2023年8月15日(火)
俺が古きよき日本を感じさせる引き戸をくぐると、店内には既に
「おー、ユーセー、こっちこっち!」
と伸び上がって手を挙げる。昔から声がでかくて身振り手振りも大袈裟で、おまけに背まで高いせいで目立つやつだとは思っていたが、少し見ない間にすっかり東京にかぶれてしまった悪友は、髪の色も服装もより派手さを増していた。
まるで待ち合わせの目印になるために生まれてきたような男だ。何も知らない
そんな望の隣ではにかみ顔をしながら、やや肩身が狭そうにしている横山が何だか気の毒に思えた。
「いやー、にしてもほんっと久しぶりだよな、このメンツで集まるの。オレとユーセーはちょくちょく会ってたけどさ、リコはマジで高校卒業以来じゃない?」
ほどなく俺がスニーカーを脱いでふたりの対面に腰を下ろすと、日の当たり方によっては金髪に見える頭を掻いて望がまた大声を上げた。
昼にはまだ少し早いとはいえ、俺たちが三年ぶりの再会の場に選んだそば処『
そば処、という添え名こそ冠しているものの、長寿庵はどちらかというと白石名物『
そういう古式ゆかしい店の畳の上で、よもやここをパチンコ屋だとでも思っているのかと問い質したくなるほどの大声を出されては、自然、客席からの注目は避けられない。天井のスピーカーが奏でる
「う、うん……そうだね。まさかこんな形で会えると思ってなかったからびっくりしたけど、久しぶりに会えて嬉しいよ。三年ぶり、くらいかな?」
「ああ……特に俺は大学に入ってから、一度も白石に帰ってこなかったからな。あと望、おまえ、相変わらず声でかいって」
「あ、わり。オレも久々におまえと会えたのが嬉しくてさ、ついテンション上がっちまったわー!」
「おまえがテンション低いとこなんて見たことないけどな……」
と万感の呆れを込めつつため息を落としたところで、店員が俺の分のお冷やを追加で持ってきてくれた。俺たちはそれを見て思い出したようにメニューを広げ、三人分の昼食を注文する。俺は自転車をこいで来た暑さをまぎらわそうと、ざるそばを注文しかけたのだが、三年ぶりに帰郷したくせに
わざわざ外食するまでもなく、こっちはこの二週間、三日に一度は食卓に温麺が出てくる生活を余儀なくされているというのに。
「だけど、望。おまえ、なんでこないだのLINEで嘘ついたんだよ? 今年は夏休みにバイト入れすぎたから白石には帰らないことにしたって言ってたろ?」
ほどなく食事の注文が済むと、俺は望の同調圧力ならぬ温麺圧力に屈してしまった腹いせに、幼稚園時代からの旧友を対座からなじってやった。
白石ほどの田舎ともなると、通える保育施設や学校は非常に数が絞られるから、ほとんどの場合、中学、高校ではクラスの大半が見知った顔になる。
望と俺はそういう縁で、もう十年以上もつるんでいる幼馴染みだ。いや、何なら互いを血のつながらない兄弟のごとく思っている節があり、どれだけ離れて暮らしていようとも、会えばたちまち悪童時代の調子で話ができてしまうのだった。
「あー、いや、まあ、それなんだけどさ……一応弁解しておくと、オレとしても悪気はなかったのよ? ただユーセーは今年も帰省しないんだろーなーって思ってたからさ。そんでうっかり松島に旅行に行く計画とか立てちゃって、そこをつっこまれたら誤魔化すのしんどいなーと思っちゃったというか何というか……」
「はあ? 別に松島なんて好きに行けばいいだろ。まさか俺がその旅行に誘われなかったからって、文句を言ってくるとでも思ったのか?」
「いやー、そういうんじゃなくてさ、ちょっと
「答えづらいって?」
「もういいよ、望。いい加減、
「えー? まあ、リコがいいって言うならいいけど……」
と、なおも何か渋っている様子の望を見て、刹那、俺ははたと気づいた。
いや、気づいてしまった。
だって今、横山は隣の望を「望」と、下の名前で呼び捨てにしたのだ。
だが俺の記憶が確かなら、横山は少なくとも高校までは、望を他人行儀に「
「……おまえら、もしかして付き合ってる?」
ゆえに機先を制してそう尋ねたら、座卓の向こうでふたりが同時に沈黙した。
