第13話 予選第三試合
二試合を終えて、戦況は王国軍の二勝。
既に予選突破は決定した。
会場内は弱小と言われていた王国チームの予想外の勝利にどよめいている。帝国民だけでなく王国民もそうなのだから、女王であるマリアとしては若干切ないというか侘しいというか、微妙な心境でもある。
しかし今はそれ以上に、最終戦を飾る選手として戦わなければいけない、というプレッシャーが彼女に圧し掛かっていた。
神前試合は先にどちらかのチームが二勝しようとも、必ず三試合行われる。
勝たなければならないという重圧はないが、先に戦ったチームメイト二人の試合が一方的すぎた。
会場内はチームリーダーである若き女王はさぞかし強いのだろうと、期待の視線をマリアへ向けている。
試合開始前からこの展開を予想していたマリアは、青い顔をしてため息をつき、ブローチを胸元に留めた。
ここ数日をチームメイトと過ごし、マリアは予選突破は可能だろうと元々察していた。
なにせトエットは今までどうして周囲にバレなかったのかと不思議に思うくらいの天才肌で、リョウは負ける姿が思い描けないようなわかりやすい最強ぶり。
いままでの帝国の予選チームの強さから考えて、この二人で二勝することは難しくない。
そうすると、問題になるのがマリア自身だ。
ほんの短期間のことではあったが、鬼コーチっぷりの板についたリョウにしごかれ、マリアも自分が強くなっていることは実感している。
しかしながら、敵はいままでずっと本格的な訓練を積んできた、いわば戦いのエリート。
もともと剣の扱いに慣れているトエットや、勇者として召喚対象に選ばれるほど高い能力を備えているリョウならいざしらず、メンタル最弱の自分がこんな大舞台で力を出し切れる気がしない。
マリアはそう思ってみぞおちをさすった。さっきから本格的に痛み始めて正直つらい。
それでもその場で蹲るわけにもいかず、怠惰脆弱甘ったれな精神と強靭な肉体を兼ね備えた女王は、その職務上の意地としか言いようのないものを支えにリングへと上がった。
王国代表、冴えない顔色の女王、マリア・リュステリア・イルグリア。
帝国代表、負け戦でも凛とした表情の剣士、ティオ・ラングル。
第三試合の開始である。
マリアは明るい太陽に照らされた広いリングの上で、ぐっとこぶしを握り締めた。
帝王と闘ったときはそれどころではなかったため気にしていなかったが、こうしてたった一段登っただけで、リングの外にいた時よりも視界が明るく、そして重圧も強く感じる。
マリアは舞台の上という特殊な空間が持つプレッシャーをひしひしと味わいながらも、闘技場の持つ魔法の効果で胃を癒されて、ちょっとだけ気分を回復させた。まあ治っても即再び痛くなるのだが。
立場に似合わぬしおしおとした顔をしているマリアとは対照的に、ティオはリングの上を真っ直ぐな足取りで歩き、大声を出さずとも会話ができる距離まで近づいた。
「マリア・リュステリア・イルグリア陛下、少しよろしいでしょうか」
「っ、ええ、どうぞ。そう畏まらずとも、構いませんわ。いまは試合中。対等な立場ですもの」
マリアは対戦相手から非常に礼儀正しく話しかけられ、思わずぴんと背筋を伸ばして返事をした。
これでも淑女であるため、こういうときのマリアはきちんと受け答えができる。内心で、なんの話だろう怖いよお、なんてビビり散らかしていてもだ。
そんな情けない女王の心境なんて知る由もないティオは、他国の国家元首相手なので、当然のこととして深々と礼をした。
「ありがとうございます。……ハーゲン陛下との練習試合、あたしも見学させていただきました」
「……それは、その、見苦しいものを見せてしまいましたね」
思い出したくない記憶をつつかれて、マリアの胃が再び痛んだ。
情けなく逃げ回って最終的に恐怖で失神した試合のことなど、彼女にとっては黒歴史でしかない。
しかし帝王ハーゲン・バルリンク・エリトラントの試合を何度も見ているティオからすれば、それはちょっと異議を申し立てたい認識だ。
