スノーマン、南の島へヴァカンスに行く
福田 吹太朗
スノーマン、南の島へヴァカンスに行く
◎人物
・スノーマン ・・・語り手。
・ミルクマン ・・・歯医者。麻酔で患者を誤って殺害しそうになった。今でもその患者に強請られている。
・ストロベリー ・・・女性。元看護師。老人を見殺しにした。組織の古い幹部の世話をしている。四十代。
・アイスマン ・・・弁護士。元検事。有罪の者を無実にした。今でもその男の弁護人。
・(チョコ)チップ ・・・IT技術者。マネーロンダリングに関わっていた。
・ミスター・コーン ・・・元警官。容疑者を殺害した。
・レディ・バーデン ・・・老婦人。自分の事はあまり話したがらない。自動車事故を発見したが、通報しなかった。(という設定)
・バニー(バニラ)・・・若い女性。海岸で恋人を見殺しにした。(スノーマンの正体)実は連邦捜査官。三十代。
・カップ ・・・彼らの世話をする人物。若い頃はワルだった。今でも時々付き合いがある。
はじめに
・・・私は訳あって本名はここには記せないのだが、仮に名前を、スノーマン、とでも名乗る事とする。
これからここに記される事は全て、読者に向けて書かれたものであり、それと同時に登場人物一人一人に語りかけるものでもあるのだ。
・・・なので普通の小説とは勝手が少しばかり違うと感じられるだろうが、それはそれ、全く別の読み物を目にして読んでいると考えていただければ、それで一向に構わないのである。
これは二人称の小説の様でもあり、映画のシナリオでもあり、演劇の戯曲にも見え、そして独白でもあるのだ。
さらには全体がパロディとして描かれているのは、ひとえに元になった小説が斬新で画期的で一際目を引く小説だったからでもあり、コメディとして描かれているのは、ここに書かれていることは全てフィクションであるのだから、フィクション、虚構である以上、何が起ころうとも、それがたとえ残虐な事件であったり、冷酷非情な犯人が登場するような話であったとしても、滑稽に描かれなければそれはノンフィクションの枠組みから完全には抜けきれていない証左で、虚構の世界にまだ完全に足を踏み入れていない事を意味するからなのである。
・・・とはいえ、読者にはここで起きていることにはあくまでも説得力があって、緊張感の糸がピンと張られて今にも切れるか切れないか、といったような臨場感は与えなくてはいけないので、その為にはさも実際に起きそうな事を描かなくてはならぬという、矛盾にも遭遇してしまうのだが・・・。
ともかくも話は唐突に始まり、そうしてこの私の名前が指し示す通り、まるで始めは小さな雪の玉が斜面を転がっているうちにいつしか巨大になり、速度も加速度的に増していくように、ストーリーもプロットも展開していくのがもっとも望ましいことではあったのだ。
第一日目 その一
・・・私はその南国の日差しをまともに目に受けて、少しばかりクラクラとしてしまったのだが、しかし気を取り直して目的地である、南国には不釣り合いの名前が付けられた、アークティック・アイランドの方向をサングラス越しに見詰めたのだった。
それは海の向こうの白い波の上に微かに浮かんでいるのが見えたのだが、海面全体が陽光に温められているのか、ユラユラと靄(もや)のようなものがまるで薄いレースのカーテンがかかったようでボンヤリとしていたので、しかも海面では絶えずキラキラとレフ板のような反射があちらこちらで起きており、それ以上はそちらの方向を見ているのさえ困難な状況に・・・そこで私はとりあえずは別の場所へと一旦退避するように移動したのだった。
・・・その港には全部で七人の男女がやって来た。
男が四名、女が三名・・・彼らはお互いが面識はなく、しかし二つ、いや、三つの共通項があり、彼ら自身はまだその時点では知る由もなかったのだが・・・まず一つ目は、自分の携帯に同じアプリをダウンロードして入れていたこと。
二番目は、そのアプリにある日突然現れたメッセージにより、巧みに誘い出されたり、脅されたりおだてられた者もいた・・・その遥か海の向こうに浮かぶ島に丁重に招待を受けたのだった。
三つ目の共通項は、それは今はまだここには記す事は出来ないのだが、しかしそのアプリで招待された者は全員、これから起こる事などは何も知らずに、海の向こうの唯一、その島へと向かうボートというか、小型のクルーザーが出航する岸壁へと皆大きな荷物を抱えて、その船がやって来るのを、今か今かと待ち受けていたのだった。
・・・船は間もなくやって来た。
エンジン音が徐々に小さくなっていくと共に、船は岸壁に横付けされて、そして完全に静止したのだった。
その小型クルーザーのような船の中から、一人の陽気そうな男が満面の笑みで岸壁へと下りて来た。
その男・・・本名はともかくとして、自分の事をカップと名乗り、そして、
「エヘヘヘ・・・皆さん、お揃いでしょうか?」
彼の笑顔はいつも愛想が良いというよりは、どちらかというと薄気味悪いのだった。
(・・・その場にいた、カップ以外の全員が明らかに苛立っていた。)
まずは歯医者の男がカップに声を掛ける。
「・・・あんたは誰だね? これから一体何が始まるというのだね?」
(彼の懸念はもっともな事だった。他の者たちも同じ考えであったに違いないのだ。)
しかしあくまでもカップは低姿勢、愛想笑いを浮かべてニヤけながら、
「エヘヘ・・・ダンナ、これから皆であの・・・(と、沖合いの島を指し示した)北極島へと行って頂きますので・・・」
元検事で今は弁護士をしている男が冷淡な口調で言うのだった。
「なぜ我々、しかもどうやらお互い面識もないのに、揃って行かなくてはならないのです?」
(彼の口調は法廷での口調そのものだった。)
「それは・・・皆さんのアプリに書き込まれた通りでして・・・」
「・・・なぜそれを?」
IT関連の会社に勤務する、背の低い男が驚いて言ったのだった。
(彼はことさら驚いていたようにも見える。おそらくその船に乗ったが最後、行き先は沖合いのその島しかないことは先刻調査済みだったのだろう。)
皆がなおも躊躇していると、若い女性が自分の荷物を持ち、
「・・・私のところに来たメッセージでは、島では豪華なディナーが待っているそうよ?」
そう言って船に乗り込んだので、仕方なく他の面々もどういう訳か(集団心理というやつなのだろうか?)その後に皆が続いて、乗り込んだのだった。
最後に老婦人が足元がおぼつかない調子で乗り込もうとしていたので、カップが手を差し伸べたのだった。
・・・船はようやくエンジンをスタートし、ゆっくりと港を離れて、波間の向こうに微かに見える島へと、動き出したのだった。
・・・船はその島へと辿り着いたのだが、カップとはまた別の人間で、しかも唯一の乗組員だった男は、船から下りる事さえせずに、そのまま何やら慌ただしく船上を動き回っていたのだった。
その様子を見て不審に思ったのか(実際彼は疑り深い性格なのだった)元警官で今はどこかの大型スーパーで警備員をしている、四十代後半の男が、船上の男に向かい、
「・・・オイ、まさか俺たちを置いて、出て行くつもりなんじゃないだろうね?」
その乗組員はまるで悪びれる風でもなく、ごく自然に、
「・・・そういう指示なもんでね。」
と、それだけ言うと、早くもクルーザーのエンジンのスイッチを入れたようなのだった。
その音を聴き付けて他の面々も、その島に唯一建っていた、巨大な洋風の古めかしい建物から、一斉に出てきたのだった。
「ああ、ちょっと・・・!」
誰かがそう言ったらしいのだが、しかしその声は無情にもエンジン音と、船が水しぶきを上げる音に掻き消されて、次に全員が呼吸を整え始めた頃には、もう遥か先、船は豆粒ほどの大きさになっており・・・そして遂に水平線の向こうに消えてしまったのだった。
「おい! これは一体どういうことなんだ!」
それは元警官である男による威嚇とも取れる、カップに対する怒号なのだったが、その声を浴びせられた本人自身も、少々キョトンとした表情で、
「・・・あれ? 伺っておりませんか?」
「一体何のことだ?」
「あの船は最初から、すぐに元の港へと戻る予定だったんです。おっかしいなあ・・・私のところのメッセージには、その事が書かれていたのに、お宅のにはなかったので?」
すると彼は(職業柄なのか、それとも生まれ持った性格か育った環境か、すぐに感情の導火線に火がついてしまうタイプの男なのだった。)慌てて自分の携帯を取り出してみたのだが、しかし今度は全く別のことに気が付いてしまったのだった。
「・・・アレ? ここって、電波が届いていないんじゃ・・・」
すると若い女性、おそらく三十代なのだろうが、彼女も自分の携帯を見つつ、
「・・・確かにそうだわ。電話もネットも繋がらないみたいだし。」
するとその方面の分野には詳しかった、IT企業の技術者である、小柄な男性が、
「確かに・・・あの船ではあっという間に辿り着きましたが、これだけの距離が離れていると、インフラの整備が行き届いていない場所などでは、こういった事もまま起こります。」
「チッ・・・!」
元警官の男が舌打ちをしてその建物の中へと入ったので、他の者たちも一斉に彼の後に続くように、その古ぼけてはいるものの、造りは意外と頑丈でしっかりしているような三階建ての建物の中へと、巨大な窓と出入り口を兼ねた場所から、入って行ったのだった。
・・・驚いたことに中のソファではただ一人、老婦人が全てを悟り切ったかのように腰を下ろし、どうやら自分の携帯に触れる事さえ遠慮している様子なのだった。
・・・そこはかなりの広さがある、まるで昔の貴族か領主が暮らしていたような、広間だったのだが・・・そこに全部で八名の男女がおり、皆諦めのムードのようなものが部屋の中に立ち込めており、ただ一人だけ、カップ氏が慌ただしく奥にあるキッチンとを行き来していたのだった。
「ともかくこれには、何かしらの悪意を感じますね。・・・どういう状況なのか説明してはもらえないかね?」
そう冷静な口調で告げたのは、元検事でもある弁護士の男で、彼は忙しく動き回り皆に飲み物やら何やらを配るカップを捕まえて、わざわざその作業の手を止めさせたのだった。
(彼のいつもの強引な手口。)
カップ氏はまたもキョトンとした顔付きで、やや言い辛そうにしながらも
「ええ・・・それがですね、わたくしもつい最近雇われたばかりの者でして・・・」
「雇った相手は誰なんだね?」
「それが・・・わたくしもおそらく皆様と全く同じ状況でして・・・ただパインのメッセージで、ここでいついつ働き口があるから、ぜひやってみませんか? と・・・何せその時は失業したばかりでしたし、報酬も良かったものですから・・・」
(彼は少しだけ項垂れていた。)
「ちょ、ちょっと待った・・・! するとあんたも、この中の誰も、我々をここに招待した人物のことは知らないって訳なのかね?」
と、背の低い男が言うと、若そうには見えたのだが、四十代ぐらいのもう一人の女性が、
「ただ一応、仮の名前は書いてあったんじゃない? ・・・スノーマンと。」
すると途端にめいめいが勝手に隣の者と話し始めたので、まるでその広間の中は蜂の巣をつついたような騒ぎとなったのだった。
すると突然、その中では一番の高齢であろう、しかも歳のせいなのか先程からただ一人ソファに腰掛けていた老婦人が、意外と大きな声で、
「・・・皆さん、自己紹介がまだじゃないのかしら?」
その途端皆が一斉に黙ったのだった・・・。
第一日目 その二
「・・・確かにこのご婦人のおっしゃられる通りですな。少なくとも今夜ひと晩はここで過ごさなくてはならないようですし・・・皆さんのところにも招待主からのニックネームが勝手に付けられておりましたか? まあ私としましてはそれを用いるのは承服しかねるのですが、かといって本名は名乗りたくはないですし、気の利いたニックネームも思い付かないので。・・・それではまずは私から。私の名前はアイスマン、となっておりますね。いやあ、どこの誰だかは知らないが、この私にピタリの名前ではないですか。・・・こう見えても元検事でしてね。今は弁護士をしておりますが。」
(そう言ったのは例の冷静な口調の男なのだった。皆が彼を注視し、そして誰が一体次に発言するものかと、まるで様子を互いに窺っていたようだったのだが・・・)
「・・・私は、ミルクマン、となっていますね。別にミルクを配っている訳でもないのに。これでも医師です。歯科医ですが。」
「歯医者さんと言ったって、お医者さんがいるのは頼もしいじゃない。・・・私はストロベリーよ? 美しい名前でごめんなさいね。」
そう自己紹介をしたのは四十代の女性で、するとすかさず元警官が、
「・・・一体普段は何をしているんだ?」
(その女性は明らかに不満そうな顔付きであった。しかし波風は立てたくはなかったのか、)
「前は看護師でしたけど、今は特には何も。ここへ来ると稼ぎのいい職を紹介してもらえるって書いてあったので来てみたんだけど、とんだ見当違いだったようね。・・・で、あなたは?」
「・・・俺の名は、なぜかミスター・コーン、となってるな。マッタク、一体こりゃ何なんだ? ジョークか脅しのつもりなのか?」
(今や皆が彼に視線を注いでいた。)
「・・・職業はスーパーの警備員さ。昔は警察官だったんだがな。」
すると途端に他の何名かから、驚きの声が上がり、
「・・・これはこれは。元検事に元警官ですか。これは一体・・・」
と、ミルクマンがなぜか少し嬉々として言ったのだった。
「私の名は・・・バニー、となってます。一応・・・。今は臨時教員を務めています。」
それを聞くとミスター・コーンがなぜか納得がいかぬ様な顔で、
「・・・なぜバニーなんだ? 女性は皆良い名前で、男はハズレくじって訳かい。」
