第5話 キャンプファイヤーと二人の事情

失神から目覚めたマリアは立て続けに島内の様々な場所へ連れていかれ、同じように追い詰められてはモンスターを殴り倒した。

おおむねこのような様子である。


「はい起きたわね。次よ」

「あああああ!!!!」


「できたじゃない。別のもあるわよ」

「う゛おああああ!!!!!」


「その調子その調子」

「ダァーーーーーッ!!!!!!」


マリアは最初のモンスターとの対決である種の覚悟を決めた、かと思えば全くそんなことはなく、毎回律儀に延々悲鳴を上げて涙を流しつつモンスターをぶちのめし、そして夕方近くなってやっと島内一周害獣駆除の旅から解放された。

リョウはリゾートへ来た観光客スタイルから、マリアが着ているのと同じ訓練兵スタイルに着替えているのだが、異様に迫力のある美貌と抜群のスタイルのせいで何故かさまになっている。

リョウが浜辺にてきぱきとテントを組み立て、かまどを作り、魔法で作り出したライフルで海面近くを泳いでいた魚を撃ち、同じく魔法で作り出した火炎放射器で火を熾して調理していく様子を、マリアは近くでぽけっとした顔をして見つめていた。

異様にスペックが高いことが判明した体はともかく、今日一日で起きた出来事からストレスを受けた心はすっかり疲弊しきり、動く気力を失っていたのだ。

と言っても箱入りお姫様育ちのマリアには一切のサバイバルスキルが存在しないため、仮に元気いっぱいであっても、こうしてぽけっと座っていたであろうことは明白だがそれはさておき。

魚のソテーを作ったリョウは、持参した葉野菜と一緒にそれをパンに挟んで塩コショウを振り、マリアに手渡した。

リョウが自分のぶんを手づかみで食べるのを確認し、マリアもこれはそういうものなのだと認識して、本日の質素な夕食を頬張る。

もっきゅもっきゅと小動物じみた動きで食事をするマリアを、リョウは意外だという顔を隠さず見つめた。


「手づかみで食べるだなんて、とでも言うかと思っていたけれど、案外柔軟なのね」

「え、いえ、だってクッキーも食器を使わず食べますし」

「それはそうね……」


ちなみにマリアは思考に柔軟性があるのではなく、単純に頭の作りがゆるいだけなのだが、それはそれで伸びしろがあると表現できなくもないとリョウは思っている。

リョウにとっては意外なことに、マリアは泣いて嫌がるかと思いきや、泉での水浴びも、柔らかい砂浜に大きな葉を敷いただけの食卓にも、全く文句を付けなかった。リョウが当たり前のような顔をして言いつけると、そういうものなのだろうと納得して従うのだ。

自分から慣れないことをすることは非常に嫌がるが、人から与えられた環境は意外とあっさり享受するところがあるらしい、とリョウはマリアを分析する。

要するに彼女は育ちが良いなまけものなのだろう。

そして、諦めることに慣れている。

リョウが足を組んで頬杖をつき、無自覚天才怠惰美少女女王という属性もりもりのマリアを眺めていると、彼女はふわふわの金髪を揺らして、おそるおそるリョウに話しかけた。


「あのう、リョウさま。わたくし一応女王なのですが、その、公務などもありますし、本当に今日はここに泊まるのですか……?」

「泊まるわよ。もう関係各所に話は通してあるから、仕事の心配はしなくて良いわ」

「仕事が早い……」


どうせ泊まるのだろうけれどダメもとで一応、という調子で尋ねたマリアに、リョウは間髪入れずに返答をした。

マリアはそれに淑女らしからぬ顰め面をし、けれど思っていたよりも食事が美味しかったのでまあいいか、と気を取り直して魚のサンドイッチをぱくぱくと食べる。

一口の量が小鳥のように少ない貴婦人である彼女の食事は時間がかかる。すっかり食べ終わるころには、リョウは何かの本をぱらぱらとめくっていたので、暇を持て余したマリアはしげしげと自分の手足を見つめた。

今日一日で普段のひと月分に相当するほど酷使した体には、思っていたほどの疲労はない。初めて舞踏会に出た日のほうが、気疲れでよっぽどへとへとになったものだ。

それに、モンスターをなんの装備もなく殴りつけた手にも、擦り傷一つついてはいなかった。

マリアはこれまでの人生の中で、転んで痣を作るどころか、本のページで指先を切ることすら稀というおよそ一般的ではない生活をしていたが、それでも自分の体がおそらく普通でないのだということくらいはわかる。

よくよく考えてみれば、最初に顔を合わせた際、リョウに両耳を摘まんで持ち上げられた時、赤くなってじんじん痛むだけで済んでいたことがまず異常ではあったのだ。

マリアは少しの間考え込み、思い切って口をひらいた。


「あの、リョウさま、わたくしのこの力というか、体質というか、やはり普通ではないのでしょうか?」

「そうでしょうね。いくらこの世界の人間が魔力なんていうデタラメな力を持っているからといって、あなたほど無茶な使い方をする人は少ないでしょう」

「そうなのですか……? わたくし、その、魔力を使うと体にどんな作用があるのかすら、詳しくは知らないのですが……」


この世界の王族は生まれながらに強靭な戦士となることを期待されているが、生まれつきおっとりとして可憐だったマリアは、まあこの子は女の子なのだから、と戦いにまったく関わらせられることなく過ごしてきた。

