一章 棟梁襲名 十五、別れ

◉登場人物、時刻

????    主人公。次期棟梁。


戌初の刻    午後七時から午後八時。


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一章 棟梁襲名 十五、別れ

丁卯ていう四年如月十四日 戌初いぬしょの刻 誰彼だれぞかれ


 ……パチリ……パチリ……パチリ……


 見事な庭に面した対面所たいめんじょ※の控えの小間こま※の一室。


 庭のかがりの光も届かぬ濃い闇の中、大振りな蝙蝠扇かはほりおふぎ※を弄ぶ音がする。


 開いては、閉じる……閉じては、また開く……


 光の届かぬ無明の中、

 白き双眸そうぼう※だけが異様に輝いている。


「………………そうか、戻りきたか…………」


 そのつぶやきも誰が聞くでも無く、闇に溶けた。



丁卯四年如月十四日 戌初の刻 ????


  ………………バチッ

 

 庭の篝火かがりびが大きな音を立てる。

屋形警護の

侍衆が

寒々しく立っている。

 ともしあぶらに照らされて、

大きかったはずの

 小さなかたまり

 濃い影がうずくまっている。 

その全ての光景が目に入ってきては抜けていく……


 守護所常御殿つねのごてん※の奥、夜具やぐの上、見知った顔が見知らぬ表情かおで存在した。誰よりも大きな身体からだ、恐ろしかった大きな声、大きくたくましかった手の平、かつては世界の全てだった存在が信じられない程、しぼんでかわいて、そこに在った。


 何一つ変わらないのに、決定的に“何か”が違うと分かる、父の姿。

 これが「死」なのだろうか?

 全く心が波立たない。

 自分は薄情なのだろうか、と。


 遠い主殿とのも※から被官、國人衆どもの声が聞こえる。……不思議に華やいだ、声。


……然もあらん、彼らにとってこれは絶好機だ。

  齢九つの童の当主など、飢えた獣達には

  美味そうな肉にしか見えぬであろう。


……別に逃げ出せば良いのだ。

  そもそもオレは当主にも棟梁にも興味は無い。

  どうせ奪われるのであれば、全て差し出せば

  良いのだ。

  狭き土地を奪い合い、いがみ合う醜き者ども。

  如何どうしてそれに付き合う必要があろう。

  そうしなければならない理由など何処どこにも

  無いのだ。


……だが果たしてそれで良いのか?

  重代じゅうだい続いてきた棟梁の家を

  自分の代で投げ出して良いのか?


ーーー何よりオレが護るべき民を、

…………その責務を投げ出して良いのか?


 四肢ししに重さが掛かる……上手く動かない。肩が重い。目が押し潰されそうに痛む。


 部屋の四隅よすみに“闇”がわだかまっている。

 この“闇”はこの先、消える事はないのだ、何とはなく、そう感じた。


 ……心が千々ちぢに乱れ、定まらない。

 この様な事を考えねばならない自分が情け無く、物言わぬ父に申し訳が無かった……



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◉用語解説

【対面所】

 将軍や当主が家臣や他家の使節に謁見する為に作られた場。大広間で宴なども催された。会所。


【小間】

 茶道で四畳半より狭い茶室の事。ここでは狭い部屋の事。


【蝙蝠扇】

 竹や木を骨として片面に紙を貼って作られている扇。開いた姿がコウモリが羽を広げた姿に似るところから、この名がある。扇子。


【双眸】

 両目。


【常御殿】

 屋敷の中で当主が日常の生活する空間。


【主殿】

 屋敷の中で最も主要な建物。基本的には対面所のある建物を指す事が多い。



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