(しかし皆その言葉をあえて真に受けようとは思ってはいない様子なのだった。)
「・・・私はIT企業に一応勤務しておりますが、そのせいなのかどうなのか、チップ、という名前になっております。」
そう答えたのは小柄な男で、さらに今は広間の端で壁にもたれかかり、様子を窺っていた、唯一仕事として雇われた男が、
「私は申し遅れましたが、カップというものです。あ、もちろん本名ではないですが・・・」
「それは分かってるって・・・」
(ミルクマンはもうすでにこの場のこの一種異様で特殊な雰囲気に疲れた様にそう言ったのだった。)
(そして自己紹介を終えた、七名の視線は、自ずとただ一人残された老婦人の方へと・・・)
彼女はおもむろに自分のハンドバッグの中から、あまり普段は使われてはいそうにない携帯を取り出すと、その画面を見ながら、
「私はおそらくこの中では一番の歳上でしょうね。・・・ああ、名前は、レディ・バーデンと・・・」
「本名みたいだな。まあ違うでしょうが。」
(そう言ったチップはその瞬間、何かに気が付いたようで、)
「・・・あ!」
「どうしたんだね? 何か思い出した事でも?」
アイスマンが聞くと、チップは確信めいた口調で、
「・・・我々をここに招き入れたのが、スノーマン、でしょ? それにチップは多分チョコチップか何かの事で、バニーっていうのはバニラのことじゃあ・・・」
するとミスター・コーンが腹立ち気味に、
「・・・すると俺たちはなんだ!? アイスクリームの材料、って訳かい? そのスノーマン様とやらに、食べられるとでも言いたいのか?」
(この悲痛とも取れる言葉を聞き、もし例えそのスノーマンが誰であったとしてもだ、密かに笑い出しそうになるのを、必死に堪えていたに違いないのだ・・・。)
第二日目 その一
・・・その時大広間に突如として、ボーン、ボーンという振り子時計の様な鐘の音が全部で十二回、つまりはいつの間にやら日付を跨いでしまっていたのだった。
皆しばらくはその鐘の音が鳴り終わるまでは放心したように立ち尽くし・・・そしてようやくそれが終わると、早速頭の切れるアイスマンがこう切り出したのだった。
「皆さん、要点をもう少しだけ整理しようじゃありませんか。」
しかしレディ・バーデンはかなりくたびれた様子で、皆と、そしてカップに向かって、
「申し訳ありませんが、わたくしはもうこれで休ませていただきますわ? ・・・ところで、寝室は用意がしてあるのかしら?」
カップは頷くと、
「ええ、皆様全員分のお部屋が、ご用意してございますが。もちろん個室で、バストイレ付きです。」
「そりゃありがたい事ですな。私もじゃあ、そろそろ・・・」
そう言ったのはミルクマンで、どうやら疲れ知らずのアイスマンとミスター・コーンを除いては、全員グッタリとしている様子なのだった。
(アイスマンは表情を曇らせながらも、仕方がないと諦めている顔付きなのであった・・・まるで法廷での反対尋問が首尾良くいかなかった時の様に。)
「・・・じゃあ、今の件に関しましては、明日、ではなく今日、後で改めて皆で協議するという事で・・・」
「今の件とは一体何のことだ?」
と、元警官のわりには意外と勘の鈍かったミスター・コーンがそう尋ねると、
「・・・なぜ我々が選ばれて、ここに集められたかという事ですよ。気にはなりませんか?」
(ミスター・コーンは冷笑した。)
「まあ、気にはなるがね。何、金持ちのただのお遊びさ。陽が昇ったらまた船が来て、それで永久にサヨナラ、ってワケだよ。」
(その言葉を聞いて余計に懐疑的な目で全員をじっと観察していたのは・・・)
「私はそうは思いませんね。」
「・・・チップさん、なぜそうお想いになられるのですか?」
アイスマンが好奇の目でそう聞くと、
「だってそうでしょう、明らかにおかしな状況だとは思いませんか? あなたはどうお考えです? 元検事、あるいは弁護士の立場からこの異常な状況をご覧になっても・・・」
(その頭の切れる男は珍しく白い歯を見せていた。)
「・・・これは監禁罪に当たりますね。弁護士として言わせてもらえれば。」
「まあ、そうでしょうね。(彼は一つ大きな欠伸をした。)私も疲れたので、そろそろお暇(いとま)させてもらいますよ?」
と、チップもどうやらお疲れのご様子で、皆の寝室があるらしい、二階もしくは三階へと続く階段を、上がって行ったのだった。
広間には二人だけが取り残されたように、それぞれ距離を開けてソファに腰を下ろしていたのだが、コーンがアイスマンに向かって、
「俺もそろそろ休むとするか。・・・どのみち明るくなりゃあ、全て分かるってコトよ。言うじゃないか、白日の下に晒される、とか何とか。」
そう言ってコーンも階段を上がって行き・・・(その時明らかにアイスマンは苦笑していたのだった。)・・・しばらくすると上の階から、カップが戻って来た。
アイスマンは彼を強引に捕まえると、
「・・・他に情報はないのかね? 例えば・・・この島のことは? ここは無人島なのか? そのスノーマンとやらの、心当たりは?」
(しかしさすがの頑強そうに見えたカップも、疲労困憊の様子なのだった。)
「本当に私にも分からないんです・・・! もういい加減解放して下さいって。」
(アイスマンの顔には明らかに落胆の様子が見て取れた。)
「・・・分かった。私だって人間なものでね。・・・少し休息を取る事とするか。・・・私の部屋はすぐに分かるかね?」
カップはかなりグッタリとしつつも、
「・・・ええ、皆それぞれの部屋の前に、イニシャルでニックネームが書かれたメモが貼られておりますので・・・! お休みなさい!」
さすがの人間離れしたアイスマンも、少々よろけながら階段を慎重に上って行ったのだった。そして去り際に最後に、
「・・・君は?」
「私はソファで寝ますよ! 部屋はあるんですけどね。もし何かあったら困りますし・・・一応報酬はいただいているものでしてね・・・!」
そしてカップ氏はその言葉の通りブランケットを被り、ソファで横になると、いびきをかいて寝入ってしまった様子なのだった。
(・・・その広間は途端に静かになった。するとそれまでは聴こえては来なかった潮の音、海の波のざわめく音が、まるでアンビエントミュージックのように、微かに聴こえていたのだった・・・。)
・・・太陽が昇ると、直射日光がまともにその広間の中に斜めに差し込んでいたのだった。
もうすでにそこには四人の人間がおり、たった今目を覚まして眠い目を擦ったカップの他には、おそらく一番早く起き出していた、レディ・バーデンと、バニーという若い女性、それと寝る間際の疲労した様子からは様変わりして、なぜだか溌剌としていた、チップもそこにはいたのだった。
彼は舌先も滑らかだったようで、
「・・・いやあ、昨晩、いや今日かな? ・・・夜と朝ではこうも雰囲気というか、何かもが変わってしまうようで、清々しい気分になりませんか? ねえ?」
と、二人の女性に賛同を求めていたのだった。
レディ・バーデンは何かの雑誌をめくり、クロスワードパズルのようなものをひたすら解いていたのだが、バニーの方は、ただ神経質そうにウロウロと、広間の中を歩き回っていたのだった。
チップがその様子を見て、
「何、お嬢さん。何てことはありませんよ。どうせ誰かのタチの悪いイタズラに決まっていますって。」
バニーはその言葉を聞くと立ち止まり、
「ええ・・・そうだといいのですけどね・・・。」
すると続々と、階段からは残りの人々が下りて来たのだった。
ミルクマンは広間にすでにいた四人を見るなり、その中にいるのをみとめたカップに向かって、
「キミ、悪いが一杯ミネラルウォーターをもらえないかね? 私は朝一番でそれを飲む習慣なものでね。」
カップはようやく立ち上がると、やれやれといった風に、
「・・・ミネラルウォーターがあるかどうかは分かりませんが、水は確か冷蔵庫の中に・・・」
と、一旦キッチンの方向へと消えたのだった。
どうやらもうすでに広間には、一人を除いて、七名が勢揃いしていたのだった。
チップは何かを見付けたのか、
「・・・一体どうしたんです? まるで捜査官が家捜しをしているみたいじゃないですか。」
どうやら朝から頭の働くアイスマンは、一階部分のそこいら中を、嗅ぎ回るように何やら調べていたのだった。
そして戻って来ると、
「・・・どうも分からないな。盗聴器らしき物も、カメラも見当たらなかったんだが・・・この状況から察して、我々のことをスノーマンとやらは、監視でもしているに違いない、と思ったのだが・・・」
(再び広間には微妙な空気が流れた。しばらくの間、一分ぐらいだったのだが、すると・・・)
「今じゃカメラなんて小さ過ぎて目視で探しても見付かるもんじゃありません。盗聴はさらにもっと巧みになってますよ。」
と、いかにも専門家らしく、チップがそう指摘したのだった。
「俺もそう思うね。こんな賢い雪だるまだか何だか知らないが、簡単に尻尾を出す筈がない。無駄な足掻きは時間の無駄だぞ?」
そこにはいつの間にやら、ミスター・コーンが立っており、自信たっぷりに断言したのだった。
(その元検事は、彼にしては珍しく口惜しさを滲ませた表情を浮かべたのだが、これまた彼には珍しく、嫌味の一つを言ったのだった。)
「何、時間は有り余る程あるのでね。無駄な足掻きではないと思うのだが。・・・違うかね?」
(広間の中は一瞬、険悪な雰囲気になりかけたのだが、そこへタイミング良く、カップが大きなトレイの上に食事を載せて運んで来たのだった。)
「どれどれ・・・ウン、監禁されている割には上等な朝食じゃないか。」
と、ミルクマンが言うと、バニーがカップに向かって、
「私もお手伝いしましょうか? まだまだあるのでしょう?」
と、奥のキッチンに向かったので、その後を追うように、ストロベリーも続いたのだった。
・・・広間の端にある大きな長いダイニングテーブルの上には、カップと二人の女性たちによって手際良く朝食が並べられ、八人の招待客は席へと着いたのだが・・・しかし誰からという訳ではなく、唐突に食事が始まった模様で、いきなりのタイミングで食器類やフォークやナイフやらの当たる音が広間の中でも響いていて(皆よっぽど腹を空かせていたのだろう・・・)誰も何も一言も発せず、ただ黙々とテーブルの上の朝食を胃の中へと招き入れ、片付けようと躍起になっていたのだった。
そして最後のフルーツの一切れを、レディ・バーデンが刺したフォークで口の中へと放り込むと、ほんのしばらく時間が空いた後・・・(今度は険悪なものではなく、皆が満ち足りた様な表情を浮かべていたのだった。)・・・そしておもむろに、アイスマンがこの時を逃すまいと、先日、正しくは日付は本日だったのだが、持論を語ると共に、ここぞとばかりに、彼の得意技である討論議論へと、強引に話を持っていったのだった。
「・・・私からお話し致しましょうか? 私は自分の携帯に、ここで自分の担当する弁護人に関する重要な情報があるからと・・・今にして思えば、こんな島のどこにそんな・・・しかしここに辿り着くまでは、まさかこんなに小さい島だとは知りもしなかったものでして。人口数百名ほどの、人が住んでいる場所だとばかり・・・」
すると次は、歯医者だという、ミルクマンが深妙な顔付きとなりながらも、
「私の場合は、ここにどうしても見て欲しい患者がいるからと・・・その人物は老人で、家からは一歩も出歩く事が出来ないので、往診していただきたいとの内容で・・・もちろん報酬ははずむとの話でしたが、今考えると軽率でした・・・」
「それは随分と手の込んだ話ですね。」
お次はチップの番だった。
「私の場合は単純です。昔の仲間・・・友人がここに住んでいるからとのメッセージが・・・名前も確かに合ってはいたし、文章の内容もかなり細かい部分まで知っているような内容でした。だから簡単に引っ掛かったんです。」
(そこでなぜかほんの若干また間が空いた。すると今度はストロベリーが、)
「私は昨日お話しした通りですわ? 仕事を探していただけなんです。本当にそれだけなんです。」
すると今度は若い方のバニーが、
「私はちょうど有給休暇を取ろうと考えていたところでしたので、せっかくだから少しだけ都会からは離れた所に行ってみようといろいろ検索していた時にたまたま、メッセージが入って来て・・・この島が宿泊するのにはとても魅力的で、食事も美味しいとの話でしたので・・・後半の部分だけは当たっていましたけど。」
すると続けてミスター・コーンが悔しさを滲ませつつ、
「俺は見事に騙されたんだ。とどのつまりは、金だよ、金。あんまり詳しい事は言えないが、ひと儲けする話があってあの港に行ったのさ。そしたら今度は、あの船に乗れっていうメッセージが届いたんだ。タクッ、人間ていう生き物は皆・・・」
「・・・みんながお金目的とは限らないわよ?」
ストロベリーが昨日のお返しとばかりに、嫌味たっぷりにそう言ったのだった。
(コーン氏は誰にも聴こえない様に舌打ちをしていたのだった。)
またしても最後に、レディ・バーデンがゆっくりとした口調で話し始め、
「私もすっかり騙されたのです。わたくしの場合は・・・ここに来れば旧友に会えるとの、そんな内容でしたが・・・何しろこういう最近の電話にはまだ慣れていないものでしてね。それですっかり信頼してしまい・・・」
そこで老婦人はいきなり口をつぐんでしまったのだった。
後はカップのみだったのだが、彼はあっさりと、
「私はもうすでにお話した通りです。・・・ま、仕事は一応ありましたがね。報酬もすでに口座の方には振り込まれていましたし・・・」
そこでそれについての話は終わってしまい・・・肝心の言い出しっぺのアイスマン氏もやや拍子抜けしたのか・・・そもそも彼は何を期待していたのだろう?