位の高い貴婦人であるのだから、それは特に珍しいことでもない。

しかしながら彼女はいまや、形式上とはいえ国のトップである。

自分の不勉強さに若干気まずさを感じて、マリアはキャンプ用の大きなマグカップに注がれた食後のお茶を一口、自分の心を誤魔化すようにこくりと飲み込んだ。

リョウはそんなマリアの心境を察しつつも、慰めようなどという考えは一切持たない。

マリアいう人間を鍛え上げようと思っている彼女にとって、その悩みは優しくしてやるべき点ではなく、どちらかといえば叩いてやるべき点だからだ。


「あなたは本当に戦いから遠ざけられて生きてきたのね。

そもそもこの世界の魔力というものは、魔術などによって指向性を持たせられない限り、それを生み出している人間の体に勝手に纏わりつき、自動的にその動作を補佐するものよ。

人によって魔力の強さ、作用が偏る場所、その精密性まで様々な個性があり、強い魔力を持っていれば誰でも強いというわけではない。

例えばあなたは骨や筋肉、反射神経などの強化に非常に適性があるのでしょうね。身体能力や強靭性の向上、体力の増加、そういった白兵戦向きの体質を生まれつき持っている。

対して私は身体能力や反射神経の強化も出来るけれど、どちらかといえば脳の働きの強化や魔力を放出することに長けているから、こうして勇者として手に入れた力を十全に発揮し様々な武器を作り出すことができているわ。

理解できたかしら?」

「ええと、はい。わたくしより余程詳しくていらっしゃるのね……」


感心すればいいのか落ち込めばいいのか、とマリアは複雑な心境で顔をひきつらせた。

リョウのほうはといえば、それを誇るでもなく再び本のページに視線を落とし、読書を再開している。


「当然でしょう。この二日で当たれるだけの文献に当たり、騎士や魔導士から話を聞いたわ。訓練をさせる側がする側よりも多くの知識を身に着けているのは当然のことよ」


当たり前のようにそう言われ、マリアは口籠る。

勇者を召喚するにあたって、その者がこの国に快く力を貸してくれる存在であることを、たしかにマリアは望んだ。

しかしながら、だからといってここまでストイックに協力してくれることを、当然だと思うような感性はしていない。

言おうか、どうしようか。

悩んだ末、マリアはリョウにもう少し歩み寄ってみることにした。

“勇者様”ではない彼女自身に、少しだけ興味がわいたからだ。


「協力を求めたわたくしがこう言うのもなんですが、リョウさまは、その、……どうしてそこまで頑張ってくださるのです?」


へにゃりと眉を八の字にして、無作法なことを尋ねて本当に申し訳ありませんわと表情で訴え小首を傾げるマリアに、リョウは一瞬この顔をひっぱたいてみたらどんな反応をするのだろうかと考えた。キュートアグレッションというやつだ。

しかしながら彼女は根っからのドS。鞭と飴の使い分けのプロである。そのため無意味な打擲は行わず、マリアに素直に答えてやることにした。


「私はね、ヤクザの家の娘なのよ」

「ヤクザ……?」

「こちらの世界ではマフィアという表現になるのかしら。反社会的な活動で金銭を得ている組織よ。合法なことも非合法なこともして儲ける、武闘派で物騒な一門、とでもいったところね」

「ひょえ」


マリアは勇者の予想外の出自に目を白黒させたが、嫌悪感や忌避感は特に覚えなかった。

女王たるマリアにとって、そもそもそういった職業は本来歯牙にもかけない存在だという理由もあるが、彼女は元来人に対する負の感情というものが薄い性質なのだ。

そういう人もいるのだな、というあっさりした心境なのである。

リョウにとっても、あまりにも社会的地位の高いマリアの、警察から目を付けられるような職業をしている家が実家の女、という存在に対する知識や想像力や偏見の少なさは予想できたことだった。

だから彼女の、驚いたけれどそれがどういうことなのか分からない、という顔を、リョウは無垢な子供の相手をするように穏やかに見つめる。


「そういう家に生まれた女というものはね、おおよそまともには育てられないわ。

当然のこととしてある程度の能力の高さや格のようなものは求められるけれど、言ってみれば人権がないのよね。所有物なの。そうじゃない場合もあるのでしょうけれど、私の場合はそうだったわ。

不思議なものだけれど、生まれた時からそういう扱いだったわりに、私はとんでもなく我が強い人間なの。

だから家にとって都合の良い女としての振る舞いを強いられるたび、よくもこの私にそんな口を聞けたものねと内心反発し続けていたわ。

だから勉強でもなんでも、自分の力を伸ばせることをするのが大好き。いずれ家を出て独立するつもりだから。

それと同じように、能力のある人間を見つけて伸ばしていくことも好きなのよね。やりがいを感じる。恩義を感じて崇拝されることも、反発して憎しみを向けられることも楽しいもの。

そういうわけだから、今のこの環境は気に入っているわ。とっても面白い。だからあなたには感謝しているのよ」


リョウはそう言い、慈母のような美しい笑みを浮かべた。

その笑顔がモンスターをぶん殴ってぜえぜえいっているマリアを、次のターゲットの元へ連行するときに浮かべるものとまったく同じなものだから、マリアからすると条件反射で若干身構えてしまうのだが、それでも目の前の女王様気質勇者の本気は感じ取れた。

マリアはもうほとんど中身の入っていないマグカップを両手で持ったまま、視線を焚火へとそらして口を開く。


「……わたくしは王女として生まれて、甘やかされて育ちました。わたくし自身競うことも努力することも苦手な怠惰なたちでしたから、これまでの生活は生温くて居心地の良いものでしたわ。

これほど人から無体を働かれることも、無理難題を課されることも、期待されることも初めてです。

……でも、だから、わたくし、頑張ってみますね」


カップで口元を隠す幼い仕草をしたまま、マリアはこっそりと小声で、そう宣言をした。

帝王に挑む権利を獲得するための予選までは、あと一週間。

二人の挑戦は、こうして始まったのである。

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