前日譚 小春日和前 八、無慙無愧ⅰ / 捲土重来ⅰ

◉登場人物、時刻

⚫︎無慙無愧むざんむき

〈南武方〉

南武甲斐    南武刑部大輔の子。南武家は守

        護家の支族で「峡の国」南部に

        一大勢力を持つ有力國衆。

        直情径行のきらいがある。

井手山主税助  南武家の重臣。本隊に参加。


辰正たつせいの刻 午前八時から午前九時

辰初たつしょの刻 午前七時から午前八時

卯正うせいの刻 午前六時から午前七時

卯初うしょの刻 午前五時から午前六時

巳正みせいの刻 午前十時から午前十一時



⚫︎ 捲土重来けんどちょうらい

〈南武方〉


井手山主税助  南武家の重臣。本隊に参加。

南武甲斐    南武刑部大輔の子。南武家は守

        護家の支族で「峡の国」南部に

        一大勢力を持つ有力國衆。

        直情径行のきらいがある。


辰正たつせいの刻 午前八時から午前九時


 この四人は主人公ではありません。


◉ 日常ⅰの概要

 当時は百姓も、盗賊も、侍衆も、こぞって自分たちの所属以外の村を濫妨狼藉らんぼうろうぜき(掠奪)していた。

 飢饉が毎年の様に続く、生産性の安定しない中世では、そうでもしなければ飢え死にするだけで生き残れなかった。


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前日譚 小春日和前こはるびよりのまえ 八、無慙無愧むざんむきⅰ /捲土重来けんどちょうらい



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 辰正たつせいの刻 南武甲斐(南武方本隊)


 退かねが狂った様に打ち鳴らされる。

「退け、ひけぇ!」

 全軍、かろうじて敗走はしていない。

 敵に向かうが、寸刻も持ちこたえられず、また退く。勢いに乗った敵軍に鎧袖一触がいしゅういっしょくに蹴散らされている。


 ……辰初たつしょの刻に突如として現れた敵軍に奇襲され、先手が壊滅してからというものの小半刻こはんとき*1もの間、押しまくられている。


 諸将もだらしがない。普段の高言こうげん*2は何処どこに置き忘れたのか、反撃する事も出来ず、退いてばかり居る。

 先陣も先陣だ。私の必勝の策を授けられ、如何どうして、こうも簡単に敵の蹂躙じゅうりんを許したのか?情けない!

 家臣がこうも情けない者どもでは、私の知恵の鏡も曇るという物だ。この戦が終わったら、者どもにきつく言い聞かせなくては!


 ピシィっ!


 ……腹立ち紛れに口取り*3にむちを振り下ろす。つまらない。最初は驚いたようにおびえていたのに、もう反応もしない。


 ……大体、何故なにゆえ敵がここに居るのか?私は確かに物見を送った筈だ。

 卯正うせいの刻に受け取ったから、実際にはその半刻前の卯初うしょくらいの状況としても、その時点で敵の出陣準備をしている様子がないのであれば、一里半離れた敵の拠点からこの戦場に現れるのは、今から一刻後の巳正みせいの刻ごろの筈だ。

 ピシィ、ピシィ!

 …………辰初たつしょの刻に現れるなど、どう考えても道理に合わない。おかしい、こんな事は間違っているのだ!物見の奴腹やつばらが見損じたか?これも言い聞かせねば!

 

 一頻ひとしきり、従者をむちで打って落ち着く。

 …………先ずはこれからどうするべきか?