すると突然カップが立ち上がり、何かを思い出したかのように、キッチンへと慌てて向かったのだった。
ストロベリーがその背中に向かい、
「・・・あの、お手伝い致しましょうか?」
「いえ結構です! 自分一人で運べる量ですので・・・!」
そこでまたしても広間の中にはただ潮と波の音と、海鳥の鳴く声のみが聴こえていたのだが・・・(皆何かを隠している、嘘をついている。明らかに事実とは違う事を述べているのだ。この私には分かる。何せ餌をばら撒いたのはこの私自身なのだから・・・。)
・・・カップがトレイにデザートらしきものを人数分載せて戻って来た。
そしてそれをテーブルの上に丁寧に並べたのだが・・・(その時の全員の顔といったら・・・!)
・・・それはストロベリーアイスの上に、チョコのチップがまぶしてある一品なのであった・・・。
・・・それでも食欲というやつには敵わなかったらしく、皆アイスクリームを完食し、しかし顔はどことなく青ざめていたのだった。
(私は今にも吹き出して、爆笑しそうになっていたのだが、)
頭の切れるアイスマンがまたしても、
「これはやはり・・・その雪だるま男が、どこかで見ているとしか思えないですな。」
するとやはりチップが即座に、
「その可能性は大いにあるでしょうね。・・・ですが専門的な機器やら何やらがないと、それを見付け出すのは困難でしょうねぇ・・・」
(しかしその元検事は執念深い性格でもあったので、)
「それにしても・・・目的は一体何なのでしょう? 私にはサッパリ分かりませんが。」
(お次は粗暴な人物のご意見なのだった。)
「俺にとっちゃぁ、こんな所から早く出られりゃあ、それで大満足だね。」
「・・・スノーマンとやらがどこかで見ているって? 一体どこからです? そんな事が可能なのですか? しかしそれは、この島などではなく、どこか遠くの場所で見ているのだとしたら・・・」
ミルクマンがそう言うと、チップは即座にそれを否定したのだった。
「それはないでしょう。」
「どうしてです?」
「だって携帯の電波が入らなかったじゃないですか? おそらくどのような技術を使ったとしても、携帯よりも強い電波を飛ばして、カメラやマイクで遠くから見張っているとは思えません。それは殆ど不可能です。・・・まあ、人工衛星でも使えば別ですが。」
「と、いう事は・・・」
(全員がそこでほんの僅かに首だけを動かし、テーブルの席に着いている視界の中に入る人物の顔だけを見たのだった。皆が皆、お互いを疑っているようだった。しかし・・・)
「・・・この島は思ったよりも広そうですよ? この島のどこかに隠れてこっそりと観察しているのでは? その理由は不明ですが。」
(またしても頭の切れる弁護士の意見なのだった。)
「この俺なら・・・即座に探し出して、直接聞いてやるところだがな。」
(相変わらず乱暴な奴だ。)
すると今度はミルクマンがカップに向かって、
「・・・その船というのは、いつになったら迎えに来るのだね?」
カップは暗記まではしてはいなかったらしく、携帯の画面を見ながら、
「・・・二日に一回、もしくは最低でも三日に一回は、物資を運びにやって来る筈です。」
(またしても波の音・・・皆冷静になって、自分なりに考えを巡らせているかの様だった・・・。)
「・・・よし、それならまだ時間はあるな。」
と、ミスター・コーンが言うと、ストロベリーが怪訝そうな表情で、
「それってどういう意味なのかしら?」
「この島じゅうを探すって事だよ・・・! 奴はきっとどこかに隠れているに違いない。見付け出してその首根っこを押さえつけてやるまでの事さ・・・!」
(コーン氏にとってみればそれは妙案だったのだろうが・・・しかし彼は気分が高揚していて気が付かなかったのだろうが、女性三名は完全に引いており、さらにはミルクマンとカップの二人も、迷惑顔なのだった。)
・・・残りの二人、チップとアイスマンは、どうやらその無謀な計画に乗るというか、乗せられた模様で、
「・・・分かりました。やりましょう。」
「ええ・・・この島がどれぐらいの広さなのかは良くは分かりませんが。」
するとあくまでも強気で押し通すらしい、元警官は勇ましく答えたのだった。
「・・・それだって行けば分かるじゃないか! よし、今からこの島の周囲を一周してみるとするか。・・・誰か他に行く者はいるか?」
「私は一応医師ですので、もし誰か急病人でも現れたりしたら困りますので・・・」
その他の者たちも無論、その表情からして、行きたがっていないのは明白であり・・・そうしてその勇敢な、三人は島に来た時の身軽な格好のまま、ちょっとした冒険に繰り出すことになったのだった・・・。
第二日目 その二
太陽はほぼ真上に昇り、そこから推し測っても時刻は分かりそうなものなのだが、実はあの後・・・つまりは朝食の後のことなのだが、皆めいめいに違った行動を取っていたのだった。
・・・老婦人のレディ・バーデンは陽の当たるテラスに出て、相変わらず何かの雑誌を読み耽っており、バニーは読書をしたり、たまに気晴らしに屋敷の中を歩き回ったりしていて、カップとストロベリーはキッチンで食器類を洗って片付けた後は、カップはどうやら、一応は取り付けられているらしい固定電話で何とか外部と連絡を取ろうとしていて(無論上手くいかなかったらしいのだが)ストロベリーは海を見に、散歩に出たようなのだった。
ミルクマンは一人そわそわと落ち着きがなく、やたらと歩き回ったかと思えば、突然部屋に何分も引きこもったり・・・(しかし皆が口に出しこそはしなかったものの、心の片隅で考えていた事といえば・・・そしてその答えはじきに分かったのだった。)
・・・お昼をちょうど少し過ぎた頃、遥か冒険の旅へと出発していた三人、ミスター・コーン、アイスマン、チップらは、ようやくこの島を一周したのか、疲れた様子で帰還したのだった。
ミスター・コーンが忌々しげに言った。
「チェッ、何が北極島だよ! 北極だったら一面雪と氷の世界と決まっているじゃないか。ここは南の島だぞ? 雪なんかどこにも・・・」
「・・・どこにも我々のホストの姿は見つかりませんでしたねぇ・・・この暑さで溶けてしまったのかな? 雪だるまだけに。」
チップはソファでグッタリとしつつも、まだジョークを言う余裕はあったようなのだが、アイスマンは眉間に皺を寄せつつ、
「・・・この島は私が考えていたよりもずっと狭かったですね。そして・・・」
(いつの間にやら彼ら三名のいる、広間のソファの周りに殆ど全員が集まって来ていたのだった。)
「そして・・・何です?」
ミルクマンがそう尋ねると、アイスマンは勿体付けたように、
「・・・この島のこの屋敷以外には、どこにも何人たりとも、隠れる場所などはございませんでしたよ。例えば私なんかは、洞穴のようなものを期待していたのですがね。」
「つまりは空振りだったってこと?」
散歩から戻っていたストロベリーが聞くと、コーンが吐き捨てるように、
「まあそういう事さ。」
チップもソファからは全く動かずに、
「まあいい運動にはなりましたよ。それぐらいです、成果といえば。」
アイスマンも何か言いかけ、
「そうなると、つまりは・・・」
しかしカップがまた大きなトレイに昼食を載せて運んできたので、全員が腹をすかせていたらしく、皆で例の長細いダイニングテーブルの席に着いたのだった。
そして決まって食事が一旦始まると、皆黙ってしまう性格なのか、黙々と目の前の料理を平げて行き・・・あっという間にハイエナに残す分もないといった感じで、そして今回は誰がという訳ではなく、カップに悪いと思ったのか、皆自分の食器は自分でキッチンへと片付けに行ったのだった。
・・・そして戻って来るとある者はソファに深く身を埋めたり、ある者はダイニングテーブルで何かの飲み物の入ったグラスを傾けていたり、さらにある者は・・・。
時がまるで、と言うよりも、ここでは時間の概念というものが高原の酸素のように薄くなっているのか、あるいはただ単に全員暇を持て余して、頭の中がボンヤリとしていただけだったのか・・・。
カップが食器類を全て洗い終えて、広間に戻って来るとまたしてもアイスマンが彼を引き止め、
「ところで・・・食事は大変美味しくて結構なのだが、食料の方は大丈夫なのかね?」
「大丈夫・・・と言いますと?」
「つまりは足りるのか、という事だよ。」
(カップはやや気まずそうだった。彼にはただ、皆に美味しい食事を提供するという自分に課せられた作業を、仕事としてやり遂げることしか頭の中にはなかったのだ。そして、)
「ええ、おそらくは・・・しかし、」
「しかし? 何だね?」
「ええ、果たして一体いつになったら船が来るのか・・・それにもよるのですが。」
チップはソファで身を埋めながら、
「まあそうだろうな。彼にはハッキリとした事は分からないらしいからね。」
(チップはなぜか少し自慢げにそう言ったのだが、カップは彼特有の気おくれした表情をしていた。)
すると朝から落ち着きのなかったミルクマンが、それを象徴するような言葉を一言、
「これは一体・・・我々に対する復讐、もしくは見せしめというやつなのですかな?」
(またしても例の沈黙と静寂がその場を支配し、波の音だけが虚しく響き・・・)
そして唐突に、ボーンという時計の鐘の音が三回、広間の中に鳴り響いたのだった・・・。
・・・時が経つのは早いもので、その屋敷の中にはもうすでに、斜めにオレンジ色の陽光が差し込んでいたのだった。
通常このような麗(うらら)かな天候ならば、皆気持ちも穏やかになって、心安らげるものなのだろうが、このアークティック・アイランドに不幸にも上陸してしまった、八名の男女の心の内はそうではないらしく、その証拠に、一番こういう状況下では落ち着かなくてはならないであろう、医師であるミルクマンその人が、なぜか半分パニクっていたのだった。
(・・・実はミルクマンがそのような発作、を起こした原因を、他の者たちも薄々とではあるが、感じ取っていた筈なのである。)
・・・彼はカップから気付けのブランデーか何かを始めは一口、二口、そして一気にグラス一杯全て飲み干すと・・・ようやく少し落ち着きを取り戻したのか、しかし立ち上がろうとした瞬間、ソファにうずくまって横になり、そのまま気を失ったようにスヤスヤと寝息を立てて、寝込んでしまったのだった。
「やれやれ、よりにもよって、医師が真っ先に手当を受けるとは・・・」
アイスマンがまるで、大の大人が子供でも見るような目付きで、その場をようやく離れたのだが(おそらく他の少なくとも男たちは、同じ気持ちであったに違いない。)・・・しかし夕刻となり、さらに夜の帳が下り始めると不思議なもので、皆の心の中に猜疑心のようなものが・・・(誰もそれについては口に出しこそはしなかったものの、所詮は皆呉越同舟、同じ穴のムジナだったのだ。)
そしてあっという間に夕食の時間となった。
食事の風景は前述のものと何ら変わりはなかったので省く事とするのだが、それ、が起こったのは夕食も一通り終わり、ダイニングテーブルに着いていた全員が例の、不可思議な余韻に耽っており、まるで誰かが立ち上がったら自分も立とう、とでも考えているかの様に、皆の呼吸とタイミングを計っていた時のこと、突然奇妙な唄声がそれも子供の声で、広間の中に響き渡ったのだった。
それは一度きりであったので、おそらく詳しい歌詞の内容まで記憶している者はいなかっただろうが、次のような内容なのだった。
♪一匹目のシロクマさんはオオカミに脅される
二匹目のシロクマさんは口が達者
三匹目のシロクマさんはペンギンを羽交い締め
四匹目のシロクマさんは溺れたオットセイを見殺しに
五匹目のシロクマさんは悪いシロクマのお友だち
六匹目のシロクマさんは年老いたセイウチを見殺しに
七匹目のシロクマさんは魚を金の魚に変える
八匹目のシロクマさんはみんなに目を光らせる
・・・いいシロクマさんは暑さで溶けてしまったのかい?♩