「王族ともなると、そういう甘い認識をしないのかもしれないけれど……。帝王相手に正面切って殴り合えるというのは、たとえ負けたとしても、それだけで途轍もないことだ。
あの方と闘った人間は、大抵最初の一撃で戦意を失うが、あなたはそうではなかった」
そう言われて、マリアは素直に嬉しいと思った。
同時に、胸に一瞬の痛みが走る。
それに疑問を覚えながら、マリアはどう返事をしたものか迷った。
ティオの言葉は帝王を慕う帝国の戦士として、最大級の誉め言葉なのだろう。
ここで勝っても負けても帝王に挑むことになるマリアに対する、相手からの励ましのようなものなのだということも、戦士の機微に疎いマリアなりに理解しているつもりだ。
少しうつむいて考え込んだ後、マリアは拳を構えながら顔を上げた。
「ありがとうございます。けれど、どうか誉め言葉は、わたくしが貴方に勝てたときにくださいませ」
マリアがそう言ったのは、深い考えがあってのことではない。
ただ強さというものは、見学した試合ではなく、実際に拳を交えた試合で判断してもらうべきだと思ったのだ。
ほんの数日前までは王女として真綿で包むように育てられていた少女の、予想以上に強い決意を秘めた瞳に、ティオはにやりと笑って剣を構えた。
「ああ、そうしよう」
言葉を交わすのはここまで。
あとは戦いの時間だ。
ティオはマリアの胸元を狙い、真っ直ぐに駆け寄って刺突を繰り出した。
マリアはそれを避けず、裏拳で剣の腹を殴りつけ、そのまま逆の手でアッパーを狙う。
ティオは即座に膝を曲げ、姿勢を低くした。
一瞬遅れてマリアの拳が、ティオの頭があった位置で空振りをする。
ティオは体勢を崩したマリアの足元を狙って横薙ぎに切りかかるが、マリアはくるりと宙返りをし、そのままティオの頭にかかと落としを繰り出した。
前に転がって避けたティオの背後で、マリアのブーツに取り付けられた金属パーツとリングがぶつかり合い、轟音を立てる。
細い体のどこからそれほどの剛力が生まれるのかという音に、ティオのこめかみを冷や汗が伝った。
立ち上がったティオは即座にマリアに向かって剣を構え、魔力を込めた斬撃を放つ。
ティオは魔力を身体強化にも魔法にも使える、複合型の戦士だ。
近距離中距離両方に対応できる複合型は、器用で手数の多い優秀な戦士である一方、一定以上の伸びを期待できないとも言われている。
なぜかといえば、魔力の扱いが中途半端になってしまうからだ。
例えば同じ程度の魔力量、技能の戦士二人が戦うとして、身体強化型が全力で防御をした場合、強化が分散されてしまう複合型では、どうしてもそれを突破しきることができない。逆に全力で攻撃されたなら、完全に防ぎきることができない。どうしてもあと一歩が足りなくなってしまうのである。
身体強化型、あるいは魔術型に極振りしている人間のほうが必ずしも優れた戦士になるわけではないが、そういう傾向はある、というのがこの世界の常識だ。
しかし魔力強化の方向性は、ある程度は訓練で操作することが可能だが、生まれつきの性質が強く影響する。
ティオは戦士として一流ではあるものの、超一流になることは難しいと、生まれつき宣告されているのだ。
だからティオは帝王と闘うマリアをはじめて見た時、強い嫉妬をした。
王族ゆえの生来の魔力量の多さ。
訓練を始めて数日とは思えない身のこなし。
そしてそれらを生かしきれる、身体強化特化型であろう体質。
自分にない何もかもが妬ましくて、それと同時に憧れた。
同じように嫉妬と憧れが綯交ぜになった感情を胸に仰ぎ見ている帝王に、彼女ならば届き得るのではないかと思ったからだ。
そして、そんな相手と自分が戦える幸運に感謝した。
彼女に勝てたなら、それは己もまた、勝てはせずとも帝王と一撃をぶつけ合えるだけの力量がある、ということに他ならない。
ティオはマリアを通して、帝王の影を追っていた。
