第12話 幕府未だ砂上の楼閣
「大勝利でございますな、兄者」
敗残兵の引き上げ作業を見守りながら、正時が得意満面に近づいてきた。
「ああ。困った」
「何を困ることがあるのですか」
「足利方が弱すぎる」
「またおかしなことをおっしゃる。本気でそのような事を思っておられるのですか」
実のところ、正行は本気で困っていた。
あまりにも鮮やかに勝ち過ぎてしまったと後悔していたのだ。
負けぬ戦。
父に倣って戦略を練っていたつもりが、いつしか勝つ事を強く意識していたものとみえる。
それにしても足利の軍勢は弱過ぎた。
藤井寺での勝利一つで「京奪還」を唱える者がいるという。
此度の勝利を奏上した時に公家衆が何を考えるかなど、想像するまでもない。
しかし、京の奪還など現実には無理である。
吉野の実力では例え父の神算鬼謀を持ってしても一戦にして遂行することなど不可能であろう。
今はひたすらに楠木党の庭である河内の山河を駆使して大軍を引きつけ、負けぬ戦をする以外にない。
北条氏を倒した時の父と同じく、負けずに生きてこの世にあり続ける事で吉野の朝廷に合力する勢力が増えるのをひたすら待ち続ける。
これしかないのだと正行は信じていた。
それなのに彼は瓜生野での合戦に興奮してしまい、天王寺まで追撃してしまった。
戦術としては間違っていない。
だが、少しでも冷静さが残っていればもう少しうまい思案がついたかもしれないと思えばこそ、後悔の念が胸の内によぎるのだ。
「正時」
正行はとなりで的確に合戦の始末を指示していた弟を呼び止める。
「お前が足利であれば、この後はどうする」
正時はしばし顎をさすり、やがてこう答えた。
「俺ならすぐにでも次の軍を出す。大将自ら出陣じゃ」
事実、幕府ではすぐに軍勢を集めだしていた。
もう冬を理由に出征を引き延べに出来るような事態ではなかったのだ。
二度の合戦にいずれも大敗を喫した事が、どれほど足利氏の支配力に影響を与えたことか。
元々反抗的な九州菊池一族はもとより、奥州など各地で組織的な
菊池一族を除けばこれらは皆、吉野朝廷に同心したものではない。
幕府の政に不満を持つ反幕府の勢力である事が一目瞭然であった。
そして、ここにも楠木の名が大きく作用している。
新田の名でも、吉野朝廷の綸旨でも起つことのなかった者共が、楠木軍の勝ちに乗じて動き出しているのだ。
今ならば足利に、幕府に一矢報いる事ができるぞと。
「次の合戦は負けられない」
尊氏は自らの出陣を考えている。
しかし直義は征夷大将軍である兄を戦場に送り出す訳にはいかないと考えていた。
「次の合戦には勝たねばなりません。ずるずると勝ち戦が引き延ばされると各地の反乱に勢いがつきます」
「なればこそ、将軍自らの出陣で指揮を鼓舞する必要があるとは思わんのか」
確かに尊氏は不思議な勝ち運を持っていて、尊氏さえ出陣すればどれほどの劣勢でも覆す、そんな風に兵たちに思わせる力を持っていた。
「それはいかがでござりましょう」
と、同席していた足利家執事
「長く
尊氏が本領である足利荘でも鎌倉でもなく京にいるのは政治的理由である。
京と、そこに
いや、本質は彼らの側にいる事で幕府の権威を担保している。
つまり、京の朝廷と将軍尊氏が離れるということは幕府の存亡に関わる重大事となりかねないのだ。
さすがに師直は冷静だ。
直義は普段事あるごとに対立する政敵となりつつあった師直に対して、素直にそう思った。
が、彼の中にはいま少し複雑な分析がある。
一つは先にも発言した「勝たなければいけない」という戦略的視点。
年内の平定はいかにも無理と見えるが、桜の季節までに鎮圧しなければ反抗勢力のみならず身内からの離反も起こりかねないという危惧がある。
いま、足利氏に従っている武将は、そのほとんどが九州落ち後に多大な恩賞で釣った輩である。
心の底から足利氏に対して忠誠しているものなど一握りなのだ。
彼らが「足利に力なし」と見限れば形勢は一気に逆転し、京を追い落とされるどころでは済まなくなるだろう。
もう一つは実に
高一族の排除、あわよくば討たれてくれまいかと思っていた。
どこまで気づいているのかは知れないが、師直は自ら出陣を願い出て兄はこれを許した。
この際の軍勢は足利の威信を懸けた大動員である。
源氏
同時に高師直、
ここを前線基地として軍勢の揃うのを待つというのだ。
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