・・・おそらく全員がポカンとし、内容を理解出来た者などいなかったのだろうが・・・(もしいたとするならば、それはそれでこの私が予想した通りだったのだ。)
(そして私は慎重に、誰が最初に反応を示すのかを確かめようとしていたのだった。)
まず最初に反応し、席から立ち上がって声を荒げたのは、例によってミスター・コーンなのだった。
「・・・おい、こりゃあ一体なんだ! 誰かやっぱりこの建物の中にもう一人、隠れていやがるな? おい! 汚い手は使わずに、出て来たらどうなんだ?」
と、誰もいない方向の、その広間のどこか、に向けて叫び声を上げていたのだが、こういう状況でも冷静でいられたアイスマンが、
「まあまあ・・・これではっきりとしたじゃないですか。」
「どういう意味だ?」
「・・・私たち三人は、とんだ見当違いの場所を捜索していたのですよ。」
そこでようやくコーン氏がまた腰を下ろすと、チップも同意見だったようで、
「・・・ですね。この島のどこか、ではなくて、この中の誰か、という事になりますね。」
「・・・スノーマンがか? そんなバカな・・・」
おそらくその二人の指摘で十分だったろう。さすがに勘の鈍い者でさえ、この二日間、いや、自分の携帯にメッセージが入った時から数えればここ一、二週間余りで自らの身に起きた事を、ようやく悟ったのだった。
アイスマンはあくまでも冷静に、カップと、こういう事にかけては専門家らしい、チップにも尋ねたのだった。
「・・・今の音声は、一体どういった仕組みでこの部屋の中に流されたのでしょうね? (カップに向かって)・・・どこかに空き部屋とかはあるかね?」
まずはチップが、自信ありげに、
「・・・そうですね。おそらく一階の天井、つまりは二階の床の部分に、スピーカーのような物が埋め込まれているのか・・・壁なのかもしれません。それを遠隔操作か、タイマーのようなもので自動的に流すような仕掛けかと・・・」
カップはその時にはミルクマンと同様、かなり怯えたような態度となりつつも、
「・・・空き部屋は一つだけございますが、しかしその部屋では・・・わたくしは全ての部屋を最低でも一回は掃除しましたが、特に怪しい機械類やら機具などは・・・」
(チップが自身たっぷりに言う。彼の場合は、不安感を好奇心の方が上回っている様子なのだった。)
「おそらく・・・最近の技術ならば、それほどのスペースも、設備も特には必要とはしないでしょう。」
するとバニーが、
「でも・・・それはここに私たちが来た時からあったのかしら?」
そしてミスター・コーンが、
「ああ、そうだろうさ。誰だか知らんが、全て万端準備を整えて、そうしてそれをどこかで見張って楽しんでいやがるのさ。タクッ、どこの誰かは知らんが、嫌な性格の野郎だぜ・・・!」
「私はそうは思いませんな。」
「・・・一体どういう意味なの?」
アイスマンが何か思うところがあったのかそう言うと、ストロベリーが聞き返したのだった。
「それはつまり・・・実は私は、この屋敷の中も殆どくまなく調べられる範囲で調べてみました。・・・誰も隠れていられるスペースなどはなかった筈です。と、いう事は・・・」
カップが怯えた表情で答えるのだった。
「・・・私もそう思います。このお屋敷には我々しかおりません。この八名しか。」
(どうやらもうすでにその点、について悟った者と、そうでない者の二通りに分かれてはいる様子なのだった。)
「て、事はつまり・・・」
コーン氏もようやくその点について考えが追いついたのか、そっとそれとなく全員の表情を窺っていたのだった。
そして賢明で狡猾な元検事はこう断言したのだった。
「・・・その通りですよ。この中の誰かがスノーマンなのですよ・・・!」
(・・・私は正直なところ、早くも二日目にしてこの様な急展開が訪れるとは予想外であり、やはりここに集めた連中はえらく頭が切れると脅威すら感じ・・・しかし同時にこういった展開はある程度は予測済みではあったので、ただそれが早かっただけなのだ、そこで・・・)
すると普段は滅多な事では口を開かない、その時もいつものように雑誌をめくっていた、レディ・バーデンがその雑誌をパタリと閉じると、
「・・・ではその意図は一体何なのでしょうね・・・? この中には誰一人として、知った顔はいなかったのではなかったのかしら・・・?」
(その言葉で全員が全員の顔をジロジロと一斉に眺めたり見詰めたりしていた。しかしやはり・・・)
「・・・私はいませんね。かつて弁護を担当した者でさえ。」
と、アイスマン。
「・・・私もですよ。この中にもし患者がいたとするのならば、すぐに気が付いていた筈です。」
今はすっかり体調も良くなったらしい、ミルクマンもそれに同意したのだった。さらには元警官も、
「・・・俺もだな。逮捕して取り調べをした事のある顔なら、すぐに思い出す筈だ。」
(それぐらいで十分だったのだろう? その三名の意見と記憶とでやはりその八名全員は全くの初対面であることが判明し、そして・・・)
「では一体・・・もし本当にこの中の誰かが、スノーマンその人だったとして、何が目的なんです? 全員を強請るつもりですか? それとも皆の過去を今さらほじくり返して、それをわざわざ同席して反応を楽しんでいるとか?」
歯科医がそう力説すると、皆また押し黙ってしまったのだが、その沈黙をストロベリーが破ったのだった。
「でも・・・そのスノーマンとやらはやはりどこか離れた場所にいて、仲間がいるだけなのかも。だって自らが乗り込むだなんて、危険すぎるでしょう?」
すると端から疑り深かった、アイスマンもほんの少し妥協したのだった。
「まあ・・・確かにその可能性はある。」
「・・・この島には誰も潜んでいる様子や痕跡はありませんでしたが、少し離れたところに船を停泊させる事は可能でしょう。」
(チップはその口調だと、まだこの状況をほんの少しばかり楽しんでいる様子なのだった。)
「でもそれだと・・・仲間は必要ないんじゃありません?」
(バニーはいい点を突いたのだった。)
「堂々巡りですな! これだといくら話し合ったところで埒が明かない。」
(ここで一番暴力的な男が、おそらく過激な提案をしようとするのを私は決して見逃しはしなかった。)
「て、事は。手っ取り早くその答えを導き出す方法は・・・」
するとその瞬間、振り子時計の鐘の音が、またボーン、ボーンと、確かに十回鳴ったのであった。
するとレディ・バーデンが早くも腰を浮かせ、
「・・・悪いけど、私は少々疲れてしまったものでしてね。先に休ませて貰いますよ? よろしいかしら?」
(誰もそれに異論を挟む者はいなかった。その時の彼女にはどこかしら威厳のようなものが感じられたのだ。)
「・・・なら私も。何だか疲れるわね? 他人を疑うのって嫌だわ。」
とストロベリーが言うとバニーも、
「・・・私も今日は休みます。お休みなさい。」
と、女性陣三名が早々と階段を目指して歩いて行ってしまうと、今度は朝から体力と言うよりは神経が疲れ果ててしまったらしい、ミルクマンもそれに続いて、
「・・・申し訳ないのだが、私も本日はこれで。」
呆気なく去って行ってしまうと、その場に残った四人のうち、カップはまだダイニングテーブルの上に残っていた食器類のいくつかを、片付け始めたのだった。
残りの三名も、ポカンとした表情で、半ば放心状態でその場に取り残されていたのだが・・・(私は正直なところ、ほんの少し胸を撫で下ろしていたのだった。早くも二日目にして、一匹だけ混じった、黒い羊探しが始まりかけていたのだから。)
「まあ、今日はこれぐらいにしておきましょうか?」
諦めの悪かったアイスマンがそう言ったので、他の二名も、
「ま、どっちにしてもここからは誰も出られっこないさ。・・・ボートも島にはなかったからな。」
「しかしこれで・・・一体どちらなのかが分からなくなりましたね。」
チップが言うとアイスマンは去りかけた足を止め、
「・・・それは一体どういう意味だね?」
「それはつまり・・・別にあなたの説を否定するつもりは毛頭ございませんが、もし沖合の我々からは見えない位置にボートか何かを停泊させていたのなら・・・この島に自ら出向く必要もないんじゃありませんか? それに仲間を送り込む事も。」
(アイスマンは彼にしては珍しく、無論彼でさえ法廷では無敗ではなかったので、自分の意見が百パーセント正しいとは限らなかったのだが・・・)
「まあ、一晩ゆっくり休んでゆっくりと考えますよ。今は頭が疲労してしまったらしいのでね。」
そしてアイスマンとチップも上の階へと上がり・・・広間にはミスター・コーンと、カップの二名のみが、まだ居残っていたのだった。
カップが慌ただしくキッチンから出て来ると、おそらく誰も残っていないと思ったのか、コーンを見てひどく驚いていたのだった。
「・・・まだお休みにはなられないのですか?」
「ああ・・・ところで、あんたは報酬を受け取っているんだろう?」
「ええ・・・けどそれが何か?」
「その依頼人は、壁をそっくり壊したらさぞやお怒りになられるだろうか・・・?」
「ちょっとよして下さいってば! それに、もしそんな事をすれば、あなたが誹(そし)りを受ける羽目になるでしょうよ・・・!」
「そう思うかね?」
「・・・だってそうでしょう。この中は一応エアコンはきちんと完備されているのですし、それに穴を開けてしまうだなんて・・・それでもし何も出て来なかったらその時はどうします?」
「・・・それもそうだな。」
(彼は笑っていた。それは皮肉に満ちた、自虐的とも取れる笑いなのだった。)
そしてミスター・コーンもやがて階段を上がって行き・・・全ての作業を終えたらしいカップがまたソファでブランケットを被り、寝息を立てて眠りについた頃になってようやく、例の鐘が十二回、きっかりと鳴ったのであった・・・。
第三日目 その一
・・・その日も穏やかに一日が始まった、ように感じられてしまったのだが、それというのも朝から眩しい程に、太陽の明るい日差しが照りつけていたのだ。
ミルクマンがポツリと、窓の外を眺めながら言ったのだった。
「きっと今日辺りは、船がやって来るといいんだけどなぁ・・・」
それを全員が聞いていた訳ではないのだろうが、少なくともすぐ側にいた、ストロベリー、バニー、チップ、後もし耳が遠くなっていなければ、そこはソファのある場所であったので、レディ・バーデンにもその歯科医の悲痛だが、まだその時には窓の外の陽光煌めく天候に誤魔化されて、殆どが楽観的になっていたであろう、者たちの耳には入っていたのだった。
朝食も何ら変わりなく済み、食器類もあらかた片付けられて、皆がまた例の如くくつろいでいたのだが・・・しかしその大きなガラス窓の外側の風景は、確実に、しかも悪い方向へと変化を遂げていったのだった。
「・・・キャッ!」
それは三名の女性陣の内の誰かの悲鳴だったのだろうが、それというのも遠くでほんの一瞬だが、稲光が見えたかと思うと海面に突き刺さり、さらには次第に海面の波も高くなっていって、そうして徐々にだが確実に、濃い黒い色をした雲がこちら側へと近付いて来ていたのである。
・・・そして遂に激しい雨が雨音とともに屋敷の屋根やら窓やら壁に当たる音が鳴り始めたので、もはやその窓からは外の風景すら見ることが出来ず、誰かがレースのカーテンを引いて、少なくとも窓ガラスに打ち付ける水しぶきを覆い隠すことが出来たのだった。
しかしそれとは対照的に、室内では皆の不安な表情、雰囲気までは覆い隠せず、ミルクマンはもはや言葉にならぬ言葉で、
「これじゃあ、船は・・・」
と・・・それに続く言葉は誰もが分かってはいたのだろうが、しかし続ける者などはなく、しかもこの天候では表に出て麗かな海を眺める、といった訳にもいかず・・・しかし気を利かせて皆にドリンクを運んで来たカップが一言、
「何、海ではよくある天候の急変、というやつですよ。」
とだけ言い・・・しかしそれでも皆の表情は窓の外と同様、晴れなかったのだ。
ストロベリーも気を利かせてなのか、あるいは自分自身の不安な心を鎮める気もあったのだろう?
