言の葉は宙舞い、箱の中の箱で猫は微睡む
奈良原透
第1話 箱の中の私と箱の中の箱の中の猫
それは不思議な夜だった。
事前の世をあげての大騒ぎがまるで嘘のような静けさ。
大きな祭典のために特例で設けられた連休なのに、外出は控えてくれとお上からお達しが出ている。
それもなんだかなぁと思う。
その期間の外出を控えるようにいうのであれば、いっそのことその連休は取りやめて、外出できそうな先の日付に休日をずらせばいいのに、、、
けれど、一度制定し、発表したものは早々変えられないのがお役所仕事なんだろう。
新型ウイルスのお陰で、不要不急の外出は白眼視されるようになり、そんな中で、私は冷凍食品を始めとする保存用食品の進歩を知り、それらのヘビーユーザーになっていたので長期の引きこもりが可能な状態ではあった。
元々、オタク気質なので、不要不急の外出要請は、自分の趣味を心行くまで楽しみなさいお上が言ってくれているようなものである。
四連休の2日目で、買い出しはすでに済ませている。
そのついでに、生活習慣病予防のため、長めに散歩もしておいた。
人の少ない道を選び、人と行き交えばお互いに軽く距離をとる。
どこかピリピリしながらの奇妙な散歩。
それも日常になりつつある。
買い出しといっても、せいぜいタバコとお菓子を買うくらいで、食材やらペットフードなどは外出自粛の巣篭もり期間に宅配の便利さを知ってしまったため、買い物の主はネットに傾いており、狭いリビングには空いた段ボール箱が乱雑に積まれている。
その段ボール箱は二匹の飼い猫の格好の遊び場になっていた。
せっかく購入し、苦労して組み立てたキャットタワーよりも、それが入れられて配達された段ボールの方を猫達は喜び、私をガックリとさせる。
爪研ぎもその段ボールにするようになっていて、壁の安全が保たれたのは良かったが。
今、二匹の猫は、それぞれのお気に入りの箱の中で丸まっている。
こちらが仕事をしている時にはまとわりついてくるのに、暇な時には自分たちの世界でまったりと過ごしている。
とりあえず、やることもないので開会式の様子をテレビで見ることにする。
箱から少しはみ出てる丸まった猫の背中を見て、気楽なもんだと思う。
そして、ふと部屋を見まわし、私自身もリビングという四角い箱の中でのんびりとしていることに気づく。
普段はうるさいマンションの外からの騒音はなく、街は静寂に包まれているといって良かった。
ニュースでは会場近くでデモも起こっているようだけれど、画面の中の映像は遠く離れた世界のようだ。
世紀の祭典の開会式が始まる。
感慨が私の胸をよぎる。
この祭典の招致が決まった時、私の神経はボロボロの状態だった。
いわゆる鬱病を患っている状態。
日に3回、絶対に3時間置いてから飲むようにと医者から厳しく指導された精神安定剤を飲む時が1番安心できるような心の落ち着かない日々を送っていた。
ビルの高層階の廊下を歩いていると突然床が段ボールでできた不安定なものように感じ、足が踏み出せなくなったり、エレベーターは、私が乗った途端に墜落するような感覚に襲われたり、眩暈の症状がひっきりなしに襲ってくる。
外出中は、常に手に汗が滲み、緊張で肩から背中にかけてがバキバキに固くなる状態が続く。
これが、家に帰ると不思議なことに身体の力が抜け、急にグダッとなり、眩暈も緊張感も襲ってこなくなるのだけれど、その分、不正などの社会的な事件のニュースに触れると何故か、自分が責められてるような強迫観念に襲われ、寝るまでの時間を気落ちしながら過ごす毎日。
そんな中、祭典の東京への招致が決定し、発表の瞬間の喜ぶ招致委員会メンバーの姿の映像が繰り返し放映されることになったのだが、その映像やニュースに触れる度、なぜだか、この祭典が開かれる時には、自分はこの世に居ないという確信を深めていっていたのである。
おかしな精神状態と片付けるのは簡単だが、本人はいたって本気で、祭典関連のニュースに触れると、その時までは生きていないんだよなぁ、、、と、哀しみの感情で満たされていたのである。
その後、時間はかかったが、薬を強めのものに変え、治療に専念するために会社もやめた。
仕事を辞めると決心した頃に猫を飼い始め、これが意図せず、アニマルセラピーの役割を果たし、症状の改善が次第に実感できるようになった。
