2023年8月13日(日)
あの日、
まず、持ち主の手がかりは一切なし。結局神社にも警察にも届け出ず、無断で持ち帰ってきてしまったから確かなところは不明だが、少なくとも端末内に持ち主へつながりそうな情報はなかった。電話帳やメールの受送信履歴は真っ白、利用者情報の登録もなく、写真などのデータボックスも空だ。
加えて電波は常に圏外で、Wi-Fiにも何故かつながらない。
おかげで使える機能はあくまであのアプリだけ。あれから色々試してみたが、やはりこいつがカメラアプリであることだけは確かなようで、シャッターを押せばカシャリと小気味のよい音が鳴り、撮影された静止画がアルバムに保存された。
しかしそうして撮影した写真を詳しく調べていたときに、俺はあることに気がついたのだ。それは写真のデータ情報画面で確認できる撮影日時。
俺がこの持ち主不明のスマホと出会ったのは、二〇二三年の八月三日のことだった。が、即日実家へ取って返して、試しに自分の部屋の写真を撮ってみると、そこには驚くべきものが写り込んでいた。というのは、俺がひとり暮らしの供として仙台へ連れていったはずの二十六型テレビが、今なおテレビボードと共にベッドの脇で澄まし顔をしていたのだ。で、これはと思い、問題の写真のデータ情報を調べてみると、なんと撮影日が二〇一八年十一月十七日となっていた。
と来れば戸惑いの渦中にあった俺でもさすがに気づく。
ひょっとするとこのアプリは、過去を撮影できるカメラなのではないか、と。
「……ありえない」
と、一度自分の正気を疑うために呟いてはみたものの、事実そうなっているのだから仕方がない。その段になって俺はさらに、問題のスマホの画面に浮かび上がる日付が五年前の十一月になっていることに気がついた。時間は二〇二三年八月現在のそれにぴたりと合っていながら、日付だけが過去なのだ。
そこで次に、俺は端末の設定画面から、時計を任意の日時に変更できるかどうかを試してみた。結論から言うと、これができた。どう足掻いてもインターネットにはつながらないようだから、自動で標準時と足並みを揃える機能こそ使えないものの、代わりに操作者の好きな日時を手動で設定することはできる。
つまりこの機能とあのアプリを駆使すれば、自由に日時を指定して過去の写真が撮れるというわけだ。否、しかし強気で「自由に」と言ってしまうと語弊がある。
というのはどうやら時を
ならばと発想を逆転して、過去ではなく未来の日付を指定してみてはどうだと挑みかかれば、結果は敢えなく玉砕。こちらも同じように入力を受けつけてはもらえず、現時点よりも先の日時は、ほんの一分先であろうとも容赦なく弾かれた。
つまるところこのスマホで撮影できる過去というのは、二〇一七年の六月九日から二〇二三年八月十三日現在までの、およそ六年に限定されるというわけだ。
こうなってみると、なんだ、期待したほど大した機能ではないなと不平を垂れたい気持ちさえしてくるが、そもそもスマホ越しに過去を覗き、あげく撮影までできてしまうなどというのはおよそ現実離れした技術であることを忘れてはならない。
一体誰が何のためにそのような技術を開発し、そいつを内蔵したノーベル賞級の産物を、あんな片田舎の神社くんだりへ置き忘れていったのかはまったくの謎だ。
けれどもこのスマホに秘められし魔力を知ってしまった俺は、とんでもないものを手に入れてしまったとおののく一方で、一時の
それどころか例の文字化けアプリに『過去カメラ』と勝手に呼び名までつけて、今も星屑のカバーごとカーゴパンツのポケットに突っ込んでいる。
「じゃーね、
「いや、ひとりで行くのに羽目をはずすも何もないって……そんな盛り上がる祭りでもないし」
「途中で知った顔に会わないとも限らないでしょ? 今の時期は市外に出た同級生もみんな帰ってきてるだろうから」
「まあね……とにかく終わったら俺か結から電話するから。帰りもよろしく」
「はいはい。あんまり遅くならないようにね」
と、