「ちょっと・・・音楽でもかけましょうか?」
と言い、その広間の端に何気なく置かれていた、大きなスピーカーのついた昔風のステレオの前まで行きかけた時・・・何と誰も触っていないにも関わらず(ご想像は付く事と思われるが)突然、かなり歳を取った年輩の男性の声が一方的に聴こえて来たのだった。
「・・・ミルクマンはおよそ三年前、ある患者の虫歯の治療をした際に、間違えて麻酔を効かせすぎてしまい、その患者が昏睡状態に陥るという事故があったな。・・・幸いにもそれは事件にならずには済んだのだが、しかしそれよりもはるかに運の悪いことに、その患者に今でも脅され、強請られているという訳だよ・・・」
皆が目を丸くしていた。(やはり思っていた通り効果覿面(てきめん)なのだった。)
しかし肝心のミルクマン自身は何も言葉すら返せずに、ただ青ざめた顔で広間の隅っこで怯えていたのだった。
「・・・アイスマンは元検事だが、かつて手心を加えて明らかに有罪であった男の罪を見逃して無罪に導いたばかりか、弁護士となった今は、とある犯罪行為に関わっている人間の弁護士を務めているそうじゃないか? 果たして彼は正義の為にその能力を行使していると言えるのだろうか?」
アイスマンは慌ててステレオの前に行き、それを止めようとしたのだが、なぜかミスター・コーンがこの状況を少しばかり楽しむかのように、
「まあまあ、最後までとりあえず聞いてみようじゃないか。」
「・・・何だと!?」
(明らかにアイスマンは激昂していたのだが、しかし彼の順番、は終わってしまった後だったのだ。)
「・・・ミスター・コーンはかつて警察官であった時に、他の同僚の巡査たちと共に、まだ有罪にさえなってもいない、大柄の男を警官三人懸かりで羽交い締めにし、殺害してしまったのだが、自分たちは無罪放免、しかし今は郊外の大型スーパーで何食わぬ顔で警備員をしているという訳だね。」
(ミスター・コーンは明らかに不服そうな顔付きであったのだが、しかし自分から続けようと言った手前、何もせずただ指を咥えて黙っていたのだった。)
「・・・バニーは数年前、小学校低学年の児童たちを海に泳ぎに連れて行った際に、その中の一人が深みに嵌まって溺れてしまっていたのを、見ていたのにも関わらず、何もせずにいたせいで・・・その哀れな生徒は亡くなってしまったそうじゃないか。・・・しかしその後の聞き取り調査の際には、足が攣(つ)っていて動くことが出来なかった、との言い訳まで添えて。」
バニーも完全に青ざめていた。涙を流しそうになるのを、必死に堪えているような素振りなのだった。
「・・・カップは昔、少年時代の話まで遡るのだが、かなりの不良少年だったようで、さんざ悪いことをやったのまではまあ、若気の至り、家庭環境のせいもあったのだろうが・・・しかしよりにもよって、今でもその時の悪仲間とつるんでたまに一緒に飲みに行ったりしているのは、一体どういう訳なのだね?」
(カップも何も出来ずにいた。ただ飲み物を運んできたトレイを持ったまま、立ち尽くしていたのだった。)
「・・・ストロベリーは数年前まで看護師をしていた。勤務していた介護施設で自分が担当する高齢の御老人が、完全に容体が急変したのにも関わらず、誰も助けを呼ばず、しかも自分自身でも何もしなかった。・・・だが今でもとある高齢の人物の面倒を見ているそうじゃないか。」
ストロベリーだけは即座に反応し、慌てて走って行ってステレオのスイッチらしきものを探していたのだが・・・何とそれは、コンセントが外れていたのである。
その様子を見てチップが、
「・・・無駄ですよ。きっとそのスピーカーから声が出ている体を装っているだけなんだ。」
(彼は完全に諦めたようなのだった。)
「・・・チップはそのPC技術者としての力を悪用し、資金洗浄、つまりはマネーロンダリングに手を貸していたそうじゃないか。・・・たった数回の過ちであったとしても、犯罪は犯罪、しかも犯罪組織の為にやったことなのだから、彼らの仲間も同然だ。」
(チップにもこの仕掛けを止める手立ては思い付かなかったらしい。表情が完全に死んでいたのだ。)
「・・・最後にレディ・バーデンは、昔自らが運転する車で夜道、人を跳ねてしまい、しかし何の通報もせずに逃げた・・・いわゆるひき逃げだな。ブレーキを踏むのが遅れたのか、それとも前方不注意か何かなのかね? 全く、トラぺゾイドなどという古い車に乗っているから、そのような目に遭ったのだよ。これからは気を付けないとな。」
(その高齢の女性は明らかに表情が変わっていた。特に目付きがだ。私は決して見逃したりはしない。)
どうやらそこでその声はピタリと止んだようなので、アイスマンがいかにも屈辱を味わったというような顔で、その声のしたスピーカーと、全員の顔とを交互に眺めていたのだった。
「・・・これもスノーマンの仕業なのか? こいつはどういった仕組みなんだね?」
すると全く静止して固まっていたチップが、自分が聞かれた事に少し間が空いてから気付き、
「・・・エ? ええ、まあ・・・昨日のとおそらく全く同じですよ。そのスピーカーはおそらくダミーです。そこを調べてみたとしても・・・多分時間の無駄ですね。」
するとよっぽど肝が据わっているのか、はたまたただのハッタリをかましているだけなのか、ミスター・コーンがその状況さえ楽しむかのように、意地悪そうな目で全員を見てから、
「・・・するとここにいる方々は皆さん、犯罪者って訳ですね。こいつは面白い。その犯罪者たちを集めて、これから裁判でも開廷するんですかね?」
するとミルクマンがややムキになって、
「おいキミ、楽しんでいる場合じゃないぞ? その雪だるま男は、我々全員を告発しているんだからな。」
すると今度はストロベリーが、ほんの少しだけ冷静さを取り戻したのか、
「これって・・・昨晩の子供の声の内容と一致するんじゃない? 私はあまりに突然だったから部分部分しか思い出せないけど、誰か全て覚えている人はいらっしゃるかしら・・・?」
かなり長いこと・・・実際には一、二分のことだったのだろうが、窓の外の薄気味悪い天候にピタリとシンクロするように、重たい沈黙があったのだが・・・意外にも老婦人が一言、
「・・・ええ。私は覚えていますとも。昨晩の内容と全く一緒だったわね。」
第三日目 その二
その日のお昼を過ぎた頃、全員が昼食を食べ終えて・・・(しかし皆一様に食欲がないのは一目瞭然なのだった)・・・するとそれらの不安と恐怖心を紛らわす為なのか、めいめいが好き勝手に自分の好む場所で話し始め、広間の中はパーティでも冠婚葬祭の席でもないのに、どこかしら異様な感じで盛り上がっていたのだった。
そしてその隅っこの目立たぬ所では、チップがアイスマンに話があったらしく、二人して何やら他の者たちの目を憚るようにして、話していたのだった。
チップが何やら耳打ちしていたのだった。
「先程の一件、どう思われます?」
「どうって・・・私自身に関するコメントは、差し控えさせてもらいますけどね。」
(チップは途端にピリピリとした顔付きとなり、他の者が聞いていないかと確かめてから、)
「・・・実は例の子供が唄っていた歌のことですが。」
「それが何か?」
「ええ・・・実は私はあえて名乗りを上げはしませんでしたが、殆ど全ての歌詞を記憶していたんですよ。」
「と、言うと?」
「ええ・・・本当のところ、あの歌詞の内容と、その次に流れた男の声の内容と、一人だけ違っていた人物がいるのですよ。」
「それは事実なのですか?」
「ええ。間違いありません。・・・つまり嘘をついている人間が・・・もっとも、あの男の声が言った内容が真実であれば、の話なのですけどね。」
「ええ、まあ・・・」
(それについてはさすがのアイスマンもバツが悪そうなのだった。)
「それと実は・・・私はちょっとばかし車には詳しいのですけどね。」
「ええ。」
「・・・トラぺゾイドなんて車種は聞いたことがありません。つまりはあのご婦人は・・・でももしかしたら、外国の車かもしれないし、その点は何とも。」
「・・・でもなぜその話をこの私に?」
「・・・あなたは弁護士で元検事なんでしょ? 一番信頼出来そうだからこうして・・・」
「しかしあの男の声の内容が本当ならば、私も悪党、という事になりますよ?」
「ええ、まあ・・・しかし私はあなたの事を信用しますよ。」
「それはありがたいですな。」
(それから二人は何食わぬ顔で他の面々の中に戻って行ったのだが・・・私は決して、見逃しはしなかった。チップが酷く怯えていたことと、アイスマンが例によってポーカーフェイスながらも、どこかしら何かしらの考えを巡らせているかのような表情であったのを。)
外の天候は相変わらずなのだった。
午前中よりはだいぶ雨足も弱まり、窓ガラスに打ち付ける勢いも弱まりつつあったものの、しかしそれでも依然として降り続けており、救援の船がやって来るのは、まだしばらくの間は見込めそうにないのだった。
皆その頃にはすっかり黙ってしまい、何だかそこにいた全ての人間が殆ど何もしていないのにも関わらず、体の余計なところに力が入ってしまって力んでいるのか、皆疲労感が顔に滲んでいるのだった。
外では相変わらず大量の雨が降っている。
その雨の様子をチラリチラリと見ながら、ミルクマンが言うのだった。
「しかし一体どうやって・・・スノーマンとやらは我々の過去を調べ上げたのでしょうね?」
ミスター・コーンが相変わらず皮肉混じりに嫌味を言ったのだった。
「するとあんたは、自分の行いを認めるってことなのか?」
ミルクマンは憮然としつつも、しかしもう完全に開き直ってしまったらしく、
「・・・ああ、そうですとも! この私は確かに・・・しかしもしこの私の話が本当ならば、他の人たちも同様、ってコトでしょう? そこだけが救いにはなりますね。少なくとも。」
「・・・あんなのは真っ赤な嘘よ! 全くのデタラメだわ! 大体私がその・・・その事実が仮に本当だったとして、どうしてそれを知っているのかしら? ここにいる誰一人として顔見知りすらいない訳ですし、ここのホストだけが物知りって訳なのかしらね?」
ストロベリーがそう力説すると、ミルクマンも自分なりに勝手に良い方に解釈したのか、
「確かにそうだ。ただ出鱈目を並べ立てていただけなのかもしれない。」
「・・・あんただけは自分の行いを認めたけどな。」
「ちょっと、もう・・・!」
コーン氏の容赦のない言い分に、珍しくバニーが感情を露わにしたのだった。
カップがいきなり言うのだった。
「私は決めました! 確かに報酬はもうすでにいただいてしまったのだが、それらは全て返却して、船が到着次第、この仕事を辞めようと思います。」
「おいおい・・・それじゃあ料理は一体誰が・・・?」
「・・・船が来るまではきちんと自分の職務は果たしますよ。」
(どうやらこの私の思惑を遥かに飛び越えて、その場にいた全員がかなりピリピリと神経を尖らせており・・・しかしそれは、袋の口が徐々に狭まっていることを意味してもいたのだった。)
またどこか遠くで雷鳴が聴こえた。
しかし今度は誰も気にも留めてはいない様子なのだった。
雨の音、風の音、波が島に打ち付け弾け散る音、そしてそれとは対照的にシンと静まり返ったまるでお通夜のような大広間の中。
・・・しかし奇妙なことに雨雲が徐々に遠ざかっていき、風雨が治りかけるのと反比例するかのように、八名の間での猜疑心も徐々に自然と薄まっていったのか、広間のあちらこちらでは、優雅なパーティとまではいかなかったものの、会話が再開されていたのだった。
そしてお決まりの鐘の音が五つ、いや、六つだったのかもしれないのだが・・・殆ど何もしていない時間であったとしても、それは確実に前へと進み、時計の針は確実にいつもと同じ方向に回転して、針を進めていたようなのだった。
・・・食事は前日、前々日と全く同じであった。
同じというのはメニューのことではなく、なぜか全員が同じ席順で座り、同じような速度でめいめいがスプーンやらフォークやらを動かし、そして同じように食べ終えると片付けが始まり・・・それはまるで何かの儀式のようでもあったのだが、しかし今や皆が打ちひしがれており、その表情からして、せっかくの美味である料理を堪能したというのにも関わらず、まるで舌の感覚が麻痺して味覚がどこかへと飛んでしまい、しかし空腹感と食欲だけはあったようで、料理を残す者はいなかったのだった。
そして皮肉なことに・・・その頃になると雨も上がり、風の音も遠くの方でしか聴こえなくなっていたのだが、誰かがカーテンを開けてはみたものの、結局のところ外はもうすでに真っ暗闇で、その日一日は、南国の太陽を拝む事が出来たのは、午前中のほんの数時間だけだったのである。
・・・だからという訳ではないのだろうが、その日は全員が早々と上の階へと上がってしまい、一階のキッチンではカップただ一人が片付けやら、明日の献立の準備なのだろうか? 何やらしばらく動き回ってはいたのだが、それも終わって彼がソファでブランケットを被る頃には、時刻も夜の十時を回っており、カップ自身もかなり疲労していたのか、あっという間に眠りについた様子なのだった。
・・・その建物の外ではまた、いつものようにただ波と潮の音、そして時折風が吹いて建物の脇を掠めて行く音だけが聴こえており・・・その日はそれで何事もなく終わりを迎えたのだが・・・。
第四日目 その一
・・・前述の通りこの建物は三階建てで、一階は主に大広間とキッチン、二階と三階には四部屋ずつ、全部で八部屋あったのだが、カップだけは一階のソファで就寝していたので、三階の一部屋だけは空き部屋となっており、その他は客人たちで全て埋まっていたのだった。
それぞれの部屋は彼らが到着した際に、ドアの前にかけられた札に、自分のニックネームを表すイニシャルが書かれていたので、皆大人しくそれに従って所定の部屋で寝泊まりしていたのだが(しかし私はそれを特に意図的に配置した訳ではなかったのだった。)・・・二階には、ミルクマン、ストロベリー、アイスマン、チップの四人、三階には、バニー、ミスター・コーン、レディ・バーデンの三人らにそれぞれあてがわれていたのであった。
(・・・私の見るところ、彼らは明らかに動揺していた。ただでさえこの島にゲストとして招かれたことさえ謎であったのに、まさか昔の封印していた自分の悪事が、それも赤の他人の前で晒されるとは、夢にも思ってはいなかった事だろう。・・・なのでこれは私にとってみれば絶好のチャンスだった。
何の為にこの私がそのような手の込んだ事をするのかは今は置いておいて、早速これらの部屋に寝泊まりする人々が一体、どういった立場に置かれていて、これからどのように動くのか、あるいは動かせるのかということを、見ていこうではないか。
・・・まずは二階にいる、四名から始める事とする。
・・・ミルクマンは明らかにここで起きた一連の事にかなり動揺しており、ビビってもいたのだが、それも無理のない話で、あの声の言う通り、彼は今現在でも脅され、強請られているのだから。
実のところ、彼はあの日は診察の際にはしこたま酒を飲んでおり、それで極めて単純なミスを・・・しかしその相手が悪かったのだ。
その人物というのが、地元でも悪名高い犯罪で身を立てているような人物で、当然の事ながらミルクマンは脅されつつも、何とか金で解決しようとしたのだが・・・しかしそれがかえって悪い結果を招いてしまったようで、その後も事あるごとに、金品をむしり取られていたのだった。
ミルクマン自身は警察に思い切って届けを出すことも考えはしたのだろうが、しかしそれだと彼自身が医師免許を剥奪されないとも限らず、結局はあと一歩のところで妥協してしまい・・・要するに勇気が足りなかったのである。
なので・・・今回の私の目的に彼は合致してはいたものの、思っていた以上に彼が小心者である事が判明してしまったので、当面は仲間に引き入れる事を躊躇う他はないのだった。
・・・ストロベリーは見掛けによらず非情な性格の人物ではあったのだが、しかし彼女のした行為も、考えようによってはある意味当然の成り行きといえばそれまでで・・・しかし人一人故意に命を絶ったのは確かではあったのだが、私にとって問題なのは、実はそこではなかったのだった。
彼女は表向きは看護師は辞めてしまっていたのだが、実はそうではなく、ある一人の人物の介護専任になっただけの事だったのである。
その人物はとある組織の幹部であり、彼女はその仕事の性質上、その屋敷には組織の幹部連中が絶えず出入りしていたので、否が応でも、組織を構成している人物、彼らの人間関係、そして実際に普段から行っていること、等を知ってしまう立場にあり、気が付いた時にはもうすでに、その組織の一員になっていたも同然なのだった。
・・・なので彼女があの告発の声を聞いた時の、狼狽ぶりも理解が出来るというものではないか?
