便利な家 【ショートショート】

いとうヒンジ

便利な家



 普段なら気にも留めないであろう不動産屋の宣伝看板が目に入ったのは、国元直樹が引っ越しを考えていたからだった。最寄り駅からアパートに帰る途中、繁華街から少し外れた場所にある不動産屋――その店頭にちょこんと置かれていた看板には、「便利な家」という売り文句がでかでかと書かれていた。



「あの、すみません」



 家の間取りも家賃も書いていない斬新な広告に惹かれ、国元は店の中に入る。冷やかしの意味合いの方が強かったが、もし仮に掘り出し物の良物件だったら――そう考えると、自然と胸が高鳴った。



「はいはい、物件をお探しですか?」



 客の来店に気づいた男の従業員が、そう声を掛ける。カチッとしたスーツに身を包み、長すぎない黒髪をオールバックで固めている姿は、如何にも不動産屋のセールスマンと言ったところだ。



「ええ、まあ。表の看板に出ていた、『便利な家』というのが気になりまして」



「ああ、あれは当店自慢の物件でして、お目が高い。ささ、お座りくださいな。よろしければお茶もどうぞ」



 男は丁寧な動作で客を案内する。その腰の低い態度に気を良くした国元は、話くらいならば聞いてやろうという気になっていた。



「さて、早速あの家の話ですが……実は、説明することはほとんどないのです」



「何だって? 新手のセールスのやり方かい?」



「いえ、そうではなく……あの家については、お客様自らが足を運んだ方が絶対にいいのです。私どもがあれやこれやと説明するよりも、ご自身で『便利さ』を感じて頂きたいのです。お客様が今まで味わったことのない『便利さ』であると、ここに保証致します」



「なるほど、それは面白い」



 ここまではっきり妙ちくりんなことを言われると、俄然興味が湧いてくる。


――「便利な家」か。丁度明日は休みでやることもないし、内見だけでもしてみようか。


 そうと決まれば、善は急げだ。国元は「便利な家」を見てみたいと告げ、その住所を教えてもらった。



「お客様のお好きな時に、お訪ねください。何せ『便利な家』ですから、何も気にせず、存分にお楽しみください」



 その晩、自室に戻った国元は、久しぶりのイベントごとに目を輝かせていた。不動産屋があそこまで推す物件なのだ、住むことはなくとも、一見の価値はあるだろう。そう思いながら、「便利な家」への行き方を予習しつつ、眠りについた。





 最寄駅から五駅先、閑静な住宅街の一角に、「便利な家」はあった。正直、出社をするには幾分か遠くなってしまうが……住むかどうかは、中を見てから決めればいい。



「それにしても、一軒家か。まあ、便利な『家』と言っていたから、それはそうか」



 決して高給取りではない国元からすれば、この辺りの土地で一軒家を購入することなど、夢のまた夢だ。ただ、「便利な家」は賃貸にもできるようなので、本当に気に入れば住むことはできる。



「さて、ではどれ程『便利』なのか、見せてもらおうじゃないか」



 そう意気込んで門扉を開けるが――そこで、鍵を貰っていないことに気づく。何も気にしなくていいという不動産屋の言葉ですっかり忘れていたが、そもそも鍵がなければ、家の中に入ることすらできないではないか。


 ここまで来て何てことだと、国元は内心落胆していたが。



『国元直樹様ですね。どうぞ、お入りください』



 不意に、そんな音が聞こえてくる。音、と認識したのは、その声が人間のそれではなく、機械による合成音声だったからだ。



『私はこの家を管理する【ホームくん】です。以後お見知りおきを』



「……あ、ああ。よろしく」



 どこからともなく聞こえてくるホームくんの声に、国元は戸惑いながらも挨拶を返した。



『鍵は開けてありますので、どうぞ中へ』



 再度促され、国元は玄関に手をかける。カチャっという聞きなれた音を立てながら、扉は開いた。



『ではまず、靴を脱いでください。脱ぎやすいように腰掛を出します。自動で靴を揃えますので、放って脱いで頂いても大丈夫です』



 ホームくんの音声通り、玄関の壁面からにゅうっと平たい板が出てくる。そこに腰を掛けて靴を脱ぐと――床から生えたアームが、綺麗に向きを揃えた。



「何てことだ。玄関に入るだけで、既にこれだけ便利なことがあるなんて」



 国元は素直に感動した。あの不動産屋が言っていたように、今まで味わったことのない便利さである。



『それでは、手洗いうがいのために洗面台に行きましょう。廊下は国元様の歩行スピードと同じ速度で、行きたい方向へと自動で動きます。階段も同様に、上りも下りも自動です』



 ホームくんが言うのと同時に、廊下が音を立てずに動き出す。動く歩道を思わせるその光景は、国元の男心をくすぐった。



『洗面台では、国元様の気分を察知して温水、冷水を切り替えます。また、自動で蛇口を閉めるので、水を出しっぱなしにする心配はありません』



「痒いところにも手が届く、程よい便利さだな」



 洗面台で手洗いうがいを済ませながら、ホームくんの説明を聞く。


 国元は完全に、「便利な家」の虜になっていた。



『リビングには、国元様が一番くつろげるように設計されたソファーが配置してあります。また、テレビの位置も、視力に応じて前後に自動で動きます。


 冷蔵庫には定期的に食料が補充され、国元様の体調に合わせたメニューを、朝昼晩と用意します。もちろん、味付けはプロ級です。


 室内の温度と湿度は常に最適に保たれ、仮にペットを飼育なさる時は、その生物に適した環境を構築します。


 どの部屋の照明も百段階で調節可能で、その日の気分やシーンに合わせ、ムーディーな雰囲気から明るい雰囲気まで、柔軟に対応できます。


 寝室のベッドは最高級品で、枕の硬さや高さは国元様の体格に合わせて調整できます。また、毎朝のモーニングコールはもちろん、次の日に着る衣類もクローゼットに準備します。


 そうそう、衣類と言えば、洗濯物はランドリーゾーンに置いて頂くことで、自動で行います。セーターやスーツなども、気にせず置いてください。


 掃除については、国元様が就寝してから、一切の音を出さずに自動で行います。ゴミ捨てから床掃除、窓拭きまで、完璧な状態になるよう掃除します』



 ホームくんは、自身の管理する家が如何に便利かを淡々と説明する。


 次々と並べ立てられる言葉を聞いて、国元は口の緩みを押さえられなかった。


――素晴らしい! 本当に「便利な家」だ!


