第19話 剣鬼と剣聖のロンド

マリアがリョウを召喚した日から、およそ一カ月。

泣いても笑ってもこれで最後の、王国対帝国の神前試合の日となった。

帝国チームの控室内は静かな緊張と集中により、どこか冷たいような空気が満ちている。

といっても彼らは全員が超一流の戦士だ。ほどよい緊張感はパフォーマンスの向上に繋がるものであり、マイナスの影響を与えるものではない。

それぞれが今回の神前試合に思うところがあるが、胸の中に熱意と闘志を秘め、静かに試合前の時間を過ごしている。

一方王国チーム。

控室には政府重鎮やら王宮で女王の面倒を見ている使用人たちやらが入り乱れ、どやどやとエールを送っていた。


「陛下! 頑張ってくださいね! おやつは好きなやつ用意しておきますよ!」

「トエットも頑張れよ! フルコース作って待ってるからな!」

「リョウ様……! 踏んでください……!」


おおむねこのようなノリである。

横断幕と旗をぶんぶん振りながら、既にクライマックスのような面持ちで涙ぐんでいる人々に、マリアはふにゃりとした笑顔を向け、トエットは照れくさそうに口元をもにょもにょと歪ませ、リョウは邪魔なので容赦なく部屋の外へ叩き出した。

頑張れーっ! と残響を残して王国応援団の皆さんが去っていくと、リョウはふうとため息をつく。


「毎度思うけれど、本当にこの国の人間は平和ボケし倒しているわね……」

「おっしゃるとおりでございます……」


その筆頭であるところのマリアが、ちょっと冷や汗をかきつつ深々と頭を下げた。ありがたいけれど迷惑この上ないというリョウの気持ちが、さすがにいまはちょっとわかる。

今日は、というか昨日から王宮内の人間はみんなあの調子で、なんなら城下町でも女王陛下の神前試合本選初デビューだからと飲めや歌えやの大騒ぎが発生していた。

これで勝てば更なるお祭り騒ぎがやってくるし、負けたら負けたで頑張ったねとお疲れさま会でも開かれることだろう。

前王国チームのボロ負けと帝国チームのあまりの最強っぷりは、王国民の精神に対してある種の麻痺を発生させているのだろうとマリアは思う。

どうせ負ける可能性のほうが高いんだから、もう飲んで陽気に過ごそうぜという、やけっぱちな楽しみ方をしているのだ。

自分はともかく、トエットとリョウの戦いに関してはもうちょっと期待してくれてもいいのになとは思うものの、マリアはこの弱小平和ボケなくせに妙なところでしたたかな国民性が、なんだかんだ嫌いではない。

