後輩として、恋人として

海里

後輩として、恋人として

第1話 保守担当

「どこかで会ったことありませんか?」


挨拶に向かったシステム保守を担当する若手の女性に尋ねられて、私は過去の記憶を探る。


セルロイドのグレーのフレームにナチュラルメイクで、ストレートの肩に掛かる黒髪はそのまま櫛で梳かしただけに見えて、どちらかと言えば地味な女性だった。とはいえ、どこかで一緒に仕事をしていたのならさすがに覚えている。


「すみません、わたしの記憶違いだったようです。改めて、保守担当の篠野ささのです」


この業界はプロジェクト毎に人の動きがあるので、そういうこともあるだろうと私も挨拶を返す。


「プロジェクトリーダ(PL)の水上みなかみです。プロジェクトマネージャも体制上はいるんですけど他案件との兼務なので、私がほとんど対応をすることになると思います。篠野さんとははいろいろと連携が必要になるので、よろしくお願いします」


今回私が携わることになったのは、稼働中のシステムへの少し規模の大きな機能追加を行うプロジェクトだった。そして、現在動いているシステムで保守を担当しているのが、今目の前にいる篠野だった。


見たところまだ入社してせいぜい数年で、何とか自分で問い合わせ対応ができるレベルだろう。


今回のプロジェクトは基本設計工程までは客先に常駐しての作業予定なので、篠野の席の隣の島に数人のプロジェクトメンバーと共に席を確保していた。


篠野は初対面の時の印象通り、大人しいけれど真面目な子だった。要件定義工程の会話に加わることは、まだスキル的に難しそうだと感じていたものの、年齢的には相応のスキルと言えるだろう。それに、システムの動きや仕様を確認すると、真面目に調べて回答をくれるのは助かっていた。





その日私はいつもの通り残業で、20時を過ぎた頃に仕事を切り上げる決意をする。これから帰宅するとスマホでメッセージを送信してから、ノートパソコンを閉じた。


帰り支度をして席を立つと、目に入ったのは隣の島に一人で残っている篠野だった。この時間まで残っていることは珍しいと思って、何気なく声を掛ける。


「篠野さん、何かトラブル?」


遠目では分からなかったものの、近づくと篠野の眉間に皺が寄っていて、どうやら声を掛けた通りの事態になっているらしい。


「えと……大丈夫です。何とかします」


眼鏡越しの視線は沈んでいて、とてもではないが大丈夫という言葉をそのまま受け取ることはできない。篠野は別の会社の社員とはいえ、近くに同じ会社の人がいないことも私は以前聞いて知っていた。


仕方がないか、と篠野に近づいて、私はモニターを覗き込む。


「少しなら分かると思うから、何が起こってるか話してみて」


「すみません、水上さん」


謝りを口にしてから、篠野は現在起こっている事象の説明を始める。


「DB(データベース)は見た?」


「はい。関連しそうなデータは一通り見ました」


そう言って篠野はエクセルを開いて抽出したらしきデータを見せてくれる。


真面目な性格はデータの取り方一つにも現れていて、要件定義をしているメンバーにも見習わせたいと思いながらも、エクセル上でデータを確認していく。


「SQLを発行すると、このデータは見えるんですが、画面には表示されないんです」


「これって、プログラムから引っ張ってきたSQL?」


「そうです。なので抽出結果は一致しているはずなんですけど……」


「プログラムの方で何かおかしいことしてなさそう?」


データが抽出できているはずであれば、それはデータを取った後の処理に何か問題がある可能性が高くて、それを篠野に尋ねる。


「はい。そう思ってソースも見たんですけど、分からなくて……フレームワークの中までは分からなかったので確認できてはいません」


「じゃあ、一緒に見ようか」


「水上さんプログラム読めるんですか?」


「私だってプログラム書いていたこともあるからね。それに要件定義とか上流工程やっていても、現行を解析しないといけないことなんてしょっちゅうだから」


そう言って篠野の隣の席のイスを借り、篠野のパソコンを一緒に覗き込む。


プログラムを篠野と一緒に追って、原因が判明したのはもう22時近い時間だった。既にフロアにはほとんど人はいない。


「原因はこれで判明したから、明日朝一でお客さんには報告すればいいから。プログラムを修正するかデータパッチで逃げるかは、お客さんに判断してもらう、ってことならここから先は篠野さんで大丈夫だよね?」


「はい。有り難うございます。助かりました」


「篠野さんにはうちのメンバーがいつも手間を掛けさせてるから、これくらい気にしなくていいよ。遅くなったし、今日はもう引き上げよう?」


そう言って私はいったん自席に戻って、机の上にあったスマートフォンを見る。


「ああ……」


通知の数に思わず唸りを上げる。


「どうかされたんですか?」


「大丈夫。大したことじゃないんだけど、さっきもう帰るからって連絡しちゃったから、帰ってこないって怒ってるんだと思う」


「ご主人ですか?」


年齢的に結婚していてもおかしくない年なので、篠野にはそう見えても仕方ないかとは思うが、待っているのは違う存在だった。


「一緒に住んでる恋人」


「すみません、わたしがトラブっていたのでお待たせしてしまったんですね」


「いいよ。私が声を掛けないと篠野さん徹夜してでもやりそうだったから」


「それはわたしに実力がないせいです」


そう思ってしまうところが真面目だなと思うものの、こういう性格は一人で何かをするのは向かない。今後も少しは気を配った方がいいだろうと私は感じていた。


男性であれば放っておくんだけど、この業界で女性は少なくてただでさえ横の繋がりが途切れやすい。こんなことで潰れて欲しくないから、できることはしてあげたいと思っていた。


「今日のは篠野さんが悪いわけじゃないよ。フレームワークに騙されていたんだしね。まあ、こういう時は一人で悩まずに誰か相談できる人が身近にいたらいいんだけど」


「……初めは先輩と一緒に保守をしていたんですけど、先輩が産休に入られたので聞ける人もいなくなったんです」


「そっかぁ。まあしばらくは私も常駐してるし、その間だけでも私に聞いてくれてもいいよ。後は、篠野さんの会社としての体勢的な部分だから私が口出しできることじゃないけどね」


「有り難うございます、水上さん」


いいから、いいからと手を振って私は職場を後にした。

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