一章 棟梁襲名 六、寄合Ⅱ

◉登場人物、時刻

????    主人公。今回も出番なし。


大堂辻前大隅  豪農。乙名衆。若衆のリーダー的

        存在。軍役二鑓。


入間田図書   若衆の副長的存在。免田伍貫。

(伊藤東)   一鑓。冷静沈着。   


工藤右衛門助  在郷被官。荒い性格。免田二貫。

        一鑓。


志賀間舎人   在郷被官。筋目を大切にする。

        免田三貫。一鑓。


本舘木工    在郷被官。流され易い。

(伊藤北)   免田八貫。二鑓。


古舘大炊允   在郷被官。計算高く、打算的。

(伊藤南)   免田伍貫。一鑓。


田中玄蕃    有性百姓。非軍役衆。古老格で

        物知り、尊重される。

        村の政所を務める。


太子堂市佑   非軍役衆。本舘木工の弟。分捕り

(伊藤西)   の利は主張するが戦を忌避。


須藤權兵衞   非軍役衆。市佑の腰巾着。勧農に

        一過言持つ。


山本大常丞   非軍役衆。村社を経営。

        寄合と距離がある。


小林与兵衛   非軍役衆。乙名衆の新参。


山口弥兵衛   村の小百姓(規模の小さい自営農家)。

木村佐兵衛   村の小百姓。

長田卯兵衛尉  村の小百姓。


未初の刻    午後1時〜2時

-----------------------

一章 棟梁襲名 六、寄合Ⅱ


丁卯ていう四年正月廿五にじゅうご日 未初ひつじしょの刻 古舘ふるだて大炊允おおいのじょう


 くだらない。そうとしか思えぬ。

 この地獄の様な世の有様を見て、他人様の事など気にかけておる場合か?睦月※から皐月※にかけて毎年、何千何万の餓死者がししゃが出るのは、もはや世の常識だ。

 今日生きておる者が明日には物言わぬむくろになる。そんな事は毎日の様に起こっている事だ。そんな物を気にして何になる。

 そうであるのであれば、その条件の中、どんな手を使ってでも自分だけは生き残るのだ。

 それだけの話ではないか。


 古舘の家は元は伊藤の惣領だった。代々、村の政所まんどころを務めていた。私の父は村中から慕われた立派な人で、近隣の村々にも名の知れた大人物だった。

 甲寅きのえとらの年の大旱魃だいかんばつ※で村の成り立ち※が危ぶまれた時、私の父は今はもう闕所けっしょ※となった太子堂たいしどう伊藤西の前当主と共に、戸田館に直訴しに行って、手打ち※になった。


 のらりくらりと救い米を出さない前の御領主さまに激情にかられた太子堂が蔵の扉に手をかけたからだが、その時の村人たちは誰一人としてかばわなかったでは無いか。

 太子堂は取り潰され、本屋を名乗っていた我が家は古舘と名を改めさせられ、伊藤の惣領職は二本松と名乗っていた本舘に、村の政所職は田中にそれぞれ奪われ、太子堂はその全ての抱え地※を、我が家は抱え地の半分を没収され、村の者たちに分配された。


 勘違いしちゃいけない。私は非難している訳では無い。父は愚かだった。惣内そううちの人々を救うなどと無益だ。


 要はこの地獄の様な世を生きる“こつ”は「共同体としてのムラを維持する事」。

 その上で、「人より多くの分配を分捕る事、そしてそれを他人に気付かせぬ事」だ。

 奴らは上手くそれを為した。

 ……私がそれを為して何が悪い。



「……乱妨狼藉らんぼうろうぜき※が必要だ。このままでは、また餓え人が出る。作人が減り、収穫が減る。悪くなる一方だ」

 大堂辻前大隅。此奴は大人物をよそおっておるが、何かと言うと直ぐに武に頼る。末は良くあらまい。


「……慎重に考えねばならぬ。だが、小百姓の中で分捕り戦をして欲しい、と言う要望があったはずだ」

 賛成とも反対ともつかぬ意見を出した上で、火に油を注いでやる。


「あぁ、山口弥兵衛、木村佐兵衛、長田卯兵衛尉うひょうえのじょうと言う者がたつての希望で参加したい※、と申し出ている」

 志賀間しかま舎人とねり、頭が硬い。そのうち戦場いくさばでくたばるだろう。


「しかし、後は?山口は先年、息が刀差しのいわい※ を済ませているから良いとして、木村、長田は大丈夫か?」

 本舘木工ほんだてもく木偶でくの坊。


「木村の所は息が十三じゃ、いわいを済ませば良かろう。長田は……」

 工藤右衛門助えもんのすけ、獣の方がまだ知恵がある。


「長田は親類が多い、それらが後見する言うとります」

 …………小林弥兵衛、お前居たのか?