おそらく私の見るところ、もし例えその幹部が亡くなったとしても、別の人間を看護師として診るか、あるいは組織から全く別の役割を与えられて、要するにもうそこからはドップリと嵌まって抜け出せなくなってしまっていたので、組織の一員、といっても過言ではないのだった。
・・・アイスマンはあの告発の通り、まずは検事時代に情けをかけてしまった事から始まり、それが買収によるものだったのか、彼自身の単独の選択であったのかは今となっては不明なのだが・・・ともかく、今弁護を受け持っている人物というのが、前の二人と同じ組織の別の幹部であり、そういう意味ではアイスマンはもうすでにそのメンバーだと言ってもいいのではないだろうか・・・?
彼は他に何人も顧客を抱えてはいたので、そこには全くのいわゆるカタギの人物、政治家もいれば企業家もいるし、頼まれればごく普通の会社員でも、農家でも誰でも弁護を引き受けたのだった。無論、それなりの金を支払ってなのだが。
しかしそれでもその組織の事はある程度は知ってしまってはいたので、しかも大金で雇われていたので、今さら縁を切るわけにもいかず・・・本人もその意思はなかっただろうが・・・その為、完全に組織の一員という訳ではなかったものの、体と頭の半分はもうその一部なのだった。
・・・チップの場合は少々事情が異なっていた。
彼は優秀なコンピュータープログラマーであり、しかしまずはその経緯から言ってしまうと、要するに知人から頼まれ、あの告発の通り、マネーロンダリングに手を貸したという訳なのだった。
無論断れなかったというのもあるのだろうが、それは最初の一回のみで、二回目以降はその礼金に欲と目が眩んで、半ば自発的にその行為に手を貸していたのである。
しかし・・・ここは割と重要な点だとは考えられるのだが、彼自身は一体誰の為にそれを行っているのかさえ分からず、ただ自分が知識と技術を持っているのを良い事に、脇目も振らず手を貸してしまっていたのだ。
そして言うまでもなく、それによって恩恵を受けていたのは・・・先述の組織だったのである。
彼自身は優秀な技術者で頭も切れたのだろうが、実はこの島へとやって来てからたった一つ、一つだけ大きなミスをしてしまい・・・それはある何とはなしに気が付いた事を、ある特定の人物に話して聞かせてしまった事なのだ。
その人物はその話を聞いて葛藤はしたのだろうが・・・しかし結局、それをさらに別の人間に伝えてしまったようで・・・まさにチップにしてみれば命取り、その証拠に真夜中だというのにも関わらず、入り口の戸がノックされた様で・・・)
・・・時刻は深夜の二時を回ったところだった。
二階にあるチップの部屋から悲鳴が上がり、彼がヨロヨロと部屋から出て来たかと思うと、何とそのまま、階段を転がる様にして一階まで落下したのだった。
驚いたのはソファで寝ていたカップで、慌てて跳ね起きたかと思うと、階段の一番下の段で伸びているチップを覗いてみたのだが・・・。
「・・・!」
何と彼は額から血を流しており、しかし荒い呼吸をしていたのでまだ命は保っていたようで、カップはすかさず大声で二階のミルクマンを呼んだのだった。
その医師は眠りが浅かったのか、すぐに表へと出て来ると階段を駆け下りて来て、床で伸びているチップを診ていたのだが・・・。
「・・・ウン、まだ息はあるな。頭部を激しく殴打されたようだ。・・・よし、ちょっと手を貸してはくれないか? そこのテーブルの上に仰向けで寝かせるんだ。」
そうやってミルクマンとカップの二人で、額から血を流すチップをダイニングテーブルまで運んで行ったのだが、カップが恐れ慄いた顔で、
「・・・先生、この人は助かるんですか? それとも・・・」
するとつい数時間前まではあれほど体を小刻みに振るわせていたその医師は、ようやく自分の出番が回って来ましたとばかりに、目を輝かせながら、
「・・・いや何大丈夫。ただ頭部からの出血がまだあるのと、階段から転げ落ちたせいで全身に打撲を負っているな。・・・キミ、ちょっと済まんがここをこうして押さえておいてくれないか? 私は何か応急処置が出来そうなものを探してくるから・・・!」
と、ミルクマンはキッチンの方向へと信じられないほどの速さで駆けて行き、カップは医師から手渡されたタオルのような布で、チップの赤く染まった額の部分を押さえていたのだった。
この騒動の音を聞き付けて、皆が部屋から顔を出して、何事が起こったのかとゾロゾロと這い出して来ると・・・ちょうどそこへミルクマンが救急箱の様なものと、タオルを数枚、それと消毒液代りなのだろうか? アルコール度数の強い酒を一瓶、持って来て、
「・・・ああ、ちょうどいい! ちょっとキミ、手を貸してはくれないか? 看護師だったんだろ?」
ストロベリーが呆然としつつ、
「・・・何があったんです?」
と聞くと、ミルクマンは、
「・・・見ての通りだよ! ここで彼の治療の手助けをしてほしい。」
それを聞いてストロベリーもようやくまるで悪夢から目覚めたように、階段を下りて行き・・・カップとその有能な医師の横で、応急処置に当たったのだった。
第四日目 その二
三人はチップの治療を続けていたのだが、幸いな事に大事には至らなかった様なので、先を続けようじゃないか。
(・・・三階に宿泊している者たちの前に、一階のソファで寝泊まりしているカップについて言及すると・・・彼は告発の通り子供の頃は家庭環境が悪かったせいもあってなのか、いわゆる不良少年として育ち、ワル仲間も沢山存在したのだろうが、しかし不幸中の幸いで、彼自身は一度も逮捕されて保護観察処分だとか、大人になって刑務所に入ったりだとかの経験には、一切遭わずにこれまで一応カタギの身分として生活して来たのだった。
しかし彼自身が述べている通り、つい最近職を失ったばかりか、昔のワル仲間の何名かが、前述の組織に入っていたようで・・・カップがこれから先、同じ道を辿らないとは言い切れないのだった。
・・・残りの三名なのだが、バニーは実は大嘘つきで、しかも常に自分を偽っており、実を言うと彼女も別の大きな組織の一員なのであった。
職務中に事故があった事は事実のようで、彼女自身、その事に関して自責の念を感じているかどうかは不明だったのだが、しかし今でもその仕事を続けているという事は、それなりに反省しつつ、前に向かって進もうとの現れなのだろうか? 実際バニーは事故の後には激しく動揺し、かなり長い事落ち込んで仕事も手につかなかった様なのだが、しかしそれで今の仕事を放棄してしまおうとまでは考えなかったらしく、むしろそれよりもいっそう活動的となり、その組織の為に身を捧げる覚悟なのだった。
そして何と言っても、彼女はこの件にある程度深く関与していた事は否めないのだった。
が、特に今のところ、この私にとっては害はなさそうなので、とりあえずは好きにさせておく事とする。
・・・むしろ一番厄介な存在は、ミスター・コーンその人で、彼は例の告発にもある通り、まだ警察官だった頃に、同僚の警官二名とともに、ガタイの大きなまだ何の容疑かすらも判明すらしていない男を、三人で地面に無理矢理押し倒し、そうして三人掛かりで羽交い締めにするかの様にして押さえ込み、彼らが気が付いた時には、その体の大きな男性は呼吸をしてはいなかったのだった。
これはれっきとした殺人であったのだが、職務中の正当防衛という理論がまかり通ってしまい、三人の警官は皆、裁判では無罪を勝ち取って、無罪放免、しかし一部のマスコミからや、ネットでの嫌がらせなども多数存在したので、彼らは警察を辞めるハメとなり・・・それでもこうして自由に南国の空気を吸っている訳なのだから、殺害された遺族にしてみれば、何ともやり切れない気持ちであっただろう。
しかしこの私が一番問題であると考えている点は、彼自身はまだだったのだが、一緒に辞職した元警官仲間の二人が、例の組織にスカウトでもされたのか、今ではメンバーとなっており、ミスター・コーンも彼らとはたまに会ってクラブやら、飲みにも行っている様なので、いつ誘われてもおかしくはなかったのである。
私としてはそれを未然に防ぐというよりは、もっと別の目的で彼を何とか出来ないものかと・・・しかし三日間の言動をじっくり観察してみた結果、彼はやはり生まれ持ってなのか暴力に頼る傾向があり、口から出てくる言葉も相手を挑発するような不愉快なものが多かったのだが、しかしその様な兆候はあったにせよ、ただのビッグマウスの可能性もない事はないので、もう少し慎重に見極める必要性は感じていたのだった。
・・・そして。
実のところ今現在チップが一階で治療を受けている原因も、このような大掛かりな仕掛けを施して、時間と手間をかけてこの計画を進めたのは、この一見ただの年老いた上品な女性に見える、レディ・バーデンをこの絶海の孤島におびき出し、次第に追い詰めていって、そうして最終的には屈服させるというのが、もっとも理想的な筋書きだったのだ。
・・・そう。
彼女こそが、アイスマンやストロベリーらが関係する組織の、事実上のトップに君臨する人物であり、今は殆ど引退した身分であったと言っても、トップである事には変わりはなく、そしてその組織が、通称トラぺゾイドという名で呼ばれているのであった。
そう。チップは触れてはいけないところに触れてしまったのである。
しかもよりにもよって、その組織の弁護人を務める、アイスマンにその事を話してしまうとは。
おそらくチップを襲撃したのはアイスマンか、もしくはレディ・バーデン本人で、彼が顧問弁護士に組織の秘密を、そうとは知らずに話したもうその数時間後には、早速口封じの為、鈍器の様な物で襲撃するあたりは逆にさすがと言う他はなく、ただただ脱帽するしかなかったのだが、しかし敵も少しばかり焦り始めて来ているようで、その証拠に、どうやら完全に殺害する予定であったチップが、早くもミルクマンの献身的な応急処置のお陰で、目を覚ました様なのだ。
・・・レディ・バーデンがこの先どう動くのかは私には見当も付かないのだが、しかしいずれは対岸から船がやって来てしまうだろうし、もしかしたらその前に何らかの方法で、組織の者たちとコンタクトを取って、島から一人抜け出してしまう可能性もない事はないのだった。
無論私は事前にネットは全て遮断しておいたし、電話も一切掛けられない様にはしておいたのだが、しかしやろうと思えば連絡をつける事などは可能であろうし、逆に向こうの方からこの島の位置を嗅ぎ付けて、メンバーを大勢引き連れてやって来ないとも限らなかったのだ。
・・・オッと、どうやらチップが完全にお目覚めの様だな。
登場人物の紹介はこれくらいにして、何せ悪人ばかりなのだから世話が焼けるというものだ。)
・・・チップはどうやら意識を回復した様子なのだった。
彼はほんのちょっとだけ頭を上げると、キョロキョロと周りを見渡したのだが、再び激しい頭痛に襲われたのか、顔を歪めてダイニングテーブルの上での仰向けの体勢に戻ったのだった。
そして一言、
「私は・・・どうしてこの様な?」
側で治療にあたっていたミルクマンが言った。
「何も覚えてはいないのですか? あなたは・・・。」
しかし彼は今すぐ全て話すことを躊躇ったようだ。ただでさえ肉体的のみならず、精神的にもショックを受けている状態であったので、これ以上の刺激を与えるのは得策ではないと、そう判断したのだろう。
他の二人もそっと刺激を与えないように気を配っていた模様で、看護師であるストロベリーは医学的な知識もあるので、ミルクマンの指示が正確にしかも的確に伝わっていたようで、カップの方は何よりもこの屋敷の中のことは誰よりも詳しかったのだし、腕力もかなりあった様なので、そういう意味では二人とも非常に頼りになる存在なのだった。