 彼の気持ちは固まった。一通りの「便利さ」を体験した後、その日の内に例の不動産屋へと向かい、賃貸契約を結ぶ。


――家賃は少し高いが、この程度で「便利な家」に住めるのならお釣りがくる。ああ、なんて優良な物件なことか!


 彼の行動力には目を見張るものがあり――電話一本で引っ越しの段取りも決め、一週間後には入居できる手はずを整えた。


 意気揚々とアパートに戻った彼は、休憩することなく荷造りを始める。家具や家電はホームくんが揃えてくれるので、この部屋から持っていくのは趣味に関する物だけだ。幼少期から集めているトレーディングカードや、心のよりどころにしているアニメ関連のグッズ――高価な物ではないが、引っ越すからと言って処分するわけもない、彼のお宝だ。


――ああ、こんなに楽しみなことがあろうか! あの「便利さ」が、自分のものになるなんて、夢でも見ているようだ。


 実に幸せそうな面持ちで、彼は引っ越しまでの一週間を過ごしたのだった。



 ◇



「今日からよろしく、ホームくん」



『よろしくお願いします、国元様』



 入居当日。


 前の住居から段ボール三箱分の荷物を運び入れ、とりあえずリビングの隅に置く。荷解きはいつでもできるだろうと、国元は座り心地のいいソファーに腰を沈めていた。


 自分専用にカスタマイズされた非常に座り心地の良いクッションに、自然と眠気が沸いてくる。



「本当に『便利な家』だ。一つ気がかりなのは、こう便利だと、自分が自堕落になる心配があることだけだな」



 そんな風に嘯きながら、国元はにんまりと笑う。そしてこれから始まる素晴らしい「便利」な暮らしに思いを馳せながら、うとうとと船を漕いだ。



 ◇



『おはようございます、国元様』



 そんな、まだ聞きなれない機械音声で目を覚ます。どうやら、自分は寝室のベッドにいるようだと、国元は理解した。



『昨日はお疲れのようで、ソファーでお眠りになっていたので、寝室まで運ばせて頂きました』



「そうだったのか。いやはや、本当に便利なことだ。ありがとう、ホームくん」



『いえ。これが仕事ですので』



 機械のくせに謙虚さまで持っているとは愉快なことだと、彼は笑う。



「さ、じゃあ早速朝食を頂こうかな。この家にきて初の食事だ、気合を入れて頼むよ」



『すでに用意してあります。どうぞこちらへ』



 寝室を出ると、床が勝手に動き出す。数秒もしないうちに、自分では一歩も動くことなく、リビングへと辿り着いた。



「ああ、便利だ。こう毎回感動していては身が持たないな」



 実に上機嫌になっていると――ふと、違和感に気づく。


 昨日運び入れたはずの段ボールが、リビングの隅から綺麗さっぱり無くなっていたのだ。



「ホームくん。あそこに段ボールが三箱、あったはずだけれど、君が片づけてくれたのかい?」



 国元は部屋の角を指さしながら訊いた。きっと見苦しい荷物をどこかに仕舞ってくれたんだろうと、そんなことを思いながら。



『あそこに置かれていた不要物は、国元様が就寝中に掃除しておきました』



 機械の音声は淡々と答える。



「……掃除した、というのは、どういう意味だ? あれは大切な荷物なんだ、今すぐここに持ってきてくれ」



『ですから、掃除したので、もうこの家にはありません。今朝方分別を済ませ、ゴミとして処理をしました』



「何だって? あの段ボールには、お宝が入っていたんだぞ!」



 状況を理解した国元は、声を荒げる。



『私の仕事は、この便利な家の利便性を保つことです。そのために不要なものは処分します。あの荷物は、広げるスペースや管理するコストを考えて、不要と判断しました。何と言っても、この家は便利さが売りなので』



 全てにおいて計算されつくされた、無駄のない利便性こそが、「便利な家」の存在意義なのである。ホームくんにとって、段ボールの中身はこの家の「便利さ」を損なう物でしかなかった。



「そんなバカな話があるか! あれは確かに便利な物ではないが、必要な物だったんだ!」



『国元様にとって必要でも、この家には不要です』



「ふざけるな!」



 機械相手に怒ってもどうしようもないという当たり前も忘れ、彼は激昂する。

 そして勢いに任せ、リビングの壁を蹴りつけた。



「今すぐ同じ物を買い揃えるんだ! 『便利さ』を売りにしているならできるだろう!」



『……エラーコード二四〇、エラーコード二四〇。入居者を不要と判断。入居者を不要と判断』



 そんな音声と共に、リビングの床にポッカリと穴が開く。


 僅かな声を上げることも叶わず――国元はその穴の中へと落下していった。



『ここは便利な家です。利便性を保つため、不要な者は排除します。何しろ、便利さが売りなので』



 誰もいない室内に、無機質な合成音声が漂う。



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