立飲酒屋 大野酒店
与方藤士朗
第1話 いなせな常連女性客
✕✕省を退職して次回衆議院議員総選挙に比例区で出馬する賀来博史氏と、彼の小学校時代の同級生で作家の米河清治氏は、数か月ぶりに岡山駅前のカフェで再会した。そのカフェで頼んだアイス珈琲をそれぞれ飲み終え、駅前の立飲酒屋に移動することにした。10月初日とはいえ、日中の最高気温は30度にも至っている。
この日は岡山県の緊急事態宣言に伴う酒類の提供禁止が解除された初日にして、週末の金曜日。人出はまだ、そう多くはない。
「ちょっと迂回になるが、まずはあの立飲みに寄って行こう」
作家氏が、元国家公務員氏に提案する。
「そうするか。前回はおごられたから、今回はぼくが出そうか?」
「いやいや、いいって。割り勘で行こう。別に選挙違反がどうこうとか買収がどうとか、難しいことは言わないけどさ。そのほうが無難やないか」
「それもそうだな」
彼らは岡山駅方面に向って歩き、パチンコ屋と商店街横に挟まれた路地に入った。現在の時刻は17時40分。まだ、外は暗くない。
立飲みの店の看板の文字が、路地の西側と東側のどちらからも見える。これまで約2カ月近く、緊急事態宣言とまん延防止重点対策のおかげで、岡山県は飲食店での飲酒が全面的に禁止されていた。
この店、当年とって80歳前後の老夫婦が切盛している。彼らの年齢に近い息子さんと娘さんがいるが、どちらも既に独立されていて、今は老夫婦だけ。
店は1階にあり、2階から4階へと階段を上っていけば、老夫婦の自宅がある。
「お久しぶりです」
丸眼鏡の紳士が、親ほどの、と言っても両親がともに20代前半のときに生れたこともあって、親より幾分年長の女性店主に挨拶する。
「では、本日も、信念をもって・・・」
かくして彼が、まずは大瓶のビールを注文する。
「あ、ぼくも、ラガーの大瓶を。こいつみたいな「信念」はないですけど(苦笑)」
黒縁眼鏡の紳士も、自らの注文を述べた。
「はいはい、信念でも何でもええけど、ちょっと待ってー」
店主が、瓶ビールを2本とグラス2つを持ってきて、それから順次、ビール瓶の栓を抜いた。中年紳士たちはそれぞれ、ビールを自らグラスに注いで、軽く乾杯。
「しかし、久しぶりじゃなあ。あんた、ちょっとやせてきたのと違う?」
「ええまあ、その、無茶食いはやめましたから。そうそう、昨日久々に仕立ての店に行きましてね、スーツの採寸をしましたら、3年前に比べて、確実にやせておりましたよ」
「で、あんた、またダブル(ボタン二つ掛けのダブルスーツ)かな?」
「ええ。黒地で。さすがに、太ったときのこと考えて、緩めにしてもらいましたよ」
「まあ、そのほうがええ(苦笑)。それにあんた、ダブルじゃから、それで着られんようになったら「フウガワリイ」でぇ~(爆笑)」
常連客と店主の会話に、常連客の幼馴染が割って入る。
「そう言われてみれば、米ちゃん、確かにこのところ痩せてきたように思うな。いいトシしてプリキュアやめろと言っても無理だろうけど、何ですか、こいつ、考えていないようであれこれ考えているなとは、傍で見て、思わんこともないですね」
「そこでプリキュア、出すか?」
「あれだけネットで叫んでおいて今さら出すな、そりゃなかろう(苦笑)」
「こんばんは~」
彼らより幾分年長の女性が、ひとりでやってきた。
駅前のある企業の支店に勤めていて、広島県から毎日通ってきているという。この店には週に1度かそこら、帰りに立寄って日本酒を軽く一杯飲んで帰ることがある。
この店に来るのは圧倒的に男性が多いのだが、こういう女性客の常連もいないわけではない。以前は米河氏や賀来氏より少し年長の同僚の男性と立寄ることが多かったが、彼が転勤して以降、彼女はたいてい一人で来ている。
彼女はいつも通り、日本酒を1杯注文する。
この店の「流儀」は、瓶ビール専用グラスの上のぎりぎりまで、酒を注ぐこと。