・・・しかしこの様な展開になってくると非常にまずい立場に置かれてしまうのが、無論、アイスマンとレディ・バーデンの二人なのだった。
果たしてどちらがチップを襲撃したのかは不明であったのだが・・・しかしどういう風の吹き回しなのか、元警察官としての正義感に今さらながら目覚めたのか、ミスター・コーンがこの屋敷内を嗅ぎ回って証拠となりそうな物を探していたらしく、彼は何かの黒光りする短いステッキの様な物を、どこからか見付けて来たようで、
「おい! 多分これが凶器だと思うぞ!」
「・・・それはどこにあったのですか?」
と、アイスマンが聞いたところを見ると、彼がそれをチップの頭部に向けて振り下ろしたのでない事は明らかなのだったが・・・コーン氏は勝ち誇った様に、
「・・・三階の一番奥にある、窓の外に落ちていたよ。血がベットリさ。まあこの場では血液型の鑑定も、DNA鑑定も行えないだろうから、こいつは俺が証拠物件Aとして、大切に保管しておく事とするよ。」
と、彼は一旦自分の部屋に入ってドアを閉めてしまい・・・もしそれが本当に凶器であったとするのならば、わざわざ犯人が保管などをする訳もなく、ミスター・コーンも容疑者のリストからは完全に外れたのだった。
(・・・そしてその時の、レディ・バーデンの顔・・・明らかに狼狽えており、自分がしてしまった事で、まさか自分自身の首を絞める結果になろうとは・・・その点に気付き、非常に稀な事に、動揺してしまっていたのに違いないのだ。)
突然例の時計の鐘が鳴った。
全部で四回。
窓の外ではいつの間にやら、東の方向に薄っすらとだが、太陽の上の部分が頭を出していたのである。
その日はいい天気になりそうだった。
怪我をして横たわっているチップは別として、皆どことなく表情が明るくなっている様にも見えた。
・・・ただ一人、例の御婦人を除いてなのだが・・・。
第四日目 その三
・・・朝食の時刻になった。
ダイニングテーブルの上は一度きれいに片付けられ、全部で七人が席に着いており、怪我をして頭に包帯を巻かれたチップは、一人ソファの上で半身を起こし、安静にしている状態なのだった。
しかしチップの表情は意外にも明るく、そして食卓を囲む他の七名もどことなくだが、表情が明るい様にも見えた。
(ただ一人を除いてなのだが・・・アイスマンは元来無表情なので、そのままなのだが・・・。)
皆やはり黙々と食事を取り、あっという間にテーブルの上の豪華なブレックファースト、その言葉の通りなのか、早々とそれらは皿の上で破壊されたように食べ尽くされて、ほんの僅かに食べ残されたかけらが残るのみなのだった。
・・・ソファで横たわっているチップの元には、それと全く同じメニューが、看護師であるストロベリーによって運ばれたのだった。
「ああ、ありがとう・・・」
チップは上半身をソファの背もたれの部分で支えながら、それらの朝食をフォークとナイフとスプーンで口に運び入れようとしていたのだが、階段から落ちたはずみで打撲を負っていたせいで、たまに全身に激痛が走るらしく、ほんの一瞬顔を苦痛で歪めて、ナイフを思わず床に落としてしまったのだった。
「あら大変・・・」
それを拾い上げて新しいものと交換し、さらには慣れた手付きでスクランブルエッグの様なこぼれやすい料理は、自らの手でスプーンを持ち、チップの口元にまで運んであげていたのは無論ストロベリーであったのだが、それらの料理を皆から遅れて食べつつ、
「ありがとう、ところで・・・」
「いえ、そんな。私には慣れっこですから。」
ストロベリーは少しだけ照れているかの様だった。
「・・・君がいろいろと面倒を見てくれたんだってね? ありがとう、何ていうかこう・・・」
「私だけじゃないわ? カップだって、それに一番あなたの命を守るために奮闘してくれたのは、あの歯科医の先生なのよ?」
チップもそれには甚く感謝している様子で、
「後できちんとお礼を述べておかないとなぁ・・・」
と、食事の後にもうすでに一杯引っ掛けていたミルクマンの方を眺めていたのだった。
皆がやはり食後の奇妙な恍惚感のようなものに浸っていると・・・それを突然掻き消し、さらには再び全員の顔に不安で恐怖にも近い表情を呼び戻してしまったのは、例によってミスター・コーンなのであった。
「皆さん・・・! 今朝方ここで起きた事を知らない者はもちろんいないでしょう。これの意味がお分かりかい? つまりは・・・」
「今ここで蒸し返すのですか?」
と、バニーが尋ねたのだが彼には全く効果はなかった様で、
「・・・つまりはやはりこの中に、スノーマン様が隠れていらっしゃるという事だよ。」
(彼は完全に壮大な勘違いをしていたのだった。しかしそれがまさか、悪い方向、ではない斜面を転げ落ちて行くとは・・・)
「・・・彼を襲撃したのが、スノーマンだと?」
殆ど真相を知ってはいたがそれを決して言う事は出来なかった、アイスマンがそうあえて尋ねたのだった。
コーンは当たり前だとでも言うように、
「・・・他に全く別のサイコ野郎がいるとでも言うのかね?」
その一言で完全に弁護士は黙ってしまい・・・広間にはまたしても嫌な感じの重苦しい空気が沈澱していたのだが、意外にも一番若いバニーが、
「チップさんは、それを目撃したのかしら?」
と、沈黙を破ると、自ずと皆の視線はソファの上で、その時はデザートを美味しそうに頬張っていた、頭に包帯が巻かれた人物に集まったのだが、
「ん? 今私の話をしたのかい?」
と、ようやくそこで気が付いた様なのだが・・・
カップがそこで、
「あなたがあの時、犯人の顔を見たか、という様な話になっていますが・・・?」
すると自分が襲撃され大怪我を負ったのにも関わらず、案外ケロりとしていたチップは、デザートを食べ終えると、
「ああ、まあ・・・何せ暗かったもんでね。しかもこちらは半分寝ぼけていたし、一瞬の事でもあったから・・・男か女かさえ分からなかったよ。ただ・・・」
「ただ?」
今や皆が固唾を飲んで彼の一挙手一投足、次に口から出てくる言葉に注目していたのだが、
「ただ僕より背が低かったことだけは記憶しているよ。顔や姿まではハッキリとは見えなかった。逆光になっていたものでね。ただのシルエットにしか見えなかったよ。」
(しかしご記憶の方もおられるだろうが・・・チップは男性陣の中では一番背が低かったのである。)
(そして三名の女性のうち、ストロベリーは女性にしては背が高く、170センチはゆうにあったのだった。と、いう事は・・・との視線が二名の女性に注がれたのだった。)
「おいおい、それは何と言っても、動かぬ証拠じゃないか。ぶん殴られた本人がそう証言しているのだからな。」
ミスター・コーンは得意気だった。
(やはり警察官の頃の血が騒いでしまったのか、あるいは自分自身は殺人未遂犯のリストからは外れて、むしろそれを追う方の立場に首尾良く回る事が出来たからなのか・・・ともかく彼は、その様子から、とことん最後まで、やり通す気で力が漲(みなぎ)っていたのだった。)
「・・・でもやめません? こういうのはちょっと・・・」
意外にもそう言ったのは、元検事のアイスマンだったのだが、ミルクマンが怪訝そうに、
「あなたにしては珍しい事を言うもんだ。てっきりスノーマンの正体を知りたがっていたかと思っていたのに。」
(しかしアイスマンとレディ・バーデンにとってみれば、そんな事はもうどうでも良かったのだった。そして彼らには皮肉な事に、自分たちが襲撃犯であっても、スノーマンでは決してなく、しかしそれを皆の前で正直に告白してしまうと、たちまちにしてチップの件が露呈してしまうという・・・矛盾した状況に追い込まれていたのだった。)
「さあ、どっちかな?」
コーンが目を輝かせながら言うと、ストロベリーが、
「私じゃないわよ? 身長は彼よりは高いでしょ?」
「あんたじゃないさ。皆も分かるだろ? (ソファを指差し)その憐れな被害者よりも背が低いのは・・・二人だけしか・・・」
今はもうすっかり朝食を取り終えた、チップが補足する様に指摘したのだった。
「・・・でもどうして、スノーマンは私を思い切り殴ったのにも関わらず、私はこうして・・・まさか奇跡でも起きたか、私は一生分の運を全て使い切ってしまったのでしょうか?」
すると有能な医師が、その問いに対して明確に解答したのだった。
「それは単純明快な事です。・・・スノーマンには他人を殴り殺せるだけの、腕力が足りなかったのですよ。」
(・・・それで十分だった。)
(しかしそれでも皆の目の前におり、共にテーブルを囲んでいるその上品そうな老婦人が、まさかスノーマンであるとは信じがたかった様で・・・事実、違ってはいたのだが・・・さらにはそれでも依然として、バニーのことを疑っている者も若干名いた様子なのだった。)
「・・・で? どうするつもりだい? 皆の意見は?」
(コーン氏がそこで追及の手を一旦止めたのは意外といえば意外ではあったのだが・・・しかし結果的にはそれで良かったのだろう。)
アイスマンが少し顔を歪めながら、
「私は正直、このような場で裁くのは職業上、好ましいとは思えませんな。」
するとミルクマンが、
「では彼に聞いてみたらどうでしょう?」
と、またしてもソファで、今やくつろいでいるかの様に半身を起こしている、チップに全員の視線が注がれたのだった。
チップは真剣な表情となって少しばかり思案したのち、
「うーん・・・正直私にはどちらなのかは分からないし、今はあまり分かりたくも。それにそもそもどうして、私だけが狙われたんです? この島に全員が誘い出された動機は? スノーマンの目的は一体何なのでしょうね? 八名の人間をこの南海の孤島に幽閉同然にして、そうしてやった事といえば、このちっぽけな一市民の私を襲う事ですか? ちょっと理解に苦しみますね。」
(殆どの者がその考えに同意している様なのだった。口に出しこそはしなかったものの・・・)
・・・突然、少し遠くからモーターボートのやって来るエンジン音のようなものが聞こえてきた。
(私は正直、しまった! と思わざるを得なかった。やはり組織のボスは、何らかの方法で部下たちと連絡を取ることに成功していたのだった。)
・・・もはや犯人探しをする必要も、そしてその時間もなかったのだった。
と、いうのも、レディ・バーデンがまるで勝ち誇ったかの様にして立ち上がると、身に付けていたハンドバッグから、拳銃を取り出し、皆に向かって銃口を向けたのである。
「・・・あなたが? 信じられません・・・」
ミルクマンが声を震わせながらそう言うと、その老婦人は余裕の笑みを浮かべて、
「・・・あの小男をやったのは私だけど、私はスノーマンじゃないわ。」
「・・・一体どういうこと・・・?」
ストロベリーがそう言い、それと共に全員がテーブルからは徐々に、後退りするように老婦人からなるべく離れようと、慎重に距離を遠ざけて行ったのだが・・・
「悪いけど、あの連中は私の言う事は何でも聞く者たちなの。・・・お先に失礼させていただきますよ?」
と、クルリと背を向けた瞬間、アイスマンが悲痛な叫び声を上げ、
「あの! 私はどうなるんです?」
すると組織のボスはまたこちら側に向き直って、拳銃を一発、彼に向けて発砲したのだった・・・。
その組織に雇われていた弁護士はその場に倒れたのだが、またしても幸いなことに、弾はほんの少しばかり彼の体からは外れて逸れたのか、アイスマンは腿の辺りから血を流して、床の上で痛みを懸命に堪えている様子なのであった。
その隙に女ボスは窓を開けると、外へと飛び出して行こうとしたのだが・・・今度はバニーが懐から拳銃を取り出し、素早く構えたのだった。
第四日目 その四