一方でまたマリアも、神前試合のリングというトラウマじみた環境の影響で、帝王との戦いを思い出していた。
あれは本当につらかった。怖かったし情けなかったし、どうしてこんなしんどいことをしているのだろうと心底思った。
というかまあ、マリアは前王国チームが神前試合で負けた後から、そんな思いばかりしている。
特にリョウを召喚してからは怒涛のようにつらいことの連続だ。
それと同時に、世の中にはこんなつらいことに自分からぶつかりにいく人間もいるのだと、実感しては感心する毎日でもあった。
例えばマリアの胃痛の主原因であるリョウ。
彼女はとにかく心が強い。相手が何であろうが食らいついて殴りかかって、最後には喉元を噛み千切って勝ってやるという不屈の精神でできている。
そしてそのための努力は絶対に怠らない。今日の試合を見て、マリアは彼女がチームメイトを鍛えながら、人知れず訓練をしていたことを理解した。
例えば最近言葉と拳を交わすことの増えたトエット。
彼女はべつに戦うことが好きなわけではない。良い男を捕まえてお嫁さんになるぞという夢を持って上京してきた、お年頃の少女である。
しかし彼女の剣に対する愛情は本物だ。毎日毎日続けてきた鍛錬は彼女を鍛え上げ、その結果あの、なんだかんだ言って大舞台も軽々こなす技量と精神力をその身に与えた。
最後に、目の前の対戦相手。ティオ・ラングル。
会ったばかりの彼女のことを、マリアは当然ほとんど知らない。
けれどその引き締まった肉体も、細かな古傷がいくつもついた手も、負けの決まった団体戦で、一切気を抜かず大将戦を戦い抜こうという精神力も、マリアにはない覚悟から生まれたものだということはわかる。
女王という立場と勇者の扱きに流されて戦いはじめ、さすがにこれではあんまりだからもう少し頑張りたい、と最近決意したばかりの自分と違って、周囲は努力家で強い人間ばかり。
マリアにはそれがつらい。自分がダメ人間なのだと痛感させられるからだ。
それと同時に、彼女たちの強さに、憧れてもいた。
マリアはティオが放った魔法の斬撃を避けず、己の体に当たる直前、上空へ向けてアッパーを放った。
魔力の込められた拳での容赦のない一撃は、実体を伴った魔法の斬撃を粉々に打ち砕く。
マリアは重心を少しだけ下げ、砕け散った魔力がきらめく中を、ドンと音が鳴るほどの速さでリングを踏みしめ駆けた。
突風のように接近し撃ち出された正拳を、ティオは寸前で避ける。
逆袈裟に切り上げた剣をマリアが見切り、今度は右からの手刀。
紙一重で僅かに体を斜めにしたティオは、相手の喉元めがけて刺突を放った。それを避けようとマリアが一歩横にずれた瞬間の動きに合わせ、斬撃の軌道を横薙ぎに変える。
トエットとの手合わせを繰り返したとはいえ、マリアはまだ素人に毛が生えた程度。フェイントには慣れていない。
肩を狙った攻撃を回避しきれないことを察して、マリアは反射的に利き手を剣へと向けた。
金属製の防具で守られた手の甲ではなく、咄嗟に掌を向けたマリアの動きは、戦いに慣れていないが故のものだ。
闘技場に施された魔法の効果で瞬時に治るとはいえ、利き手を切り裂かれれば、さすがに隙ができる。
そこを突けば、勝機はある。
そうティオが思った瞬間。
彼女の持つ剣が、ぐらりと揺れた。
伸ばされたマリアの右手、その親指が剣の腹を押し、軌道をずらしたのだ。
マリアはそのまま、あろうことか剣を掴んだ。
ティオの剣は典型的な両刃の片手剣。分厚く頑丈なそれは切れ味に特化したものではないが、当然勢い良く掴めば刃が肉に食い込む。
目を見開いたティオは、次の瞬間剣ごと投げ飛ばされていた。
ぶわりと内臓が浮き上がるような感触がし、目の前に青空が広がる。
空中で体を捻り、魔法の斬撃を放とうとしたティオを、マリアは飛び上がって横へと蹴り飛ばした。
「っぐ」
骨が軋むような衝撃に耐え、ティオはそれをなんとか剣で受け止める。