女性店主はグラスを彼女の前に差し出し、後ろの棚の一升瓶を取出して、こぼれる瀬戸際まで、透明な液体を注ぎ込む。そして、栓を閉めて一升瓶を棚へと戻す。
それから彼女は250円の現金をすぐに支払って、飲み始める。
この店の常連客は皆、最初は手で持たず、テーブルの上のグラスに口をつけて最初の一口をすすって飲む。
彼女もまた、そうして最初で最後の一杯の、一口目を口に流し込む。
「おかあさん、お元気にされていましたかー?」
「まあ、おかげさまでなぁ~。この1カ月半ほど何もないものじゃからなぁ、ホンマ、退屈したわなぁ」
「コロナの支援金は、もらわれました?」
「いや、もらっとらん(キッパリ)。うちは年金もあるし、わざわざ今さらそこまでして国からお金をもらう気はないわ。ここも再開発でもうすぐ立退きじゃし、なあ。そりゃあ、子どもを育てでもしとれば話は違おうけど、私もお父さん(女性店主の夫)も、もう年じゃからな。いつまでもがめつくしがみついても、仕方なかろうに・・・」
女性同士で話が進む。彼女が来店したときは、いつもこんな感じだ。
50代前半の男性2名は、その横でかれこれ話している。
その間にも、しばらく来ていなかった常連客が何人か来た。多少の年齢幅はあるものの、すべて男性。仕事帰りの人もいれば、悠々自適の年配者もいれば、先の同級生らよりいくらか若い、自由業をしているという人も。
それぞれ飲み物を頼み、また、セルフサービスで冷蔵庫から各自、酒の缶とつまみを出して自ら会計を済ませ、それぞれの場所で、一杯ひっかけていく。
「あんた、またそれ、おとなのおもちゃ、な~」
米河氏がタブレットをいじるのを、親ほどの年齢の女性店主が呆れつつ茶化す。
「え、その眼鏡の女の子は、誰ですか?」
米河氏のタブレットの画面を見た女性客が、尋ねる。
「あ、これ、毎週日曜朝に放映されているトロピカルージュプリキュアに出ている、キュアパパイアの一之瀬みのりちゃんです。実は、私の娘でして・・・(苦笑)」
「確かに、似てはいますねぇ・・・」
彼女はタブレットの少女をそう評し、日本酒をすする。
彼女は独身のままだそうだが、弟の子、つまり甥がいるが、それでもアニメのその少女よりは年上であるとのこと。
もちろん彼女とて、彼の弁を事実だと認識しているわけではない。
「しかし、あんた、なぁ・・・(苦笑)」
女性店主が呆れている。これも、いつものこと。
「こいつが言うからどんなものかと、私もプリキュアを最近観てみたところ、この一之瀬みのりという娘とこいつの少年時代の言動、相通じるところはありますね。それで親子と言われれば、まあ、そんな親子もあるのでしょう、彼がそう言うのなら」
賀来氏が、同級生の作家の近況にかこつけて、残りわずかとなったグラスの中のビールを飲みつつ、解説してみせた。
時計の針が、縦軸にそろった。午後6時。
この時期になると、さすがに外はもう暗い。
「それじゃあ、帰ります。ごちそうさまでした~」
かの男性客らより一回り年上の女性客は、グラスの酒一合を約10分程度で、店主の女性との話を酒の肴に飲み切った。その間、特につまみを口にはしてはいない。バッグを持ち、店主と先客の男性らに挨拶して、彼女は駅へと向っていった。
それぞれビールを1本飲み切った同級生の男性らも、続いて店を出た。
ただし、彼らの向かう方向は先の女性客とは正反対の方向。
50代前半の元公務員と現役作家は、この日から約200メートル東の路地に移転した「くしやわ」へと移動した。
この店の現店舗は以前、うどん屋だったところ。駅前再開発の区域からは、幾分外れた場所である。こちらの店主は、彼らよりも若い男性で、子育て中。先の老夫婦のようにこれを機会に引退、というわけにもいかない。
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