第9話 藤井寺への奇襲

 退いたと見せかけて相手を油断させ、一気に攻め入ると言う楠木軍の奇襲戦法には前例がある。

 それも一度や二度ではない。

 顕氏率いる足利軍はその最たる見本ともいえる第一次赤坂籠城の折の鎌倉幕府軍とまったく同じ過ちを犯したわけだ。

 しかもあの時の幕軍は、城に籠るわずか五百騎の楠木勢を数万騎で囲んでいた。

 にもかかわらず、打って出て来たわずか三百騎に一時的とはいえ退却させられたほどの痛恨事である。

 もし、これを顕氏の、いや同行の武将の一人の念頭にでもあったのならば、潰走などという惨めな結果にはならなかっただろう。

 しかし、後醍醐天皇を吉野に追い落として以来、優勢に南朝と対峙してきた足利勢には太平洋戦争中期の日本軍上層部と同様のおごりとくびりと怠慢たいまんが蔓延していたのだろう。

 逆に正行はそういう敵方武将の心理状態まで把握出来ていたのではないか。

 ともかく、楠木軍は足利軍のもっとも緊張の緩む絶妙の時期を見計らって、背後の山陰から現れた。

 楠木の紋、菊水の旗を一流翻して見せたかと思うと堂々たる甲冑姿の騎馬武者が悠然と押し寄せてくる。

 どの男たちの面にも数倍の敵と相対している事を臆した様子はない。

 しかもなお、奇襲らしく一気に攻め寄せてくるというのでもない。

 そこにこそ、兵卒を恐怖させる仕掛けが組まれているのだ。

 正行が仕掛けた足利軍の兵卒への恐怖の種は七里も先の館に逃げ戻っているはずの楠木勢が、あろうことか背後から虚を突き現れたことに始まる。

 対して味方は馬まで裸である。

 しかもこれだけ完璧に奇襲しておいて急襲に及ばないというのは、それだけこの襲撃に大将以下一兵卒に至るまでが絶対の自信で挑んでいると、そう見えてしまう。

 見えてしまえばわずか数百騎が数千、数万騎に見えてしまうのが心の綾というものだ。

 侍大将がいくら


「すわ敵襲ぞ。馬に鞍をおけ、甲冑をまとえ、武器をとれ」


 と号令したところで、心はここにない。

 たまた身体は容易には動かないものだ。

 浮き足だった足利軍は、混乱の中にごった返した。

 それこそ正行の待っていた突撃の機である。


「突撃」


 号令一下、腹の底からあげる雄叫びと共に楠木軍が足利陣中に駆け込んで来れば、その時点で勝負が決したと言っても過言ではあるまい。

 ただ虚を突かれただけではない。

 わずかでも準備の時間を与えられたことによって陣中が混乱した。

 それによって迎撃の心構えが削がれてしまったのだ。

 これがまったくの奇襲であったなら、あるいは甲冑を諦めて武器を手取ったかもしれない。

 全軍で迎え撃ったなら、味方の損害も少なくなかろうとも敵方にも相当の打撃を与え得たに違いない。

 なにせ彼我の戦力差は五倍以上もあったのだから。

 しかし、実際には鎧を着ることを優先した。

 この辺りは勝ち慣れ、戦場の心構えを忘れた人間の持つ〝生〟への執着だったのかもしれない。

 だが、こういう時はえてして本人の意図とは逆の結果を生むことがしばしば起こる。

 足利軍は支度の間に合わないと踏んだものから逃げ出した。

 これらの兵にはそもそも覚悟がない。

 「誰それが逃げた」という情報は「何がしが打って出た」などというそれよりも急速に人から人へと伝わって行く。

 しかも負の印象は正の印象よりも衝撃的で、ずんと胸の奥に拡がって行く。

 ふと前線を見れば、支度もそこそこにわずかばかりの味方が応戦しているのが見えるばかり。

 勝戦に乗っておこう程度の心算で参陣していた覚悟のない者は、こういう場面でも計算が早い。

 自らの命を天秤に乗せ、応戦と退却とを乗せ比べる。

 この場合、応戦と退却を秤にかけるのではないところが肝になる。

 勝ち負けの計算であれば、出撃にこそ意味と利がある。

