第六話:DANIEL’S GRANMA

「なあ、サム、これからうちに来ないか?」

 ある日の放課後、ロッカールームで荷物の整理をしていたら、ダンがそう声をかけてきた。

「あ〜、まあ、ちょっとだけなら」

 俺の歯切れの悪い返事に、ダンはちょっと肩をすくめた。

「わかってるさ、今日もボードだろ?すぐ帰してあげるよ」

 ダニエルは一人で納得したように言うと、先に玄関ホールを出て行った。

「あー…、おう」

 聞こえたかはわからないが、とりあえず返事をした。ボードだろ、とダンに言われて、実際肩をすくめたのは俺の方だった。正直なところ、人様の家に行くのが苦手なんだとは言えなかった。俺は昔から友達が少ないせいで、仲良く友達同士互いの家を行き来する、ということには縁がなかったのだ。それが突然、そんな機会が訪れた。緊張しても仕方ないじゃないか!一体どう言う顔して人のうちに行けばいいんだ?



「今日はさ、ばあちゃんに会って欲しくて」

 ダンの家に近づいてきた頃、彼がそう言った。俺の緊張もピークに達していた。

「ばあちゃん?」

 俺はなんとか返事をする。

「うん」

「そうなんだ」

 わざわざ家に呼んでまで会って欲しいだなんて、一体どんなおばあさんなんだろう。まあでもきっと、そんなこと言うくらいだから、きっとおばあさんのことが好きなんだろう。俺は祖父母とは一緒に暮らしてないから、それがどう言う感覚なのかよく分からないけど。

 でもそんな大事なおばあさんに俺なんかを会わせていいのだろうかという不安が俺の頭をよぎった。俺には自信がなかった。


「帰ったよ」

 ダンの家に着き、彼はそう中に向かって声をかけた。

「さ、入って入って」

 そして俺を促す。

「お、お邪魔します」

 声がうわずってしまったのではないかとダンをチラリと見たが、気にしてなさそうだったので、よしとする。そして玄関から左の廊下を少し進んだリビングと思われる部屋に案内された。そこに入ると、俺はフカフカのソファに座らされた。

「多分ばあちゃん、庭にいるのかも。ちょっと待ってて」

 そう言ってダンはリビングから出て行ってしまった。一人残された俺は、所在なく部屋を見回す。高級そうな家具にはどれも彫刻が施してあって、壁には有名そうな絵画が飾ってあり、それもまた高そうだった。

 ふと、壁に飾られた絵の中で、部屋の雰囲気とは似ても似つかない写真に目が留まった。

「サーフィン…?」

 俺は思わず立ち上がり、その写真の前まで歩いて行った。それは、一人の男性が海の上を、まるで自分自身も波であるかのように乗りこなしている写真だった。海から出てきたサメのようにさえ見えるその写真に俺は惹きつけられた。

「すげえ…かっこいい…」

 俺はふと呟いていた。

「ごめんなさいねえ、お待たせして」

 写真に見惚れていた俺の背中に、のんびりとした声がかかった。ちょっとびっくりして俺はパッと振り返った。

「ばあちゃん、彼が友達のサムだよ」

 ダンが俺を指して言った。

「嬉しいわ、ダニエルにもう友達ができて」

 すみれ色(?)のワンピースに身を包んだその老婦人は俺を見て柔らかく微笑んだ。そしてそのまま視線を俺の後ろに移した。

「その写真、気に入った?」

 俺が写真を見ていたのに気づいたのだろう。彼女は俺に尋ねた。

「私の主人の写真なの。つまり、ダニエルのおじいさん」

「えっ、おじ…」

 俺は純粋に驚いて声を上げた。

「そりゃもう格好良かったのよ〜?もちろんその写真は若い時のだけれどね」

 おばあさんは昔に想いを馳せるように言う。その横顔は心なしか、寂しげだ。

「すごい、ですね」

 俺はまだ少し緊張していたが、素直に感想を述べた。

「あなたも一度やってみたらいいわよ、スポーツやるって聞いたわよ」

 おばあさんは、寂しそうな顔を引っ込めて、すぐキラキラした目で俺をみた。きっと若い頃は溌剌とした女性だったに違いない。スポーツも、好きだったのかもしれない。幼い少女みたいに笑う彼女に、俺も思わず微笑んだ。

「あら」

 そんな俺を見て、おばあさんはちょっと驚いた顔をした後、こう言った。

「あなた、いつもそうして笑っていた方がいいわ」

 いつかダンに言われたのと同じことを言われて、俺はちょっと驚いた。でもすぐ照れ臭くなって、ぽりぽりと頭を掻く。

「ばあちゃんもそう思う?サムの笑顔、とっても素敵だよね!」

 素敵って…。俺は思わずダンを見た。そんなこと男に言われるなんて思わなかったよ…。まあ、ダンなら、言わないこともなかったかもしれない。くさいことをさわやかにさらっと言ってのけるようなやつのようだから。

「あ、そうだわ。飲み物、出してあげるわね。今日はゆっくりして行って頂戴」

 そんな俺たちを微笑ましそうに見て、おばあさんはそう言った。

「アイスコーヒーで、いいかしら」

「わーい、やった。美味しいんだよ、ばあちゃんのアイスコーヒー」

 ダンは両手を上げて喜んだ。


 おばあさんの名前はクレラと言うらしい。気さくな人で、初めに抱いていた緊張はいつの間にか消えていた。残念なことにおじいさんはずいぶん前に他界していて、さっきの寂しげな表情が気のせいではなかったことを知った。ただ、亡くなった理由には何も触れなかった。俺も、詳細を聞くのははばかられて、何も聞かなかった。きっと病気か何かだったんだろう。

 代わりにおばあさんは、おじいさんとサーフィンの大会で知り合った話とか、おじいさんがいかにすごいサーファーだったかなどを詳しく話してくれた。その時のクレラおばあさんの顔は、とても七十代には見えなかった。そこにはただ、一人の少女がいるのだった。

 クレラおばあさんはテーブルにいろいろなお菓子を出してくれた。けど、ダンが絶賛していたように、テーブルに乗った中でアイスコーヒーが一番美味しかった。普通なんだけど、どこか懐かしいような、不思議な味。懐かしいなんて、12歳の俺が言うことじゃないけど、本当にそんな感じがしたんだ。なんていうか、忘れかけた頃、思い出してまた飲みたくなる味…、うん、そんな感じだ。


 その日のティータイム(正確にはコーヒータイムだけど)、は穏やかで楽しく過ぎていき、ボードに行くのを忘れたほどだった。

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