望の方は俺を見て「なんで分かったんだ」とでも言いたげに目を剥いているし、横山の方も一瞬目を丸くしたあと、たちまち頬を赤くしてうつむいてしまう。
こうなるともう「はい、そうです」と明確に返事をされたも同然だ。
よって俺もしばしの沈黙を選んだのち、グラスを取って冷たい水を喉に流し込むと、さらに一拍の間を置いてようやく重い口を開いた。
「……いつからだ?」
「え、えっと……高校卒業する前? というか受験のあと、お互いの大学合格が分かった頃に……」
「じゃあもう三年近く付き合ってるってこと? 俺、何も聞いてないけど」
「いやー、ハハハ、悪いな、ユーセー。だけどやっぱおまえには言い出しにくくてさ。いつか言おう言おうとは思ってたんだけど……」
「でもおまえ、今は東京だろ。横山さんは確か……
「う、うん。でも望もしょっちゅう宮城に帰ってくるし……今はほら、LINEとかビデオ通話とか、色々あるから」
「だよなー。意外と遠距離も悪くないよな? お互いに会いに行くのだってちょっとした旅行になるし」
「望はちゃんと真面目に大学行ってる? って心配になるくらい、ほいほい帰ってきすぎだけどね」
横山が呆れと親愛の中間みたいな苦笑を浮かべてそう言えば、望もすかさず反論を繰り出した。が、ふたりの
ああ、そもそもこのふたりが連れ立って花火大会の会場にいた時点で何か妙だとは思っていたが、まさか交際していたとは。
白石を出てから三年、望は彼女がいるなんてちっともにおわせなかったのに──いや、違う。そうじゃない。俺に知る気がなかっただけだ。
何しろ
だから耳も目も塞いで、俺の古傷に
望が俺には打ち明けにくかったと言ったのもそのためだろう。俺が人生で最も暗い誕生日を迎えて以来、愛だの恋だのという単語に拒絶の意思を示すようになったことをこいつは知っている。ゆえに俺の神経を逆撫ですまいと、今日まで気を遣って黙っていたのだ。ましてや相手が歩叶の親友ともなれば、触れた拍子に開きかねない俺の傷を無視して話すことなど、土台不可能だっただろうから。
「だけど清沢くんは、確か学院大に入ったんだよね。どう、そっちは?」
「まあ……可もなく不可もなくって感じかな。そこそこ楽しくやってるけど、入った学科が学科だから、端から見たらパッとしない地味な大学生活に見えるかも」
「えっと、歴史学科だったっけ? 専攻は?」
「とりあえず日本近世史。けど、特別日本史がやりたいってわけでもなくて、歴史学科自体、親父が卒業したとこだからって理由だけで入ったようなもんだから……その点、横山さんは大学でも本を書くための勉強してるんだろ?」
「うーん、まあ一応。進学前に想像してたのとはちょっと違うなって感じだけど、私もそこそこ楽しくやれてるかな。話してみると、意外と私と同じ理由で入ったって子も多いみたいで、お互いいい刺激になってる」
「ってことは今も書いてるの? 小説とか脚本とか」
「うん。まだ全然、
「へえ。だとしてもすごいじゃん。近い将来、芥川賞とか直木賞とか、ああいうのに選ばれる人気作家になったりして」
「あはは、さすがに芥川賞とかは無理だけど、でも大学卒業までにはどこかで受賞して実績を作っておきたいかなあ。いつかプロの作家になって本を出すって、昔、歩叶と約束したから……」
瞬間、俺の心臓がぎくりと嫌な音を立てたのを、向かいの望も一緒に聞いたような顔をした。が、やつが見るからに気まずい様子で横山のサマーニットの
「いただきます!」
ほどなく三人分の温麺が揃うや否や、パンと手を合わせた望が性懲りもなく大声を上げた。しかし今回に限っては、望がときと場合をわきまえない持ち前の無頓着さを発揮して、自らを衆目の的にしようとしたわけでないことは俺にも分かる。
望は確かに大雑把で空気の読めない男だが、対人関係においては意外にも細やかな配慮のできるやつなのだ。だから今のもきっと、歩叶の名前が出た途端俺たちの間に漂い始めた不穏な気配を退散させようともくろんでのことだったのだろう。
ところが驚くべきことに、横山は怯まなかった。
歩叶と比べるとやや人見知りで内向的で、控えめな印象だったあの横山がだ。
