第3話 ただ、家に帰る

 街を出れば、そこは果てしない平原だった。風に揺らめく草花が日光を反射し煌めきと遊んでいる。まるで草と土の海だ。遥か彼方に山陵が見える他は、どこまでも大地が続いている。風光明媚とはこのことだ。建物が密集した東京で生活していた光来には感動すら覚える景色だった。


「街の外がそんなに珍しい? あなたたち、ホダカーズから来たじゃない」


 熱心に景色を眺める光来を見て、シオンが不思議そうに訊いてきた。


「ああ、あの時は汽車で移動して、ずっと寝てたから……夜だったし」


 光来は咄嗟に嘘を付いた。焦りを悟られないよう、顔は外を向けたままだ。

 ホダカーズから出た時、確かに夜の帳で暗い中での移動だったが、それ以上に、ケビン・シュナイダーら保安隊から逃げ切る戦いに必死で、景色を楽しむどころではなかった。光来は、機会があれば汽車での旅も楽しめたらいいと思った。

 人間は環境に慣れる。十分程眺めていたら、さすがに感動は薄まっていった。なにしろ、行けども行けども景色が殆ど変わらないのだ。しかも、整備されていない道を走っているものだから、衝撃が固い椅子に直接伝わり、早くも尻が痛くなってきた。

 リムとシオンは平然としている。ひょっとして、こっちの世界の人たちって、お尻の皮が厚くなっているのか? 二人の少女のお尻を想像してしまい、慌てて掻き消した。


「ん?」


 リムが怪訝そうな面持ちを向けたので、余計に焦って思わず俯いた。

 これが四日続くのか?

 光来は、お茶を濁すためポケットからスマートフォンを取り出そうとした。シオンと目が合う。そうだったと、自分の間抜けぶりに動きを止めた。

 シオンの目の前でスマートフォンを使うわけにはいかない。こっちの世界ではオーバーテクノロジーであるスマートフォンを見られたら、自分が異世界から来たことまで説明しなければならない。果たして、この娘が信じてくれるだろうか?

 仕方なく、何気なさを装ってポケットから手を出し、改めて止まっているような流れる景色を眺めることにした。



 行程は、光来が心配した程退屈ではなかった。どこまでも続くと思われた平原も、いつしかなだらかな坂に差し掛かった。しばらく進むと、小川が流れる河原に入り、ここで休憩を取ることになった。

 浅瀬の優しいせせらぎと柔らかい日差しが心地好い。旅程の休憩ポイントらしく、あちこちに焚火をした跡が散見される。


「昼食の用意をしますから、皆さんは適当に休んでいてください」


 バリィが、馬車から降ろした荷を解き始めた。

 そうか。食事の用意もこの人がするんだ。本当に何役もこなさないといけないんだなと、光来は感心した。


「俺、手伝いますよ」


 光来の申し出に、バリィは驚いた表情を見せた。


「いえ、お客さんにそんなことをさせるわけには……」

「いいんです。休めったって、なにもすることがないし、料理が好きなんで」

「いいじゃない。手伝ってもらいなさいよ」


 リムが割り込んできた。


「彼の料理の腕前は、なかなかのものよ」


 シオンもこくりと頷く。

 バリィは少し迷ってから、にっこりと微笑んだ。


「じゃあ、お願いします」


 料理の準備に取り掛かった。光来は豆を煮たスープを、バリィはサンドイッチを担当した。しばらくくして、バリィが話し掛けてきた。


「そう言えば、お客さんだけまだお名前を伺ってませんでしたね」

「そうでしたっけ? キーラっていいます」


 光来がこっちの世界で名乗っている名を言うと、バリィの動きが一瞬だけ止まった。光来が気付かない程の、ほんの一瞬だ。


「しかし、お客さんも変わってますね。私らを手伝おうなんてお客さんは初めてですよ」

「俺も手伝うのは初めてです」


 言ってから、光来は自分の行動に戸惑いを覚えた。元の世界では、こんなに積極的に他人と交流しようとは考えもしなかった。リムやシオン、この世界そのものが影響を与えているのかも知れない。

 二人が他愛もない会話をしながら料理を進めている傍らで、女性陣は銃を磨いたり手入れをしていた。

 光来が、なんだか立ち位置が逆だな、などと考えていたら、バリィが二人について尋ねてきた。


「あのお二人とは? どういったご関係で?」

「関係? 関係ですか……」


 光来はしばし考えてから答えた。


「一緒に旅をする仲間です。たまたま、目的地が一緒だったもんで」

「ほう。旅は道連れと言いますが、あの二人と一緒なら心強いでしょう」

「そうですね。これ以上ないってくらい」


 光来との会話を続けながら、バリィは違和感を覚え始めていた。とても、三千万ガルの賞金が掛けられるような悪党とは思えなかったからだ。

 これまでに賞金首なんか乗せたことはないが、小悪党と言える者なら何度かある。彼らは一様に独特の緊張感というか、見えない防御壁みたいなものを身の回りに纏っている。しかし、キーラにはそれがない。緊張感どころか、親しみやすい安堵感まで感じてしまう。それとも、本当の悪党というものは、悪魔のように人の心の襞までするりと入り込んでくるものなのか?

 横目でリムとシオンを盗み見る。どちらかと言うと、あの二人の方が張り詰めた空気を纏っているように感じられた。どうにも、奇妙な連中だ。


「どうかしましたか?」


 光来の声で、バリィの思考は中断された。


「ああ、いえ。そろそろ豆が煮えます。お二人を呼びましょう」

「あ、俺が呼んできます」


 光来は立ち上がり、二人に声を掛けようとバリィに背を向けた。その背中に、バリィはさらに質問してきた。


「その旅ってのは? なにか事情がありそうですが」

「……いえ、ただ家に帰る。それだけの旅です」


 光来は振り返り、複雑な微笑みをバリィに向けた。

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