少なくとも、王族として生まれてきた先が、この国で良かったと思う程度には。


「あ、そろそろ時間ですよぉ」


トエットの声で、三人は立ち上がる。今日も勿論先頭はリョウだ。

神殿の鐘の音に合わせて重厚な観音開きの扉を開ければ、マリアにとっては見るのも三度目の、広大な神殿闘技場が選手たちを待っている。

王国チームの華やかな戦乙女たちと、無敗の帝王率いる帝国チームは、巨大なリングを挟んで相対した。

お互いの表情はほとんど見えないほどの距離がありながらも、選手たちは対戦相手の鋭い視線を感じ取っていた。

両チームに神官がしずしずと歩み寄り、絹布の上に置かれた、白い宝玉付きのブローチを差し出す。

選手のみが着用を許される神器を最初に身につけるのは、王国チーム、トエット・ユリーシアと、帝国チーム、ロルフ・レーマン。

独学で剣の技を神技の域にまで高めた鬼才の少女と、剣に人生を捧げる剣聖は、それぞれの愛剣を手にリングへと上がった。

最初に距離を詰めたのは、剣聖ロルフだ。

といっても攻撃のためではなく、対戦相手の少女と言葉を交わすためにすたすたと近寄っただけなのだが、トエットはなんとなく嫌で半歩後ろへ下がる。

そんな少女に、ロルフは笑って挨拶をした。


「はは、初対面だっていうのに、なにもそんなに嫌そうにしなくても。私はロルフ・レーマン。今日の試合を楽しみにしていたよ!」

「……トエット・ユリーシア。今日は大変そうだけど頑張ります」


小学生の作文の如き脳を使わない返答をし、トエットはまた半歩後ろへ下がった。

ロルフはにこにこと和やかな顔をして、片手をカチリと腰に差した剣の柄へと置く。


「そうか! 私も今日は大変な戦いになるだろうと予感して、実に楽しみにしていた」

「買いかぶりですよ」

「いや、そんなことはない」


社交辞令のような返事を静かな声で否定され、トエットはゆっくりと愛剣の柄を握りしめた。

お互いの立ち姿、足の位置、重心の掛け方、視線の動き。剣技を極めた二人は、この会話の最中も、お互いが神経を張り詰めていることに気が付いている。


「そんなことはない。まったく、これっぽっちも。

もう二十日は前のことになるかな。きみのところの女王陛下とうちの帝王の練習試合。私がはじめてきみを目にしたのはあの時だ。

あの試合は面白かったね。マリア女王の資質は予想外に高かった。逃げ回ってはいたけれど、背後からの攻撃を音と勘だけであれだけ避けられるのは、とんでもない才能だよ。

といっても会場内で彼らの動きを完全に捉えていたのなんて、僕と勇者殿、それからきみくらいのものだろうな。

なんだかんだいっていい試合だった。おかげでうちの無敗の帝王様も、張り合いが出たようでね。日々の訓練にもより一層力が入っていたよ。

勿論僕もだ。会場内できみを見た時、すぐにわかったよ。どれだけの修練を積んだのか。

時間の問題じゃない。質の問題だ。

世の中にはどれだけ人生を一つの物事に費やしても大成しない者もいれば、すぐに本質を捉えてしまう者もいる。

きみは後者だ。紛うこと無き天才だ。

この出会いに、感謝しているよ」


言い終えると同時に、ロルフは床を蹴り、一足でトエットの間合いへ踏み込んだ。

トエットはそれを逆袈裟で相手の剣を打ち上げることで回避し、後ろへ下がる。

鋼と鋼がぶつかり合う瞬間、ロルフは剣を引き、こちらも一歩後ろへ下がった。

ちらりと向けた視線の先。冴え冴えと光を反射するロルフの片手剣の表面に、僅かな傷が付いていた。

レーマン家に代々伝わる宝剣シュタイフェ・ブリーゼは、疾風という意味を持つ、帝国でも有数の名剣だ。

持ち主の魔力に呼応して強度を上げる魔術が施され、生半可なことでは曇りすらしない。魔剣とも呼ばれるそれの表面に、髪一本程度とはいえ、傷がつけられた。

ロルフは口の端をにいとつり上げ、目の前の強敵を爛々と闘志の籠った目で見つめる。

反対にトエットのほうはといえば、予想通りの戦闘狂だった剣聖にドン引きしていた。

こうなる気はしていたのだ。

というか、リョウから特別な訓練は必要無いと判断されるほどに完成された技量を持つ彼女が、練習試合の時に剣聖から浴びせられていた遠慮のない視線に気付かないはずがない。

こうして近くで顔を合わせるのは初めてとはいえ、帝国側になんだかやべえ奴がいるぞということくらい、当然気付いていたのだ。


トエットは大きくため息をつき、剣を構える。

先程の相手の動きをなぞるように、今度はトエットが一歩を踏み出す。

遠慮なく心臓を狙った突きを、ロルフは体を斜めにずらすことで避けた。

剣どころか腕が届く狭い間合いで、ロルフがくるりと手首を返す。

切りつけた速度を落とさず、そのまますれ違おうとしていたトエットの目を、ロルフはたったそれだけの動きで狙い過たず切りつけた。

いや、切りつけようとした。

トエットはその場で右足を軸にぐるりと体の向きを変え、剣を持つロルフの腕に沿うようにしてターンをし、彼我の距離をゼロまで詰める。

小柄な体を生かしたコンパクトな動きで相手の背後を取ったトエットが、そのまま延髄目掛けて切りかかった。

ロルフはそれを、体を捻って背後へ放った横薙ぎの斬撃で迎え撃つ。

一瞬の交差の後、二人は再び床を蹴って距離を取った。

トエットの剣はロルフの首を外れ、肩に切れ込みを入れている。

ロルフの剣は、トエットのあばらの下を、半ばまで切断していた。

剣を持っているのとは逆の手で、ロルフは己の傷口に触れ、指先に付着した血に微笑む。


「素晴らしい! 避け切ったと思ったのだけれどね。いやあ、予想以上だ。なんて鋭い剣筋だろうか。うちの戦闘装束は一級品なんだけれどな。それをこうも容易く切り裂かれるとは」