しばらく退職金でやり過ごすうちに、次第にメンタルは復活し、その祭典の開会式の夜に至る頃には、再就職を果たし、普通の生活を送れるようになっていた。
だから、その祭典の開会式をテレビで見るという事は、自分が死なずにここまで生きていたと、メンタル不調に悩まされていた日々が終わったということを再確認する行為でもあった。
そして、もう一つ、この祭典が私にとって意義があったのは、私自身が前回、この祭典が東京で開かれた年に生を受けたということである。
自分の生年というのは、それだけで思い入れがある。
さらにその年は、夢の超特急の開通と世紀の祭典の開催の2つが重なり、高度経済成長期の象徴とされる年でもある。
私は閉会式の数日後に産まれているため、その祭典自体の記憶はない。
しかし、その祭典については、物心がついた頃にも語り継がれており、それだけわが国の人々には大きなイベントだったという事はヒシと感じていた。
“参加することに意義がある”
この言葉をよく聞いた。
その祭典は、国境のない平和の祭典であり、勝ち負けではなくそこに参加しベストを尽くすことに意義がある。
この言葉は、例えば運動会、合唱コンクールなどの際に、小学校の先生がたびたび口にした言葉である。
旗に込められた意味、憲章の崇高な意識。
おそらく我が国が国際化を目指す中で経験した大きな国際的祭典だったのだろう。
幼い私の心の中で一つの理想と位置付けられた祭典。
それが、俗に塗れていったのは、時代の移り変わりのせいだろうか、それとも、当時のわが国の人々が純粋すぎて実態を把握できなかったのだろうか。
“参加することに意義がある”
祭典の創設者の言葉が聞かれなくなっていったのは、わが国の成長と関係あるのだろうか。
考えてみれば、スポーツが強くなるにつれ、“負けられない戦い”とか、“ガンバレ、ニッポン”とかのナショナリズムの強い標語の方が強くなっていき、獲得メダルの色と数への煽りの方が大きくなっていく印象がある。
そして、コロナ禍での中止か延期かの議論の中、“平和の祭典”とはかけ離れた実態の数々が明らかにされていく。
子供時代の私が日本で開催されたことを誇らしく思った祭典だから、今の子供達にも同じような誇りを持ってもらいたいと思っていたけれど、開催までのドタバタはオイオイと突っ込みたくなるところが満載で子供達に向けて恥ずかしい。
祭典の精神よりも、利権やら面子ばかりが先走る。
開会式は進んでいく。
会長の挨拶がやたら長く、そして中身も乏しく、数十年ぶりに朝礼での校長先生の挨拶のかったるさを思い出し、スマホでSNSを開き時間潰しを始める。
SNSには言葉が舞っている。
私は開会式のショーを楽しんで見ていたのだけれど、SNSには辛辣な言葉も舞っている。
私と同じように楽しんでいる意見もある。
不思議なのだけれど、何故にポジティブな言葉よりもネガティブな言葉の方が太字のように力強く目に飛び込んでくるのだろう。
ネガティブな言葉の持つ棘が突き刺さってくるのだろうか。
おそらくコロナ禍が始まる前は、私はSNS依存症に近かったと思う。
暇さえあればアプリを開いて指で画面をスクロールしていた。
けれど、コロナがやってきて、SNSの言葉が変わった。
元から多かった棘が増えていく。
自宅から出られない期間の長さ、外で発散できないストレスの増加に比例して棘の数が増えていく。
鋭く突き刺す棘よりも、雑でそれ自体は弱い棘の数がどんどん増えて、ザラザラと不快な感覚のみを心に残す。
粗製乱造され放り投げ出されただけの尖った言葉が乱れ飛ぶ。
そして、私が見るSNSは文字主体のものから、画像、動画主体のアプリに変わっていく。
画像、動画のSNSは、時にマウントを取ることが目的としか思えないものがあるくらいで、基本、可愛いか、美しいか、楽しいものが多いし、一瞥で終わる。
だから、ゆっくりと文字主体のSNSを見るのは久々だった。
祭典の名や、開会式のワードで検索をかけ、会長のスピーチをBGMに投稿を読む。
投稿時間を見ると会長のスピーチが始まったあたりから、投稿数が増え、みんな、あのスピーチに飽きてきたんだねと、どこかの箱の中でテレビを見ている知らない人との間に軽い絆が生まれるのを感じる。
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