第十二話:MEET AGAIN
—懐かしいな。
俺は故郷に来ていた。
—全く変わってないな、学校も、通学路も。
ダンとよく歩いた道を見て、十年前に想いを馳せた。二度と来ることはないと思っていたこの町に、俺は足を踏み入れられるのだろうかとさえ思っていたが、案外気持ちは落ち着いている。
そこで俺は足を止めた。右側に当時よく通ったボードの穴場があった。見れば、あのときの自分のように柵を滑っていく一人の少年の姿がある。晴れやかな笑顔で笑う少年は、これから自分に待ち受ける“人生”というハードルをほとんど知らないのだろう。ただ今は、自分の夢中になっているものに人生の意義を見つけていた。
「ちょっと貸してくれないか」
気がつくと俺は、 その少年のところに行って声をかけていた。自分より年上の、しかも不良のような男に話しかけられ、少年は少し驚いているようだ。それでも手に持っていたボードを差し出してくれたので、少年の顔に苦笑しつつ、差し出されたボードを受け取った。
トン、とボードを地面に置き、そっと足を乗せてみる。いい板だ。足を乗せると当時の感覚がよみがえってくるような気がした。今の自分はもうあまりよく滑れないだろう。そう思ったが、目の前にあるジャンプ台を目にすると、飛びたい衝動に駆られた。
体重をかけると、ボードが滑り出す。ジャンプ台に向かってスピードを上げ、充分の助走をつける。
目の前に坂が近づいてくる。
—飛べるか?
俺は、自分にそう問いかけた。
—大丈夫。
そう、誰かが言った。
—戻れるよ、あの頃に。戻って、いいんだよ。
—カッ
ジャンプ台を擦る音が耳に響き、
俺は、飛んだ——
***
「すげえ、すげえよ!にいちゃん」
傍らで、さっきの少年が騒いでいた。俺はうまく着地できずに転んでしまい、尻餅をついていた。
「怒らないで聞いてくれよ?俺、あんたがかっこつけてるだけだと思って、不良だからどうせ滑れやしないとか思ってたんだけど、滑り方見てて分かったけど、 あんた——」
「大丈夫?」
隣で興奮したように捲くし立てる少年の声の合間から、落ち着いた静かな声が聞こえた。
聞きなれた、懐かしい、けれど、記憶の中でしかなかった、声が。
「サム」
…ダンが、懐かしいグリーンの瞳が俺を見ていた。
「あ、車椅子のにいちゃん!ってことは、この人が前言ってたスケボのうまい友達?」
少年が俺を指してそう言った。
「そうさ。上手かったろ?」
「うん、すっごく。ね、俺に教えてよ」
少年は目を輝かせて俺に飛びついた。
「え、ああ、良いけど、別に」
「ほんと?じゃ俺今から滑るから見ててよ?ね?」
そう言って少年はボードを持って駆けていく。
俺はぼうっと、その姿を目で追った。
「サム、いつまで座り込んでるんだい?」
ダンに言われて俺ははっと我に返る。
「ああ、いや、今立つよ」
俺は慌てて立ち上がり、埃を払う。それが終わると、俺はダンを見た。
「元気だった?」
ダンは俺にそう尋ねた。何してたんだ、でも、どこ行ってたんだ、でもなく。
「ああ、まあ…。ダンは——」
そう言ってしまってから、俺は何を言ってるんだろうと思った。彼から健康な体を奪ったのは俺なのに。ところが意外にも明るい返事が返ってきた。
「うん、元気だよ。今散歩してたんだ。そうしたらボードの音が聞こえて」
ダンはそう言って、向こうのほうで滑っている少年を見た。俺もその視線を追う。
「—俺のこと、話してたのか、あの子に」
俺は男の子を見ながら言った。何を言ったらいいか、分からなかったから。
「ああ、うん。あの子ね、最近越して来た子で」
ダンが言う。
「なんとなく、君に似てて」
そう言って、ダンは微笑んだ。
—何か、 言わなければ。
—言うべきことがあるだろう?
—俺はそのためにこの町に戻ってきたんだ。
そう思い返し、俺は、一呼吸おいて、口を開いた。
「ダン、その…」
「あのさ、ばあちゃんち、カフェになったんだ。ほら、アイスコーヒーが美味しいので有名になって」
ダンが俺の言葉をさえぎるように言った。
謝らせてさえもらえないのか、と俺は思った。
「今から飲みにくるかい? 家に帰る前に寄っていきなよ。久々の里帰りだろうけど」
そうしてダンは車椅子を動かし出す。
「待ってくれ、ダン—」
「聞こえなかった?」
またしてもダンは俺の言葉を遮った。そして俺をじっと見る。
「え?」
「聞こえなかったかい? 君がさっき飛んだとき」
飛んだとき?
“大丈夫。戻れるよ、あの頃に。戻って、いいんだよ”
「—聞こえた」
俺は、答えた。俺は俯く。本当に—戻って良いんだろうか。
「ダン、俺は—」
「—サム、もう、いいんだよ」
ダンはそう言った。その言葉に俺は顔を上げた。
「君は十分、考えてくれた。そして、戻って来てくれた。それだけで、十分なんだよ」
そう言って、ダンはグリーンの瞳を細めて微笑んだ。
「ありがとう、サム。—あと、おかえり」
景色が滲む。そんな俺を見て、少し笑ってダンが言う。
「で、 アイスコーヒー飲みに来るかい? もちろん、君はタダだよ」
俺はごしごしと目を擦った。
「—ああ、久々に、飲みたいな、アイスコーヒー」
「積もる話もあるしね。今の時間ならそんなにお客さんいないから」
そう言ってダンは、止めていた、車椅子を掴む手を動かし出す。
「さ、行こう」
しばらくの間、俺は泣きそうになるのを堪えて、ただ頷いた。
と言うやり取りの一瞬の後、俺たちの背中から、「待ってよ〜!」という少年の声が聞こえた。
「「あ」」
俺たちは、思わず顔を見合わせた。そして思わず笑い合う。
「ひどいよ!見ててって言ったのに!」
俺たちの方には知ってきた少年はそう抗議した。
「悪い、悪い」
頬を膨らます少年に、慌てて謝る。そしてぽんぽんと思わず少年の頭を撫でた。
「わー!子供扱いすんな!」
「はは、悪い悪い。今からアイスコーヒー飲みに行くんだよ」
「車椅子のにいちゃんのばあちゃんの?」
「うん、お前も来るか?」
少年の目が輝く。
「行く行く!あ、俺、車椅子押す、ボードの兄ちゃんこれ持ってて」
俺はずいっと遠慮なく差し出されたボードを受け取り、笑った。
「楽しみだな〜、美味いんだよな〜ばあちゃんのアイスコーヒー!」
無邪気な声が響く。
俺は少し遅れて、二人に付いていく。
今日は快晴。
〈—SUM・完ー〉
REON:Episode1:SUM 保坂衣絃 @Izru
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