瞬く間に近づく地面にどうにかうまく着地しようと、くるりと体を丸めて体勢を整えた、その視線の先で。
嘘だろう、とティオは唇の端を引き攣らせた。
自分が蹴り飛ばした相手が落ちるより早く駆け、着地点に先回りしていたマリアが、下で拳を構えていたのだ。
空中の不安定な姿勢のまま、それでも相手の攻撃に合わせて剣を振り下ろせたのは、ティオの長年の訓練の結実とも言える動きだった。
それでも勝てないバケモノがこの世にいるのだと、ティオは知っている。
身体強化特化型特有の爆発的な魔力の一点集中により、マリアの拳はティオの剣とかち合った瞬間、余剰魔力を閃光として放出した。
対帝王戦の最後にも起きた光の奔流。
それが治まったあと、リングの上に立っていたのは、マリアただ一人だった。
その足元に膝をついたティオは、折れた剣の柄を握りしめ、ごぼりと血を吐き出す。
内臓の傷は既に癒えている。
全身に負った打撲もだ。
それでもティオは体中を走った衝撃に圧倒され、立ち上がれなかった。
帝王に届き得る一撃とはこういうものかと、彼女は清々しいような納得を胸に抱く。
己が負わせた傷の深さを思って顔を青くするマリアは、それでもどうにかぐっと唇を引き結び、拳を構えた。
そんな未熟さと苛烈さの同居する女王に、ティオはふっと気の抜けた笑顔をみせる。
「……やっぱり、あなたは強い」
そう言って、ティオはその場にどさりと倒れた。
それでもなお剣を手放さない彼女の姿に、マリアは深く頭を下げる。そうするべきだと自然に思えたからだ。
「第三試合勝者、マリア・リュステリア・イルグリア!」
審判の声と同時に闘技場内に響いた歓声を、マリアはなんだか他人事のような心地で聞いていた。
勝ったのだということは理解できる。
リングを降りて神官にブローチを返却すると、真っ先にトエットが無邪気でゆるい笑顔で、頑張りましたねと褒めてくれた。
観客席の自国民たちから声援と喝采を浴び、それに染み付いた笑顔でお辞儀を返してから、リョウは後ろを振り返る。
担架に乗せて運ばれる対戦相手を見送り、それでもまだ実感がわかずにぽかんとしているマリアを、リョウはトエットとともに入場口の扉の奥へと押しやった。
「勝った実感がわかない?」
扉一枚隔ててまだ歓声は聞こえてきていたが、それ以上に凛と響くリョウの声が、マリアの脳に届く。
困り顔でこくこくと頷くマリアの頬を、リョウは両手でぱしんと挟んだ。
そのままぐいっと持ち上げて視線を合わせられ、マリアは不満顔のままじっとする。最近はこの扱いにも慣れて驚きもしない。
「いいじゃない、それで。
どうせ帝王チームに勝てなければ、誰を殴り飛ばそうが負けと同じよ。
私達は未だ落伍者。油断しないで、まだまだまだまだたーっぷり鍛えていきましょうねえ」
にっこりと微笑むリョウに、マリアはひゃい、と情けない返事をする。
ぱっと手が離された瞬間、マリアはプルプル震えつつトエットの背後に回った。リョウの笑顔は正面から見ると結構な圧があって心臓に悪いのだ。
しかしドライなメイドは嫌そうな顔をして、すぐにマリアの前からどいてしまう。女王は家臣の裏切りに絶望顔をした。
リョウはわちゃわちゃと動き回る二人に我関せずという顔をして、控室へ着替えにいってしまう。
その姿は本当に今日の勝ちをなんとも思っていないようで、マリアはその前しか見ていない精神にやや引きつつ、ふと己のてのひらを見下ろした。
咄嗟に剣を掴んだあの時、自分は何も考えていなかった。
ただできると思ったからそうしたものの、練習のときにだって、あんなまねは一度もしたことがない。
鍛えれば鍛えるほど、なんだか自分のことがわからなくなるような気がした。
けれども、既に王国チームの帝王チームへの挑戦は決定事項。
ふらふらと狼狽えている女王を置き去りに、最強の敵との戦いのときは、刻一刻と迫っているのだった。
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