第9話 常春の巣
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カイムはバー“ヘルハウンド”への階段を下りると扉を開く。
オリヴァンはカイムに気付くと手を振る。
「やっほー、ついに目覚めたか麗しのお坊ちゃん。かわいい女の子あさりに行くぞ!」
「あまり大きい声を出すな」
オリヴァンは珍しく落ち着いて高級感のあるジャケットを身に着けていた。でも、相変わらず赤茶けた髪は海藻のように自由気ままだ。
「カイムは相変わらず三つ揃えの中折れ帽スタイルか、マフィアのボスみたいだよな。まあ、ドレスコード的に完璧だけどな」
「こいつがオリヴァン・リードか。なんか胡散臭いな」
ヘルレアはサングラスをしているが、暗い店内で瞳がより青く灯って見える。
「うお、ヘルレア王!」
ヘルレアは完全に少年の衣服を身に着けている。王もやはりジャケットだがその立ち姿は、普段より更にスマートで、その均整は完璧だ。髪は編み込んで調節したポニーテールにしており、その長さは腰辺りまでと短くなって、自然な長髪となっている。
正直、かなり怪しい魅力があるとカイムは思った。身体はすんなりとした少年なのに、顔立ちは中性であどけなさが残る。そうしてどこか可愛らしいのに、凍り付いた面差しは男性的な面も見せた。けして均衡を崩さないギリギリのラインにヘルレアは立っている。カイムは初めてヘルレアを少年として、男性として認知した。
「世界蛇の本物は初めて見たな。マジで綺麗なのな、食ってみてーわ」
「失礼な事を言うな」カイムはムッとする。
「私が喰ってやろうか」
オリヴァンは大笑いをする。
「ああ、面白いわこれは。カイムはいいもの見つけたな――はじめましてだ、ヘルレア王。オリヴァン・リードだ。お見知りおきを」
「名乗らなくてもいいだろう、さあ、行くぞ」
カイム達は店を出ると待たせておいた車に戻る。
「うわっ! ジェイドとチェスカルじゃねーか」
オリヴァンが先客の二人にドン引いている。
「オリヴァン殿、お久し振りです」ジェイドがむすっと頭を下げる。
「今日はよろしくお願いします」
チェスカルは相変わらず無表情だ。
愛想が全く無い二人だなと、他人と接している姿を見ると改めて思う。開殻しているカイムには猟犬の感情が直に伝わって来るから、無表情でもつねに感情は豊かに感じるものだが、傍目からするとかなり恐ろしい二頭なのだろうなと、さすがの主人でも分かった。うわっ、とオリヴァンに言われてしまうのも、少し納得出来る。あくまで、少しだが。
猟犬の二人もドレスアップしている。チェスカルは怪我をしているので、少々化粧をしていて血色が良い。
「お伴は居ると思ったがこいつらだとは。女の子が違う意味で泣くぞ」
全員車に乗り込むと車が走り出す。
「どこへ行くんだ」ヘルレアがサングラスを外す。
王に対面して座るチェスカルが、空かさず答える。
「アメリア建国以前に存在したといわれる神領の一つ――“果樹園”――その名残りと伝承にある風俗街で、現在は“神の休息地”と呼ばれる場所です。特にここは有名な高級娼館が集まる場所で、政治家などでも安心して通える優良店ばかりですね」
チェスカルはまるで、環境に配慮して飼育された肉牛が卸される店舗だと、語るが如く穏やかに頷く。
「本当に“果樹園”なんかあったのかよ」
「さて、それはどうでしょうね。五大神領が有名ですけれど。性愛、購買、芸術、飲食……虐待。神領の人間は神の眷属として仕え、また、その仕える神の性質に添った社会構造を作り上げて、領主が完全に自立統治するという異質な社会ですね――その異常性から神の怒りにふれ、鉄槌を下され滅ぼされたとも、伝説にあります。ということですので、まあ、所詮は伝説ですね。“果樹園”跡地というのは一種の箔付でしょう」
「なるほどな、ご苦労な事だ」
「ヘルレア王は女の子の方が好み? 男娼もいるよん。イケるならどちらもいけばいい。貞操が危ない事しなければいいんだし。ヘルレアなら喜んで付き合ってもらえるぞ」
