第8話

 人間が怖い。

 自分の知らない世界で他人が繋がり、知らないうちに関係性が出来上がっているのが怖い。

 特に異性が絡むとその恐怖心は爆上がり。

 もはや誰も俺に関わらないで欲しいとも思う。

 だが、腐っちゃ終わりだ。

 今後向き合っていかなければならない問題である。

 俺は結婚したい派だし。


 ただ、恋愛恐怖症を治すと言ってもそれは簡単じゃない。

 というか、恋愛恐怖症だなんて言ってるが、実際ただのビビりと言ってしまえばそれだけだしな。


 しかしながら俺はまだその時、この病がもたらす本当の悪夢を知らなかった。




 ‐‐‐




 ある日の事。

 俺は放課後の職員室にいた。

 目の前にいるのは、明るい茶髪をパーマ掛けたりなんやかんやしてデコレートした担任の先生。

 英語の先生であり、英語の成績の悪い俺にとっては天敵と言っていい存在だ。

 そんな彼女は俺が提出した課題冊子をバンバン殴りながら怒鳴る。


「おいっ! 高校を舐めてんのか!」

「いえいえ、そんなことは」

「じゃあなんだこれは!!!」


 先生は冊子をぺらぺらと、俺に見せつけるようにめくった。

 六十数ページのうち、記入がされているのは最初のページと最後のページのみ。


「六十ページ全部やって来いと言ったはずだが?」

「面倒なので最初と最後だけやって、やり過ごせないかなーって」

「ふっざけんじゃねぇぞ、クソ坊主!」


 襟首をつかまれ、ガンを飛ばされた。

 先生の若干張りはないものの、日々のケアの賜物である綺麗な肌が間近で見える。

 いやあ綺麗だなあ。


「おいクソ坊主」

「坊主じゃないっすよ。ツーブロックマッシュです」

「はぁぁぁ。それも校則違反なんだよ! どこから注意していいかわかんねーなお前は!」

「どこも注意しなければ先生も俺も幸せです。どうせ何言われても俺は生活を改める気ないですし」

「……」


 力なく俺の制服から手を離す先生。

 彼女はふらふらと項垂れると、そのまま顔を覆って黙り込んでしまった。


 まだ二十七歳。

 先生としてはひよっこも良いところだ。

 俺みたいに派手な反発もしなければ言う事も聞かず、のらりくらりとした会話で逃げる生徒の相手をするのは慣れてないだろう。

 まぁあまりいないタイプの人間であることは自負している。


 この性格の形成過程には数えきれない程の叱られ体験があるからだ。

 俺ほど大人に怒鳴られながら育った奴も珍しいだろうってレベル。

 そのおかげである程度怒られ慣れしてるし、躱し方も身に着けた。

 もっとも怒られないようにするのは無理だったが。

 

「大丈夫です。期末の成績つける前には提出しますから」

「今がその期末なんだが?」

「でもこの課題、三学期の評点になるってこの前言ってたじゃないっすか」

「なんで他人の話はちゃんと聞いてるんだお前」

「自分の逃げ道を確保するためですね」

「悪びれもせず……」


 疲れた顔の先生。

 そしてこの会話を聞いている職員室全体から乾いた笑いが起きる。


 俺は職員室じゃちょっとした有名人だ。

 入学して八か月、こうして呼び出されたのは既に数えきれない。

 もはや俺が職員室で怒鳴られるのは恒例行事である。


「やめなさい、先生をいじめるのは」

「何してるんですかこんなところで」


 背後から話しかけてきたのは杏音だった。

 手には英語の教材を持っている。


「杏音も課題出してなかったんですか? この前は自信満々に提出管理はバッチリとか言ってたのに」

「違うわよ。仮にそうでも屁理屈こねて逃げてる悠に言われたくないし」

「屁理屈じゃないです。ただ曖昧に話を逸らしながら逃亡を図ってるだけです」

「今のを屁理屈って言うの」


 はぁと溜息を吐く杏音。

 すると、彼女の存在に気付いた先生は目の輝きを取り戻す。


「夜月さん! どうしたの!?」

「聞きたい問題があって……って、私の用事の前にこの人との話はもういいんですか?」

「もういいわ! どうせその課題もギリギリに出すんでしょ? 提出期限は守るように」

「はい。今まで通りです」


 俺は一学期も、そしてこの二学期も課題は期限ギリギリに、ちゃんと提出している。

 一応最低限のルールは守るさ。

 ここは集団行動の場だからな。


「じゃあもういいですか? 俺今から現代文の先生にも怒られに行くんで」

「はいはいどうぞ」

「……少しは真面目にやればいいのに」


 それは無理な話だ。

 提出をサボったところで留年する危険性はあまりない。

 それに半分くらいの確率で、教員の方が根負けして課題提出を見逃してくれる場合もあるからな。

 もう俺はそちら側の世界には戻れない。


「悠」

「はい?」


 去ろうとする俺に杏音は声をかけた。


「用事済んだら待ってて。ちょっと話さない?」

「え、嫌ですけど」


 条件反射で断ると鋭い視線を向けられた。

 杏音ではなく担任に。


「宮田! 女の子のお誘いにその断り方はないだろうが!」

「男だろうと女だろうと俺の断り方は変わらないですよ。男女平等主義者なので」

「あっそ。まぁいいや、待ってて」

「はいはい」


 特に気にしたそぶりも見せない杏音はそう言うと、先生との勉強に入っていった。

 ほんと、あのメンタルは見習いたいものだ。

 今日は見たい配信があったのにな。最悪である。

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