「あのさ、清沢くん」
「……何?」
「私、ずっと知りたかったんだけど、歩叶と清沢くんってどうして別れたの?」
直後、
「ちょ、おい、リコ……!」
「ごめん、望。だけど私、やっぱりどうしても聞いておきたいの」
「だからオレから散々話したじゃん、ユーセーは
「分かってるけど、私は
あからさまに慌て出した望の制止をバッサリ斬り捨てた横山の口調は、ちょっと面食らうほどに強かった。されどそこに込められた感情は怒りというより、もっと別の何かのように感ぜられる。たとえば世間はそれを指して「覚悟」とか「悲壮」とか呼ばわるのではないだろうか。
だから俺も答えないわけにはいかなかった──否、違うな。たとえ横山が切り出さずとも、そのときは俺からきっかけを作るつもりでここへ来たはずだ。
一昨日の晩、四年前の歩叶と共に花火を見上げたあのときに、俺はもう逃げ回るのはやめにしようと心を決めた。
今も胸の内でにぶく煙を上げている後悔と罪悪感に引導を渡すために。
「いいよ、望。というか、俺もこの機会に聞いておきたかったんだ。俺と別れたあと……事件が起きるまで、歩叶がどんな風に過ごしてたのか」
「ユーセー」
「そんな顔するなって。俺ならもう大丈夫だから」
「ほんとに?」
「……いや、嘘。本当はまだ結構引きずってる。でも、三年ぶりに白石に帰ってきて、少し気持ちに整理がついたっていうか……このまま全部なかったことにはしておけないって、そう思ったんだ。俺自身のためにも、歩叶のためにも」
俺はあんな振られ方をしても、やっぱり歩叶のことが好きだった。
あの日、ぽつぽつと打ち上がる
けれど今の今まで、俺はそういう自分も、自分を振った歩叶のことも許したくなかったのだ。自分を許すことは歩叶への、歩叶を許すことは自分への、大いなる裏切りになるような気がしたから。だけどもう誤魔化せない。たとえどれだけ傷つくことになろうとも、逃げ回るのは止めにして過ちを償いたい。
歩叶を救えなかった自分を、去っていった歩叶を忘れるのではなく、ちゃんと受け入れてもう一度前を向くために。
「んで、俺と歩叶がなんで別れたのかって話だけど……実はそれ、俺も横山さんに訊きたいと思ってたんだよね」
「え?」
「さっき望が言ったとおり、俺の認識としては、歩叶から一方的に別れ話を切り出されたって感じでさ。理由を訊いても全然答えてもらえなくて……ただひと言、これ以上私に関わらないでほしいから、って」
「うそ」
と、横山は箸から滑り落ちた温麺が、つゆの底へ沈んでしまったのにも気づかないほど唖然とした様子だった。すると何故だか望の方がフンッと鼻を鳴らして、
「だから言ったじゃん。ユーセーをポイしたのは平城ちゃんの方だってさ」
と、心なし得意気に温麺をすする。
「別に、望の言うことを信じてなかったわけじゃないけど……でも、歩叶が本当にそう言ったの? 付き合ってる間中ずっと、清沢くんなしじゃ生きていけないって感じだったあの歩叶が?」
「ああ。けどその様子だと、もしかして横山さんも知らない? 歩叶がなんで突然俺から離れていったのか」
「うん……私も歩叶から清沢くんと別れたって話は聞いてたけど、詳しいことは何も教えてくれなくて。ただ〝自分が悪いんだ〟って、聞き出せたのはそれだけ。しつこくあれこれ聞ける雰囲気でもなかったし……」
「……そっか。じゃあ、俺と別れたあとの歩叶ってどんな感じだった? 他の誰かと付き合ったりとかは……?」
「ううん、私の知る限りは誰とも。でも、あんなに清沢くん清沢くんって言ってたわりには、別れてからの立ち直りは早かった、かな。三年に上がる頃には何にもなかったみたいにけろっとしてたし……もちろん、そういうふりをしてただけかもしれないけど」
「んまあ、確かに平城ちゃんなら演技だったって可能性も充分あるけどさあ。とはいえフッたのは平城ちゃんの方なんだし、案外マジでユーセーのことなんてどうでもよくなってた説ない?」
「望。おまえ、俺をかばいたいのかぶちのめしたいのか、どっちなんだ?」
「あ。サーセン……」