「そりゃどうも」


ご機嫌な剣聖とは対照的に、トエットは隠しもせずに返事に舌打ちを付け足した。

傷は瞬く間に治ったが、切り裂かれた戦装束にはうっすらと血が滲んでおり、神殿闘技場の治癒魔法が短時間とはいえ追い付かないだけの怪我をしたのだと如実に語っている。

腹は立つが、まあこんなもんだろうな。トエットは頭の奥の冷静な部分でそう考えた。

トエットの目から見ても、ちょっと気持ち悪い戦闘狂である剣聖の力量は、相当なものだった。

魔力量も、それによって強化される筋力も、剣を振るってきた経験も、相手のほうが上だ。

とはいえここであっさり諦めるつもりはない。

なんせ最近はすぐそばに、とんでもない向上心と闘争心の塊であるリョウと、ふわふわしていて放っておけないメンタル最弱ゴリラのマリアがずっといる生活だったのだ。

こりゃ自分がしっかりしなきゃいけないし、積極的に勝ちを狙っていかなきゃいけないぞ、という自覚も芽生えるというものだ。

なお王国チーム三人は程度は違えど、チームメイトをやばい奴だと思っているし、自分がしっかりせねばと考えている。完全にお互い様である。


目の前の敵を見据えながら、トエットは高速で考えを巡らせていく。

正面からの突きには対応された。では右側から回って袈裟懸けに切りかかれば。反対からいって利き手を狙えば。あるいは正面から股下を潜り抜けて背後を取れば。

何通りものルートと攻撃を考えて、おそらくそのどれにも相手は対応しきるだろうなとトエットは予想した。

勝てるか勝てないかで言えば、まあ勝てない可能性のほうが高いだろう。

剣聖の呼び名は伊達ではない。

ここで、やーめたと言って放り出せれば楽なのに、そうもいかないのが辛いところだ。

当然社会的責任だとか、選手としての最低限のマナーであるとか、あとは今後の雇用だとかお賃金への影響だとか、様々な理由から、そんな気楽で無責任な振る舞いは許されない。トエットは本来そういったしがらみが苦手である。

