第9話
「あ、ほんとに待っててくれたんだ」
「あんたが待てって言ったんだろうが」
職員室入り口の扉前で五分くらい待っていると、待ち人である美人が出てきた。
歩き方にも無駄がなく、美というか彼女のプライドの高さが垣間見える。
一つ一つの仕草でこうも性格のきつさが伺えるのは才能だな。
「勉強熱心なんすね」
言うと、彼女は苦笑いを浮かべる。
そして若干光の無い目で俺を見た。
「友達いないからわかんないとこ出来たら困るでしょ」
「……大変ですね」
「好きで勉強なんてやるわけないでしょ」
「そりゃそうか」
お互いバッグを持って階段を降りる。
すれ違う生徒はいない。
なんだかんだ時刻は既に六時過ぎだし、部活生は各々部活へ、帰宅勢は既に退散というわけだ。
「こんな時間まで怒られてたの?」
「生物の課題をギリギリ提出した後に担任に見つかって、そのさらに後に現代文の先生の呼び出しに顔を出したって感じですね」
「やるわね」
「それほどでも」
こう見えて要領は良いのだ。
やろうと思えばテストで高得点を取ることも容易だ。多分。
受験も何とかなるだろう。多分。
ここ一応進学校だしな。
「杏音こそ、こんな遅くまでどうしたんですか?」
尋ねると彼女は階段の途中で歩みをやめる。
「なんだと思う?」
「さぁ」
「面談よ」
「あはは、成績よくて面談って……あ、アレですか。学校生活上手くいってる? 友達ちゃんといる? みたいなカウンセリングっすか?」
冗談で言った。
しかし、直後に彼女の顔を見て後悔した。
この人にこの冗談はダメだった……。
ヤバい、傷を抉ったかもしれない。
「ごめん……」
「謝らないでいい。事実だし」
しかし彼女はお得意の自嘲気で拗ねたような笑みを浮かべる。
「担任に『友達いる? 学校楽しい?』って聞かれたわ。だから友達はいませんし学校は楽しくないですって答えた」
「先生の反応は?」
「困ってたね。別に私がそこまで気にしてる風にも見えなかったからじゃないの?」
気にしてない、か。
この前メンタルヘラってドブに落ち込み、泣いていた杏音に言われても全く説得力がないな。
正確には深層心理で気にしてるんだろう。
単にその感情が彼女のプライドの高さ、いわゆる『私友達なんていなくても平気だから。人間なんて信用できないし』という強力なマインドコントロールによって押さえつけられているだけだ。
そして教員ともなれば容易くその心を見破る。
恐らく気にしていないと言うのが、彼女のやせ我慢だと気づいているはずだ。
しかし、先生側から言うわけにもいかない。
だって本人は自己暗示に知らず知らずかかっており、自覚がないからだ。
さらに繊細で脆い夜月杏音という生徒にそんな発言で現実を突きつけるのは禁術。
うわぁ、この人の担任大変そう……
俺の担任の労力といい勝負しそうだ。
学校を出て、大通りに出る。
「杏音は家の方向違うんですよね」
「今日は悠の家に行く」
「泊り?」
「違う。ただ話がしたいだけ」
「彼女みたいなこと言うんですね」
「きっしょくわるいこと言わないで」
キモいじゃなくてキショいか。
気持ち悪いの上位互換気色悪いがやってきた。
いやぁ刺さるねー。さながらアークスターだよ。
よっ、グレ投げ名人!
