8,


 「そろそろ新しい棚を買わないと」


 自分より幾分か高い棚を前にして、ぽつりと呟く。先程最後の隙間が埋まってしまった所だ。事件の資料、新聞の切り抜き、趣味の文学書、そして義姉のドラマや映画のDVDが並んでいた。自分の出演したものも、両手では数えられない程になってしまった。

 時が経つのは早いもので、最後に面会に行ったあの日から五年も経った。瀬戸香織はこの世に居ない。画面のその先で会うしか方法はない。死刑の前日に獄中死を謀ったそうだが、惜しくも止められたらしい。自ら命を絶つのなら、もっと早くすれば良かったのに。そうすれば、誰も傷つかなかったのに。そう思うのは、自分のエゴなのだろうか。


 この五年間、探偵業の傍らでドラマや映画なんかの役を引き受けていた。世間は “ 義姉を思い返す私 ” という演技がどうも気に入ったらしい。自分で画面を見ると反吐が出る。善人の皮を被った化け物を見ている気分だった。悪人の役なんてもっと酷い。インタビューで「本当に人を殺しているかのような雰囲気でしたね!」だなんて言われた時には、冷や汗が止まらなかった。

 義姉は平然とこんなことを言われていたのか、と思うとゾッとした。全てを許す天使のような微笑みの裏は、血で染まりきっていた訳なのだから。


 「詩織、ひっでぇ顔してんで。やっぱ役者なんてやらん方がええんちゃう?」


 身内――と言っても織希だが――には何度も言われた。会う度に、そして何か舞台に立つ度に。その都度、私はこういうしか無かった。


 「役者は、きっと天職なんだ。嘘を吐き続けるには」


 今にも泣き出してしまいそうな表情が返ってくるのは、もう何度も経験したから分かる。軽蔑の目がない分、私は香織よりマシなのだろう。


 変化と言えばもう一つある。腰の少し上くらいまであった髪をバッサリと切り落とした。顔を半分隠していた前髪も、若干目元を覆うくらいまでに切った。

 視界が良くなったぶん、嫌なものも目に入りやすくなった。

 その例が、鏡だ。

 毎日鏡を見る。その度に震えが止まらなくなる。目の前の自分は、もちろん “ 瀬戸詩織 ” である筈なのだが。日に日に、 “ 瀬戸香織憎むべき相手 ” に近づいているのだ。目の色だって、髪の長さだって違う。彼女の赤黒く淀んだ目も、真っ暗な夜を連想させるボブの髪も。白いメッシュだって私にはない。でも似ているのだ。雰囲気どころの話ではない。

 紛れもなく自分が瀬戸香織に近づいている。

 洗面所に映る自分を思い切り殴った。その衝撃か、はたまた不吉な予兆なのか、鏡にヒビが入り割れてしまった。手には鮮血。たらりと伝っていくその赤色が、香織の目と重なる。

 

 「Seven years bad luck鏡が割れると不幸が7年続く、か……」


 この前聞いた曲の歌詞にそんな言葉があったな、なんて考え呟く。この歳になるまで、これでもかと言うほど不幸が続いてきた。今以上不幸になる事なんて、ないだろう。

 はっ、と鼻で笑い、赤く染った手で前髪をかき上げる。肌にどろりと不快感がこびり付いた。鉄の嫌な香りが、鼻を介して脳に響く。

 

 「大丈夫、アタクシは瀬戸香織にはなれないわ。こんなに話し方を寄せても、必ずなれないのよ」


 割れた不吉の象徴に、悪魔の笑みが浮かんだ気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生きが詰まる 椿原 @Tubaki_0470

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