それでもどうにか頑張っているのは、自分の後ろではらはらしながら、がんばれー、と一生懸命に張り上げているわりにどこか間延びした声が聞こえてくるからだ。

あのどうしようもないくせに、時々妙に堂々として見える女王が、負けないでと言っているから。

だからトエットは全然好きでもない戦いを、最後までやり切ろうと思ってしまうのだ。

そんなトエットの気持ちを知る由もないロルフは、ふむと小さく首を傾げる。

ごつごつとした剣ダコだらけの手の中で、手遊びのようにくるりと剣の柄が回された。


「来ないのかい。じゃあ私から」


剣を構えたロルフに、トエットもまた思考を戦闘に切り替える。

トン、と床を踏み締めた足音は、微かといって良いほどに静かなものだった。

来る、と思った次の瞬間には、トエットの眉間へ疾風の名を冠する剣の切っ先が迫っていた。

トエットはそれを後ろへ下がりながら、己の剣で薙ぎ払う。

剣がぶつかり合う直前ロルフは剣を引き、次の瞬間には、まったく別方向からの攻撃がトエットへと向く。

一切の無駄を削ぎ落した、正確無比の体捌き。

そこから繰り出される剣技もまた、どこか軽薄な印象を与えるロルフの人格とは裏腹に、薄氷のように研ぎ澄まされた冷たさがあった。


トエットもまた、一方的にやられているわけではない。

嵐のような斬撃の合間を縫って、時にはロルフを、あるいは彼の持つ魔剣を狙って攻撃を繰りだす。

お互い頑丈な特殊繊維で編まれた戦装束ですら簡単に切り裂ける使い手だ。

一撃一撃が、避け損ねれば致命傷になりかねない。

もっともこの神殿闘技場という特殊な場所では、切り傷程度は瞬く間に治ってしまうのだが。

失血や体を動かせなくなるような大怪我がほとんど意味をなさないこの場において、負けとは選手本人の宣誓か、失神などでそれ以上の戦闘続行が困難になった場合を指す。

怪我をした瞬間の痛みやそれに伴うストレス、長時間の戦いによる体力の低下、あるいは魔力の枯渇による強烈な睡魔にも似た体調不良。

それらが選手を蝕み、勝敗を決めるのだ。

トエットとロルフが再び距離を取った時、お互いの戦闘装束には、攻撃が当たったことを示す穴や切れ目が無数についていた。

幸いどれも小さなものではあるが、より小柄で若く、体力も魔力量もロルフに劣っているトエットに、より強い負担がかかっていることは一目瞭然だった。

顎から滴る汗を手の甲で拭い、いつものどこか眠たげな眼を別人のように鋭くして、トエットはロルフを睨みつける。

劣勢でも全く衰えない敵愾心に、強敵との戦いを最上の喜びとする剣聖は嬉しそうに笑った。


「きみは本当に、最高の剣士だな。願わくばもう少し体力がついてから戦いたかったけれど、このタイミングでの試合になったのも、まあ運命というものかもしれないね」

「クソ寒いこと言いますね」

「そういう気の強いところも戦士の資質だと思うよ」


相変わらずにこにこと微笑むロルフに、トエットはふんと行儀悪く鼻を鳴らす。


「余裕綽々じゃないですか。一度もあたしの剣をまともに受けられていないってのに」


挑発するようなその言葉に、ロルフは返事をしなかった。

代わりにその瞳が、僅かに細められる。

幾度もの攻防の中で、ロルフはトエットが剣を狙ったときには必ず、どんなタイミングであろうが、それを受けずに避けていた。

それは彼が、トエット・ユリーシアという少女の特異性を見抜いていたからだ。

勿論ロルフはトエットについて、その生い立ちから普段の性格まで、何も知らない。

しかし予選での彼女の戦い方を、そしていま目の前で振るわれる技を見て、確信していた。

彼女の最も優れた点は、思い切りのいい身のこなしと反射神経でも、切り合いを恐れない精神でも、一切動きが鈍らない体力でも、それらを支える身体強化の強さでもない。

剣を振るい目の前の存在を斬るという、その一点に対する執着である。


トエットが剣の稽古を始めたのがいつ頃だったのか、きっかけは何だったのか、それはもう彼女自身も覚えていない。

ただそれを振り回すと、綺麗な花のついた固い枝が簡単に落とせるだとか、散策に訪れる裏山の藪を払って歩きやすくなるだとか、そんな小さな理由で剣を気に入ったのだろうとは思っている。自分のことをよく理解しているトエットは、自分が実利のあることに興味を示すタチだということも理解している。

そういった些細で、子供であるトエットにとってはそこそこに切実な理由から、彼女は最初、実家の倉庫にしまってあった古い短剣を使い始めた。

そのうち体がある程度大きくなると、トエットは家で行われていた騎士の稽古を見学し、そこで初めて剣の扱いというものの知識を学んだ。

稽古場の片隅で勝手に訓練用の木刀を振り始めたトエットに、周囲はお兄ちゃんたちの真似がしたいのかしらね、と暖かい視線を向けていたが、勿論そんな動機ではない。

彼女は単に、剣というものを使ってみたいと思っただけだ。


幸いトエットの家族は女性に戦いは似合わないと言いだすタイプでも、熱心に稽古に混じるよう勧めてくるタイプでもなかった。

トエットとしても、男兄弟や騎士に憧れて近所から集まり剣を習っている若者たちが、暑苦しく汗水たらして稽古をしている場所に混じるのはごめんだったため、これ幸いと一人でこっそりと訓練に励むことにした。

表向きの理由は体形維持と、小動物相手の狩りである。

トエットの家は代々騎士を輩出している家系ではあるが、少ない税収と給料を武器の手入れや領地の治水等の維持につぎ込んでいるため、如何せん若干貧しい。

トエットがよりよい嫁ぎ先を確保するべくスタイルを良くしようと頑張るのも、そのついでに日々の食料を調達してくるのも、なんら怪しいところのない行為だった。

おかげでトエットは家族たちに知られることもなく、こっそり隠れて好き放題に剣を振り続けていた。

べつに誰かと闘いたかったわけではないし、力が欲しかったわけでもない。

剣をどう振るえば、どう切れるのか。

どの角度から刃先を入れれば、最も抵抗が少ないのか。

初速はどの程度必要か。途中で引くと切れ味に変化はあるのか。固いものと柔らかいもので切り方を変えるべきなのか。

トエットは刺繍の針を扱うような細やかさでもって、稽古というより半ば研究のように毎日毎日腕を磨いた。

その結果彼女の剣は、鋼をも切り裂く常識外れの鋭さを手に入れたのだ。


これほど「斬る」ということに特化した剣士は、ロルフであっても見たことがない。

さらに恐ろしいことは、トエットにとってこれは特殊な技でもなんでもないということだ。

特定の型から繰り出される全力を込めた必殺剣などではなく、彼女はあらゆる角度、あらゆる動きから常に最適解を見出して、こともなげに一撃必殺の絶技を繰り出してくるのだから、ロルフからすればたまったものではない。