 ここは前線が近すぎる。総大将が流れ矢に当たるような事があってはならない。様々な人の想いを背負って生きる私の様な者は軽々けいけいに命を落としてはならない。


 我、天下に大望ありて、冬夏青青とうかせいせいの志を示すも、勝風、我に利ならず。

 勝敗は兵家の常。この上は一時の恥をしのび、韓信蒲伏かんしんほふく*4の喜びと成す。


「伝令!先手の井手山いてやま主税助ちからに伝えよ、必ず現地点で敵を抑えよ、と」


 まずは山向こうに退き、体勢を立て直す。その為には先手に時間を稼がさせねば。



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 辰正たつせいの刻 井手山主税助(南武方本隊先手)


 最早、半刻も押し込まれ続けている。

 戦を立て直す事も難しい状況だ。

 八隊あった本隊先手も半数の四隊まで討ち減らされた。


 若よりの使番が先程、来た。

 この戦力で何が何でもこの地に留まり、死守せよ、との事だ。有り難くて涙が出る。敵に追撃を受ける状況で、兵に展開しろなどと兵法を知っていれば言えないことだ。

 暗澹あんたんたる気持ちになるが、いざとなると腹がわってきた。やむを得ぬ。

    

(至 山地)         (至 寺倉)

 道               道   川

丘丘道丘丘丘丘丘丘丘丘崖崖崖崖丘『先』 川川

丘丘道道丘丘丘丘 丘道道道道道道道道  川川

丘丘丘道丘丘丘  道道崖丘丘丘崖 道   川

丘丘丘崖道丘崖 丘丘丘丘崖丘崖 『戸』  川

 崖丘丘道崖崖 崖崖崖崖丘丘崖林林 道  川

崖崖丘   (尾根筋)  丘崖崖林『手』 川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘丘丘丘丘丘丘丘林 道  川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘崖崖崖丘丘丘林林『南』 川

丘丘崖崖崖崖丘丘丘 丘崖丘     道  川

丘丘丘丘崖崖丘丘   丘      道  川

 丘崖崖崖丘      「木花集落」道  川

             (南武方)道  

浅瀬小川小川小川浅瀬小川小川小川小浅瀬小川小

               (至 渡の郷)

『戸』=戸田本隊 『先』=戸田先陣

『南』=南武本隊 『手』=南武本隊先手 



「誰かに時間を稼がせろ。それから先手四隊の内、二隊を左右に回せ。左翼は林に伏せさせろ」

 側近が答える。

「それでは隊が薄くなりますが……」

 本隊の方を指して言う。

「本隊を逃す時間を稼がねばならぬ。このままでは我らが所領を守る者が居なくなる。何とか刑部大輔さまが帰ってくるまで、本隊の戦力を温存せねばならぬのだ」

「……はっ!」

「配置が済んだら、右翼、中陣の順に敵を押し込む。左翼の伏兵は最後の切り札だ。この戦法は時機を見極められるかにかっている。好機を逃すな」


 …………敵は戸田高雲斎。相手にとって不足なし。付き合ってもらうぞ、博打打バクチうち



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◉用語解説

*1【小半刻こはんとき

 現在の三十分。四半刻ともいう。


*2【高言こうげん

 口に任せて大きな事を言う事。大口をたたく。ビックマウス。


*3【口取り】

 口取りは中間・小者(武家奉公人)の仕事で運搬・土木専門で戦わない人夫(陣夫)とは異なり、主人の身の回りの世話をしながら、いざと言う時には戦闘にも参加しました(諸説あり)。

 この場面の口取りは「小者」で家の私的奉公人であり、家に属する奴隷のような人たちでした。


*4【韓信蒲伏かんしんほふく

「韓信の股潜り」という名で有名な古事成語(「史記・淮陰公伝」)。韓信は中国漢王朝の創始者、高祖劉邦に仕えた将軍で蕭何・張良と共に「漢の三傑」と言われた名将。

 若い頃に韓信が地元のならず者に「大柄で、立派な長剣を持っているが、お前は度胸がない。もし度胸があるのならば、その剣で俺を殺してみろ。もしそれが出来ないのであれば、俺の股の下をくぐれ」と言われて、股の下を潜った事から。

 一時の恥をしのび、小さな事にこだわらず、大望を成すという意味。



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