・・・しかし彼女は発砲するのは躊躇った様で、慌てて自分も表へと出ると、今まさにボートにはレディ・バーデンが乗り込むところであり、しかしバニーはそれでも拳銃はしまい、代わりに小型のトランシーバーの様な物で、誰かと連絡を取っている様子なのだった。
そして彼女がまた広間の中に戻ってみると・・・アイスマンが床から動けずにいたのを、ミルクマン医師がまたしても止血して治療にあたっていたのだった。
そして拳銃は完全にしまい、トランシーバー片手に広間に戻って来たバニーの事を、そこにいた全員が驚きと恐怖が少しばかり入り混じった様な目で見ていたのだが、彼女は手帳を取り出すと、
「・・・私は潜入捜査官です。今逃亡したのは、トラぺゾイドという犯罪組織の一応名目上のトップであり、我々はそれを追っていたのです。」
「・・・我々? あなたが捜査官!? 一体何のことやら・・・?」
と、カップが言うとバニーは、
「・・・皆をここへと呼び寄せたのは、ひとえにあの老ボスを追い詰めて、組織を解体に導く為の計画だったのですよ。」
「・・・でも何で私たちが選ばれたのかな?」
と、ソファでチップが言うと、バニーは簡潔にその理由を説明したのだった。
「・・・あなたが手伝った資金洗浄はトラぺゾイドの為だったのよ? ・・・それからカップさん。あなたのご友人はもうすでにその一員になっているし、(ストロベリーを見て)彼女が今現在介護しているのはその組織の老幹部、ミルクマンさんを脅し続けているのも、そのメンバーの一人なんです。」
ミスター・コーンは床で治療を受けているアイスマンを見ながら、
「あの男は組織の雇われ弁護士、って訳かね? ・・・で、この俺は?」
「あなたの友人である、元警官仲間のお二人も、その組織にどっぷりと浸かっているわね。・・・あなたにも誘いが来なかったかしら?」
ミスター・コーンは肩をすくめてみせ、
「・・・実は些細なことで酔っ払った際に殴り合いのケンカをしちまったもんでね。・・・ここしばらくは会ってはいないけどなあ。・・・ま、今度飲みに誘われたら丁重にお断りするよ。」
カップがなおも驚いてバニーに尋ねたのだった。
「・・・あのボスとやらを、逃したままでもいいのですか? それに・・・じゃあ、スノーマンというのは・・・?」
バニーはまた皆に説明し、
「仲間がクルーザーで先回りしているから大丈夫よ? ・・・スノーマンの正体ねぇ・・・」
そこでバニーは、初めて真剣な顔付きから、少しだけおかしそうに笑うと、
「・・・あれは私自身の事だったのかもしれないけど、我々捜査チーム全体の事だったのかもしれません。・・・だってスノーマンが一人だけだって、誰も言ったりはしなかったでしょ?」
皆、狐につままれた表情をしているのだった。
床で倒れ込んだ姿勢のままの弁護士は、
「・・・この私はどうなるのでしょう? やはり殺人未遂犯の共謀ってことで逮捕されるのかな?」
バニーは不敵な表情を浮かべると、
「それはあなた次第ね? 我々捜査チームに協力するか、あくまでも組織を庇うのか。」
アイスマンは俯きながら、
「まあ・・・よく考えてみるよ。」
その時、バニーの無線に何やら連絡が入ったようなのだった。
(・・・その広間のなかは奇妙な空気に包まれていた。バニーとレディ・バーデンを除く六名の人間は、皆同様に騙されていたわけでもあるし、と同時に、間接的にではあるものの組織に関わっていたのだが、この北極島でその組織を追い詰める作戦にも、知らず知らずの内に加わっていたという訳だったのだ。)
バニーは無線を一旦切ると、
「・・・彼らは海上で身柄を確保されたそうよ? もちろんあの、レディ・バーデンもね。彼女の場合は組織犯罪に加えて、殺人未遂もつくから、もし有罪になればそれなりの重い刑が・・・ねぇ、弁護士さん?」
アイスマンは顔色が優れなかったのだが、
「・・・ええ、まあそうでしょうね。」
そう言ってようやく腿の周りには包帯を巻き終えたのか、何とか支えられながら立ち上がると、ソファのチップの横に体を埋めたのだった。そして、
「・・・いいでしょう。私は捜査に協力しますよ。ただしいくらか罪を軽くしていただけるのならば、ですけどね。私は実は彼らの金の流れも、幹部連中の顔もおおよそ分かっている。・・・私が証言すれば、間違いなく数名は確実に、有罪に出来るのですけどね。」
バニーは満足したように、
「その件は上司と相談してからですね。・・・それとストロベリーさん。」
「ええ・・・」
「・・・あなたも幹部連中の顔は大概は知っている筈なのでは? ・・・どうされますか? 捜査に協力するもしないも・・・」
彼女はかなり長いこと考えてはいたのだが、
「ええ、そうしたいのは・・・今は気持ちは傾いているのですが・・・でも・・・」
「もちろん匿名で、顔も名前も一切出さずに、ってことなのよ?」
彼女はそれでも不安そうなのだった。
「ええ・・・考えてみます。」
バニーはさらに続けて、
「それとチップさん。」
「私もですか?」
「ええ・・・あなたは何回か資金洗浄に知らぬこととはいえ、協力した訳ですし、裁判で証言する必要はないのですが、せめて捜査には協力してはもらえないでしょうか? ・・・奴らの資金の流れが少しは解明出来るかも。」
チップは諦めたような表情となりながら、
「・・・まあいいでしょう。乗りかかった船、やって来てしまった島、ですからね。」
彼がジョーク混じりにそう答えたので、一同の間では少しだけ空気が澄んで明るくなったようにも感じられたのだった。
と、次の瞬間、遠くの方からモーターボートのやって来る音が聞こえて来たので、その広間にいた人々は、それが組織のものなのか、捜査機関のものなのか、はたまた一番初めにここまで自分たちを送り届けた船なのかでやや混乱した様子で、その場に立ち尽くしていたのだった。
・・・そしてそれは、意外にも二艘の、つまりは捜査員たちが乗り込んだクルーザーと、送り迎えの船の、両方なのであった。
数週間からおよそ一年後
結果的にいえば、トラぺゾイドという組織は壊滅的な打撃を受けて、殆ど消滅寸前のところまで追い詰める事が出来たのだった。
裁判が始まり、そして結審するのにはかなりの歳月を要してしまったのだが、それでも結果的には組織の大多数の幹部が逮捕されることとなり、他のメンバーらも散り散りになってしまったのだった。
表向きには、なのだが。
いつの時代、どんな所にも悪というのは存在する。
なのである特定の組織をいくら追い詰めようが、結局、最終的にはいたちごっこに終わり、まるで貯水池に湧き出るボウフラのように、その元である根本的な原因を取り除いてしまわない限りは、それを絶つことは不可能に近かったのだ。
とはいえ、そう簡単にはそのような試みが達成される筈もなく、というのも、そもそも人間の中に元々が悪に近い、感情が常に備わっている訳であるし、それを排除することなどは、到底不可能に近かったのだ。
そう、誰にでもどこにでも、一見ごく普通の小市民に見えてしまう人間でさえ、心の内にはそのような邪悪な感情が眠っているものなのである。
あの例の、南国のちっぽけな島に集められた男女のように。
彼らのその後が気になるって?
無論そう考えるのは当然のことだろう。
なので一応、彼らのその後の足取りをごく簡単になのだが、辿ってみる事にしようじゃないか。
・・・まずはそう、あの捜査に協力すると誓った元検事の弁護士からなのだが、彼はもちろん、捜査には出来得る限り協力をし、それが故に幹部連中の名前やらその役割やら、金の動きやらが判明して、組織の解体に一役買ったのは言うまでもないことなのだが、しかし彼自身にもそれ相応の報いというか、社会的責任を果たさねばならなかったのは当然といえば当然で・・・何でも風の便りに聞いた話によると、今は弁護士を引退して、実家である小さな食料品店を手伝っているとか・・・彼ほど優秀で有能な人物ならば、いくらでも出世は望めただろうに、たった一度の過ちでそれを絶たれてしまうとは・・・皮肉な話ではないだろうか。
・・・次に捜査に一応匿名で協力してくれた四十代の看護師の女性は、おそらくその後はその地域に居づらくなったのは仕方がない事で、しかし今でも全く別の町で、看護師を続けているとの事なのである。
・・・もう一人、捜査に協力した背の低いIT技術者の男は、彼のお陰で組織の資金の流れがだいぶ解明され、それが裁判でも捜査でも大いに役立ったのだが、彼もやはりその時所属していた会社には引け目を感じてしまったようで、聞くところによると、全く別の国、外国の証券会社で今でもエンジニアとして勤務しているとの事なのだった。
・・・あのメンタル的には若干問題を抱えてはいたものの、医師としては非常に有能だった歯科医は、ようやく長いようで短かった呪縛からは解かれて、今でも同じクリニックで歯科医を続けているとの事なのだった。
・・・それから皆に美味しい料理を提供し、屋敷のメンテナンスにも秀でていた男は、どういう訳か料理を作る喜びに目覚めてしまったらしく、現在は見習いコックとして近所の料理店で働きつつも、資金を貯めていずれは、自分の店を開こうと奮闘中との事なのだった。
・・・そして。実のところ私はあの、元警官を囮捜査官として雇おうとの期待もあったのだが、しかしあれから数日後に、例の元同僚の警官たちと関係を修復するどころか、かえって殴り合いの一騒動を起こしてしまったらしく、私としては、彼はこの誰よりもまず辛抱強くなければならない職務には不向きだと判断し・・・聞くところによると彼は今でも、別の大型スーパーで警備員として勤務しているとの事なのだった。
・・・そしてどうしても触れなければならないのは、あの老婦人の事で間違いはないのだが、彼女は無論裁判の被告席に立たされて、数々の証拠やら証言が積み重なった結果、それでも比較的量刑としては軽かった方なのだが、彼女の年齢で仮出所なしの禁錮十五年という・・・殆ど終身刑にも近かったのだが、私としては一切の同情心などは微塵も感じず、むしろ有罪となって正直ホッと胸を撫で下ろしているところなのだった。
・・・最後にもう一人の女性、無論現役の捜査官の事なのだが・・・彼女がこの私、であり、この文章を書いた張本人であるのかどうなのかは・・・ご想像にお任せする事とする。
しかしこれも風の便りなのだが、彼女は彼女なりに男性優位の職場で働きつつも、順調に出世を遂げているとの話で・・・それが今回の事件と関係があるのかは・・・もし本人ならばここには記さないだろうし、上司か誰かなのならば、秘密の保持の為、これ以上は踏み込んでは記さないだろうし・・・どちらにしてもただ今までと全く同じ、巨大な組織の一員として組み込まれている、としか言えないのだった。
おわりに
・・・この話はフィクションである。
・・・パロディでもある。
もしかしたらこれと似たような事件が起きたかも知れないし、起きなかったかも知れない。
それはおそらく、あの海の上にかかる靄の中に忽然と姿をくらませてしまったのだ。
・・・スノーマンとは何者だったのか?
ある特定の人物の事だったのかもしれないし、これら一連の作戦名だったのかも。
そしてそれすらも・・・まるでその名の通り、春になり暖かい気節がやって来ると同時に、徐々に溶け出して・・・そうしてやはり忽然とその姿を消してしまったのだろう。
もし仮にまたそれが姿を現す時には、それは再び悪が生まれる時でもあったので、私としては喜ばしい状況では決してなかったのだが・・・しかしもしそうなったらそうなったで、一から雪を捏ねくり回して、謎に包まれた雪だるまを一つ拵えるまでの事だったのだ。
スノーマンとは・・・その様な存在だったのである。
終わり
スノーマン、南の島へヴァカンスに行く 福田 吹太朗 @fukutarro
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