さすがに特別頑丈な魔剣が、予選の対戦選手のもっていた曲刀ようにあっけなく切り裂かれるとまでは思わないが、それでもヒビくらいは軽く入れられるだろうとロルフは予想していた。

だから彼はトエットが剣を狙ってきた際、絶対にそれを避けていたのである。

ロルフは肩をすくめ、トエットの言葉に同意を示した。


「ああ、きみの剣は恐ろしい。あまりにも危険だ。これまで数多くの剣士と切り合ってきたが、これほど慎重に動きを選ぶ必要がある相手はほとんどいなかったよ」

「そこできみが初めてだって言えない奴はモテませんよ」

「手厳しい……」


10歳近く年の離れた少女からシンプルにデリカシーのなさを抉られ、ロルフはちょっとへこんだ。実際彼は富と名声と力とルックスを持ち合わせているわりにモテない。

それから彼は、会話の間の短い休息だけで息を整えたトエットに、素直に感心した。

体力は戻っていないだろう。それでも息が整うか整わないかだけでも、できる動きの幅は変わってくる。

惜しい。ロルフは心底そう思う。

彼女がもっと本格的に訓練をしていたなら、あるいはもっと体格に恵まれていたなら、少なくとも消耗を今ほど気にせず戦えていたはずだ。

これほどの剣士相手に、動きが鈍るのを待って勝つなどというまねができるほど、ロルフは老獪でも冷静でもない。

ほんの少し首を横に振り、ロルフはトエットを見据えた。


「……もうわかっているのだろうけれど、僕は次で勝負を決める」

「わざわざどうも」

「こんなに楽しいのは久しぶりだ。なんなら毎日手合わせをお願いしたいくらいだし、本当は時間の許す限り、もっと長く戦っていたいけれどね。そうもいかない。きみが全力を出せるうちに勝負を付けるのが一番良いだろう」