 冷静に見て、味方は敵の数倍の軍勢を擁しているのだから全力で戦えば負けることなどまずあり得ない。

 一方で彼我の武装を比べてみれば、味方の損害も多大なものになる事は誰が見ても明らかだ。

 そこで命が天秤にのる。


「そもそも今回の出陣は、わずか数百騎の反乱軍を三千余騎で踏み潰そうという至極簡単なものではなかったのか」


「我と我が郎党の命を懸ける価値がこの一戦にあるのかどうか」


 計算の帰結はここにかかってくるのだ。

 そして、大方の者の答えは「否」であり、退却にこそ利があるとして逃げ出した。

 無理やり駆り出されている雑兵であればなおさらであろう。

 これではいくら大将顕氏以下、名のある武将が声を枯らして奮戦を促そうとも兵を留めようがない。

 やもなく陣を捨てて逃げ帰る。


「追え。一人でも多く討ち取れ」


 正行の指示は苛烈だった。

 この辺りは父の采配と大きく違う。

 しかしそれは時代が、状況がそうさせるのであって決して彼の本質ではない。

 九州では菊池一族が健闘し互角の争いをしていたが、中央の大勢はあらかた決していたと言ってもよい。

 この失地を回復するためには決戦の前に少しでも多くの武将を討って味方の士気を鼓舞し、敵には圧倒的な打撃と敗北感、なにより楠木軍に対する恐怖心を植え付けなければならない。

 そういう腹積りがあって指揮に臨んでいるのである。

 しかし、戦略と勢いを持ってしても彼我の戦力差が、正行の切なるねがいを叶えてはくれなかった。

 藤井寺の陣を奇襲し天王寺まで攻め立てながら、ついに敵大将細川顕氏以下、宇都宮、赤松といった足利方の主だった将を討ち取ることが叶わなかったのだ。

 正行は河内国を越えてまでの追撃は無意味と悟ってそこで兵を収め、その場で直ちに戦果をまとめて吉野の正儀へと送るとすぐさま次の行動へと移る準備を始めた。






「兄者、なにを急いておるのですか」


 戦捷の祝いに酒を運ばせてきた正時が訝しそうに訊ねるのに、正行はちらりと目を向けただけだった。

 しかし、その目は確実に弟の問いに答えていた。

 次が来るのだ。

 それも近いうちと見ている。


「これだけ大敗していて、すぐに次が来ましょうか」


「来るな」


 正行は即座に答える。


「根拠がおありなのですか」


「ある」


 大将を討ち漏らしているのだ。

 大将ばかりではない。

 主だった武将のほとんどを取り逃している。

 いくら風紀が乱れ欲に取り憑かれたとはいえ、武家の気概を忘れているとは思えない。

 「名こそ惜しめ」の精神は、きっと彼らを再びこの地へ送り出す。

 幕府としても威信がかかる。

 来るとすれば今日の倍以上の軍勢で押し寄せてくるだろう。


「しかも冬にはまだ早い」


 それが正行の見込みだった。


「理に適っておりますな。兵の気を抜かないためにも他国へ打って出るという事ならば、この正時が引き受けましょう。兄者は館へ戻り養生ください」


 正行は幼くして父の跡を継いで楠木党を差配してきた。

 河内を中心とした散所を支配し、吉野の朝廷から拝命したじゅじょう河内かわちのかみとして領地経営もしなければいけなかったし、有力武将として、また父の遺言でもあればこれを支えなければという想いもあった。

 多感な少年に託すには、あまりに酷で重い責務である。

 だが、彼は見事に己を律し、これをまっとうしてきた。

 そのために無理も重ねてきたに違いない。

 太平記の記述などを眺めると、決して線の太い人物には思われない。

 この辺には多分に創作的脚色が混ざっているだろうが、彼の行動には常にある種の無理を押し通すような性急さが見られる。

 何かに急かされ、生き急いだように感じられてならないのだがどうだろうか。

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