毎年この時期、白石では──いや、他の地域でも大概似たような催しものが開かれるシーズンなのだろうが──鳴り響く白石音頭に合わせて盆踊りの行列が商店街を練り歩く白石夏祭りと、白石川沿いの河川敷を会場とした花火大会が催されるのが恒例で、町中の人間が集まると言っても過言ではない賑わいを見せるのだった。
何せ娯楽の少ない町だから、こんな
で、母に車で送られ、商店街の突き当たりにある白石図書館前へ降り立った俺と妹の結は、これから花火大会の会場である白石川緑地公園へ歩いていこうという算段でいる。土手下にある緑地公園の駐車場は非常に入りづらく、また大変な混雑も予想されることから、俺たちは送迎係の母に気を遣って、少し離れた図書館前で降ろしてもらったのだった。
もっとも結の方はこのあと、図書館と同じ敷地に建つ
何しろ結の友人とはほとんど面識がないし、そんなところへ図々しく割り込んでみたところで、互いに気まずい思いをするだけなのは目に見えている。
加えて高校教師の父は、会場へ行けばほぼ確実に学校の父兄や教え子に会う羽目になるからと花火を見たがらず、白石生まれの白石育ちである母も、さすがにもう白石音頭は聞き飽きたわと肩を竦めて祭りへの参加を辞退した。となればやはり、二年ぶりの帰省で連絡を取り合える友もない俺は、ひとり寂しく花火を鑑賞するしかない。もっとも今日に限っては、その方がずっと都合がいいのだが。
ところがほのかに紫がかった紺色の、蝶柄の浴衣に身を包んだ妹が兄を見る目は何やら少し同情的だ。俺だって別に友人がいないわけではないのだが、結の目にはどうやら孤独な兄の姿が、地元の旧友たちにまで見放された哀れっぽいものに見えるらしい。我が妹ながら何とも失礼なやつだ。
かと言っていちいち誤解をとくのも面倒なので、
「じゃ、またあとでな。友達と別れたら連絡よこせよ」
と告げてさっさと別れようと思ったら、
「ちょっと、お
と、思いがけず呼び止められた。
「何?」
「何って、本当にひとりで花火見に行くの? さすがにちょっと寂しくない? 何ならあたしから友達に頼んで、一緒に連れてってあげようか?」
「はあ? 俺は別に寂しくも何ともないし、余計なお世話だよ。だいたいお前は高校最後の夏祭りだろ。なら俺に変な気なんか遣わずに、友達と水入らずで楽しんできたらいいじゃん」
「そうだけど……」
「……何だよ、その目は?」
「別に。ただ、だったらなんでわざわざコンタクトはずして眼鏡にしてきたのかなあと思って。それって高校まではずっと眼鏡だったから、そっちの方が昔の友達に見つけてもらいやすいかも、とか思ってかけてきたんじゃないの?」
「いや……別にそんな深い理由なんてないんだけど。ただ単純に、今日はなんかコンタクトが合わなかったから眼鏡に換えてきただけだよ」
「ふーん?」
「白石に帰ってきてから生活リズム崩れてるしな。たぶんそのせいだろ」
となおも勘繰るような目をする妹の前で、俺は細身の黒縁眼鏡の下から指を差し込み、さも大儀そうに目もとを擦ってみせた。が、内心はとても穏やかではない。
どうやら俺は妹を見くびっていた。実のところ、俺はある思惑があってわざわざコンタクトを眼鏡に
だとしたらこの十七年、妹とはあくまで「妹」という名の生き物であって女ではないとしてきた認識を、俺は大至急改めなければならなかった。
もっとも眼鏡の理由はたったいま結が邪推してみせたような、寂しまぎれの苦肉の策──では断じてないのだが。
「とにかく、そういうわけだから余計な気を回すな。知らない女子高生に混じって浮きまくるくらいなら、ひとりで花火を見る方が百倍マシだ」
「あっそ。じゃあいいけど。そこまで言うなら
「最初からそうするつもりだっての。花火が終わったら白石大橋の前に集合な」
「分かってるし。じゃあ、またあとでね」
相変わらず生意気な口振りでそう言うと、結はこちらも見ずに手を振って、下駄をからころ鳴らしながら立ち去った。そんな妹を見送ってからやれやれという心境でため息を落とし、俺もようやく歩き出す。
「〽めんこいこけしのふるさとよ みちのく白石 よいところ」
と商店街から夏の夜風に乗って聞こえてくる、陽気な
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