「ならば良いか」


 ……誰も口にせぬが、それらの小百姓どもは食えぬ、このままでは今年の夏を越せぬ、と言う事だ。戦に行けば、少なくとも飯には有り付けるし、上手く勝ち戦に乗れば分ん捕り、乱取りでしのげる。

 もし仮に上手くいかなくても口減らしが出来る、という訳だ。確か三人とも壮年を超えて、老年に入りかけている頃のはずだ。


 そして、そんな小百姓は惣内そううちに幾らでも居る。これが寄合で認められれば恐らく我も我もと声が上がるはずだ。致し方の無い事である。


「それはいかん、いかんぞ。近隣の村々に親類衆の居る者もおる。兄弟、親類と殺し合うのか?何か他の方策は無いのか?」

 田中玄蕃げんば、そんな事は今に始まった話では無いだろう?


「他の村を略奪すればその者共は飢える。所を変えるのみじゃ。仏心に沿わず、非道無道。修羅・無間※へと墜ちようぞ」

 山本大常丞たいじょうのじょう。笑わせる。今のこの世が修羅・無間と何が異なる。神も仏もあるものか。


「今年はまだ先年と比ぶれば、期待がある。早蕨さわらびなど※を取るとか、惣内で助け合えば、何とかやってやれぬ物でもなかろう」


「しかし、正直かなり厳しい現状に御座るぞ。惣内で助け合うと言うが、税を増やすのか?※」


「いや、色々と物入りでのぅ。ここは大身の方々に一つ」


「その様な余裕のある家など何処どこにも御座ござらぬわ!」

 ……有象無象うぞうむぞうどもが。


「しかし戦をすると言っても何処どこと?」


 誰とも無く放った言葉に場が静まり返る。確かにそれは問題だ。


 餓死者を減らす為に何処に分捕り戦をしかけるか、東の雨鳴とは入会いりあい※の事で相論※が有り、それが元で合戦に及んだが、今は休戦中で手打ちの真っ最中。これをこちらから攻めるのは信義にもとる。向後こうごの各村との付き合いに悪影響が避けられない。

 南の長沢、青柳とは合力の衆だし、ここと争うのはクミ抜けとなり、自殺行為だ。

 北方の村は武者所として音に聴こえている。戦慣れした強兵が多い。得る物より、失う物が多かろう。

 となると残るは西方しか無いが、西方は棟梁家に従う惣村が多く、一つ間違うと叛乱になる。勝てば良いが負ければ恐ろしい事になる。


 ……寄合中の空気が急速にしぼんでいくのが見えた。


 言葉を発する。

「……どうやら難しい様だな、ここは一つ、」

     「……戸田の御領主を巻き込めば良い」

----大堂辻前大隅が恐ろしい事を言い出した。


「西方の惣村は棟梁方に属する村が多く、収拾をしくじり、棟梁家に出てこられると叛乱になる。やるならば、手早く勝ちを収め、事態を収拾させねばならんが、戦は相手のある事。上手くいくかは分からず、これに賭けるのは分が悪い。ならば一層いっその事、御領主を巻き込み、その罪をおっかぶせて仕舞えば良い。あの方は棟梁職に野心がある。話の持って行きようでは幾らでも焚き付けれるだろう」


「しかし、それでは大事になるぞ。事は我らの手から離れ、収拾のつかん事態に……」


「…………我ら、惣村は自力で拠って立つ。大地から稲を生み出し、自ら武装して自らを守り、惣内を掟で固め、まとまる。外交を為し、外敵とあらば合力し、これに相対あいたいす。我ら全て全にして一。全て我らのみで完結す。本来、我らに“上”など要らぬのだ。何故、国役など納める必要がある?武士どもなど上前をはねるだけで何もせぬではないか?我らは我らだけで生きねばならぬ」

  