「お気遣いいただき申し訳ありませんね。けど」


トエットはゆらりと剣をロルフへ向け、その切っ先の輝きと同じだけ鋭い視線で、彼を見据えた。


「御託はいいんだよ。かかってきな」


格上の相手に微塵も怯まず、むしろ大上段から斬りつけるようなことを言うトエットに、ロルフはあっけにとられる。

それから込み上げてきたのは、ただただ楽しいという気持ちだ。

人生のほとんどの時間を他人を切り伏せることに費やしてきた男の目が、うっとりと細められる。

ロルフは返事をしなかった。

ただその顔に狂暴な笑みを浮かべ、剣を構える。

踏み込んだタイミングは同時。

先に相手を間合いに捕らえたのは、リーチが優位なロルフだ。

首元を横薙ぎに狙われ、トエットがそれを避けようと速度を緩めた瞬間。

まっすぐ振られていたはずのロルフの腕が、そこで魔法のようにかくんと軌道を変える。フェイントだ。

本命である神速の突きは、一直線にトエットの心臓を捉えた。

神殿の治癒魔法は大きな異物を巻き込んだままでは、完全には作動しない。

ロルフがすぐに剣を引き抜こうとした、その時。

常人には捉えられない神業と言える攻防の中で、彼は確かに、トエットがにやりと笑ったのを見た。


心臓を貫かれたまま、トエットが剣を振るう。

狙うのはロルフではない。彼の持つ剣だ。

ごく至近距離、自分の胸から生えたそれを狙うには、当然振り下ろしたり薙いだりという威力の乗る動きはできない。

使い込まれ、丁寧に手入れをされ、トエットと共に過ごしてきた、どこにでもあるただの丈夫な片手剣。

それを軽く振り上げるだけの動きで、剣聖をして天才と言わしめた少女は、魔剣を根元から斬ってみせた。

鍔から先を失った愛剣に、ロルフが目を見開く。

トエットは口の端に微かな笑みを浮かべたまま、ロルフの首を切り裂いた。

治癒魔法が効力を発揮するまでのわずかなラグの間に零れた血が、ロルフの首元を濡らす。

互いに致命傷。

しかしトエットの心臓には、いまだに剣が刺さったままだ。

鋭い瞳が閉じられ、小さな体がぐらりと傾いだ瞬間、ロルフは躊躇なく彼女の胸に刺さる刃を掴み、手に血がにじむのも構わず引き抜いていた。

途端鮮血が勢いよく吹き出し、次の瞬間には傷口が塞がれ、何事も無かったかのようにトエットの心臓が無事に鼓動を打つ。


「第一試合、勝――」

「審判!!」


審判を務める神官が勝者の名を呼ぼうとしたその時、倒れたトエットを腕に抱いたロルフが大音声で割って入った。


「彼女は倒れたが私は剣を失った! 代々伝えられし宝剣を、仮にも剣聖と呼ばれた私が失ったのだ! 勝者と呼ばれるのはこの私の誇りに反する!!」


その宣誓に、会場内がどよめく。

神前試合はただの国家の代表戦ではない。神の御前で戦い、その結果を奉納する、いわば神事としての側面を持っている。

審判は勝者の名を既に呼ぼうとしていた。それがロルフであることは明確だろう。

しかし宣言が最後までなされる前に、その勝者自身から己の勝ちを否定する声が上げられた。

この場合、いったいどちらの言葉が優先されるのか。

押し黙った審判は、リングへ向けて静かに腕を差し伸べた。

てのひらの上には、選手がつけるブローチにもあしらわれている、ムーンストーンのような色の宝玉が乗っている。

それが鮮やかな青い光を放った瞬間、トエットとロルフの付けたブローチが、同じ青色に輝く。

実はこの神器、リングに上がる選手であることを示すバトンのような役割のほかに、こうして判定の難しい試合において、人間の代わりに審判をするという役割があるのだ。

役目を果たした宝玉をしまい、改めて審判が声を張り上げる。


「第一試合、引き分け!」


会場内が予想外の結果にどっと沸いた。

これまでの帝国チームの試合で、帝王は勿論だが、剣聖ロルフも負けたことは一度もない。

それが全く無名の選手相手に引き分けたのである。

剣聖が勝てなかったという衝撃、悔しさ、魔剣を真っ二つに切るという偉業に対する畏怖、称賛。様々な感情を滲ませる人々の声がどよどよと響き、観客たちは王国と帝国の試合の行方にこれ以上の波乱が巻き起こるのではないかと、期待と不安を胸に抱いた。

ちなみにユリーシア家のみなさんは末娘の容体が気になって、顔を赤くしたり青くしたりと忙しくしていたし、マリアもほぼ同じような様子でおろおろしている。

気絶しているトエットのもとへ担架が到着したのと同時に、彼女は目を覚まし、特に体調不良も感じなかったため自分で歩けると断った。

実際いくらかタイミングが遅れたとはいえ、リング上を覆う治癒魔法はトエットを完全に治療済みだ。

トエットは自分を支えてくれていたロルフに一言礼を言い、ちょっと強めに腕を押して離れさせる

ロルフはそんな対戦相手にほっと安堵のため息をつき、輝くような笑顔を浮かべた。


「ああ、よかった! 万一目を覚まさなかったらどうしようかと思ったよ!」

「神殿闘技場でそんなこと、そうそう起こらないでしょう」


トエットは気絶明け一発目に苦手な男の顔を見たせいで、憮然とした表情を浮かべる。

しかしロルフはそんな少女の様子にも全く気を悪くしない。

むしろ彼女のそばへ寄って手を取り、手の甲に恭しくキスをした。

突然のことに、トエットはあっけにとられて目の前の男の顔を凝視する。


「仕方ないさ。なにせ、剣士としても女性としても目が離せないと思わされた相手のことだ。心配するのも当然だろう?」


傍目にはハンサムと形容していい、しかしトエットからするとなんだかクソムカつく顔で、ロルフがにっこりと笑う。

強い剣士と強い女が大好きなキラキラ王子様属性戦闘狂剣聖ロルフは、リングの上で衆人環視のもと、トエットの足元に跪いた。


「こんなに素敵なひとに出会えたのははじめてだ。結婚を前提に、お付き合いをしてくれないだろうか」


その言葉に、会場内が先程までとは違う種類の歓声と怒号で満たされる。

そのど真ん中に立たされた、現在彼氏募集中で夢は小金持ちのお嫁さんな剣術の鬼才たるトエットは、青筋と鳥肌を浮かべてロルフの手の中から己の手を引っこ抜き、今日一番の大声を上げた。


「お断りだ!!!!!!!!!!!!!!!!」

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