と首を竦めて言うが早いか、望は失言を誤魔化すように、温麺とセットで届いたカツ丼を掻き込むふりをして器用に顔を隠してみせた。そんな悪友のていたらくに呆れつつ、俺もエビの天麩羅をひと口
「……けど、親友の横山さんにすら何も言わなかったってことは、案外本気で俺に愛想尽かしてたのかもな。思い当たる節がまったくないわけでもないし……」
「まさか、あの歩叶が?」
「ああ……だってぶっちゃけ釣り合ってなかったろ、俺と歩叶って」
「どうしてそう思うの?」
「そりゃ歩叶と比べたら、俺は平凡すぎるし……正直今でも付き合えてたのが奇跡だなって思うよ。勉強も容姿も才能も、歩叶の方が俺よりずっと
「つまり平城ちゃんは自分なんかにはもったいない女だったって言いたいわけ?」
「まあ……そういうこと。だから、さすがに飽きられたのかなって思ってた。もしそうなら仕方ない、当然だって諦めもついたし……」
「……でも、私はお似合いだったと思うよ」
「え?」
「歩叶と清沢くんはお似合いだった。だってふたりとも、一緒にいるといつもすごく幸せそうで……特に歩叶は、清沢くんと付き合ってた頃が一番きらきらしてた。私、そんな歩叶がずっと羨ましくて……だけど同時にほっとしたんだ。うまく言えないけど……清沢くんと出会ってから、歩叶、ちゃんと笑うようになったなって」
「……どういう意味?」
と思わず尋ねてから、俺は気づいた。そういえば俺は中三の夏、歩叶と初めて言葉を交わしたあの雨の日以前の彼女を知らない。
歩叶は未来のことはあれこれ話すものの、思い出話にはあまり興をそそられないたちだったようで、俺と出会う前の中学生活や小学生時代には果たしてどんな日々を送っていたのか、ろくに聞いた記憶がなかった。
しかしその点、横山は違う。少なくとも歩叶とは中学に上がりたての頃から交流があって、高校卒業間際までの六年間、通学先を
「これは私が勝手に思ってたことだけど……歩叶ってどことなく、笑うのが苦手な子って印象だったんだよね。顔は笑ってるのに心は笑ってないっていうか……なんか、周りに合わせるためにとりあえず笑ってるって感じで、ときどき全然楽しそうじゃないなって思う瞬間があったの。愛想笑い、ともまた違うんだけど……」
「えぇ、そうかあ? オレ、平城ちゃんとは中二のとき同じクラスだったけど、男子はみんな平城ちゃんのことカワイイカワイイって裏で
「あの事件のあとなんか特にそうだったよ。なんていうか、こう……笑ってるふりをしながら相手を観察してるみたいで、ちょっと怖いなって感じることがたびたびあったの。だけど清沢くんと付き合い始めてからは、毎日本当に楽しそうで……中学を卒業する前とは別人みたいだなって、何度も思った。だから……」
そう言いさして箸を止め、それきり横山は黙りこくった。
会話が途切れたのに気づいた俺は、どうかしたのかと顔を上げる。
そして途端にぎょっとした。何故なら深淵のようなつゆの黒さを見つめる横山の目が、今にも泣き出しそうに赤らんでいたから。
だというのに俺ときたら、横山の異変に気づくや否やたちどころにどぎまぎしてしまって、ついには気のきいた言葉ひとつかけてやれなかった。どころか、ああ、こんなとき男とは声をかけるものかかけざるものかと、甲斐性なしのお手本のようにモタついて、結局気づいていないふりをするしかできなかったのだから呆れてしまう。その間にも横山は自分で涙を拭い、ぐっと唇を引き結んでから、言った。
「だから、私は違うと思う。少なくとも歩叶は、飽きたとか釣り合ってないとか、そんな理由で好きな人を突き放すような子じゃなかった。ましてや清沢くんに嫌われるのを一番怖がってたのは、歩叶なのに……」
「リコ」
「……ねえ、清沢くん。もし、清沢くんさえよければなんだけど」
と、まだ半分も進んでいない食事を前にして、横山が不意に箸を置いた。
そのいかにも
「ちょうどお盆の時期なわけだし……こうして私たちが再会したのも、きっと何かの縁だと思うの。だから、これから一緒に行かない? 歩叶の──お墓参り」
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