 ……大堂辻前の扇動に寄合の空気が熱を帯び始めた。……これは止めねばならぬ。


「……び臭い話を持ち出しおって。惣国一揆なぞ今時、流行らぬぞ。強勢を誇った山城惣国も内部分裂し、癸丑みずのとうしに崩壊した」


「違う!惣国の論理などでは無い!武士とはそもそも土地を守る者。で、あるにも関わらず、彼らは幕府を作り、自らを大きくする過程で都に集まり、地元を離れ土地を守る事を忘れてしまった。我らこそが真の武士。我ら自身が武士で有れば良いのだ。戦で手柄を立て武士と言う身分を手に入れ、幕府にそれを認めさせ、今までの武士の在り方とは違う武士、村を守る為だけの武力で在れば良い。それならば、もう年貢に苦しむ事も、戦に苦しむこともない」


 ……それを惣国の論理というのだ。その亜種でしか無い。

 

 なぁ、大堂辻前大隅。その道はやめておけ。それは我が父が自分を見失った道だ。

 父は村を背負う責任を負い、打ち続く飢饉に心が折れ、自分を見失ったのだ。

 悪い事は言わないから、その道だけはやめておけ。


 そもそも我らが自力に拠って立つのは他に救ってくれる者が現れないからだ。野良仕事の後、萱場かやばや水場に草盗人くさぬすと水盗人みずぬすとの現れぬかを交代で夜通し見張り、村掟を定めそれを破りし者を罪科に処し、為せば野盗か骸になると分かっていながら友や親類を自ら追放し、外敵が現れれば合力し村戦に及び、叶わぬとみれば何ヶ月も「ムラの城」※にこもり、飲まず食わずで過ごす。

 それが『自力で拠って立つ』の内容だ。

 自分達のみで立っているのは好き好んでやっているのでは無い。そんなつらい苦役を誰が好き好んでするものか!


 だが『惣国』は仕方なく自ら立っている事を、自分たちの意思で立っているのだ、と勘違いさせてしまう。それは我らには『毒』だ。いつかの未来に達成できるのだとしても、我らには早すぎるのだ。


 なぁ、大堂辻前大隅。

 いつかそんな世の中が訪れると良いなぁ。本当にそう思う。

 だから、今はその『毒』を忘れてくれ。


---私の願いも虚しく、寄合は熱を帯びていく。



 丁卯ていう四年正月廿五にじゅうご日 未初ひつじしょの刻 大堂辻前おおどおのつじのまえ大隅おおすみ


 喰わねば生きれぬのであれば、喰らうのだ。

 例えそれが他村を蹂躙じゅうりんし、犯しかすめ殺害し尽くす無慈悲な悪虐非道であっても。

 生きねばならぬのであれば、それを成す。

 殺せ、奪え、生きよ!

「良いか、皆の衆。乱取りは足弱※を狙え」

 犬とも言え、畜生とも言え。その責を全て負わせよ。我は生きる為ならば、その全てを喰ろうてみせる。


「この近隣で戦をさせてはならぬ。戸田の御領主を焚き付ける時には、河向こう、三條、成島の辺りで戦をして貰わねばならん」


「そんな奥へか?大戦では無いか?」

 

 ……その全てを喰らぅてくれようぞ。


----------------------ー

◉用語解説

【睦月】

 一月、正月。


【皐月】

 五月。


【旱魃】

 極端に雨が降らず、作物が枯れる天災。


【成り立ち】

 存続。この場合は村の存続。

 「秀より事、なりたち候やうに、此かきつけ候

  しゆとして、たのミ申し候 なに事も

  此ほかにわおもひ のこす事なく候」

 (慶長三年八月五日付 豊臣秀吉遺言状)


【闕所】

 前近代において、財産没収刑、またはその刑により所有者のいなくなった所領、土地。

 この場合、犯罪によって取り潰しになった家、と言う意味。


【手打ち】

 無礼打ち。死刑。


【抱え地】

 担当(所有)する耕作地の事。

  

【乱妨狼藉】

 今では「行動が荒々しく秩序を乱す様」と言う様な意味で使っていますが、元々の意味は乱妨(取り)は「戦場にかこつけて、財貨や物品、そして人をさらってくる事」を言いました。さらってきた人は銭貨二貫ほどで売り飛ばしたり、下男(奴隷)として自分の抱え地を耕せたりしました。

 例えば上杉謙信は永正九年(1566年)小田氏治の小田城を攻め、開城させた後、ここで人身売買の市を開いた(春中人売買事、廿銭卅弐程致し候う『和合院和漢合運之事』より)と言われています。

 これは珍しい事では無く、武田、島津、徳川、伊達など各地の大名は、これを一つの収入源としていました。何より、これが無ければ、当時の村は立ちいかなかったと言う事情もあります。


 狼藉は今と同じ意味もありましたが、この場合『苅田狼藉』の事で敵方の村の稲を戦にかこつけて刈って奪う事を意味します。

 

 二つ合わせて戦場での略奪行為という意味合いです。

 非道無道な行いで非難されるべき事ではありますが、それを為す原動力が「身近な者、家族や親類や友人が飢え死ぬのを見たくない」と言う一種の「情」から生まれているかと思うと、やりきれないものがあります。

 

【達ての希望で参加したい】

 前々段(【改訂・注釈】足軽・農兵・被官衆・地侍について)で『大名側は訓練もされていない足手纏いの、しかも死ねば村の耕作人が減る普通の百姓の戦への参加を禁止していた』と書きましたが、では「普通の百姓」の戦争参加が無かったか?と言うとそうでは無く、村人側の都合で参加をしたい人間がいました。

 自治共同体『村』としても耕作人が減れば、村の年貢を払う人が減り一人当たりの税が重くなるので、これを抑止しようとしましたが、作中の状況の様に止められない場合もあります。


 また、大名権力側にとっても無理に制止しても、食えなくなれば逃散し、下手をすれば野盗化する事が目に見えていたので、ある程度は黙認せざるを得ませんでした。

 戦に行けばともかくも飯に有り付く事が出来、上手く行けば分捕り品を手に入れられ、仮に上手くいかなくても……と言う具合でした。


【刀差しの祝】

 元服、現代でいう「成人式」の事。

 自力救済の論理に従い、自分の身を自分で守らねばならない戦国の世では、百姓衆とは言え武装していました。

 その為、男子成人の祝では、刀が贈られました。その刀は村戦や落武者狩りなどで手に入れた駄刀が使われました。


【修羅・無間】

 六道の内修羅道と八大地獄の内八番目の無間地獄。絶え間ない争いの世界と地獄の内、最も悪逆な者が落ちる地獄。


早蕨さわらび

 芽を出したばかりのワラビ。茎の部分に良質なデンプンを含む代表的な救荒植物(飢饉の時に食べる物)。一晩水にさらしてアクを抜き、粉にして蒸して食しました。飢饉の時は人々がこれを探して野山を歩き、さらして置いたワラビを盗んだと刃傷沙汰まで起こっていました。

 戦国期の代表的な救荒植物は他に、長芋、野老(トコロ、蔓性多年草で根をアク抜きして粉にする)など。


【税を増やすのか】

 当時の年貢、国役(まとめて今で言う税金)は『村請』と言って個人では無く、政治共同体としての『村』に課されました。

 この種々の年貢を払う為に、『村』はその構成員である「村人」(個人)から村掟で種々の税を定めて徴収していました。


【相論】

 言い争い。正当性を互いに主張し合う事。戦国期には相論から戦に発展する事が多くありました。


【ムラの城】

 惣村には里山(村が薪や柴草を取るのに利用した山=入会山)や奥山に『ムラの城』があり、領主や外敵と戦になって叶わないとなると家財道具を抱えて駆け上がり、これに籠りました。

 山小屋的な施設だったと考えられますが、武士の出城と思われていた城の幾つかは村の城であった可能性があると言う説もあります。

 領主の城の二の丸、三の丸(本丸に対し、中城なかじょう外城とじょうと言われる)に籠る事を『城籠り』と言うのに対し、山に籠る事を『山籠り』と言いました。


【足弱】

 老人、子供、女性

 

二〇二三年一月十九日 訂正

 用語解説【達ての希望で参加したい】内の

『武田家の軍法で「知行持ちの家臣が武勇のある者を除いて一般の農民、職人を連れて参陣してはならない」と言う掟を紹介しましたが、それには続きがあり、「軍役で定められた人数以上の人数を連れて参陣すれば、増えた人数分の糧食は大名権力側(領主側)で用意する」となっていました。』

の項目について、とあるサイトで読んだものですが、自分で探してもこの軍法が見当たらなかったので削除いたしました。


 今回もお読み頂き有難うございます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る