないかと。俺の視線は彼女の角に夢中になっていた。


「ああ、この角? わたしはオーガと人間のハーフだから1本だけ生えてるの」

「オーガと人間……ハーフ? 本当に別の世界の人なんだな、俺の世界には君の見た目な人は想像上でしかいなかったよ」

「ほめられてるってことでいいの?」


 思わず唾を呑むほどロマンが溢れていた。疑う余地も無く受け入れる。俺の世界とは完全に違う人が目の前に立っている。

 俺を買った人はオーガと人間のハーフの可愛らしい女の子。

 だが何故なのだろう? 道端の石にもなれない俺なんかを選ぶ理由がわからない。


「なあ……何で俺を買ったんだ? あの場にいたのなら、俺はこの世界で役に立ちそうに無いのは君も分かっているんじゃないのか? もっと良い人もいたはずだろ?」


 自分で口にしながら鼻の奥がツンとする衝動で涙が出そうになる。

 あの競売は呪いのように胸に抜けないトゲを深々と突き刺してきた。

 ひょっとしたら抜いてくれるかも? なんて淡い希望にすがってしまう。この子にとっては俺が必要だったのかもしれないという砂粒程の可能性、俺が気付かなかった特別な何かにこの子は気付いていくれたのかもしれない。そんな甘い想像は――

 

「……わたしの使い魔となる人間が欲しかったんだけど、お財布的に買えるのがあなたしかいなかったから」

「そう、か……」


 簡単に吹き飛んでいった自然と視線は下がっていく。

 ただの間に合わせ、欲しくて手に入れた訳じゃない。安かったから。本当は別のが欲しかった。

 それと『使い魔』という言葉。俺の頭の想像と同じ物だとするなら。俺は彼女のしもべとなるということか? レールに従う人生から脱線できたと思ったのにまた同じようなレールに乗るのか?

 俺には自分の道を選べる星に生まれてなかったんだろうな。

 ああ……もう、何でもいい。このまま殺してくれても構わ――


「まっ! 世界で1番有名になる錬金術士、アンナ・クリスティナの使い魔になれるのだから光栄に思うといいの! 卒業までの間せーぜーこき使ってあげるから感謝することよ!」


 俺の心情を無視した堂々とした生意気な言葉。無神経さに湧いてしまう怒気。この感情は顔を上げるのに十分すぎる熱となった。八つ当たりでもカッコ悪くても情けなくても、何かを口にだしたくて仕方無い!


「――っ……!」


 ただ、出せなかった。出したくなった。彼女の顔は辛そうに見えて、その感情は行き場を失った。

 慣れない言葉を無理矢理使ったような噛み合わなさ。それでも覚悟を決めた。そんな心の強さが見えてしまう。ここで何か愚痴や文句を垂れてしまったら。本当に俺には何も残らない。

 こんな無能な俺を選ばざるを得ないような背景が見えてしまった。

 それなのに大人の俺は受け入れきれずに不貞腐れている。何とも情けない。 

 腐っても何かが変わる訳じゃない。俺はもう0以下、間違いなく最底辺にいる。何の力も無くて、コネも無くて、友達もいなくて、家族もいなくて、お金もない。

 この手札は変わらないし変えられない。けど、誰かの足を引っ張る人間にはなりたくない。そんなちっぽけなプライドだけは残ってる。

 彼女の使い魔になるということは0から1に変われる可能性。この世界に来て最初のチャンスかもしれない。

 考え方を変えるしかない。自由な冒険という夢は確かに消えてしまった。けれど、無力な俺にその夢を叶えることはそもそも無理だったともとれる。

 替わりに今の俺の状況は見ず知らずの土地で無力で無価値の存在だけど可愛い女の子のしもべに成る。


 それはきっと……………………? きっと…………? …………退屈とは到底言い難いのでは? 


 むさくるしいおっさんにご機嫌取りや媚を売るよりかは可愛い女の子にした方が何億倍もマシでは? 同じように後ろから命令されたとしても華やかさがまるで違うのでは? 一攫千金に値する好機では? 


「……わかった。買われた以上君に従うよ」


 いつまでも落ち込んでもしょうがない。無能で無価値なことを証明されたのに、このは俺を選んでくれた。

 俺が選べる道は無く大人しく受け入れるしかない。

 心臓の高鳴りが不安から好奇心に変わってきた。


「……本当にいいの?」


 迷わなくていい、自己嫌悪の必要なんて無い。


「構わないさ、どうせ俺にこの世界でやることは決まってない。むしろ役割を与えてくれたことに感謝してるよ」


 嘘じゃない。

 地に足がついてないフワフワした状態から真っ暗な最底辺まで叩き落とされて、右も左も分からない状態。そこに照らされた一筋の光。

 冷静になればなるほど、結果として見ればこの競売に出品されたことは幸運だった。


「言うね。なら遠慮はいらないよね──」


 彼女は懐から布袋を取り出すと、それを開き黒い砂のような粒を流れ落とす、床に着くと同時に意志を持ったかのように動き始め円を作り、模様を描き、魔法陣を作り上げた。


「その中に立って。そのままじっとしてて。え~と、確か……汝、契約の名の下にその身を、その心を、我が身の盾とし剣となれ。使い魔ファミリア契約実行コントラクト!」


 指示通りに動くと子供心が刺激される詠唱と共に足元の黒い砂が白い光を放って輝き始め。 

 

「熱っ!? 何だ!?」


 首に骨まで届くような火で炙られるような痛みが走る。のどぼとけからゆっくりとジリジリと蠢くように。骨の後ろに到達すると何事もなかったかのように痛みはあっという間に消えてしまった。


「ふう……上手くいった……それは『主従しゅじゅう刻印こくいん』って言ってね刻印があるかぎりあなたはわたしの使い魔。らしいよ」


 触っても何が何だかわからない。かさぶたとか腫れは無さそうだけど。何かしらの契約の証みたいなのが刻まれていると想像できる。


「俺は何をさせられるんだ?」

「とりあえずわたしの手伝いかな? 色々とお願いしそうだし。まあ、できることは少なそうだけど」

「任された。いや……任されました」

「丁寧に話さなくていい。わたしの実力じゃなくてお金で従えて大きい顔をするなんて性に合わないから」


 態度を切り替えようと思ったのに随分と器が大きいというか……。

 ともあれ、これで全ての契約が完了したということだろう。

 不安は多い。受け入れてくれた恩を返せるだけの実力があるのかどうか。役に立てることはどれだけあるのか。

 けれど、何だかんだで五体満足、服も靴も剥ぎ取られた訳じゃない。時計やスマホ・PCは商品として差し押さえられ。財布は入れ物だけ戻りお札も硬貨もカードも没収され財産と言える物は何も無い。

 唯一得たのはアンナという半オーガの主人。

 彼女が俺の全てといっても過言ではないだろう。

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