第5話 後醍醐帝崩御
奥州を立った時同様、雷光の如き勇猛さを取り戻した顕家軍はしかし、師直を大将とする大軍団の前に次第に数を減らし、やがて壊滅した。
吉野へ落ちようとした顕家も敵の囲みを突破できず、
義貞が討死したことにより元弘元年笠置にて帝を面前に「己が生きている限り聖運は開かれる」と語った父をはじめとした倒幕の功臣は、敵となった尊氏を除いて一人もいなくなった。
正行を当主として仰ぐ楠木党は沈黙を守っている。
北の地は義貞の弟
九州では事の初めから一貫して後醍醐天皇の味方をしてきた菊池一族が父の死、兄の屍を乗り越えて足利方と戦っていたし、名和党も次々と戦場に散っている。
しかし、楠木は動かない。
動けなかった訳ではない。
湊川で失った兵力は回復している。
元々わずかな兵しか連れて行かなかった。
大半の兵、重臣は残っていたし顕家の遺した奥州敗残の兵も吸収させてもらった。
当主正行が幼かったと言うのは新田の遺児の挙兵を見れば理由にならない。
ではなぜ、楠木党は沈黙を守っていたのか。
正行は父の遺言である「帝をお護り致せ」を守っていたのだ。
その後醍醐天皇が崩御なされたとの報せが使者によってもたらされた。
新帝には義良親王が昇られたとの事だった。
正行は弟たちも同席させ口上を聞いた後、こう訊ねた。
「吉野のご様子はいかがでしょうか」
南朝の衰勢は誰が見ても明らかであった。
楠木情報網からは、後醍醐天皇の在世中にも北朝へ走るものが誰それと調べがついている。
聞くまでもなく廷臣たちの動揺は手に取るようだった。
使者は素直に浮き足立った廷臣たちの様子を語り、
「そうですか、判りました。吉野の
それを聞いて、使者は安堵の吐息を残して帰って行った。
「兄上、やはり行かねばならぬのですか」
訊ねてきたのは
「それが父の遺言だ」
「そは後醍醐の君の事です。今上帝の事ではない」
「そうも行かぬ。帝はこの楠木をお頼りになられておるのだ。行かねば義に背く事になる」
「楠木は悪党ではありませんか」
悪党とは、荘園領主や鎌倉幕府の支配に反対していた者を言う。
父は正に河内の悪党であった。
伯耆の名和氏なども悪党であったようである。
しかしと正行は思い、寂しげな笑みを浮かべた。
正行が戦乱の歳月を沈黙していた最大の理由がそこにあった。
父の跡を継ぎ、悪党として生きては行けないのか。
散所を支配し商いだけを生業にしては行けないのだろうか。
だが、鎌倉の幕府が倒れた今の世の中に悪党が生きる余地はなく、父の功あまりにも大きく、散所の長者で生涯を終える事も叶わない。
名和氏は栄華のうちに身も心も武士となった。
楠木は正行の代になってなお、半ば正中以前の暮らしを続けてきた。
が、後醍醐天皇の崩御によって決断を迫られている。
いや、選択の余地を失ったのだと正行は知った。
しかし、この幼い弟にはまだ判らない。
「
成り行きを見守っていた正時はニヤリと笑ってこう言った。
「ついて行きます。一人では心細いでしょうから」
正直なところ、正時は散所で商いをするより書に学ぶより、調練をしたり狩りをする方を好んでいた。
兄に従った方が満足できる気がしたのか、それとも兄を父に見立て、自らは叔父正季の役を演ずる気になったものか。
とにかく以降の正時は、常に兄に従って行く。
正行は、
和田勢こそ幾度か戦働きをしているが、楠木勢は湊川敗戦後の目立った行動といえば後醍醐天皇を護り吉野へお迎えしたきりで、ひたすら地力を養ってきた。
その楠木勢が和田勢と共に動揺著しい吉野へ来た。
天皇義良(後村上天皇)の心中は察して余りある。
とにかく、南朝の動揺は収まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます