男の娘短編!

冬寂ましろ

第1話 痴漢論

 痴漢である…。


 女装していないときでも、先生には「お前本当に男か?」と胸に手を突っ込まれ、バスに座ればとなりのおじさんが寝たふりをして手を尻の下に入れようとする。隣家のおじさんに押し倒されたときは「胸無いんだ」と言ってそそくさと離れられたときはさすがにキレたが、まあ痴漢慣れしている男というのもどうなんだと思う。


 女装しながら徹夜で遊んだあとの帰り道、電車のドア脇で立ちながら、うとうとしていたのがよくなかった。狩りやすい獲物だったのだろう。リーマンぽい男がひたすら僕の体に密着させている。その右手は私の尻に触れている。痴漢というのは不思議なもので、どう考えてもエロい目的でしかないのだけど、見つかった後に言い訳しやすいようにするためか、最初は肘とかを押し付ける。実際この痴漢も手の甲のほうで触っている。責めたら負けという攻守のルールがスポーツぽい様式美を感じる。まあともかく、いきなり揉みしだく系の痴漢は意外と少ない。そんなことを知ってる男というのもなんだかアレだけど。


 このまま蹴ったりできればいいが、逆ギレされて何されるかわからないし、いまは眠気のほうが勝っていた。まあせいぜい触っておけ、男だけどな。


 そう思って無抵抗でいたのがよくなかったのかもしれない。相手が不可侵領域に侵入してきた。スカートをめくり、直接尻に触ってきた。お、なんだ、揉むのか? めずらしいなと思ったら、人差し指でひっかくように何度も動かしてきた。ストッキングがこすれてカサカサカサという音が感じられる。


 なんだこの人、特殊な性癖か? そこまで行くなら核心部分に触れたらいいのに、とか眠い頭でぼんやり思う。


 痴漢は卑怯である。


 たとえば、ほとんどの痴漢はいきなり肝心なところを触らない。ちょっとずつ周りから責めていく。大丈夫であることを確認しながらちょっとずつ。それが実に気持ち悪い。己の身を守りつつ、人の気持ちを蹂躙しながら欲望を満たしていく、そんな卑怯な行為が。僕にはわからない。堂々としていればいいのに。「ねえちゃんスケベしようや」と大声でわめくおっさんのほうがまだいい。まあそれもどうかと思うけど。


 そもそも触りたければお金出せばそういうサービスがあるし。電車とかで勝手にやんなよ。そういや痴漢には、恋人や奥さんがいる人もいると聞く。そういうのは欲望の対象にならないのだろうか? 好みの子がいない? いまならマッチングサービスもあるんだし。うーん、わからん。


 実際に痴漢される身になると、AVやエロ本の痴漢物は、絶対に受け付けなくなる。恐怖感とかそういうのではない。はっきり嘘だとわかるからだ。あんな痴漢ぜったいいない。そもそも痴漢に応える女っていうのもいるの? いるらしいとは聞いたけど、痴漢され続けた僕の体はそんなことを心から拒絶する。


 痴漢する人って何なんだろうね。


 痴漢、謎である。


 理解したくもないけど。


 それに比べて、いっしょに遊んだマモルくんはかっこよかったな…。私をキモいとか言わないし。歌うまいし。


 マモルくんの手、細くてきれいだった。ピアノ引いてるとか言ったら信じてた。


 もし付き合ったら、あの手は僕がひとりじめできるんだろうな。


 細い手が僕に触れて…。触れて…。そして…。


 「あっ…、うんっ…」


 あ、ヤバ。


 変な声出た。


 カサカサカサカサカサカサ!


 なに! なにこれ!


 スピード上がっているんですけど!


 声聞かれた? あなたの手で興奮したわけではないんですけど!


 僕の心の叫びとは裏腹に痴漢はヒートアップしてきた。


 えっ、えっ、今度はなに?


 カサカサしていた手を尻から前のほうに延ばしてきた。


 あ、だめだめ。ちょっとまて、その先は象さんの鼻がある。パオーンだよ。


 ちょ、どうなん? それ?


 象さんに触った瞬間に、この痴漢は男性としてのプライドが粉みじんになるのでは? ハンマーで叩いたガラスのように粉々に。


 それはさすがにかわいそうだ。


 同じ男として…。


 僕は身をよじり、手が前のほうに行かないようにした。そうすると今度は反対側から手を延ばしてきた。


 この痴漢、どうあっても前から触りたいようだ。


 痴漢はカサカサを止めず、前へ前へと手を伸ばす。時には悠然と、時にはすばやく。僕はそのたびに腰をひねりながらそれを阻む。すばやい動きにはなかなか対応できず焦る。あと1cmで象さんに届きそうになったときは変な汗が出た。


 一進一退の攻防が続く。まさに戦線は膠着状態だ。


 ま、それも終わり。


 電車が家の近くの駅に着いた。


 痴漢からさっと身を振りほどき、僕は電車からホームに降り立つ。


 歩きながら僕は思う。


 気持ち悪かった。あとから嫌悪感に襲われる。


 まあ痴漢のプライドも守ったことだし、家に帰ったらシャワー浴びてベッドで泥のように寝て、それから…。


 「ホテル、行かない?」


 後ろからの野太い声に僕はびっくりした。痴漢、ついてきた。しまった。どうしよ? ものすごい勢いで警察とか駅員がいる場所を思い出し、恐怖感全開でそそくさと逃げる。これ以上ついてこないことを願いながら改札を駆け抜ける。こういうとき女だったらみんなに助けてもらえるんだろうな。いいな女。男はつらいよ。ましてや男の娘なんて。


 痴漢ダメ、絶対。

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