第4話 焚火の灯りとはぐれた狼

 日が暮れかける時間になった。一日の大半を移動に費やすなんて、光来には初めての経験だった。固い椅子に加えて、地面の衝撃を直に伝えるワゴンのせいで、尻どころか腰までじんじんと痛んだ。森の中に木が密集していない小さなスペースを見つけ、バリィが「今夜はここで野営しましょう」と言った時には、彼が救いの神に見えた。

 光来はワゴンから飛び降り、張りまくった筋肉を思い切り伸ばした。リムとシオン、それにバリィには殆ど疲れが見られない。こっちの世界の住人は、主な移動手段が徒歩か馬だからだろうか。人間て、環境が違うと疲労感も異なるんだなぁと、変な感心をしてしまった。

 傾き始めた太陽は、まるで森が自分の寝床だと言わんばかりに急いで潜ろうとする。葉枝の隙間を縫って突き刺す日光が、痛いほどに美しい。天使の群れが戯れる黄昏だ。

 早速、野営の準備を整えた。食事の用意は例によってバリィと光来が行った。シオンが「ワタシも手伝う」と申し出たが、彼女の腕前を知っている光来とリムは必死にシオンを押し留めた。事情を知らないバリィは不思議そうで、シオンは不服そうだ。


「今度、簡単な料理を教えてあげるよ」


 光来が言うと、シオンはようやく治まってくれた。

 料理を作るのに作った焚き火をそのまま灯りにして、四人で囲んだ。太陽はとっくに姿を消した。火は夜になると、途端に存在感を主張する。覆い被さる闇を押し返そうと赤々と揺らめき、四人の顔を照らした。


「バリィさん、最近、野盗に襲われたりした?」


 光来が作ったオニオンとベーコンのスープを飲みながら、リムがいきなり質問した。

 バリィは面食らったようだが、すぐに笑顔に戻った。


「いいえ、お陰様でそういった経験はしたことはありません。でも、どうしたんです? いきなり」

「ううん。ただ、大変な仕事だろうなって思って」


 光来にはリムの言い方が引っ掛かったが、バリィはなにも感じなかったようだ。今の問答をきっかけに会話が広がり、リムの奇妙な質問は言葉の海の中に紛れた。

 食事が終わり、火の勢いが弱まったのを見て、光来が立ち上がった。


「薪を拾ってきます」


 その一言にバリィは反応した。薪を拾うには木が密集した場所に行かなければならない。一緒に行って後ろからシユラーフを撃ち込めば……しかし、この二人の少女が問題だ。銃声がすれば必ず様子を見に来る。用心してくるだろうから、簡単にはいかないだろう。

 どうする?

 迷っていると、リムが「ワタシも行く」と立ち上がった。


「そんな、お客さんに薪拾いなんて……」

「いいから。バリィさんは休んでて。明日も目一杯走ってもらうんだから」


 リムは、慌てて立ち上がろうとするバリィを制して、光来と二人で行ってしまった。

 バリィは機会を逃したと焦る気持ちの片隅で、安堵している自覚もあった。

 炎を挟んで目の前に居るシオンは、今のやり取りなどなかったかのように赤い揺らめきを見つめている。

 なに、チャンスならまだある。無理をせず、全員寝込んだ時を狙えばいいのだ。

 気を取り直して、高まった気持ちを落ち着けようとシオンに話し掛けた。しかし、シオンの反応は薄く、そう言えば、この娘はあの二人ともあまり会話を交わさなかったなと思い至った。無言が続くと気まずくなると分かっていながら、バリィは次の言葉がなかなか出せなかった。


「あー……」


 結局、話題にしたのは、今の仕事の大変さと、将来は本を読んだり釣りをして気楽に生活したいという、いつも仲間同士で口にしている愚痴に近い内容だった。

 バリィは話しながら、こんな話を聞いてても面白くないだろうなと思ったが、喋り続けるのが義務であるように言葉を綴った。

 シオンは興味がなさそうに聞いていたが、話の腰を折ることはしなかった。



 夜の森は不安になる闇だった。隣にリムがいなければ、向こうに焚き火の灯りが見えなければ、奥には進めなかったかも知れない

 なかば不安を振り払う為に、光来はリムに話し掛けた。


「なあ、シオンには打ち明けてもいいんじゃないかな」


 なにを打ち明けるかは敢えて言わなかった。光来の提案に、リムは立ち止まり暫し光来を見つめた。


「あなた、自分の立場が分かってるの?」


 その声は、先程とは打って変わって、ひどく冷たかった。


「分かってるさ。でも、シオンは一緒に旅する仲間なんだから」

「あなたは異端中の異端なの。秘密を知る者は少ない方がいい。打ち明けなくても、旅に支障はない」

「いつまでも隠し通せることじゃないよ」

「あの娘も巻き込むつもりなの?」


 光来の頭に、リムの言葉がなかなか浸透しなかった。

 今なんて言ったんだ? 巻き込む? 巻き込むだって?


「俺はそんなつもりは……」

「シオンは確かに『黄昏に沈んだ街』の被害者よ。でも、グニーエ・ハルトと直にやり合うのはワタシ。ワタシだけが背負うべき宿命よ」


 断言する口調に、光来は気後れした。


「……だったら、シオンが一緒に行くと言った時に、なんとしても止めるべきだったんだ」

「あの時は……」

「なんだったら、途中でシオンを撒くかい?」

「そんなことをしても、シオンは諦めない。ワタシたちの監視下に置いた方が安全よ。彼女もワタシたちも」

「リム、少しはシオンの気持ちも……」


 言い掛けた言葉が止まった。

 闇の中でザザッと音がしたかと思うと、茂みから兎を咥えた狼が姿を現した。群れからはぐれたのか、一匹だけのようだ。威嚇して、冷たい刃のような眼光で射抜いてくる。

 リムの指先は銃のグリップに触れていた。しばらく睨み合いが続いたが、狼は光来たちが自分を襲わない、あるいは獲物を奪わないと判断したのか、緊張した構えを解いて闇の中に消えていった。

 光来も同様に、固まっていた体から力を抜いた。


「今の狼、兎を咥えていた……」

「弱肉強食。自然界の掟よ」


 リムの言い方は冷めていた。彼女が時折見せる影の一面だ。

 話が途中で途切れてしまったが、リムはこれで終わりと言わんばかりにくるりと背を向けた。

 光来は慌てて自分の意思を告げた。


「やっぱり、シオンには折を見て話すよ」


 一秒か二秒、短いが息が詰まりそうな静寂。


「……勝手にすれば」


 リムは振り返りもせず、焚き火の灯りに向かって歩き出した。

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