カイムは隣に座るヘルレアへつい耳を傾けた。
「……女の方がいい」
そのぼそっと呟かれた言葉に誘われたかのように、カイムはなんとなくヘルレアへ、ちらりと視線を過ぎらせる。
「ジェイドとチェスカルも遊ぶのか」オリヴァンは明らかに猟犬の二人は護衛だと解っているだろうに、彼は興味津々といった体で、ジェイドとチェスカルの顔へ視線を往復させる。
「私達はお部屋の前で見張ります」チェスカルが頭を下げる。
「せっかくついて来たんだから、遊ばせてやればいいのに」
「断られた」
「誘ったのかよ」ヘルレアが複雑な顔をしている。
「いや、ついね」
謎の沈黙が車内に落ちた。
「ん、大丈夫なん? これ」
カイムは少し、この四人の間に変な空気が流れている事が気になっていた。ジェイドとチェスカルが、微かに気を立てているのを感じていたのだ。普段と違う行動をするからとはいえ、娼館へ行く道すがらとはあまり思えない精神状態だった。
また、ヘルレアもいつもより少し静かで、落ち着いている。初体験のカイムだけが平常通りという、奇妙な状況だった。
そして、僅かな変化でしかないが、静かなヘルレアも、何やらカイムは気になった。
カイムに対していつもよりほんの少し冷たいような。彼を見る目付きが、少々キツいのではないかと、つい勘繰ってしまう。
――まるでゴミでも見るような。
所詮、そのような気がするだけだろうが。正直、自分自身に後ろめたい気持ちがあるから、何でも悪い方向へ捉えてしまうのだろうというのが、自覚出来ている。
だが、もし本当にヘルレアの冷めた視線が事実なら、ヘルレアはもしかしたら、風俗へ行くカイムに嫌悪しているのかもしれない。
ヘルレアはヨルムンガンドだ。でも、十三、四の子供でもある。そんな普通だったら思春期であろうヘルレアの前で、カイムは平気で風俗へ行くとのたまっているのだ。大人の男が持つ性欲と言うものを、特に嫌悪する年頃なのだろうと、誰だって想像がつく。
――僕は気持ち悪いと、思われているのかもしれない。
カイムは自然、俯きそうになる。
ジェイドが無言でカイムをじっと見ている。
バレている。
カイムに一番近い猟犬のジェイドには、直ぐ察せられてしまうのだ。主人というのも面倒なもの。
カイムは咳払いをする。
「どこのお店に行くんだ?」
「あ? そりゃ、カイムを連れて行くんだから、“神の休息地”で一番高くて、一番安全な店だよ。一見さんお断りな“蜂の巣”へ案内してやる」
「“蜂の巣”は、あの会員制娼館ですよね……それなら安心してカイム様をお預かりして頂けます」
「保育園かよ」ヘルレアが飽きれているようだ。
「まあ、そこは童貞だからな。まだ、童ってことだ。しっかり安全にふでおろししてもらえ」
カイムがオリヴァンの頬を一切手加減無しに引っ張る。
「黙って聞いてれば、言いたい放題言いやがって」
オリヴァンはわけの分からない事を口走りながら、カイムを
「お前らガキか鬱陶しい。静かにしろ」
ヘルレアが険しい顔で、二人を叱り飛ばす。
「失礼しました」
カイムはバツが悪くなって、苦笑いする。
そうしてカイムは大人しくすると、チェスカルが何かを考えているのが伝わって来て、視線を向ける。
「何かあったのか、チェスカル」
「……カイム様、帰りますか?」唐突に呟いた。
「急にどうしたんだ?」
チェスカルはいつもの無表情の仏頂面でカイムを見つめる。
ジェイドがチェスカルへ手を振った。
「カイム、チェスカルの事は気にするな。ここまで来たんだ、いいだろう。どうなるかは、俺達猟犬が口出しするべきじゃない」
「そう、か?……分かった」
カイムは不思議に思ったが、あまりジェイドの言葉が頭に入って来なかった。
ただ勢いで選んだ道は、期待も喜びもないばかりか、何故か未来すら見えなかった。
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