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サシュが指定した指輪職人はカカランという村に住んでいた。チクルから鉄路で西に位置する。最寄り駅はセアルドラで、そこから少し北に向かうのだが、残念なことにバスは走っていなかった。駅でカカランに行きたいと話すと、それならタクシーを使うしかないとのことだった。帰りはどうすればいいのだろう。不安に思いながらタクシーに乗れば、前日までに電話をもらえれば、指定の時間にカカランまで来てくれるとのことだった。
「ちなみに、歩いたらどれくらいかかりますかね?」
「半日程度でしょうかねえ。歩いたことはないですけど」
タクシーの運転手は楽しそうだ。
「カカランの若いもんが自転車でここまで来るくらいだから、歩けないこともないでしょう」
三十分ほどでカカランの、指輪職人の工房に到着した。帰りのこともあったのでチップをはずむと、運転手はにっこり笑って「またどうぞ」と言った。
「こんにちは」
工房には人気がなかった。不思議に思って敷地内をうろうろしていると、工房の裏手に設置されたベンチで、煙草をふかしているひとの姿が目に入った。かなりの高齢に見えた。
「あの、すみません。ここで指輪の加工をしている職人を探しているのですが」
そのひとは返事もせずに、どこかぼんやりとした様子で煙草をふかし続ける。
「あの……」
「だれですか?」
背後からの声にびくっとして振り返る。大きな籠を身体の前に提げた少女が、明らかに不審そうな目つきで私を見ていた。
「指輪職人を訪ねてきたのですが」
名乗ってからそう説明すると、少女は、ああ、という顔をした。
「そのおじいちゃんが職人さんだよ。ウルリッヒさん。もうボケちゃってて、指輪なんて作れないと思うけど。昔は相当腕のいい職人さんだったみたい」
「あの、君は?」
「わたしはリテラ。週に二度、ウルリッヒさんの身の回りのお世話をしに来てる」
「じゃあ、他に指輪職人は?」
リテラはきょとんとして、それからあははと声を上げて笑った。
「いないよ。ウルリッヒさんで最後」
そう言い残して歩き去ろうとしたリテラを追いかけた。
「最後? 最後ってどういう?」
「最後は最後でしょうよ。他に意味なんてない」
リテラによると、三年ほど前までウルリッヒに師事していたサルフという若者がいたが、頑固なウルリッヒに嫌気がさして逃げ出してしまったのだそうだ。
「しばらくはウルリッヒさんも他のお弟子さんを探していたみたいだけど、結局見つからずじまいで。だから、カカランの指輪は、もうない」
リテラはそのまま工房の隣の家に入ろうとした。さすがに家主に無断で立ち入る気にもなれず足を止めた。リテラはこう言い残して家の中に消えた。
「ボケちゃってるし耳も遠くなってるから、あんなちっちゃな声で話しかけたって聞こえないよ。隣に座って、怒鳴るくらいの声で話しかけてみて」
普段お世話をしているひとがそういうのだからそうなのだろう。先ほどのベンチまで戻り、ぼんやりした様子のウルリッヒの隣に座った。隣に座ったというのにウルリッヒは私に一瞥もくれなかった。
「ウルリッヒさん、こんにちは!」
かなり大声で挨拶をして初めて彼は私を見た。目はどこか違うところを見ているようだった。
「初めまして。私は、あなたに、指輪を、作ってもらいたくて、来ました」
「………………そんなに大声を出さんでも聞こえとる」
ぼそぼそと、張りのない声でウルリッヒが答えた。ぷかあ、と煙草の煙を吐いた。
「あれこれ面倒なんでの」
面倒。なにが。危うく本来の目的を忘れるところだった。
「今でも指輪を作っていらっしゃいますか?」
今度は普通の音量で話しかけた。どろんとした目のままでウルリッヒはゆったりと首を振った。
「指輪作りはやめた」
「では、私が最後の客になってもいいでしょうか?」
ウルリッヒは私の目を見た。やはりその目はどろんとしている。
「サシュに頼まれました」
途端にウルリッヒの目に光が戻った。それだけで十ほど若返った気がする。
「サシュ……サシュだと? あんた、サシュを知ってるのかね?」
咄嗟に頷きを返す。ウルリッヒは口の中で何事かを呟いたが聞き取れなかった。ベンチに立てかけてあった杖にすがって立ち上がる。ゆっくりとした動作で歩き始めたウルリッヒのやや後ろについて歩いた。ウルリッヒはそのまま工房に入り、奥の棚に辿り着くとごそごそと漁り始めた。工房の入り口で私はウルリッヒの背中を見ていた。やがてウルリッヒはなにかを探し当てたようだ。それを作業机に置いてから私を見た。先ほどのどろんとした目つきではなく、しっかりと力強い目つきだった。
「なにをしておる。こっちに」
慌てて作業机に歩み寄った。そこに広げられたのはかなり年季の入ったデザイン画二枚。ウルリッヒは椅子に座ってデザイン画に見入っている。
「俺が生きている間に、サシュからの依頼を受ける日が来るとは思わなかった」
ウルリッヒの言葉を不思議に思って俯いた横顔をじっと見つめていた。私の視線に気がついたらしいウルリッヒは顔を上げると、私を見てにやりとした。
「俺がこの工房に弟子入りしたのは、魔女の指輪を作る工房だとお告げを受けたからさ」
お告げ。話の先を促す。ある晩、ウルリッヒの夢枕に立った人物が居たそうだ。真っ黒なフードをすっぽりと被り、さらに俯き加減だったせいで容貌は解らなかった。その人物はウルリッヒに、カカランの指輪工房に行けと告げた。理由を尋ねると、お主には指輪職人としての才がある、と答えた。ウルリッヒはそれを鼻で笑った。ウルリッヒは貧しいスラムの出身で、まともに字すら読めないのに。その人物はゆるりと頭を振った。字が読めずとも指輪の加工はできよう、と。カカランの職人を訪ねよ、話は通してある──そこではっと目が覚めた。半信半疑で、それでも、まともな職に就けずに日々の糧さえ満足に得られていなかったウルリッヒは、お告げがほんとうであることに賭けカカランにやってきた。
「この村にやってきて俺はがっかりしたね。指輪工房があるだけのちっぽけな村で。それでも気を取り直して工房を訪ねたら、今の俺と同じ年くらいの爺さんが出てきた」
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