「はぁ、キモいのは杏音の方でしょ。年下男子高生の家に上がり込もうとしてくるなんて」
「悠が私の事を女として見てるんならアレだけど、違うじゃん」
「それもそうか」
確かに俺は杏音を恋愛対象として見ていない。
しかしそれは別に彼女の魅力がないからではないのだ。
つまるところ彼女と同じ病を患っているだけなのである。
しばらく歩き、例の場所に差し掛かる。
「日をおいて見ても嫌な気持ちになる道」
「俺と杏音の運命的な出会いの場ですね」
「私は悠のファム・ファタル?」
「やめてくださいよ、そんなの人生の詰みと同義じゃないですか」
「私だってごめんよ」
ファム・ファタル。つまり『運命の女』。
愛の深みにハマり込ませ、男を破滅させる致命的な女としても用いられる言葉だな。
縁起でもないからやめて欲しい。
「ねぇ、悠。恋愛って何?」
「知らないっすよ」
俺にそんな事を聞くな。
そういうのは健常者に聞いてくれ。
チラリと彼女を横目で見る。
杏音は綺麗な瞳を真っ直ぐに向けて俺を見ていた。
「俺も杏音と一緒です」
「どういう意味?」
「失恋を拗らせた、恋愛恐怖症患者なんですよ」
冬の冷たい風が頬を撫でる。
「なるほどね……色々合点がいったわ」
彼女は短く呟くと、空を見上げた。
もう真っ暗で雲に覆われた空を。
「だから私にこんなに親身に接してくれて、話も聞いてくれて、それでいて絶妙な距離感で居てくれたんだ」
「別に親身じゃないですけど。正直もう一人で帰りたいですし」
「おい」
俺は聖人じゃない。
ただ単にあの場でドブにハマって死にかけていた女子高生を見捨てる勇気もなかっただけだ。
そして、理解者だな。
恋愛への恐怖、人間への不信感という孤独に、共感してくれる人が現れた。
杏音にとってみればそれは俺だったのだろうが、俺も俺で杏音の存在で孤独を埋めることができたのだ。
「私みたいな拗らせた面倒な奴に、悠ほどめちゃくちゃなことを生意気に言ってくる人っていないから凄くありがたかった」
「ドМですね」
「いつまでそれ言うのよ……まぁただ、ある意味そうかも」
「やっぱり」
頷くと肩を押された。
先にはあのドブがある。
この女、また惨事を繰り返す気か?
「悠はどんな失恋で拗らせたの?」
「随分とえぐいとこ突いてきますね。俺の事嫌い?」
「ううん、好き」
「え?」
「何その馬鹿みたいな顔。嫌いな人とは一緒に帰らないし」
「気持ち悪いんで変な事言わないでください。おえ」
「マジ最低」
揶揄おうとしたのだろうか。
はっはっは、無駄だぞドブ女。
あんたも知ってると思うが、恋愛恐怖症患者にその手のトラップは通用しない。
好きだなんて言われても、『こいつ何を図ってるんだ? 気持ち悪いな』程度にしか思えないのだから。
拗らせメンタルつらたん。
と、彼女の失恋話はバッチリ聞いているため、俺だけ黙っているのもなんだかなぁって感じだ。
「つい最近です。好きな子に彼氏ができたんです」
「あら……」
「可愛く人気者で、胸も大きくて顔も俺好みの子でした。仲も良くて、彼女の家族事情の相談をされるくらいには打ち解けてたんです。でもね、俺には勇気がなかった。付き合うためのステップを踏む――そう、告白をする勇気が」
「ちょっと待って、それって」
「夜月芽杏。それが俺の失恋相手です」
言うと彼女は目を大きく見開き、そしてすぐに気まずそうに背け。
そして申し訳程度に上目遣いで聞いてくる。
「嘘でしょ?」
「本当です」
「え、あの子、この前彼氏と悠の家に遊びに行ったって……」
「来ましたね。死にそうでした、色んな意味で」
「それは……ごめんね、愚妹が」
「いえいえ。そういうとこ含めて好きだったですからよ」
もはや言葉を上手く喋れない。
表情筋がちゃんと動かないや。
口元が痙攣してるし。
あれれ、意外と効いちゃってる? 俺。
いつもの調子なら軽く攻撃してくるだろう杏音も言葉を呑み、痛々しそうな表情をドブに向ける。
俺の方は向いてくれない。
「昔からそうなんです。好きな子ができて仲良くなるんですけど、あと一歩ってところで勇気が出なくって。そしたら一番仲の良い友達にとられるんですよ。目の前で」
「……」
「いや全部自分が悪いんですけどね! でもやっぱり精神的に来ますよー、あはは。ってわけで発症させちゃった感じです……」
あまりの惨めさに自分も言っててだんだん尻すぼみになる。
最悪の雰囲気だ。
乾いた笑いを漏らしながら、俺達の下校は続く。
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